愛犬のお墓参り

 今日の東京は快晴。絶好の(?)お墓参り日和。約二年前に亡くなった愛犬のお墓参りに、母親と30年来の親友と3人で行ってきました。実は、親友の家の猫ちゃんも、今年の8月に亡くなり、同じお寺に納骨しているのです。彼女は多分、やはり猫ちゃんを可愛がっていたお母さんと一緒に、お彼岸にお墓参りに行っているとは思っていたのですが、誘ってみたら「行く」とのことだったので、一緒に行きました。

 お寺は赤羽の駅から近くにあります。駅周辺でお花を買って、お寺までタクシーで行き、うちのシーズ-犬「サスケ」は合同のお墓に納骨しているので、屋外にある大きなお墓の石にお花を供えて、サスケの好きだったビール(皆さんはペットに飲ませないように)の小さい缶を置いて、3人でお参りしました。親友の猫ちゃんは、屋内にある納骨部屋の一角に写真とお位牌と一緒にいましたので、3人でお参りしました。今ごろ天国で友達になっていることでしょう。

 私達がお参りを終えて外に出ると、屋外の合同墓石のそばには数人、お墓参りの方々がいました。天気も良かったので、皆出てきたのでしょう。月日、年数がたてば悲しみも少しずつ薄れてはきますが、決して家族と同じように過ごしたペット達のことは忘れません。年に一度でも、数年に一度でも、もしくは悲しみが癒えるまで何度でも皆さん来るのだと思います。うちの母親も、もうサスケが亡くなって2年経ちますが、年に2回は私と一緒に来ています。

 サスケが亡くなった後、半年くらいは、実家に来るとサスケの気配を感じました。「いるな」と思いました。足音もなんとなく聞こえるのです(私だけですが)。実は、北陸の自宅にいる時も、足音や雰囲気を感じることがありました。しかし不思議なことに、ある時、夢の中にサスケが出てきて、お嫁さんをもらい、可愛い子供も生まれた夢を見ました。そうしたら途端に、サスケの気配を感じなくなったのです。「ああ、現実の世界では結婚することもなかったから、天国で結婚して幸せになったな」と思いました。それはそれで嬉しい事なのでよかったのですが、なんだかいまだに実家に帰省すると、サスケが両親のベッドの上で丸くなって寝ている姿があるような気がして、ふっとそちらを見るのですが、もちろんいません。さびしい気がします。やはり何年たっても、家族だったペットを亡くしたのは悲しいことです。

 あまり悲しんでいると、自分の気持ちも落ち込みますし、なんせ当のサスケが結構、性格的にムラがあり、わがままで、割と自分本位(?)なところがあったので、夢に出てきたのは多分、「オレもこっちで幸せにやってるから、姉ちゃんもまあ、幸せにやってよ」みたいなメッセージだったような気がします。お互い幸せに暮らそうよ。どうせ私も、うちの家族も皆、最後は天国に行って、サスケに会える日がくるからさ、それまでそれぞれの世界で楽しく暮らそう、といつも心では思っています。しかし、あの性格はいったい誰に似たのだろう。私なのか??

快晴!

 今日の東京は快晴!予定通り母親と一緒に、昨年9月に亡くなった、実家の犬「サスケ」のお墓参りに行って来ました。昨日の夜早めに寝て、今日は体調も良く、天気も良くて、お墓参りに恵まれた条件でした。サスケのお墓のある寺の最寄り駅、赤羽は、いつにもまして、人出の多いこと。駅の周辺でお花を買って、行きはタクシーでお寺へ。本当に良いお天気で初夏のような暑さと日差し。ゴールデンウィーク後半に入って、同じことを考えている人が多かったらしく、お寺に着くと、何組ものペット供養のお参りに来ている人達に会いました。みんな、ペットを亡くして悲しみ、ここへ納骨して、時々来ているのでしょう。合同葬で納骨したペット、室内の個室に骨壺を納骨してあるペットや、室内の棚に骨壺を納骨してあるペットと、みなそれぞれです。うちのサスケはシーズーで男の子でしたが、他の犬や猫を怖がって、最後まで結婚も出来なかったし、友達もいなかったので、せめて天国に行ったらたくさんの友達と、嫁さんも作って欲しいと思ったし、寂しくないように、最初から合同葬(合同納骨)にしました。合同碑の前でお花を上げて、お線香を上げてお参りしました。帰りは母親と一緒に、ぶらぶらと駅まで歩いてきて、イタリアンレストランでちょっと遅いランチを二人でとりました。

 もうサスケが亡くなってから、半年以上たちますが、まだ何だか信じられないような。実家に帰って、サスケがいないのが不思議な感じがします。14歳で、脳に癌ができて、最期は安楽死でした。人間と同じように、動物も医療が進み、武蔵境にある動物の大学病院でMRIもとりましたが、手術も抗ガン剤も放射線治療も、もう手遅れでした。母親は随分前からサスケの体の異常には気づき、かかりつけの動物病院にも何度も言いましたが、そのたびに「年のせい」と言われ、本当におかしいと判断されたときには、サスケの左目が飛び出てきて、もう、街の動物病院では出来ない検査だからと、大学病院を紹介されたのでした。左目が飛び出るほど、脳内に癌が広がっていたわけです。病気をたくさんしましたので、かかりつけの動物病院の先生は、軽く見立てたのでしょう。誤診だと、当初は本当に悔しく、いろいろとネットで動物裁判のことも調べたものです。しかし、そんなことしてもサスケが帰ってくるわけでもなく、その前にアトピーや尿路結石などで死にかけたときに、そのかかりつけの先生に助けてもらっていますので、これがサスケの寿命だったのだと、あきらめました。

 動物といえどもサスケは家族の一員でした。特に芸をするでもなく、年をとるほど自分勝手で、まるで人間のようにがんこになったり、本当に好きなように生活していた犬でした。しかし、亡くなって私が初めて気づいたのは、「家族というのは、ただそこにいるだけで良い存在なのだ」ということでした。サスケがいなくなって、うちの家族に、ぽっかりと穴があいたようです。家族の存在の大切さを、サスケに教えてもらいました。寂しいけど、もうあまり悲しまないようにしています。サスケはきっと天国で自分の好きなように生活しているでしょうから、私たちもこちらで幸せを目指して生活していきたいです。でももちろんサスケのことは忘れません。いつかきっとまた天国で、みんなで一緒に生活できることを信じています。 

2024年11月
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