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「山桜」という映画を見た。

 藤沢周平さん原作の時代劇「山桜」という映画をテレビで見ました。昼間に2時間近くテレビで時代劇を見たのは、久しぶりです。

 藤沢周平さん原作の時代劇は、「たそがれ清兵衛」「蝉しぐれ」と映画がテレビで放映されているのを見た覚えがあります。「蝉しぐれ」はドラマでも見ました。静かで、心に響きます。

 時代劇、好きなのです。しかし藤沢周平さんの本は読んだことがありません。テレビで見ているからでしょうか。でも今日「山桜」を見て、これは原作を読んだらはまりそうだと思いました。はまりそうだから読んでいない、というのも理由かもしれません。

 「山桜」に関しては、主演が田中麗奈さん、相手役が東山紀之さん、脇を檀ふみさん富司純子さんなどベテラン俳優の皆さんが演じていました。今、私の生活は、少し大変です。そんなときにふと見た時代劇に、心が洗われるようでした。

 実はコロナ禍で、昨年だったと思いますが、山本周五郎さんの「さぶ」を読んだのです。NHKのドラマを見たのがきっかけでした。素晴らしい作品で、はまりそうだと思いました。まだ次の作品を読んでいないので、はまっていないことになるでしょうか。

 時代劇も昔の作品から今の作品まで、いろいろとありますよね。最近の作品では「大奥づとめ」という本を読みました。とても面白かったです。時代劇の本が読める気持ちの余裕ができたら、読みたいなあと思っています。

期待してはいけない。

 相手が「やってくれるだろう」と、期待してはいけないのだなと、あらためて実感しています。

 母親が退院して6日目、順調に自宅で生活しています。しかし介護ではないのですが、父と私の家事分担はこのままずっと続きそうです。

 私が体力の限界で寝込んでいても、父親がやってくれるだろうと思う家事は、やってくれません。それは私が一方的にそう期待しているだけで、父は父で他の家事をがんばっているのです。きっと疲れているのでしょう。

 母親が入院してるときはそれはそれで、2人で家事を小さく少しだけ回していました。母親が退院するとそれはそれで、気にすることがたくさんあり、父も私も精神的にも疲れているのでしょう。相手にどうしても期待してしまうのですが、それはいけないと思っています。

 自分が結婚しているときも夫に対していろいろと考えましたが、自分の実家でもやはり同じですね。家庭は家庭なのですね。

 それでも私が寝込んで動けなくなったら、働けなくなってしまいます。そうならないように自分で注意しながら、体調管理をしていきたいと思います。

録画したドラマを見られる気持ち。

 まだまだ母親の病気に関しては油断してはいけない状況で、手続き等もしなくてはいけないことがあります。しかし、そんな中でも、録画しているドラマを見ようという気持ちが出てきました。

 母親の入院中もちょこちょこ見てはいましたが、気持ちはうつろ、な状態でした。ただ流している、と言う感じでした。ここ数日は何となく集中して見られるようになってきたので、気分転換にもなっています。

 体力的にはちょっといまいちです。紅斑も腕にできてしまいました。それでも気持ちが少し楽になってきたので、治りも早い気がします。ただ睡眠不足です。何とかもう少し眠りたいです。

 自宅に母親がいる安心感と、母親が動いてしまうので病状が悪化しないかという不安があります。それも私自身の体調に影響があると思っています。眠れるときは眠っておかないといけませんね。昼間もできるだけベッドで横になっています。元気が出てくると、新聞を読んだり、録画ドラマを見たりしています。

 これからも家族の状況や私の仕事にも変化があると思います。体調を考えながら、対応していきたいです。

私が体力気力ともちょっと下がり気味。

 母親が退院して3日目。なんとか生活しています。しかし私が、体力気力ともに下がっています。ああ、もう、無理~、と言う感じです。

 とりあえずこうしてブログを書いているということは、何とかなっているというわけです。ただもう、ゆっくりしたい、もっと眠りたい、という気持ちがあります。

 母親が退院してよかった→でも家事は父親と分担→母親の介護認定とか難病申請とか必要→仕事もちょこっとしている→疲れている、と矢印にしている意味がないのですが、負担はずーっと続くので、それを今後介護認定を受けた後に、ヘルパーさんにお願いするとか、デイサービスを利用するのか、など考えて決めていかなければいけません。在宅介護ならば、介護用のお風呂の椅子が必要とか、そういう細々とした手続きも残っています。

 家族みんなで決めて、また分担するのですが、今までとは違う家事の負担が増える分、自分の体調をどう整えていくのか、という問題があります。まずは自分が健康でなければ、家事もできないし、仕事もできません。自分に向き合っていく必要がありそうです。

これからが重要。

 母親の退院が決まりました。明日の午前中です。炎症反応・白血球とも正常になりました。本当ならもう少し入院を続けて様子を見てほしいところですが、どうも、そうはいかないようです。どうしてかは書きません。とにかく今日の血液検査で正常範囲になったので、よかったです。明日の午前中に退院することにしました。そう、退院することにしたのです。これは母親と家族の意志です。

 退院後、とにかく母親の体調が維持できるように、安静にしながら日常を送るしかありません。これからが重要です。薬はクローン病や潰瘍性大腸炎、腸管ベーチェット病でも、初期に使われる薬、ペンタサと成分栄養剤(エレンタール)です。これを飲み始めて約10日で炎症反応が落ち着いたので、退院後もこれで様子を見るようです。

 悪化しないことを祈るばかりです。これで落ち着いてくれれば本当に嬉しいです。このまま維持できれば、本当に嬉しい。そうしたら、秋か冬には、左膝の関節を人工関節にする手術です。しかしこちらは、いつになるか分かりません。どうしてかは書きません。そういうことです。

 自宅で高齢の両親はひっそりと過ごしてもらいます。母親は歩けないので自宅内での生活、父親は買い物ぐらいの外出にしてもらいます。私は自分の体調を考えながら、できる仕事をしていきます。感染予防をしっかりとして生活していきます。 

親友が連絡をくれました。

 6歳からの付き合いの親友が、このブログを見て連絡をくれました。小学生のころからの親友なので、お互いの家にも行き来していました。両親のこともよく知っています。コロナ禍で1年半くらい会っていませんが、誕生日にはお祝いの連絡をお互いにしています。

 ブログのことも前に話していて、なぜか私が困っていることを書いているときに、見てくれるのです。不思議です。私も彼女が具合の悪いときに自宅に連絡して、実は入院していたということがありました。

 今日は昼間に連絡が来て、話すことができました。すごく心強かったです。いろいろと話を聞いてくれて、話をしてくれて、意見を言ってくれて、本当に感謝です。いざというときに手を差し伸べてくれる人がいることが、本当に嬉しいし、幸せです。

 うちは今、父親と家庭を回しています。父親としっかりと話ができたことも、とても嬉しいことでした。母親の病気は残念ですが、それで気づいたこともたくさんあります。昨日は夢で、母親が帰ってきていて、今までのように毎朝、母親がキッチンにいるという夢を見ました。不思議と涙は出なくて、そういう日が必ずまた来ると思っているからなのかもしれません。

 何かあれば話を聞いてくれる友人が他にもいます。何かなくてももちろん、話を聞いてくれます。そしてこのブログを読んでくださっているかた、コメントをくださるかたにも本当に感謝です。ときどきですが、ブログを更新していきたいと思っています。

クローン病もしくは潰瘍性大腸炎らしい。

 母親の病名候補が分かりました。クローン病もしくは潰瘍性大腸炎らしいです。やっとなんとなく病名が付きそうな感じです。

 長かったです・・・病名が〇〇らしい、となるまで、入院してから23日間。入院している病院で、初めて大腸内視鏡検査を受けたのが今年の1月初旬。そのときには病名が付かずに、感染症やら他の病名やら、検査をしても分からずに、整腸剤と下剤だけの処方で約半年。その間に悪化して入院となったわけです。

 病名や原因がわからないことが多々あることは知っているつもりでした。なかなか決定的な症状がなくて、〇〇疑い、と言う感じで治療している方も多いと思っています。それでもあらゆる検査をしてやっと〇〇疑いと言う感じで、母親の治療が始まって数日たちました。炎症反応がやっと20→5まで下がったそうです。それでも高いですけどね。白血球は正常になったそうです。

 入院中に母親は、膝の症状が悪化して歩けなくなったとのことなので、私が介護認定の申請に行ってきました。腸の具合が安定して退院しても歩けなかったら、お風呂にも入れません。膝については同じ病院の整形外科で診察を受けて、左膝の関節を人工関節に置換する手術をする予定になっています。いったん退院してから改めて膝の手術の日程調整をするとのことなので、その間は自宅での生活になります。まずは介護認定を受ける必要があると、父親と相談して決めました。

 人生って、本当にあっという間に変化しますね。ずーっと同じ生活なんてありません。自分でも分かっていましたが、両親に甘えて約11年、のほほんと過ごさせてもらいました。さあ、これからは私が少し頑張る必要があります。自分の体調をしっかりと管理しながら、できる範囲で頑張って行きたいと思っています。

薬の内服が始まったようです。

 治療開始まで、長かったです。母親が入院してから、1回目と合わせると、今日で19日間。あらゆる検査をして、他の科の先生とも相談してくださって、やっと今朝から薬の内服が始まったそうです。

 母親にどんな薬を飲んだのか電話で聞いてもよくわからないので、どういう薬だろうと思っていました。父親が午後に母の衣類を届けに病院へ行き、帰りに洗濯物をもらって帰ってきた際、母親の直筆メモとともに薬の説明書が一緒に入っていました。説明書を見て、嬉しくなり、ちょっと叫びました。治療が始まったのだと、しっかりとわかりました。

 今はコロナ禍なので、入院した患者さんとの面会は家族でもできません。入院している階のインターフォンで看護師さんを呼んで衣類を渡し、本人に届けて本人から洗濯物をもらって、看護師さんがそれを届けてくれるだけです。毎回必ずメモや手紙を私が書いて衣類と一緒に入れ、父親が届けに行ってくれます。

 飲み始めた薬がわかり、母親とその後、電話しました。「その薬は効くから、絶対よくなるよ!」と励ましました。母親は今日はとても気分がいいと言っていました。絶食中なので、薬がよく浸透しているのかもしれません。

 私はベーチェット病なので、少しだけ自分の病気に関する薬を知っています。患者会の講演会にも参加したり、今年はリモートでの会にも参加したので、ベーチェットでも違う症状(腸管ベーチェットや眼症状についてなど)のお話も聞く機会がありました。他にも今まで慢性疼痛の患者さんの集まりにも参加したことがあり、そのときにクローン病のかたのお話も聞いたことがありました。母親は腸の炎症を起こしているので、似たような状態なのでしょう。処方されたお薬は腸の炎症を抑える薬でした。

 このまま良くなることを祈ります。祈るって言葉はあまり使いませんが、これはそれしかないのですよね。祈るしかない、そんな感じです。

早く治療を始めてほしい。

 母親が再入院してからすでに6日目。まだ積極的な治療が始まりません。昨日、自分の通院があったので、同じ大学病院のため、母親の担当医師にお話を聞くことができました。

 この病気です!という確定診断に至らないらしいのです。これかもしれないし、これかもしれない、という状態のようです。いずれにしても治療方法が同じ方向ですし、検査の結果は出そろったので、本当なら今日から治療が始まる予定でした。ところが午前中に母親から電話をもらい、他の科の先生にも意見を聞くために、いったん予定していた治療は中止だと言われたそうです。

 なんとかしてよ~、と私は思っています。81歳の母親、再入院してから6日間、絶食です。1回目の入院の時にも5日間絶食でした。検査が終わったのだし、そろそろ食べさせてあげて~、と思います。点滴で栄養は与えられているとはいえ、かわいそうです。しかも、炎症反応(CRP)が20だそうです。再入院の時の検査では、11でしたので、さらに上がりました。本人はかなり辛いはずです。

 面会もできませんし、母親からの携帯電話の連絡待ちは、家族としては不安です。私から何回か電話で担当の医師ともお話はしています。昨日は直接お会いして話しました。それでも毎日状況が変わります。早く治療を始めてほしいなと思います。1回目の入院からすでに18日がたっていても、治療方法が決まらず、炎症反応が20はきついです。

 自分のときは自分が辛いのであまり感じませんでしたが、家族が病気で入院していて、辛い思いをしていると考えると、本当に心配で不安ですね。そんな日々ですが、明日は私、単発の仕事が入っています。午前中に行ってきます!

母は退院して翌日に再入院。

 先週の金曜日、母親の退院が突然決まりました。私は午後から仕事だったので、父親に迎えに行ってもらいました。帰宅したら、母親が帰っていました。

 12日ぶりに会った母親は痩せていましたが、会えたことが嬉しかったです。正直言って元気ではなく、もうろうとした感じでした。少しキッチンのテーブルで話してから、ベッドに寝てもらいました。

 父親と2人でコンビニで買ってきた袋入りのうどんで素うどんを作って、3人で食べました。美味しかったです。前日の残りの餃子が4つあり、漬物と甘い豆という簡素な食事でしたが、たぶん、今までの人生で一番おいしい食事だったと思います。(もちろん母親手作りの料理はとてもおいしいですけどね。)食事中、ふっと目をそらしていたときに餃子が1つなくなっていて、「誰が食べたの?」と聞くと、母親が「私」と答えました。笑えました。腸炎で入院していて、食事制限もあり、餃子なんてもちろん食べていなかったでしょうが、まさか退院したその日に、前日の残り物の温めただけの餃子(味の素の餃子です)を食べちゃうなんて。

 母親は夜に発熱しました。その後、朝まで何回も下血したそうです。翌朝午前中に入院していた病院に電話で問い合わせて、すぐに再入院となりました。救急車で来てくださいと指示があり、今回も救急車のお世話になりました。

 今回の再入院は、1回目の入院時よりも炎症反応・白血球の数値が2倍近くになっていました。昨日の退院時はまあまあ下がっていたらしいのですが、なんで退院させたのかな、と疑問に思いましたが、母親も帰りたがっていたので、仕方なかったと感じています。1日だけでも退院して自宅で過ごせてよかったかもしれないと思います。

 また父親と2人の生活が始まっています。ちょっと疲れがたまっていたので、私も時間があればベッドに横になって寝ていました。暑いですし、とにかく無理せず、ぼちぼち生活していきます。

少し仕事をして、少し家事をして。

 昨日、約2週間ぶりに単発の仕事をしました。体も頭も疲れていましたが、仕事をしているときには集中できました。仕事をすることで、その間は日常を忘れるということが、私にとってはいいのかもしれないと思いました。

 今日はお休みでしたが、両親のカードの支払いなど、銀行への振込に奔走(?)しました。午前中でしたが、日差しが暑かったです。今日はたぶん、東京も猛暑になったのだと思います。

 家事は父親と分担していて、私は朝の洗濯とときどきの掃除や夕食の簡単な準備と片づけ、父親は食事の買い出しやゴミ出しをしています。

 少しだけ家事をして、少しだけ仕事をするようにしました。母親の退院はまだ決まっていません。いつになるか分かりませんし、家事の分担は母親が退院してきてもしばらくは続けようと思っています。

 少しだけといっても、まずは私は私の体調に気を付けなければいけません。横になれるときにはベッドに横になって、体を休めるようにいしています。

 明日も単発の仕事が1つ入っています。午後からです。自転車での行き来になりますので、水分補給しながら行ってきます~。

単発の仕事を入れてみる。

 母親はまだ入院中です。父親との2人暮らしも1週間以上になりました。最低限の家事をしながら、何とか暮らしています。

 2人生活にも慣れてきまして、自分の体調も崩し気味ですが、回復もしてきました。とにかく体を休めるように心がけています。

 今月から新しいアルバイトを始める予定でしたが、延期しました。母親がいつ退院するのかも分からないので、今月はとりあえず新しい仕事はしないことにしました。

 でも、単発の仕事は今週は2つ入っています。あえて単発の仕事は入れることにしました。

 いつまでも家に父親と2人きりでいても、何も変わりません。自分の体調が落ち着いてきたので、仕事を少しでもしていこうと思いました。単発の仕事に関しては、今までもしてきましたので、自分の住んでいる地域が中心の現場になります。近くなので気持ち的にも安心です。

 少しずつでも動いていこうと思います。東京も毎日暑いので、自分の体調がこれ以上悪くならないように注意しながら、仕事していきます。

体調がすぐれない状態です。

 家族が入院すると、こんなに気持ちも体力も疲れるのだと、あらためて感じています。

 私は残念ながら、体力的にちょっと辛くなり、左腕等に紅斑ができ始めました。睡眠はここ2日間はしっかりと取れましたが、午前中に洗濯や、ちょこっと掃除などをすると、午後は寝込んでいる状態です。夜ごはんは作れないので、父親に頼んでコンビニでおにぎりや牛丼を買ってきてもらうようにしました。

 父親は最初は牛丼を買いに行くのを嫌がりましたが、私が寝込んでいるのを見て気持ちが変わったのか、買ってきてくれました。私は体重が落ちているので、しっかりと食べようと思い、昨夜は牛丼の並みを全部食べました。

 今週は水曜日の1つ仕事が入っていますが、どうしようかと迷っています。自分の気持ちとしては仕事をしたいのですが、今の体調だと仕事がしっかりとできるかどうかわかりません。周囲への迷惑を考えると、仕事を他のかたに変わってもらった方がいいのかもしれないと考えています。

 自分の体調をなんとかしないといけないと思っています。

  

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