手話を学んでいく上で、きっと避けては通れない問題に、私はぶつかっていたのだと思います。ずっと、モヤモヤしていたというか、これからどうしようかな、と考えていました。
出来れば、手話通訳が出来るようになりたい、それで働けるようになりたい、なんて漠然と思っていましたが、だから不安だったし、苦しい時がありました。だって、自分にその能力がなかったら、どうしようか、と自分を追い込んでいたのです。
手話を教えて頂いている先生に、相談しました。正直な気持ちで、この先が不安であることを。そうしたら、お返事を頂きました。「趣味にしてしまえば良い。手話の勉強を止めても構わない。でも、あなたを必要としている聴覚障がい者は、たくさんいる。」
この言葉を頂いた時に、すーっと、何かが晴れた気持ちでした。私自身が迷ったり、不安になったり、苦しくなったら、手話の勉強を止めることはいつでも出来る。趣味にしてしまうことも出来る。でも、こんな私でも、必要としてくれる人がいるのだ、と思いました。私は、自分が生きていく上で手段として、何の特技も技術も資格もありません。だから、手話がその生きていく上での手段になると良いな、と思っていたのです。でもそうじゃないんだと、気付きました。私が勉強していることは、最終的には聴覚障がい者の方々と、健聴者の間に立って、コミュニケーションを取る役目になると、思いました。
自分は人の役になんて立てないし、そんなこと言えないと、ず~っと思っていました。今でもそうだと思うのですが、それは、もしかして違うかもしれない。人は、誰かに助けてもらって、誰かを助けて生きている。お互いさまで、協力しながら生きている。だから、私が勉強している手話で、誰かを助けることが出来る。そして、私も誰かに助けてもらって、これからも生きていく。と、気付いたら、とても心が落ち着きました。
こんな風に考えることが出来るようになったのは、私を支えてくれる、たくさんの友人知人、恩師、先生方、先輩方、そして家族のおかげだと思っています。感謝して、今日も生きていこう~。
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