「依存」ということ。
「依存」という言葉は、個人的に「いけないこと」というイメージがありました。「アルコール依存症」「○○依存症」というのは、時として病院や特別な施設での治療が必要な場合もありますよね。
私は離婚した時に、「夫と言う存在に精神的にものすごく依存していた」ということが分かりました。一度目の結婚の時も、二度目の時も、種類は違うけれど、相手に依存していたのだな、と気づいて、「私はもしかして依存症と言う病気ではないか」「夫と言う存在がなければ、生きていけないのではないか」と悩んだことがありました。
昨日、毎週楽しみにしているドラマを見ました。「第二楽章」というドラマです。学生時代の頃から共にバイオリニストを目指していた、女性の親友2人のそれぞれの人生を描いているのですが、1人がプロのバイオリニストでシングルマザーになることを決意した時に、胃がんでもあるとことが分かり、もう1人の家庭の主婦として生活することを選んで、家族と幸せに暮らしていた親友が、妊娠していて胃がんでもある親友に対して、ものすごく熱心に面倒を見始めるのです。そういうシーンを見ていて「ああ、依存というのは、こういうケースもあるのだ」と気付いたのです。
結局、人は、その対象を見つけると、のめり込んでしまうことがある。それが自分の生きている証でもあるように。人に対して依存するのであれば、「相手のために」「私達2人のために」ではなく、良く考えてみると、自分がそうしたくて自分のためにしているのです。自分の支えが欲しくて、それに熱心にのめり込み、依存してしまうのでしょうね。今あらためて振り返ってみると、頭では分かってはいたのですが、昨日のドラマで、ふと、「相手の立場にたったら、どうだったのか」と考えたら、そりゃあ重いですよね。依存された方は重い。
全く依存しないで、人が生きていけるとは思っていません。多少は依存したって良いし、それが当たり前だと思うのです。家族に少し依存している、自分の趣味に多少依存している、それで良いと思うのです。ただ、その依存度が高すぎると(重すぎると)、何か問題・壁にぶつかった時に、自分がダメになってしまう。相手がいる場合は相手との関係もダメになる。時には、精神的に混乱し、治療が必要なほど。
な~んて、いろいろな本を読んだり、昨日のドラマを見たりして、自分なりに「依存」について結論が出た気がします。悪いわけではなく、その重さをそれぞれのことに分けて、依存してみる、というのが私は良いかな。気が付いたら、そうしてましたけど・・・
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