今朝、ゆっくりと9時過ぎに起きました。ダイニングキッチンに行くと、母親がテレビを見ながら洗濯物を干していて、何だかちょっといつもと違っていました。テレビでは、女優の鈴木杏樹さんの亡くなったご主人について放送されていました。昨日がお通夜だったということで、杏樹さんがインタビューに答えていました。母親は杏樹さんが好きで、杏樹さんが出ているドラマや歌の番組をよく見ています。とても可哀想だと言いながらテレビを見ていたのですが・・・。
私がいつものように、約6年半前に亡くなった愛犬・サスケの写真と、母親のお父さんであるお祖父ちゃんの写真(私が生まれるずっと前に母親の父母は亡くなっています。写真は祖父のものしかありません)に挨拶して、朝ごはんの用意を自分でしていると、「何かさあ、この先生の名前さあ、何かさあ・・・違うかな」と言いながら、私に母親が言いました。「私の手術の先生じゃないよね」と・・・。
まさかそんな~、と思っていました。杏樹さんの旦那様はお医者さんだとは、前から知っていました。しかし、まさか、ね・・・。と思いながら、ちょっと不安になり、食パンんをトースターで焼いている最中に、ササッとスマホで調べました。テレビでは、杏樹さんの旦那様の勤務している病院名までは放送していません。しかしスマホで調べたら・・・
母親の胆石手術を担当した先生でした。「お母さん!!先生だよ!」と母親に言うと、「やっぱり!そうだと思ったけど、まさかさあ・・・」と言って、それから洗濯を干していた手を止めて、テレビにかじりつくように見ていました。
母親は、今から約6年前、愛犬サスケが亡くなり気が抜けたのか、もともとあった胆石が、そろそろ癌になりそうだから手術しようということになり、いつも家族でお願いしているホームドクターから大学病院へ連絡して頂いて、「山形先生と言う腕の良い先生にお願いしたから安心して」と言われたそうです。当時私は結婚していて富山にいました。手術前日に父親が母親を病院へ送り、当日は父親が付いていて、予定していた時間より4・5時間遅れて手術開始となったそうです。どうやら緊急の患者さんが入り、その方の手術の後に、母親の胆石・胆のうの内視鏡手術をして下さったそうです。終わって手術室から出てきた山形先生が、父親に向かって「大丈夫!グー!」とおしゃったそうです。
母親の術後の体調が良くて、翌日には「帰っても良いよ~」なんておっしゃったそうですが、母親が「痛いからもう一日いさせて」とお願いしたようです。私は術後二日目に富山から駆けつけたので、先生には直接お会いしていませんでした。
山形先生は、母親曰く、とてもサバサバとしていて、べらんめえ調の親しみやすい先生だった、と。手術の後、半年くらいは通っていたでしょうか。定期健診でも全く異常もなく、「もう大丈夫だから、あとは○○(ホームドクター)に診てもらって。また何かあったら来なさいね」と言われたそうです。その後、山形先生が外科部長であることを知り、「そんなに偉い先生だったのか」と母親と一緒にびっくりしました。それから数年後だったでしょうか。山形先生が体調を悪くしていると聞いて、とても良い先生だから早く元気になってもらって、うちの家族がまた手術する時には、先生にお願いしたいね、と母親と話したことがありました。
本当に驚きました。山形先生を紹介して下さったホームドクターにもすぐに電話で確認しました。鈴木杏樹さんが好きな母親は、ご主人が自分の手術の担当医であった山形先生だと知って、テレビを見ながら泣いていました。滅多に泣く人ではないのですが、「杏樹さんが可哀想だ」と言いながら、泣いていました。
母親は大きなショックを受けていましたし、私も本当に驚いてしまいました。今日は告別式だとホームドクターから聞きましたので、その時間だと思われる時に、母親は黙とうしていました。少しでも気が楽になるように、お昼は一緒に外でランチを取りました。
悲しいことですね。多くの人達を助けてきた先生が、先生自身が病気で亡くなるなんて。杏樹さんも、たった14・5年しか結婚生活を一緒に送れなかったなんて。先生に助けられた母親が、少しでも楽しく元気に生きていけるように、私も家族みんな、元気に前を向いて生活していきたいと思います。山形先生、ありがとうございました。
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