支え
昨日は、大学時代からの親友のお父さんが亡くなり、お通夜に行きました。親友との付き合いは、大学に入学してからなので、すでに24年近くになります。学生の頃には、お互いに家に泊りに行ったりしました。私も彼女の家に泊りに行き、お父さんとは数度、一緒にご飯を食べたり、ビールを飲んだりしました。お父さんが、病院に入院していたのは知っていましたが、この夏、肺炎を繰り返していたようです。急に亡くなったとのことで、私も驚きました。
親友には兄弟もいて、皆さん結婚していて、子供さんもいらっしゃいます。彼女もそうです。お通夜の席で私が見た彼女は、ずっとうつむいたまま、ハンカチで鼻と口を抑えたままの姿でした。それぞれが家庭を持っていて、その中で、父親、母親と言う立場なのですが、私たちは大人になっても、心のどこかで、自分の両親が支えになっている部分があると思うのです。親友の姿を見ていて感じたのは、彼女にとって、お父さんの存在は、彼女を支えているものの大きな柱だったのだと思いました。
自分が生きて行く中で、たくさんの支えがあると、私は思っているのですが、そのうちの大きな支えをなくすということは、その部分がぽっかりと空いてしまいます。うまくバランスを取らないと、自分自身が崩れてしまいます。
親友である彼女が、少しずつでも立ち直ってくれることを願っています。
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にょろりさん、コメントありがとうございます。
そうなのですよね、いつかは誰もが通る道。
分かっていても、やはり辛いですよね。
自分の両親が、現実のこの世の中から、
いなくなってしまう、と考えただけで、
私も不安になります。
でも、にょろりさんのおっしゃるように、
人間はそういう悲しみも耐えるように、
耐えられるようになっているのだと、信じたいです。
時が心の傷をいやしてくれる、ということも信じたいです。
投稿: ケロ | 2012年9月 3日 (月) 11時24分
いずれは、誰もが通る道なんだろけど
想像したくないものね・・。
でも、世の中ほとんどの人が経験するってことは
人間は、そうゆう悲しみにも耐えるように
できているんだと思う。
きっとね・・。
投稿: にょろり | 2012年9月 2日 (日) 16時43分