落ち込むときのキッカケというのは、ほんの些細なことだと思います。私が今回落ち込んでしまって、気持ちが上がってこれなくて、主治医に相談したのは、すぐには解決できないこと、私が解決できないこと、それに、本当に些細なことがキッカケでした。
結局、主治医に抗うつ薬を始めて処方して頂いて、少量ですが飲み始めて約2週間。眠りが深くなったなあ、と感じていますし、「飲んでいる」というだけでも深く落ち込むことがなくなってきた気がします。
その「些細なこと」であるキッカケと同じようなことが今朝もありました。本当にちょっとしたことなのです。
母親が私に、「ガソリンはカードを使って入れても値段は同じなんでしょう」みたいなことを聞いてきました。それに対して私は、「知らない。私、分からないなあ」と答えると、「知らない、って、何で!?」みたいな反応をしたのです。その時に、私の動悸が激しくなるのが分かりました。あの時と同じだ、と思ったのです。今でも、この記事を書くのに思い出しただけでも、心臓がドキドキしてきます。
今月の上旬に、同じようなことがありました。内容は忘れてしまいましたが、母親が私に何かを聞いてきたのです。それに対して、私が、「知らない」と答えると、母親は怒ったように「何で知らないのよ!あんたいつも、ニュースとか新聞読んでるじゃないの!何を見てるのよ!」と言ったのです。私はびっくりして、「分からないもん」と答えたような気がします。すでにその時にショックを受けていて、質問内容は忘れてしまったのに、そのショックだけが残りました。
私の心の中で、ある時から、「知ったかぶりに話すのはやめよう。知らないことは知らないといった方が良いだろう」と思うことがあり、しばらく前から分からないことは正直に「知らない。分からない」と答えるようにしていました。それが母親にとっては、「ケロは何でも知っているのに、知らないと言う。」と意地悪をしているように感じたのでしょうか。もしかしてそんなこと考えてもいないかもしれません。でも私はびっくりしてショックを受けてしまって、それからは、家族でご飯を食べながらでも、テレビのチャンネルをニュースに変えることをしなくなりました。
本当に自分でも「何でそんなことで」と思うような、些細なことです。今朝、私は母親に言いました。「私は実家に戻ってから車にも乗っていないし、前に乗っていた頃でも、ガソリンを自分で入れることはほとんどなかったから、値段のことは分からないんだよ。ただ、現金で入れると安い所があるのは知っているけど」と、答えました。母親は「ケロは新聞を読んだりしているから、何でも知っていると思ってたから。分かった。もう聞かない」と言いました。ああ、どうしてこうなるんだ。「いや、聞いてくれて良いんだけど、知らないこともあるんだよ。私はそんな風に言われると、びっくりしちゃって、ドキドキしちゃうよ」と正直に、少し興奮気味に言うと、「どうしてそんなことくらいでドキドキするのよ~」と母親は答えました。
ほんとに、どうしてそんなことくらいで動悸がするのでしょう。きっと、私の中で、何かあるのでしょう。もう少し気持ちが落ち着いてきたら、考えてみたいと思います。今日はこんな感じに考えられるので、落ち込まないで済みそうですから・・・。
最近のコメント