今回の入院では、様々な人に出会いました。特に印象深かったのは、高齢の女性の3人!人生の大先輩!
多分、3人の中で一番年上だと思われる91歳の女性は、左足の太ももを骨折して入院したとの事。すでに歩行器を使ってご自分で歩くようにしていたらしく、病室は階数が違っていたのですが、談話室でお会いしてたまたま二人っきりでしたので、かなりプライベートな部分までお話しました。島根県出身で、16歳で東京に一人で出て来て、いろいろなご経験をされていました。当時としては周囲の猛反対を受けながら、8歳年下の男性と結婚し、旦那様が70歳の時に他界され、それからはお一人で暮らしていたとのことですが、今回の入院をきっかけに、息子さんが家を売りに出されて、退院後は施設にお入りになるとのこと。「おうちで暮らしたいのではないですか?」とやんわり聞いてみたら、「もう欲はありません。なるようにまかせます。」というようなお答えでした。本当に91歳とは思えない、若々しくて頬がほんのり上気していてピンク色でした。
88歳の同じ病室の女性は、岩手県出身。やはり談話室で一緒になり、お話しました。半年前に岩手から、娘さんのいる埼玉県に引越してきて、一緒に住むようになったそうですが、実の娘とはいえ、同じ家に一緒に住み始めると、時が経っていろいろと問題が出てくる、ようなことを話されていました。それは病室に娘さんがお見舞いに来るたびに、最後には言い合いになっている様子が筒抜けでしたので、察していました。さらに、お若い頃、結婚後に太平洋戦争中の満州に4・5年住んでいたそうです。日本人もたくさんいたそうですが、ほとんどが満州の方でも、日本語を話せる方が大勢いたので言葉も物質的な不自由も全くなかったとのこと。しかし戦争が終わり、日本へ戻る際、満州に行く時にたくさん持っていった家財道具は全て置いて、小さな息子さんを連れて帰ってくるのがやっとだった、と辛い体験のお話もお聞きしました。私は祖父母から戦争中の話を少しは聞いていましたが、実際に満州に住んでいらした方にお話を伺ったのは始めてでした。
もうお一人は、同じ病室で、私のベッドの前のベッドに寝たきりの女性。お年は分かりませんでしたが、高齢であることは分かります。じょくそう(床ずれ)が原因で入院されたとの事。お話も良く聞いていないと、聞き取りづらい部分があります。が、看護師さんやヘルパーさんとのやり取りを聞いていると、とても楽しい方だというのが良く分かりましたので、少しずつお話するようになりました。不思議ですが、ほんの数分話している間に、プライベートなことまで話していました。いつも、じょくそうのところが痛そうにされているので、「どうしてそんなになるまで・・・」と言うと、「分かっているんだよ、それは自分が一番。でも入院すると、これ(親指とひとさし指でお金のサイン)もかかるでしょう、実際」とおっしゃったのには、びっくり。かなりぶっちゃけトークでしたので、私もぶっちゃけました。私がしばらく前に離婚したこと、離婚原因の主な部分、実家に戻って仕事を再開したが入院で休んでいること、きっと他の仕事を探すことになるだろうということも。すると「ついてないねえ~」と言った後に、「これからは、明るい方(ほう)にいくんだよ」とおっしゃいました。その言葉が、その一言がなんだかとても心に響いて。「明るい方」というその一言に、全てがこめられているような気がしたのです。そうか、そうだ、明るい方へいこう、と思いました。
ご高齢の方々は、たくさんのご経験をされていて、お話していると、本当に人生の大先輩で、貴重なことをたくさんお聞きすることが出来ます。少しだけ、記憶があいまいなところもあるかもしれませんが、そんなことはほとんど問題ありません。真剣に聞いていると、真剣にお話してくれます。精神的に辛い入院でしたが、こうした出会いもあり、良いこともありました。
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