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今日は旦那の誕生日

 今日は旦那の誕生日です。これでやっと年の差が、7歳。年下ですが。

 毎年、誕生日は平日なら、ケーキだけ買ってきて、あとは旦那の仕事の具合によって、家で私の手料理を食べ、その週の土曜日にでも旦那の好きなものを外食で食べに行こう!!というのが定例です。そして、うちの嫁ぎ先の恒例で、メールが両親や弟、祖母などから旦那に届き、さらに義母からはプレゼントが届く、ということになっています。私からのプレゼントは、旦那が欲しい物、または必要な物を誕生日当日ではなく、その前後に買いに行くことが多いです。

 さて今年はというと・・・。実は今日明日と、一泊二日の泊まりで旦那と出かけるかもしれない、という予定が入りそうでした。それは少し前から分かっていた事なので、今年は旦那の誕生日当日に、お祝いケーキは用意できないかもしれない、と思い、先週のうちに「ごめんね、今年はケーキを用意できないけど」と話しました。毎年、サプライズで私がホールのケーキを買っておきます(丸々一個ですね)。その年によって、普通の生クリームケーキだったり、去年は旦那の大好きなレアチーズケーキの丸々一個だったり。しかし今年は用意できない、と謝ると、旦那は「いや、そんなのはいいよ。落ち着いてからにしよう。全然気にしないから、そういうの。」と答えました。それが、本人は意識していなかったと思うのですが、何となく声のトーンが低くて、残念な感じに私には聞こえたのです。その瞬間に「あ、悪かったな」と思いました。

 そこで、私は考えました。昨日の金曜は午前中、フラメンコです。帰ってきて、疲れているのでシエスタ(昼寝)をして、夕方、ケーキを買いに行こう。で、丸々ホールで一個だと、一泊二日でいないのだから、食べきれない。だから、小さいカットされているケーキを買ってきて、金曜の夜中、土曜日になる午前0時、旦那の誕生日になった瞬間に、その小さなケーキでお祝いしよう!と。やはり誕生日は誕生日です。いくら本人が気にしない、と言っても、彼は今まで小さな頃から、誕生日ケーキで皆でお祝いしてくれる家庭で育ってきました(うちの実家は、特にそういうのはやらなかったのですが。まあ、カットされているケーキを食べたくらいですかね)。結婚して、妻である私と、実家の東京から遠く離れて二人で暮らしているのに、私が形だけでも、小さくてもお祝いしてあげないと、寂しいじゃないか、と思ったのです。たとえ誕生日当日は用事で出かけなくてはいけなくても、彼の誕生日はその日だけですから。

 私は去年、自分が年を重ねるごとに、誕生日が寂しくなる気がしました。大人ですから、子供の頃のように誕生日会なんていうのはないにしても、せめて家族でお祝いをするのは良いことだな、嬉しいことだなと、思ったのです(←もう誕生日を嬉しがる年ではないのですけど)。それはきっと旦那だってそうでしょう。私がしなければ、彼は寂しい気持ちになるかもしれません。ちなみに私の誕生日には、旦那はカットケーキを買ってきてくれました。仕事帰りに。

 で、結局、今日明日での泊りがけの外出は、一昨日の時点で予定がなくなりました。なので、私は、昨日のフラメンコの帰りに、車でブーブーっとケーキ屋さんに立ち寄り、予約はしていなかったのですが、4号の誕生日用の生クリームケーキがありましたので、迷わすそれを買い、プレートに名前を入れてもらって、一件落着。本日午前0時(夜中)、お風呂に入りたいとパンツ一枚になっていた旦那を、「もう少し待って、もう少し!!あっち向いてホイやろう!」とか言いながら時間稼ぎをして、旦那は寒くて、わけがわからず怒り始めたときに時計の針が0時をさして、誕生日ケーキを冷蔵庫から取り出し、ローソクをさして火をつけて、ハッピーバースデーの歌を歌ったのでした。旦那はパンツ一枚の姿でローソクの火を消して、「ありがとう!」と喜んだ瞬間に「風呂はいる」とお風呂に入っていきました。とりあえず、ああ、良かった。あらためて今朝のブランチの後に、そのケーキを二人で食べましたが、何と彼は、4号のホールケーキの半分くらいを一気に食べていました。う~ん、大丈夫?太るでしょ。

年上の男性には甘えられるのか

 今日、不思議な夢を見ました。二つ見たのは覚えているのですが、間でトイレに起きて、それまで見ていた夢は忘れ、もう一度眠ってから見た夢はしっかりと覚えていました。

 その夢は、なぜかあの映画監督の井筒和幸さんの映画の現場に、私がいるのです。で、新しい脚本を監督から渡されて、どうもその脚本(映画)の主役は私に、ということだったらしいのですが、私が「病気になってしまったから出ることが出来ない」と素直に言うのです。そうしたらなぜか、井筒監督が「じゃあ結婚しよう」みたいなことを言って、結婚しちゃうんですよ~。そこから自分の声のナレーションが入って(←映画だよ、完全に)、「その後、私は病状が悪化し、二年後には・・・」とか何とか言っているのです。でも結婚生活は、年上の男性である井筒監督に優しくして頂いて幸せなのでした。めでたしめでたし。夢です。

 何でそんな夢を見たのか分からないのですが、寝覚めは大変良かったです。やっぱ年上の男性に甘えたいのかしら、なんて思っていたら、今日のフラメンコ教室で、たまたま4人で話していたら、そのようなことに関連した話題が出ました。

 うちの旦那は8歳年下、教室の先生は私の旦那と同じ年です(お若いのに、すごい先生なのです)。先生は年下の男性とは、今後お付き合いの可能性はないみたいなのです。その場にいる4人の女性でいろいろと話していて、「だって年下の人には甘えられないもん」(←これは私の意見だったかな)みたいな感じになりました。相手の方が甘えてくるから、こちらは甘えられない、という話になったのです。そうなんだよなあ、1・2歳ならあまり感じないのかもしれないけど、さすがにうちのように8歳とかになると、何となく私は甘えられているような。それでいて、いざという時は、年上なので「あなたの好きなようにしていいわよ」みたいな対応になることも度々あるので、結局は亭主関白的になってしまう。これは私の旦那教育がいけないのか。

 じゃあ、はたして旦那がうんと年上なら甘えられるのか、と考えたら、「甘えるってどうするの?」という問題になりました。甘え方が分からない。女性が男性に甘えるとは、どういうことか。態度、は分かりますよ。そんなのはいつだって出来ます(←本当なのか??)。精神的に甘えるってどういうことなのだろう。私は離婚の経験から、相手を精神的な「支え」にしていたということは、実感しました。でも、「甘えていた」ではなかった気がするのですよね。夫婦だって、精神的には自立していないといけないと思います。じゃあ、その夫婦お互いの「自立」とは?と言われると、これも言葉で表現するのが難しい・・。とりあえず、「甘える」のは、そうだな、「頼る」ことも関連しているのかしら。だとしたら、私はそれなりに年下の旦那にでも、頼っているから、甘えていることにもなるのか。そうなのかもしれない。ただ、年下なので、まだまだ若い部分が危なっかしくて安心できない、というところが多いから、自分は年上の男性の方が甘えられる気がしているのかな。う~ん、「甘える」とはどういうことなのか、もう少し考えないと・・・。

良く寝てしまいました

 最近、眠れる時と眠れない時と、浅い眠りの時と短くても深い眠りの時と、何だかちょっと不安定な睡眠で、シエスタ(昼寝)も、ほとんど出来なかったりして、「どうしちゃったのかな」なんて思っていました。喉のあたりも、夕方頃から毎日のように、イガイガしたり異物感があったり、で、体も倦怠感や疲れみたいなものがあったりして、どうも不安定でした。それでも先週も金曜には趣味のフラメンコに行けましたし、ランチも出来ましたし、土日には旦那と美味しい物を食べたり、カラオケをしたり出来ていたのです。その間をぬって、体調が良くなったり悪くなったり。まあ、毎日のように具合が変化するのが当たり前の状態でも、そりゃあ、おかしくはないのですよね。一応、ベーチェット病という病気なのですから。そのへんが自分でもちゃんと分かっていれば納得できるのですが、時々「なんでかなあ、こんなに具合が変るのは」なんて思っちゃう時もあります。

 さて、昨日はそんな不安定な睡眠が、一日で解消されたような日でした。起きていた時間の方が短い感じ。私は体調が悪くない限りは、午前中に旦那を会社に送り出してから、またベッドにもぐり込むことは、出来るだけしないようにしています。体調が悪くなって午前中も寝ていた、という状態を一週間以上していたら、体調は良くなっていたはずなのに、「うつ気味」になっていた、という経験があるからです。私の場合の「うつ気味」解消は、規則正しい生活なのです。しかし、昨日はもう、眠くて眠くて仕方なかったのです。眠そうな顔で朝、旦那を送り出すのは申し訳ないので、眠い時でも出来るだけ元気に送り出すように心がけてはいるのですが、昨日はさすがに「ケロちゃん、オレが会社に行ったら寝たら?」と言われてしまいました。そして久しぶりに午前中、ベッドで横になっていました。自分では寝たような記憶はないのです。うつらうつらしていたような。でもベッドに入って、しばらくしてから「トイレに行こう」と思って起き出した時にはすでに、何と二時間たっていました。多分、眠っていたのでしょう。びっくりしました。

 さすがに午前11時近くになっていたので起きまして、それから洗濯、さっとホコリを取るだけの掃除、風呂掃除や食器洗いなど一連の家事をしまして、ブログを書き、お昼ごはんを食べて、昼ドラを見て、ワイドショーで玉置浩二と石原真理子の情報をじっくり見ていたら、また眠くなってきた。お昼過ぎに旦那から電話がかかってきまして、その時に「お昼寝もしなさい」と言われたのですが、さすがにシエスタは出来ないだろう、と思っていましたが、出来ちゃったんです。午後3時過ぎにベッドに入り、眠れないだろうな、と思っていたら、うつらうつら、途中から完全に記憶もなく、目が覚めたら5時前。あら寝ちゃったわ、と思ったらまた眠りに落ち、次に目が覚めたら、何と6時前、びっくりしました!夢まで見ちゃいました。

 昨夜は夕飯を旦那と二人で取りまして、今週平日初の二人での夕食。買い物に行こうと考えていましたが、寝たり起きたりの一日で、家にあるもので作りました(材料は充分ありましたので)。こんなに寝ても、夕食の片づけを終わる頃にはグッタリ。ああ、やっぱり体調がいまいちなのだと、その時にあらためて感じました。でも今日は寝すぎだから、夜が寝付けるか心配、と思っていたら、夜中の12時半ごろ就寝。あっという間に寝てしまいました。朝までそのまま。

 こんな日もあるのですよねえ。体が睡眠を欲していたのでしょう。昨日、起きていたのは、約11時間。あ、でも結構起きてた、かな?しかし、良く寝てしまいました。そんな日の翌朝、今朝でも、朝食を食べていたら、口の中の舌の、あちらこちらがピリピリ痛い。細かく炎症しているらしく、所によっては黒っぽくなってる。も~、イヤねえ~、口内炎くらいでおさまってね、と思ったのでした。

復縁かあ・・・

 今日のワイドショーで、いきなり、あの歌手の玉置浩二さんと石原真理子さんが「復縁」という情報が、放送されていました。そういえば「復縁」って、結婚していなくて、付き合っていて別れても、その後また付き合うと「復縁」と言うのでしょうか。私が調べたところでは、「離婚した夫婦・離縁した養子縁組が再びもとの関係に戻ること」となっていましたが・・・。ま、いっか。

 一度、結婚して離婚したり、付き合って別れたりした二人が、再び一緒になってもはたしてうまくいくのか、というのは人によるのでしょうか。上記の二人は23年を経ての再び交際のようですし、同居しているとの報道もありますから、今はお互い独身ですし、長い年月たって、やっぱりあの人が良かった、というか、なりゆきだったのか。とにかく、お二人ともいろいろとあった人生だったと思いますので、穏やかに幸せに過ごしていければ良いですよね。

 私は、ダメでした。大学の頃、一度付き合って(と言ってもかなり短い期間でしたが)、「この人は私を放り出して、好きなことをしている」と感じてすぐに別れた相手と、離婚後に再び付き合ってみました。お互いに再度の挑戦(?)でしたし、結婚するつもりでいたのですが、半年くらいでやっぱりダメになってしまいました。なぜかと言うと、大学の頃にすでに結果を出していたように、彼は私を放り出して好きなことをする性格でした。変っていませんでした。というか、それが、彼でした。相手に言わせれば、私を放り出していたわけではなく、私との結婚を考えて、必死に働いていたから、会う時間も取れなかった、というわけです。しかしサラリーマンでしたから、必ずお休みはありましたし、どうしても疲れていたら、私から彼の家の近くに行ってお茶をするだけでも良かったのです。現に、何度もそういうことを私はしました。でも、やっぱりダメだったのです。私も良いけど、自分の時間が欲しい人でした。すごく寂しい時に、今の旦那と知り合っちゃいました。今の旦那は、その時の仕事の都合もあったのでしょうし、お互いの家が近かったこともあったし、なんせ8歳年下で体力もあったのか、毎日私に会いに来て、その他にも長々メールを毎日くれました。これはもう、参っちゃうでしょう。私は前の彼とキッパリ別れて、今の旦那とお付き合いしました。(←この後は半年で毎日の逢引も終了し、今の旦那は仕事に没頭し、私は放っておかれ、何度泣いたことか。しかし、休みの日には必ず会っていました)

 自分の経験上、相手の性格で変らない部分が元での別れは、再び一緒になっても無理だな、と感じました。その「変らない相手の性格、根元の部分」を見抜くのが難しいのですよね~。じゃあ、例えば、私は、一度離婚した元夫と、復縁の可能性はあるのか、と考えたら、これは多分、相手が嫌がるな、と思いました。私のことをかなりイヤになって、他の女性を好きになったはずですし、現にその女性と再婚してますから、相手が嫌がるでしょう。私自身も、正直、ありえません。例えば、ものすごーく年を重ねて、気がついたらお互いに独身で、東京に住んでいて(←これが問題、相手は長野の人ですから)、昔話をしたい年頃にそばにいれば、もしかして・・・ということもあるかもしれません。高齢になれば、若かった頃に一番思い出を共有した相手との思い出話は、とても懐かしいし、親近感があるでしょうから。ま、そんなことは、しかし、考えてはいません。離婚してすでに約7年。今の旦那と知り合って、6年。この6年の間に、私の性格は旦那のおかげ(?)で、我がままと凶暴さに磨きがかかりました!旦那は「それがケロちゃんの、本当の性格なんだよ~!」といつも言っていますが。

 

自分のペースで良いカフェ

 今日は、ポッカリと一日自由な時間が取れることが分かっていたので、体調が良かったらぜひ行ってみようと思っていた「カフェ」に、ランチを食べに行ってきました。

 私の住んでいるマンションから、歩いて10分くらい。ただ、以前から場所が分からなくて、行くことが出来ませんでした。一ヶ月くらい前でしょうか。新聞と一緒にチラシが入っていたのでネットで調べてみたら、ホームページがあり、やっと今日、行けることが出来ました。それでも周辺を探して、やっと見つけて、階段を上り二階にあるお店へ。12時少し前でしたが、お客さんは数人いました。

 広めのスペースにカウンターの席と、4人席が3つ。5・6人座れる席が2つだったと思います。4人席に座ってしまいました。カウンターは常連さんがいるような感じでしたので。ごちゃごちゃしていなくて、空間が広めに取ってあるので、ゆったりとした気持ちになります。というか、このお店の空気がそうなのかもしれません。このカフェは、不登校や引きこもり・障害を持つ人が支援しているカフェなのです。火曜日と金曜日に昼間営業していて、ランチをやっているのを前から知っていました。日によって違う日替わりランチ。今日はメインが「かき揚げ」で、私はそれを頼みました。

 店に入って、お水を持ってきてくれた女性、オーダーを聞きに来てくれた女性、多分、障害をもっている方だと思います。一つ一つ丁寧な、ゆっくりとした言葉使い。普段、早口でマニュアルのように接客されることに慣れてしまっていることに、私は気付かされました。しばらくして持ってきてくれたお料理は、メインのかき揚げのほかに、今日は玄米のご飯を選べることが出来たので、玄米ご飯と、お味噌汁、小鉢が3~4種類。小さなパウンドケーキも。食後にコーヒーを頼みました。お腹いっぱい。普段はお茶碗に一杯のご飯も食べない私が、今日の玄米ご飯は全て食べました。完食です。食べている間にも、お客さんは結構入ってきました。隣とそのまた隣は、3人組の女性達。男性の一人客や、女性の一人客など。テーブル席は満席。カウンターにもお客さんがいました。周辺にお勤めの方や、何かのきっかけで私のように知った方もいるのでしょう。常連さんもいました。

 一人で外食をする時は、私は1時間いられません。よほど、メールをしていたり、本を読んだりしない限り。一人ですから食事も早いし、あとはそのお店のペースというか何か雰囲気にのまれるというか、時間をもてあましたりして、3・40分がいいところです。今日はなんと何もしていなかったのに、1時間いました。お店にとってはイヤな客かもしれませんが、この店は自分のペースで良い雰囲気なのです。働いている人達も、一つ一つ丁寧に仕事して、自分達のペースで仕事をしています。来ているお客もそれを分かっているので、彼らのペースであり、またそれが自分のペースで良いような空気を作れるというか、要するに、その場に「いても良い」という感じなのですね。もっといろいろと書きたいこともありますが、それはまた次回行った時にでも感想として書きます。良いカフェを見つけました。

愛のままで・・熱唱

 うちの旦那は歌謡曲好き。最初の頃のデートで(私達はほとんどデートは車だったのですが)、東京のお台場の綺麗な夜景を見ながら、車中で、テレサ・テンさんや五輪真弓さんのCDがかかっていた時、「何で???」と思いました。その頃、旦那はまだ25歳。うそだろー!と思ったものです。だからといって、女の子を乗せた時用に、あらゆるCDから自分で選んでMDに収録したJ・POPも、何枚もあるのです。なのに私の時はどうして、テレサ?

 まあ、後々わかってきたのは、とにかく歌謡曲やムード歌謡が好き。1970年代~の。私が結構その年代の曲を知っているので、彼の知識はどんどん増えてゆき、カラオケでのレパートリーも増えました。しかし、旦那は何と、音感が良かったのです。友人と一緒にカラオケに行って、スマップやら、B'zやらを歌っているのを見た時に、びっくりしました。「始めて歌ったよ~」なんて言っていたのを聞いて、「そうかこの人は音感が良いのだ。耳で聴いた曲を、覚えてしまうんだ」と知ったのです。そういえば彼は、子供の頃に6年ぐらいバイオリンを習っていたのですねえ。

 時々夫婦で、カラオケに行きます。この一ヶ月の間にめずらしく二回も行きました。二人で行く時は、たいてい1時間。だって、交互に歌って1時間が限界です。疲れます。昨日も二人で行ってきました。旦那は年末の紅白で、秋元順子さんの「愛のままで・・」を聞いて、とても気に入ったらしく、先週とうとうレンタルでCDを借りてきて、MDに落としながら、必死に練習していました。旦那は声量があり、結構上手だと、私は思っています。「マジで~」と思いながらも、隣で私は必死に歌唱指導をしてあげました(いらぬお節介かもしれませんが)。私の歌唱指導は、本格的ですよ~。「力を抜いて~」とか、「もっとはっきり言葉を言う~」とか、「そこで盛り上がって~」とか。別にプロでもないのに。

 昨日は旦那が歌うのかと思っていたら、「ケロちゃん歌いなよ」なんて言うものですから、旦那の指導をしていてすっかり覚えてしまった「愛のままで・・」を私が歌ってみました。私は低い声が出ないので、やはりプロの方は上手だよなあ、と思いながら熱唱。テーブルを挟んで前に座っていた旦那も、共に熱唱。「ちょっと!自分の声が聴こえないから、歌うなら自分で歌ってよ!」と文句を言うと、遠慮して小声になりながらも、自分の世界に入って、小声で熱唱していた旦那でした。

 時々、喉の調子が良い時にカラオケに行くと、本当に楽しいです。ストレスも発散できます。ただ、昨日もそうでしたが、カラオケ後に、家で夕食に鍋をして、片づけをし終わった頃にはもうグッタリ。やっぱり疲れちゃうんですね~。そのへんを気をつけないとね。

富山でベトナム料理

 富山市内に、美味しいベトナム料理店があります。以前、雑誌に載っていて、予約してから食べに行ったことがあったのですが、その時にとても美味しくて、その上に人気店のようで、予約しないと、安心して入れないお店だということを実感しました。その時は、後で入ってきたお客様をお断りしていたのを、何組か見ていました。昨日、久しぶりに「ベトナム料理でも食べに行くか」と旦那と話していて、もちろん、予約して、午後6時にしました。

 予定が少し早目になってしまい、午後5時半にはお店に着いてしまいましたが、もうオープンしていて、お聞きしたら、「大丈夫」との事だったので、30分早く店に入りました。まだ私達が最初の客。このあと混むだろうと思っていましたので、どんどん頼みました。美味しいことも知っていましたし、以前食べて美味しかった物と、初めての物といろいろと頼みました。私は生春巻きが大好きで、そのお店には3種類くらい生春巻きがありましたので、旦那のリクエストで、今回は野菜の生春巻きにしました。これが、ものすごく美味しかったです。タレは普通の辛目のすっぱい物ではなくて、なんでしょう、あれは。ココナッツミルクみたいな、でも少し辛目のコクがある白いタレで、初めての味でした。それから定番の、ベトナム風お好み焼き。大・中ありましたが、中を頼んで正解でした。結構大きくて、中身はもやしやら豚肉やら野菜類などが入っていて卵で焼いてある感じ。それを食べやすい大きさに自分で切って、サニーレタスを巻いて、すっぱいタレにつけて食べます。うまい!!さらに、イカのチリマヨネーズ炒め、とか、ココナッツミルクの辛目のひき肉入りスープ、それとベトナム風の肉チャーハン。最初に、私はベトナムの黒ビール、旦那はノンアルコールビールを頼んで飲んでいました。

 これだけ食べても、5,080円。もう二人でお腹いっぱいです。リーズナブルで、美味しくて、このお店は、私的には富山で一押しです。しかし、本当に午後6時以降はお客さんが次々に入ってきて、あっという間に店内の席も、二人席が残り2席くらいになっていました。私達が帰ったのは6時15分くらいでしたから、その時にはもう店の外で、駐車場が空くのを待っていたお客さんもいました。(5時半に入って、二人でバクバク食べて6時15分に帰るなんて、私達っていつも二人で「良い客だよね~」と言っています。お客さんの回転率に貢献しています)

 私達はオリエンタル料理が大好きで、東京にいる時は、様々なところに行きました。旦那が良く知っているのです。赤坂(?)のタイ料理店、信濃町のタイカレー店、銀座のインド料理、横浜のインドネシア料理、トルコ料理もあったなあ~。(←オリエンタルではないですね、きっと。そうなると、ロシア料理とか、スペイン料理も何件か行ってます)行ったのは覚えていても、私は店を覚えていません。でも中でも私は、ベトナム料理が一番好きなのです。あまり辛くないし、香辛料もそれほど強く感じません。(香辛料は慣れるまで気になりましたが、今は大丈夫)野菜もふんだんに使われていて、ヘルシーなお料理が多い気がします。体に優しいような、そんな感じがするのです。まあ、味付けも好きなのでしょうね。

 夫婦共通の趣味といえば、食べること、映画鑑賞、カラオケ、読書、くらいでしょうか。その中でも「食べること」は結構重要で、どちらかが食べることに興味がない人だと、これは辛いですよね。うちはたまたま二人とも食べるのが大好きなので、土曜日の夕食は、どこに外食に行こうか?という楽しみで続いているようなものです。これからも、いろいろな所に美味しい物を探して、食べに行きます!夫婦円満のために!

 

安心できるタイプの人

 習い始めてから1年半たった趣味のフラメンコ。仲間も皆、明るく楽しく、毎週練習しています。先生も大変細かく、熱心に、それでいて優しく、途中で入会してきた人でも、全く始めての人でも、入りやすい良い雰囲気の教室です。仲間とは数ヶ月に一度、ランチにも行ったりします。

 今日はたまたま、その中の一人の女性と、ランチをしました。二人きりのランチは始めて。しかし、私は以前から、その人とゆっくりと話してみたかったのです。それは、私にとってその人が「安心できるタイプの人」と感じていたからです。

 私は、なぜか、「この人は、安心できる」「この人とは、疲れない」と、自分が一緒にいて楽な相手、そして楽しく、気分も良い気持ちになれる相手、というのが、分かるのです。ようするに私を「癒して」くれる相手を、見つけられるというか。それはその人の雰囲気で分かるのです。で、話してみると、やはりそう!こちらから無理に話さなくても、会話が続く。話の内容も、結構深刻なことでも話せる。でも笑っちゃうこともあって、和やかな感じになる。別れて帰ってきてからでも、疲れを感じない。私自身が、どうしても人と接する時に、相手が和んでくれるように、こちらから話をし始めることが多いので、相手によっては疲れてしまうのです。病気になる前はそんなこと感じなかったのですが、病気になってから、精神的にも無理なことが、すぐに身体に現れてくるようになりました。

 今日のランチは、とても心地よかったのです。(しかし相手の方は、疲れていたら申し訳ないのですが)このところ体調が不安定で、今日のフラメンコも「行けるかな」なんて思っていたのですが、行ってみれば、教室の中で一番、汗をかいて踊っていたのは私でした。その後、体調も良かったのでランチにも行けました。精神的にも良かったようです。そんな、一緒にいて心地よい時間を過ごせる人に出会えたこと、感謝です。どこに出会いがあるか分かりませんから、とりあえず出掛けてみる。習い事など、してみる。転勤族で、これからも全国どこに住むことになるか分からない私の、教訓です。やはり人との出会いが、一番、心を癒してくれる気がします。

睡眠は重要ですね

 当たり前のことですが、やはり睡眠は重要ですよね。東京の実家から富山に戻ってきて、夜はそこそこ眠れているのですが、朝起きる時に眠くて仕方ない日が続きました。帰省中はどうしても朝の起床時間が9時過ぎになるので、それがくせになっていたのだろう、くらいに思っていました。でも富山に戻って、シエスタ(昼寝)がうまく出来ない日が続きました。この「シエスタ」が上手くできないと、夕飯の支度をしているうちに、疲れてきてしまいます。午前中は、日によって、掃除の日、洗濯の日、買い物の日、と自分なりに無理ない程度に予定を決めて動いているので、その分の疲れをシエスタで取ってから、夜ご飯の支度に入らないと、作り終わって夫婦で食べて、片付ける頃にはぐったりです。

 どうも、ぶっちゃけ、この間の生理の後から、体調が思わしくないのです。主治医から、ベーチェット病は、生理中に体調が悪化する傾向があるから、と言われているのですが、私はその前後も危ない。分かっていても自分では動けそうだから動いていると、そのつけが、終わった頃からやってくる感じです。せっかく生理が終わって好きなことしたいわ、なんて思っていても、どうも頭が痛い、とか、疲れやすい、目の奥がじんわりと熱い、シエスタが上手くできない、ついでに夜も眠りが浅い、などなど。それらがここしばらく続いているのです。東京に帰省していた先週が、暖かい春のような日があったりしたので、富山に戻ったら急に真冬並みの気温になり、体がついてゆけないのかもしれません。仕方ないので、ゆるゆる過ごしているしかないのでしょう。

 日々、痛いなあ、と思う部分も違っていまして、ちょっと重いものを持ったりすると、次に日に異様に肩が凝ってしまったり、昨日はシエスタがちょっと出来たのですが、夕飯を食べ終わった頃には疲れがピーク。目の奥が熱くなったり、体がだるくなったり。実は、先日の日曜には、しばらく眠りが浅い日が続いていて疲れが取れていなかったので、いつも飲んでいる安定剤でなく、デパスを一錠飲んでしっかりと眠ったりしました。それでもまた翌日から今一歩の眠り。あまり気にしていると、気分が落ち込むので、自分で気にしない振りをしていました。

 昨日、今朝というのでしょうか。なぜかしっかりと眠れたのです。朝まで一度も起きずに、深い眠りで、しかも朝も起きるのがスパッと起きられたのです。「ああ、やっぱり睡眠は重要だなあ」と実感しました。体調があまり良くないと、眠りが上手くできないこともありますよね。逆に、眠くて仕方ない時もあります。難しいけど、やはり体調管理には、睡眠が大切。とつくづく思いながら、買い物に行くために歯を磨いていたら、口の中のあちらこちらが痛い。ああ~、良く寝ても、やっぱりどこかに症状が出ているなあ、口の中のあっちこっちがただれたり、口内炎が出来ていたりしているなあ、と、これも実感。仕方ないよな、そういう病気だもん、と諦めて久しぶりの車の運転でショッピングセンターへ。思い切り買い物して気晴らしもしてきました。今日は天気もまあまあ晴れています。これでシエスタが出来ると、良いんだけどなあ。

「天地人」を読みました

 今年の大河ドラマの原作、「天地人」をやっと読み終わりました。文庫本が出ていなくて、新装版というのでしょうか、ハードっぽい大きさの上中下巻の3冊。下巻の最後、あと20ページくらいまで昨夜読みまして、本当は今日、天気が良かったら買い物に行こうと思っていましたら、今朝は寒くて、天気はまあまあですが、勝手に「車は地面が凍ってるかもしれないから、今日はやめよう」と決めて、コタツの中で午前中から残りのページを読んでしまったのでした。

 3冊もあったのに、主人公・直江兼続の半生を描くには、何だか短いような気がしました。しかも戦国時代で、上杉家に仕えた直江兼続中心のストーリーでも、その時代の状況を交えながらの物語でしたので、物足りないのです。もう少し、「あの人とはどうなったの?」とか「あの人のその後は?」みたいな部分が結構ありました。でも一応、兼続の物語だから、これで良いのかしら、とも思いますが。

 兜に「愛」の文字が掲げられてることで有名な主人公ですが、その「愛」の意味は、ぜひ原作を読むか、テレビのドラマを見てください。戦国時代に、兼続の意味での「愛」を掲げて戦うのは、勇気がいることだったのではないかと思います。私もいくつか戦国時代小説を読みましたが(ちょっと勉強もしましたが)、直江兼続のような武将は、記憶にありません。あの上杉謙信率いる「義」を重んじた、勇猛な上杉家が、なぜ最終的に徳川家についたのか。小説ですが、もしかしてそうだったのかもしれないな、なんて思ったりもします。(多分、そうだったのでしょう)

 それにしても、大河ドラマで主人公を演じている、妻夫木君は、中々きれいな顔立ちをしていて、好青年の印象。トーク番組などで最近よく見まして、今まではあまり気にしたことがなかったのですが、ちょっと気になる存在になりました。(←私が気にしたって仕方ないですが)さらに、幼少期の兼続(与六)を演じた子役の子供が可愛い!!泣いちゃうシーンが結構あったのですが、もう可愛くて可愛くて。子役の子は上手ですね。見ているこちらがもらい泣きするくらい上手です。さて、原作本は読んでしまいましたので、これからはドラマの方がどのようになっていくのか(多少、原作と違う部分がありますので)、楽しみです。

携帯メールに挑戦する母

 実家の母親は、今年で69歳。携帯電話も、半年くらい前から持ち始めました。でも実は、もっともっと前、7年以上前に一度携帯電話を持ちましたら、ほとんど使う機会がなかったので、やめてしまっていたのです。しかし現在、祖母の認知症やら、様々な用事で外出していることも多く、連絡がとりたい時や、どこに行っちゃったの?なんて時のために、「そろそろ持ってくださいよ~」と説得し、たまたま父が仕事の関係で携帯電話を換えるときに、一緒に新しく購入したのでした。(画面の字が大きく見えるタイプの、優しい携帯です)

 さて、購入したのは良いのですが、せっかくだから電話するだけでなく、携帯でメールもしましょうよ、ということに、私としてはお願いしていたのですが、とにかく機械関係が苦手は母親は、「無理」の一言。でもとりあえず、来たメールを見るだけでも出来るようにしてもらえると、例えば私が帰省する時に、電車の中から、到着予定が遅れるとか、途中で止まっているとか、そういう情報をメールで送れるから、と、これも説得して、少しずつ覚えてもらうことにしました。年末年始に帰省した際は、基本的に来たメールの見方を数日間教えまして、本人なりに一生懸命頑張っていましたが、次の日になると忘れてしまっている状態でした。

 そして、先週帰省した際に、母親の方から携帯を操作し始めましたので、これまた根気良く、少しずつ教えました。一歩一歩の感じです。でも本人が覚えようとしているのですから、それだけでも進歩。時には空メールが来たり、隣の部屋にいるのに何故か電話がかかってきたりと、へんてこな事もありましたが、何とか来たメールを見ることは出来るようになったみたいです。しかも本人は、新規作成までしてみようと頑張っていました。まあ、それはまだまだ無理だろうと、私は思いましたが、とりあえず教えておきました。

 昨日、富山はお昼過ぎから、吹雪いたり止んだりの雪の天気でした。前日までの春みたいな陽気とは変って、真冬の気候。しかも気温も何だかお昼過ぎから、急に寒くなってきた感じでした。夕方4時半頃、たまたま昨日はシエスタ(お昼寝)がうまく出来ずに、その時間に起きていましたら、何と、母親から携帯電話にメールが!!びっくりしました。おお~頑張ってるな、と思いながら見ると、いきなりタイトルなしでも仕方ない。そして何て書いてあるのか・・・「さむくなりましたねきぉつけなさいね」という文章。全部ひらがなで、しかも 。、も、ない上に、なぜか「お」が「ぉ」であり、その「お」は「を」でしょう、という状態ですが、一生懸命打ったのが目に見えるようで、ちょっと嬉しく、うるっとしてしまいました。すぐに返信してあげました。その返信も見ることが出来たようです。

 後で定例の電話をした時に、「頑張ってるね~。今度は、。とか、漢字変換を覚えようね~」と言ったら、「それは無理だよ~」と答えていましたが、ここまで出来始めたら、あとは忘れないように毎日操作するように心がければ、何とかなるでしょう。それにしても母親からのメールがこんなに感動するとは。69歳、母、携帯メールに挑戦!頑張れ!

007最新作を見て来ました!

 やっと、映画「007慰めの報酬」、見てきました!!本当は今度の土曜にでも行こう、と旦那に言っていたのですが、旦那のほうから「来週の予定は分からないから」とかいう理由で、本当はちょっと疲れ気味でしたが、夕飯もついでに外食、ということになり思い切って見に行ってきました。

 私は長野に暮らしていた経験から、「映画は地方の方が見やすい」と勝手に思っています。今はシネコン時代で、地方の都市部では映画館がどんどんシネコンという形で、新しくて指定席制にもなっていて、さらに観客数が断然少ない。ということは見に行っても座れないで立ち見、と言う可能性はほとんどないのです。東京だと、大きな映画館は、公開されて一ヶ月近くたっていても、まだ土日は満員で立ち見、とか、映画館のシートが古くて小さめ、なんていう状態がありますから。北陸に来てから、5・6本見ていると思いますが、全て指定席で、新しい映画館、座りやすいシートで、観客数が少なめ、でした。

 さて、007最新作は、ものすっごいアクションで、くるくると場所が変り、ついてゆくのがやっとのストーリー展開。でも私は良いのです!主演のダニエル・クレイグが格好良いんですもの!!今までも、公開の時や、昔のショーン・コネリーの時代の007をDVDで見たりと、いくつか007映画は見ていますが、今のダニエル・クレイグは若い(現在40歳)ということもあってなのか、とにかくアクションが激しくて、ほとんどのシーンを本人が演じているとの事ですが、あれじゃあ、一瞬でアクションシーンが終わってしまって、もったいない!もう少し、ゆっくり見せてくれないと、ケガまでして挑戦したシーンも1秒でおしまい、って感じなくらい次々に見せ場が登場してくるのです。しかし、そんな中にも、前作からの続きというだけあって、愛した人が死んでしまったその復讐心から、無表情のボンドが次々と出会う相手を殺していってしまうところや、やがて「許す」という感情を持ったりと、若さと情熱で007の称号を捨てようとまで思った前作に比べて、今回の作品で、これから007としての任務を続けてゆくのだろうという、精神的な成長というのでしょうか、そういう部分が描かれていると感じました。私は大満足の映画でした。

 映画館はエアコンの関係で、間違いなく乾燥していると思い、今回は「マスク」着用で鑑賞しました。私は常にマスクを持っていますから、当たり前になっていますが。でも見に行けて良かった。今日は疲れていますが。

富山も春みたい~

 昨日、東京から富山に戻ってびっくり!!東京も昨日一昨日と、春のように暖かく(まあ、春一番が吹いたくらいですから)びっくりしましたが、何と富山も春一番が吹いていたらしく、昨日の夕方に着いたにもかかわらず、暖かくてびっくりしました。

 さすがに東京のように20度以上(東京は23度くらいだったようです)、とまではいかなかったみたいですが、それでも昨日の富山の最高気温は、17.8度だったようです。これって、冬ですか~?って感じです。今日も平年に比べたら、やっぱりとても高いと思います。予想は11度でしたが、多分15度くらいはいっているのではないでしょうか。

 東京から帰ってくる時に、私は電車なのですが、途中、越後湯沢で新幹線から特急に乗り換えまして、そこから約2時間。本来なら、一番雪があっていい時期のはずなのに、越後湯沢では雪はありましたが、「これじゃあ、スキーは出来ませんな」と言うくらいしか、平地には積もっていませんでした。私が電車から見たところ、20センチ位でしょうか。スキー場はもっと標高の高いところなら積もっているのかもしれませんが、駅からすぐ見えるあたりでは、「きっと所々、地面が見えてるわ」と言うくらいの積雪。スキー場も困っちゃいますね。

 生活する限りでは、多くの積雪は大変困りますが、あまりにも雪が降らないと、今度は作物や水、まさにスキー場の経営など、様々な面で問題も出てくると思うのです。本当に暖冬なんだと、ここ数年間、北陸に住んでいて思います。しかし明日からまた、どうやら冬の気候に戻りそうですね。富山は天気予報に雪マークが出ています。しかも今週一週間ほとんど。最低気温がマイナスになる日も、結構ありそう。先週、私が東京に行っている時は暖かいようだったので、私が戻ってきてからまた冬の陽気だなんて、どういうことかしら?と思いながらも、そりゃあ、このまま春になってしまうとは考えられないから、仕方ないわね、と納得するしかないのでした。ちなみに私が住んでいる富山市内の、富山駅から歩いて20分圏内では、積雪は全くありません。皆さん、富山というと「雪がすごいでしょう」とおっしゃいますが、私が住んでいる周辺は、雪がありません。これもびっくりです。

 

おうちが欲しいな

 半年くらい前から、「東京に自分達のおうちが欲しいな」なんて考えるようになりました。旦那と共に帰省する際は、お互いの実家がマンションですし、実家同士が車で10分かかるかかからないか、という近い距離なので、分かれて帰省します。今回、病院に行くために帰省するのに、いろいろと考えて眠れなくなったりした、なんてブログを何日か前に書きましたが、まあそんなに思い詰めることではない、と自分で答えを見つけました。しかし、やはり実家はすでに、私の自宅ではありません。眠れることは眠れますが、やはり何となく眠りも浅く、落ち着かない、とうわけではないのですが、何となく「泊まりに来ています」って感じなのですね、どうしても。旦那の方は、自分の実家に泊まると、毎回「眠れない」と言っています。

 不思議ですよね。まあ、旦那は転勤で北陸に引っ越してから、10年以上住んでいた実家が引っ越しをしましたので、今の実家には慣れていないのでしょう。だから余計に眠れないのだと思います。しかし私は、実家のマンションで一回目の結婚前まで5年位は生活していましたし、離婚して戻ってから2年位は暮らしています。でもやっぱり、一度離れて生活すると、自分のリズムが出来たり、生活用品が違っていたり、周囲の音とか明かりとか、いろいろと違ってくるのですよね。数ヶ月に一度帰省してお世話になっているのに、こんなこと言ってはいけませんが、一番良い方法は、そう!!東京に自宅を持つことです!!

 なーんて、転勤族の旦那で、しかもまだまだ30代前半。次はどの県に転勤するか、いつするのかも分からないのに、自宅を持つわけには、いかないのですよねえ。どちらにしても、まだまだ若い!!貯金もない!!無理無理!と分かっていても、「そうねえ~、この間、遊びに行った神楽坂が良かった。六本木も良いなあ~。ランチをしてきた日本橋も良いね~」なんて旦那に言ったら、呆れた声(顏)で「ケロちゃん、いくらなんでも無理ってもんだよ。出来ることと、出来ないことがあるからね。」と、まるで諭されるように言われてしましました(当たり前ですね)。

 場所はその時考えるとして、二人の実家が東京なので、いずれ東京にマンションを、という希望はあります。いったいいつ購入できるのか、はたして購入できるのか、それは分かりませんが、やっぱり自宅が一番気楽で、安心できることは間違いないので、本当は早めに欲しい!!おうちが欲しいわ~。

旅行ラッシュ?

 円高の影響で、旅行料金の値下げが結構あるようですね。近くの海外でいうと、韓国は今、旅行するにはかなりお得だとか。で、日本人観光客がどっと押し寄せている、なんてこともメディアを通して聞いたりしています。

 さて、私の周囲でも、ここ最近、「旅行へ行く」、または「行きました」という話を聞きました。この一週間でも、まずは日曜に美容院へ行った際に、私の担当の美容師さんが「ハワイへ行く」と言っていまして、多分今頃行っています。一昨日会った親友は、突然「今月中旬から二泊三日で台湾に行って来る」と言いだし、「え!?急じゃないの。で、どこの航空会社の便?」と聞くと、「まだ決まってないのよ~。ちなみに台湾へ行くのも先週決めたばかり」なんて言ってました。びっくり!!さらに昨夜(というか今日)、夜中の12時半頃、仕事から帰宅した弟が、「宮古島に行って来る」と言いだしたそうです。まあ~、私の周囲は旅行ラッシュだわ~と、思いました。

 弟は飲食業で、毎日出社はだいたい午前11時、帰宅は夜中の1時くらい。昨日は早めの帰宅で、私はすでに布団に入ってウトウトとし始め、もう少しで眠れる~気持ちいい~と言うときに、いきなりハイテンションで弟が帰ってきて、夜食のために起き出した母親と、これまたハイテンションで話しているのが聞こえたのです。私はおかげで目が覚めてしまいましたが、まあ眠れたので特に問題はありません。で、今朝、弟に話を聞いてみたら、会社の後輩で宮古島出身の人がいて、結婚式があり行くので、一緒に観光がてら行ってみたい、とのことでした。その予定が今月下旬とのこと。じゃあ、泊まるところはどうするの?飛行機はどうするの?ツアーにするの?だいたい休みはとれるの?なんて、母親と3人で話していたのですが、休みは何とかなるらしいので、あとは飛行機や宿泊場所のことを決めるだけのようです。

 私の弟だけではなくて、仕事をしている人達は、仕事を休むことが難しい方が多いと思うのです。実際、弟は18歳から働き始め、もう16年くらい社会人として仕事をしていますが、旅行と言ったら、海外はオーストラリア2回と香港に行っただけで、長期の旅行としては多分その3回だけ(長期と言っても四泊五日とか)。あとは国内でもせいぜい二泊三日の温泉旅行くらい。年に一回がいいところです。費用は何とかなっても休暇が取れない。休暇はあっても費用がない、または一緒に行く人がいない。などなど、旅行というのは、なかなかタイミングが合わないと、いけないものだと思います。あとは「行こう!!」という気力というか、勢いというか。

 私は、病気になってから海外はもちろん、長期の旅行は新婚旅行に、大阪と伊勢に一週間行ったのが、一番長い期間の旅行でした。帰ってきたら疲れて入院しました。それから一年くらいは一泊の旅行も行けずに、やっと一昨年から一泊二日、二泊三日の旅行に、一年に二回くらい行けるようになり、今はそれがとても楽しみ。いつなんどき、体調の具合で旅行に行けなくなってしまうか分かりませんから、行けるときにタイミングを逃さずに旅行した方が良いですね。私は若いときに何度か海外旅行はしましたので、今のところものすごく海外に行きたい!とは思っていません。ただ、いつか必ず、病状が落ち着いてきたら、まずは旦那と台湾へ、それから熟女旅行として、大学時代の親友とイタリアに行くのを目標にしています。それにしても、去年あたりに比べると円高ですから、行ける方は海外旅行、今がかなりお得かもしれませんね。

実家に帰省してみて

 今回の帰省は、いつもに比べて期間が短めです。病院と祖母の家に行くことと、バレンタインのチョコを買いながら親友に会うくらいしか、予定が入れられませんでした。しかし、実は、帰省する2・3日前から、何だかとっても気が重くなって、眠りが浅くなったりしていました。それは、このブログでも何度か書きましたが、実家に帰省したら、また母親からお金の話とか、祖母の認知症の状態とか、そういう話を山ほど聞かされたりするのかな、なんて考えていたら、気が重くなってしまったのです。でも今回は絶対に帰省して、主治医と転院の話をしなければいけないし、祖母の所へも会いに行きたいと思っていたので、最短でも3・4日は泊まらなければいけない。でも予定を連日入れて、体を休めることなくまた富山に帰宅するとなると、行き帰りの移動時間も長いので、疲ればかりがたまってしまう。なんて、考えながら、帰省したのです。

 しかし、帰省してみると、そんな悩みなどすっとんでしまいました。富山と実家の東京は遠く離れていて、毎日電話をして連絡を取り合い、お互いに何となく日常生活のことは分かっているつもりでも、顔も見えませんし、電話ではやはり用事しか話しません。するとどうしても重要事項を中心に話しますから、実家が経済的に大変なこと、時にはお金を貸して欲しい、なんて話や、祖母の認知症が日によって違うけど今日はひどかったとか、母親の友人の旦那さんが肝炎になってしまった、など、聞いていても大変なことが多くて、これで帰省したら、毎日一緒にいてこういう話ばかりを聞くのかと、思っていたのです。つい1ヶ月前に年末年始で帰省したときには、お正月の準備などしていましたので、母親も忙しく、私も嫁ぎ先などに行く用事などがあり結構忙しくて、気にならなかったのです。ところがこの1ヶ月くらいで、電話での話でちょっと精神的に何度か辛い時もあったので、今回の帰省はかなり悩んだのです。でも実家に帰ってきて、顔を合わせてみると、話す内容というのは、そんなせっぱ詰まった話ばかりではないのですよね。テレビを見ながら冗談を言ったり、母親の好きなジャニーズの話をしたり、最近の出来事を話したり。一番笑っちゃったのは、夜の九時過ぎに、母親は両親の寝室、私は弟の部屋でテレビを見ていました。うちは昔の作りのマンションなので、居間が全ての部屋につながっています。(居間が真ん中なのですね)で、CMの間にトイレに行こうと居間を通った母親が、「ダイワハウジュ」と、独り言を言いながら歩いていったのです。これには笑いました。きっとCMで役所広司さんが「ダイワハウジュ」と言うあれを見たのでしょう。

 そんなお茶目な下町の母。私は何を悩んでいたのだろう、と何だかおかしくなってしまいました。確かに、祖母の事も、実家の経済的なことも大変ではあるのですが、帰省して実家に泊まるのを悩むような、そんな状態ではないのです。帰れば帰ったで、楽しく面白い話をしながら、時には深刻な事も話します。離れて顏が見えずに、電話で用件だけ話していると、相手のことがよく分からなくなることは、家族でもあるのですね。今回あらためて、「そうだ、私の母親は、こんな感じの人だった」と実感しました。おかしな独り言を言うだけじゃなくて、ついでに自分が言ったことも結構忘れています。それで娘が悩んでいるなんて、全く気付いてないでしょう。悩むだけ私もアホらしくなるほど、明るくチャキチャキな下町の母親です。良かった、ホテルとか取って東京に帰ろうなんて実行しなくて。お金がもったいない、もったいない。あ、母親に似てきました。ムムム・・・。

バレンタイン近し!

 今日は、東京は快晴で、気温も3月下旬なみだったとのこと。そんな陽気の中、親友がわざわざ仕事を午後半休にしてくれて、ランチと、バレンタインのチョコレートを買いに、付き合ってくれました。

 待ち合わせは、日本橋の「コレド」。始めていきましたが、地下にはレストランなど、一階には洋服のショップなどが入っていて、なかなか楽しかったです。ちなみに2階には海外の雑貨用品など販売しているお店もあるらしく、もう一度ゆっくり行こう!と決めました。今日は一階の男性の洋服など販売しているお店で、ちょっと変わったゴム製の「カフス」を見つけたので、弟にプレゼントとして買ってきました。組み紐みたいに編んであって、丸く可愛い形なのです。色は紫がかっているピンク。飲食業なので、このくらいおしゃれな色でもいいでしょう、なんて思っちゃいました。(お店の従業員の男性も、その色を勧めてくれたのですけどね)

 さて、親友とは、コレドの横の道を入ったビルの3階にある、小さめのイタリアンレストランで、ランチをしました。1260円で、パスタ・サラダ・デザート・飲み物付きです。日本橋なのに、こんなに美味しくて、セットでこんなにリーズナブルなお値段なんて、びっくりでした。しかもパスタも、親友はカキとほうれん草のスパゲティ、私はホタテとバジルのクリームソースのペンネ。量も結構多かったです。満足して、さあ、出陣!!三越へバレンタインのチョコを目指して!!

 三越に着いて午後3時。デパ地下はまだ空いている時間帯です。これが午後6時を過ぎたら、もう大変!会社帰りの方々でごった返すのが分かっているので、中途半端な時間に行きました。迷っていると時間ばかりが過ぎて疲れてしまうので、直感、即決!義理の両親や弟、友人の子供達、実家の父親、おっと、忘れてならぬ夫の分など、大小(?)合わせて10個くらい。もう手提げ袋で両手がいっぱいになりそうな状態を、一つにまとめたり、友人に一緒に持ってもらったりしながら、今年も無事にチョコレートを買い終わったのでした・・・。

 毎年毎年、バレンタインのチョコを買うのが一大行事です。どうしてかしら??もちろん、旦那以外はあげない!!と決めればそれまでですが、それもちょっと寂しいので、やはり義父や義弟に送りますし、そうしたら、義母や義妹にも送らないと何だか自分の気持ちも落ち着かないので、結局数が多くなるのですね。大変なのは、数とかお金というよりも、買いに行く場所での、チョコ購入ラッシュ。混まない時間を予想していかないと、女性の多さに負けて、買いたい物も買えません・・・。今日は親友も付き合ってくれて、助かりました。しかも一緒にいた時間の半分は、ランチとお茶で、二人でいろいろと話すことも出来ましたし。私の体調も、このところ今一歩でしたが、今日は調子がまあまあ良く、親友に会ったら気分がとても楽しくて、何だかもっと良くなった気がします。本当に、自分の大切な、気の許せる親友と一緒にいると、とても心が和み、嬉しいです。癒しですね。親友に感謝です。ありがとう。

病院に行って来ました

 東京の実家に帰省中です。今日は病院に行って来ました。ベーチェット病を発症してから約3年半、5回の入退院をした、お世話になった病院への通院も、今日で最後でした。

 主治医が来月中に今の病院を辞めることになり、4月からは他の病院に勤めることになり、私も主治医について転院することにしました。家族でいろいろと話し合い、私も考えましたが、やはり私の病気をまだ初期の段階で見つけてくれて、私の精神的な部分や、体調、症状に合わせてクスリを調整してくれたり、この分かりづらい病気について家族や私に、入院するたびに延々と説明してくれたのも、今の先生です。たまたま今の病院に、最初に義母が連れて行ってくれて、今の先生の担当の時だったから見つかった、本当に偶然が重なった出来事の結果でした。私はベーチェット病としては、多分、軽い症状の方だと思います。それをはっきりと診断してくれて、処方してくれたからこそ、重症にならずに、今の状態を保っていられると感じています。いつどうなるかは分かりませんが、今までの経緯を知ってくれている先生が、一番良い治療をしてくださると、私は信じて、転院することにしました。

 今までの病院の看護士さんや事務員の方には、お世話になりました。もう顔見知り方が多かったです。さすがに、1年半の間に5回の入退院をしていれば、「あら、お帰りなさい」なんて気楽な感じで声もかけてくださっていたわけです。そんな「お帰りなさい」という言葉も、もう2年以上聞いていません。外来ではなく、病棟のほうの看護士さんは、私のことは忘れているかもしれません。でも私は忘れていません。最初の入院の時に、夜の9時前に、抗生剤を点滴で入れていた際、急にめまいがして気が遠くなり、緊急ボタンで看護士さんが来てくれて対処してくださったのを、今でも良く覚えています。ベッドの横のテレビでは、キムタクの主演ドラマ「エンジン」(キムタクがレーシングドライバーの役を演じたドラマです)の放送が始まっていました。それが分かったときには意識がはっきりしていましたが、一時はどうも血圧が上が60台で下が計れなかったそうです。(そのままだったら、もしかして・・・・・)その時担当の看護士さんは、ベーチェット病患者に詳しい方だったらしく、その後もずいぶんとお世話になりました。

 いろいろな出来事があり、入院は本来なら楽しい思い出ではありませんが、もう入院はしないように、無理はしない、と体調コントロールを心がけながら、今まで生活してきました。お世話になった病院も今日が最後と、行き帰りのバスの中、外の景色、病院内、薬局、いつものように回ってきましたが、感無量な気持ちでした。

 新しい病院への不安もありますが、先生についてゆく決心をして、これからも先生に診て頂きたいと思っています。そして、このまま今の先生に治療して頂いて、寛解に少しでも近づいてゆけるように、自分で努力もしてゆこうと思います。

髪型と髪の色

コネタマ参加中: あなたが“チェンジ!”したいものは何?

 今日、美容院に行って来ました。ベーチェット病を発症してから、入退院を繰り返すようになり、入院しているときは調子が良い時に、一日おきの入浴でしたので、ショートヘアにしておくのが手入れもしやすく、ここ3年以上ショートヘアにしていました。しかし、私は本来、ロングヘアの、しかも茶髪がお気に入り!でも仕方なく、我慢していました。

 私は若い時にはずいぶんと、ロングヘアで強めのパーマをかけていました。そうですねえ、ソバージュというパーマが流行った頃ですね。でも色はそのまま地毛の色でした。それが20代後半になってからいきなり茶髪にしたくなりまして、きれいな茶色にするにはいったん髪の毛の色を抜いて、それから染めると良い(今考えると、何て髪の毛と地肌に悪影響なことをしたのでしょうね~、と思います)と言うことでしたので、知り合いの美容師の方にそうして頂きました。髪の毛の長さは、その時、思い切ってショートにしてみました。そうしたら見事に茶髪!!しかもライトや太陽の日が当たると、金髪に見えるほどでした。これは周囲の人の方が驚いて、20代後半の主婦の立場で、金髪デビュー(?)してしまいました。

 さてそれから数年後に離婚しまして、東京の実家に戻り、就職活動をしなければならなくなり、茶髪はやめました。長さは肩のあたりまで伸ばしたり、でもその位だとはねてしまって扱いにくいので、ショートにしたりしていました。今の旦那と知り合い、なぜか茶髪が好きではない、さらにショートヘアがケロは似合う、とのことでしたので、そうしているうちに発病して、仕方なくショートヘアの地毛色にしていたのです。私の地毛の色は、真っ黒ではなく少々こげ茶色っぽいので、我慢していましたが、専業主婦となり、入院ももう2年位していなくて、そろそろ髪色も髪型も「チェンジ!!」したくてしょうがなくて、去年の夏頃から、まずは色を少し茶色に染め、さらに長さを伸ばし始めました。いきなりものすごい茶髪にしたら旦那の反感を買うだろうと思い、二度ほどかけて、かなり茶色に慣れた時点で、本格的な「茶髪」にしました。もう嬉しくて嬉しくて!!

 ところが、これも自分が慣れてくると、飽きちゃうのですよねえ。しかも伸びてくると、髪の毛の根元が黒くて、あとは茶髪で、目立ってしまう。で、長さはやっと肩より伸びてきて、久しぶりにロングヘアの兆しが・・・。こうなってくると、今度は髪型も変えたくなってくる!!そこで、今日は、今までよりも茶色を抑えて少しダークなブラウンにして(それでも日があたれば茶髪です)、で、このまま長さは伸ばし、次回、数ヶ月後に髪型チェンジ!!そうです。うちの旦那がちょっと(かなり)嫌がっている、強めのロングパーマをかけてしまおう!!と計画中。ソバージュまではいきませんが、広がらないように美容師さんと相談して、でもどうせパーマをかけるならはっきり分かるように、しっかりパーマします!!チェンジだ!チェンジだ!!やっと自分で好きな髪型に変えられる!!嬉しいです~。

手作りです!

Photo  この冬は、写真の左に3つあるような、髪の毛を束ねる「シュシュ」を、毛糸で7つも作りました!これは作り方を雑誌で見つけて、かぎ針で簡単でしたので挑戦しましたら、はまりました。私は肩が凝ってしまうのと、大きな物、例えばセーターやカーディガンなどを編んでいると飽きてしまうので、小さな物を編むことが多いのです。レース編みも好きですが、今回はこの「シュシュ」。編んでいるのが楽しくて、手が空いていると、テレビを見ながら編んでいて、旦那に「またやってるの~?そんなに編んでどうするの~?」なんて言われていました。すでに4つは、義母や義妹、親友やお世話になっている女性にプレゼントしました。だって最初の4つくらいまでは、自分の髪の毛が伸びていなくて、シュシュを使える長さではなかったのです。やっと肩くらいまで髪が伸びて、フラメンコをしたりする時も一つに束ねられるようになりましたので、写真の3色のシュシュを使い分けています。家にいる時でも、ただゴムで結んでいるだけだと、何となく寂しいので、このシュシュをつけています。それだけで、おしゃれな感じになります。そろそろ春が近づいてきましたので、毛糸ではなくて、綿の糸を買ってきてまた作ろうかと考えています。

 シュシュの隣に写っているのが、手作りの文庫本カバー。といっても、これは実は、お正月に祖父母の家にご挨拶にうかがった際、出して頂いたお箸のカバーが大変綺麗な和紙(千代紙?)だったので、捨てるのももったいなく思い、祖母に「もらっても良いですか?」と聞いて頂いてきた物です。それを4つ、のりで張り合わせて文庫本のカバーにしました。そうしたら、とても綺麗で素敵に仕上がりました。私は、頂き物の包装用紙でも、綺麗な物だと取っておいて、あとで本のカバーに使ったりします。本を購入する時にだいたいカバーをしてもらいますが、綺麗な包装用紙などを使ってカバーを作るのが、自分だけのオリジナルで、結構気に入っています。だって何だかもったいないじゃないですか。そのまま捨ててしまうのも。そんな小さなことでも自分で気がついて上手に出来ると、嬉しくなります。

 これらの手作りの品物も、気持ちと時間の余裕がないと、中々出来ませんし、しようとも思いません。この一年ほどは、体調もまあまあ安定し、生活も安定しているのでしょう。こんな風に手作りの物を作ろうとする意欲が出てきたことが、嬉しく思います。

 

そうか、旦那もだったのか

 ここしばらく、ちょっとしたことで旦那と口喧嘩になったり、旦那の態度などについても、私はかなり落ち込んだ時がありました。ブログにも書いていました。で、私自身も体調が今一歩だったり、他の事もあったせいか、物事を前向きに考えられない状態だったのも確かです。どうしてこうなってしまうのだろうと、結構悩んでいました。

 ただ毎日の生活はしていかなければならないわけで、趣味のフラメンコをしたり、料理をしたり、何だかんだとその都度ストレス発散しながら、やり過ごしていました。しかし一昨日の夜も、ちょっとしたことで、口論になりました。それは旦那が一昨年の夏にハワイに出張した際、私に「コーチ」というアメリカのブランドの鞄を買ってきてくれたことでした。「今だったら韓国ですごく安く手に入ったのにな」、なんて言い出したのです。私はブランド物のバッグなど持った事がなくて、買って欲しいとも言ったことがありませんでしたし、サプライズのお土産で、ものすごく嬉しくて、もう何度も使っています。(でもお出かけ用に)ところが後で知ったのですが、それは義母が旦那に「ハワイに行くなら、ケロさんにコーチのバッグくらい買ってきてあげなさい」と言ったことがキッカケだったらしいのです。なるほど・・・どうりで・・・、と納得しました。でも買ってきてくれたことに感謝していたのですが、今頃になって、円高が進んで、韓国なら今なら安く手に入るのに、なんて言われて、私はとても嫌な気持ちになったのです。「だったら、無理に買ってきてくれなくて良かったのに」と言い返してしまいました。そうしたら旦那は「そんな意味じゃなくて、分かんないかな。ただ今なら韓国で安く買えたのに、ってことだよ!!ただそれだけだよ!何で分からないかな。そうね、って言ってくれれば良いだけじゃないか。いいよ、分からないなら。」と、怒ってしまいました。

 それは「自分からケロに」と、進んで買ってきてくれたわけじゃなく、義母が言ったから気持ちがそうなったわけで、だからこそ、そこそこ高い鞄で、外国製品だから、今頃円高で安くなって残念だったと思ったのでしょう。私は一生懸命、でも買ってきてくれて嬉しかったことや、何度も使ってること、今はどっちにしろ韓国なんて行かないでしょう、といろいろと言いましたが、上記のような反応をした旦那の機嫌は直りませんで、私が「そうね、ごめんね」と折れたのでした。うちの旦那は、今まで私に買ってくれた物で、その後、値下がりしたと思われる品物があったとしても、「今だったらもっと安く買えた」なんてことは、一度も口にしたことはありませんでしたから、逆にこちらが今頃になってそんなこと言い出すなんて、と驚いたくらいです。でも私も納得しきれないでモヤモヤしていましたら、昨日、ある本を読んでいて、ふと気付きました。もしかして、旦那は何か考え事、もしくは悩み事、心配事などあるのではないか、と。

 サンマーク文庫「小さいことにくよくよするな!愛情編」という本を読み返していて、そう感じたのです。考えてみれば、私自身、イライラしたりちょっとした事を気にしたりして、旦那の一言で傷ついたり落ち込んだりする時は、体調が悪かったり、他の悩み事があったりする時が多いです。ということは、旦那にもそういう時があるはずです。旦那の場合は、主に会社・仕事関係でしょう。仕事のことは私にはあまり言いませんので分かりませんし、いちいち私に言ってもキリがないのでしょう。思い返してみれば、年末年始は友人達と飲み歩いたり遊んだり、年明けには東京出張中は夜になると懇親会の連続、帰ってくればPCや携帯に夢中、何かちょっとしたことで言い合いになる、これは今までにあまりないことです。もしかして旦那も何かに悩んでいるのか、なんて思いました。自分があるのだから、旦那にもそういう時があるはず。そうか、旦那もそうだったのか、と自分流に解釈しました。

 さて、とりあえず、何が原因で旦那がイライラ気味なのかは良く分かりませんが、私自身あまり深く考えずに、さらっと受け流しながらやってみよう、と思いました。そりゃあそうですよね。専業主婦の私でさえ、いろいろなことがあってイライラするのに、仕事で大変な男性が、家に帰ってきてまでいつもニコニコ、話の分かる人でいられるわけがないですよね。まあ、それにしてもうちの旦那は気分の上下がある人ではあるのですが。時にはこんな風に、理解のある妻の役もしてみよっかな。

まさか・・・そんな・・

 昨夜、実は、知り合いの方のお母様が亡くなったとのことで、旦那と一緒にお通夜に行ってきました。

 その知り合いの方は、去年、お父様を亡くされたばかりで、一年もたたないうちに、さらにお母様まで・・。「一年もたっていないのに、悲しいね。立て続けに・・・」と話しながら、旦那と車で向かいました。旦那の話によると、お母様の方が体調が元々良くなくて、そこへ先にお父様が亡くなってしまったようでした。ですから、お母様の体調も、その後悪くなってしまったのだろうと、思っていました。

 会場に着くと、すでに席はいっぱいで、故人の、生前のお付き合いと人柄を感じさせる状態でした。一般的に、夫の通夜や葬式には弔問客はたくさんいらっしゃるとは聞きますが、妻の方は少なくなると聞いたことがあります。昨日は、お父様の時と同じように、席に座れなくて私達のように立っている弔問客の方もたくさんいました。

 地域によって、また宗教によっても、お通夜やお葬式の様式は違ってきますが、昨夜は約40分くらいお坊さんのお経やらお話やらがありまして、すべて終わってから弔問客が任意でのお焼香、と言う形でした。で、そのお焼香の前に、喪主からのご挨拶と言うのがあったのです。(私達東京出身者は、お通夜での喪主のご挨拶は経験したことがありませんで、最初は驚きました。ちなみに、お通夜でお坊さんのお経を、40分以上も聞いてからのお焼香も始めてでした。)その喪主の方が、私達の知り合いの方で、亡くなったお母様は80歳を過ぎていたとのことでした。

 喪主のご挨拶で、お母様が亡くなった理由を詳しく聞いて、びっくりしました。なんと、「お餅をのどにつまらせたこと」が原因の、呼吸不全だったらしいのです。会場の一番後ろで立って聞いていた私達夫婦は、瞬間的に顔を見合わせて、驚きの表情をお互いにしたのでした。喪主の方は、お母様は明るい方で、お餅が大好きだったとも、話されていました。その大好きなお餅を食べて、詰まらせてしまったのです。ご高齢ですから、体調が万全という状態ではなかったとは思いますが、まさか・・・そんな・・。

 よくニュースなどで聞いたりはしますが、身近でそういうことが起きて、亡くなる方がいるとは考えたこともありませんでした。やはり、気をつけなくてはいけませんね。「私は大丈夫」と考えている高齢の方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、これは注意しなくてはいけません。うちの母親も今年69歳になります。高齢になってくると気管が弱くなったり、物を飲み込む力が弱ったりします。もちろん、若くても、大きなお餅を一気に飲み込んで詰まらせることもあるでしょう。私もお餅は好きだけれども、注意しなければいけないなと、あらためて思ったのでした。

朝から「恵方巻き」のつもりで・・

 今日は節分。うちでは今夜、どうしても外出しなければいけない予定があるので、帰ってきてから「豆まき」をする予定でいます。

 私は若い時から、実家の影響なのか、必ず節分には豆まきをしたり、桃の節句には桜餅を食べたり、端午の節句には柏餅を食べたりと、日本の季節の行事とでも言うのでしょうか、そういったことをしないと気がすまないのです。で、豆まきは毎年必ず行いまして、去年からは「恵方巻き」を食べる、という新たな行事も加わりました。

 今日の新聞に載っていましたが、「恵方巻き」は、節分の夜に、巻きずしを食べると福が来ると言われていて、関西地方の風習との事。巻きずしを、その年に縁起が良い方向に向いて、一本丸ごと無言で食べると、幸せになるらしい、ということを聞いたこともあります。去年から実行したのですが、この巻きずしを無言で丸ごと一本食べるのは、結構大変で、もごもごしながら苦労して食べた覚えがありました。しかも一本食べたらお腹が、いっぱい!食べながら、なんだかおかしくておかしくて、旦那と笑いながらも、無言でひたすら食べました。

 今日も買い物に行って、巻きずし(海鮮巻きにしようと思っていました!)を買ってこようと考えていたのですが、急遽予定が入ってしまいました。そこで・・・・。どうも今年は、ロールケーキやら、パンやらで「恵方巻き」に見立てた物が、多数販売されているのです。実は、何かの都合で巻きずしが食べられなかったら残念だと考えていて、先日、コンビニに行った際に見つけた「恵方巻き」シールが貼ってあった、長方形のガナッシュチョコのパンを買ってきておいたのです。それを、今朝、半分にして旦那と今年の恵方である「東北東」を見ながら、もぐもぐと無言で食べました!!

 でも「恵方巻き」は夜に食べる物だったのですね。しかも一本丸ごと。知らなかったので、ガナッシュチョコのパンを半分ずっこにして、朝から二人で東北東見ながら食べてしまいました。でも、良いです。気持ちがスッキリしましたから。何となく、やらないよりはやったほうが、良いような気がします。なーんて、勝手に自分で思っているだけですが。今年も、幸せに過ごせますように・・・。

「うつ気味」のキッカケ

 昨日から、ちょっと気分がしているな~、と感じていました。その理由は分かっています。またも実家の母親との電話なんですけど・・・・。やっぱり、どうしても、ダメな時があるのですね。毎日気にして、電話をくれるだけで嬉しい事だし、昨日は私の方から電話したのですが、特にこれといって用事がなかったのですが、母親はあったわけですねえ。その内容にちょっと引っ掛かって、文句を言った自分に、電話を切った後に自己嫌悪に陥り、それでも何とか明るめに気持ちを盛り上げていたのですが、夜にその決定打があり、ど~んと落ち込んで「うつ気味」となりました。

 キッカケ、ってささない事なんです。しかも重なることで、あっという間に「うつ」っぽくなります。決定打は、昨夜旦那の髪の毛を、「もみ上げの部分が長めになってきたので、切ってね」と言われ、いつもそうしているのでお風呂場で切っていたのです。少しだけだし、イスを持って来てあげるという、旦那の好意にも「いいよ~、すぐ終わるから」と断り、しゃがんで、ちょっとおふざけな冗談交じりにやっていたら、一度肌を挟んでしまったのです。こりゃあ、まずいと、自分で思って、気をつけようと思っていた矢先に、「痛いー!!!」と旦那が叫びました。どうも別の部分をハサミで挟んでしまったようです。自分では感触はなかったのですが、もしかして切ってしまったのかもしれませんので、「ごめん!大丈夫!?」と言ったら、「だから、言ったじゃないか!!イス持って来てあげようかって!!気をつけてよ!痛いよ!!」と怒鳴られてしまいました。もう血が出てるんじゃないかと、私は一瞬で顔や体に汗がどーっと出ました。確認したら、とりあえず大丈夫でした。

 それからです。旦那には謝って、旦那も大丈夫だったからと私に謝って、でも落ち込んだものは上がってきませんでした。少し寝不足気味だったのも、いけなかったのかもしれません。「自分は何なんだ」に、行き着いてしまうのです。母親のことでも、旦那のことでも、本当に小さな、ささいな事なのに、どうしていちいち気分が上下して落ち込むんだ、気に病むほどのことでもないのに。眠ることは出来ましたが、夢を見て疲れて、ぐったりの今朝を迎えました。旦那もちょっと心配していましたが、自分が一番よくわかっていますので、このままではいけないと、普通に洗濯・掃除をして、さらに長野に住んでいた頃の友人が今、沖縄にいまして、長野の浅間山が噴火した、という話のために長電話をしました。久しぶりの彼女との電話で、少し気持ちが晴れ、さらにシエスタ(昼寝)をして起きましたら、だいぶ気分が上がってきました。ちなみに母親とは午前中の電話で、「ちょっと調子が悪い」と言って、あまり話さないでおきました。

 寝不足気味で、ちょっと体調が不安定で、小さなことが重なって、ちょっとしたキッカケで「うつ気味」になります。私の場合はそのまま寝込むと、完全に「うつ」に入ってしまうので、日常の生活をとりあえず送ります。そうしていると、また何かのキッカケで立ち直ります。何か仕事を少しでもして、外との接触をすれば、そんな小さな事をいちいち考えている時間がなくなり良いだろうと、昨夜もさんざん考えました。しかし自分の病気を落ち着かせたいので、もう少し自宅療養したいのです。いっつもこんな事で悩んでいます。困ったものだ。

 

好きな花

 家の中に、生花が飾られていると、何だか嬉しくなります。頂いたお花でも、時には自分で買ってきたお花でも。

 うちにはもう4年位になる観葉植物は一つあります。「アンスリューム」。この子(←私は物でも何でも、「子」とか「彼女」「彼」とか考えちゃいます)は、長い間、一緒に引越しをしたり、共に過ごしています。普段はあまりお互い(?)に干渉しあうことはありません。時々、お水が欲しくなると、たらりんと葉っぱがしてきますので、「ごめんね~、今、お水あげるからね」と言いながらお水をあげて、時々、日の当たる場所にうつしてみたりしています。大変、強い子です。その他には、うちに生きている植物は現在ありませんので、スーパーの帰りなど、たいてい出入り口にあるお花のコーナーを見ながら、ちょっとお安くなっているお花を、時々購入するときがあります。先週、久しぶりに買ってきて、玄関に飾ってあるのが、真紅のバラです。

Photo  購入時、すでに「お買い得」というお値段でしたので、あまり日持ちがしないとは思っていたのですが、冬ですし、マメに水を替えたり、茎の先を切ったりしながら持たせようと思っていました。今もう、写真のように右のバラが少し枯れ気味ではありますが、まだまだ綺麗です。

 私は自分で買うときは、その時の気分で、ぶっちゃけ、セールのお花を買うことが多いです(←恥ずかしながら、お花に大金をかけるほどの余裕がまだまだありません・・)。でも、その中でも、気に入った物を買うのですが、例えば、昔、義理の妹が好きだと言っていた「ガーベラ」や、富山で有名な「チューリップ」、夏は元気が出そうなので小ぶりな「ひまわり」など。これらは、見ていて心が明るくなるような、明るいイメージのお花ですよね。色にもよりますが、だいたいオレンジや黄色など、やはり明るい色。しかし、実は、私が花の中で一番好きなのは、写真の「真紅のバラ」です。すこし細め(大輪ではなくて、横に広がるタイプでなく、上に細長いとでも言うのでしょうか)の、開ききっていないようなバラ。赤いバラの花言葉は、「愛情」とか「情熱」ですよね。どうもこの真紅のバラが一番好きです。

 あとは、実は「菊」も好きなんですよねえ。昔、子供の頃、母親に「菊はお葬式とかに使うから」なんて言われて、普段飾るお花ではないのだ、と言う観念が強かったのですが、今では、これぞ菊!!という菊らしいお花のほかにも、ポンポンした可愛いものや、スプレー菊など、飾っても可愛いイメージのものがあるので、去年末はポンポンした可愛い白い菊を玄関に飾ってました。花言葉は色によって違うようですが「高尚」「誠実」「真実の愛」なんて意味があるらしいです。

 生花はだいたい、玄関に飾ります。何だか飾っていると、玄関が華やぐと言うか、生気があるというか。嬉しくなります。今回は一番好きなバラを飾って、ちょっと情熱的な玄関(?)。ちなみに写真の左下には、夫婦2ショットの写真も見えていますが、一応玄関には写真も数枚飾っています。何となく、仲良い写真を飾ることで、自分の気持ちをさせているような・・・・。

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