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やっぱり紅白?

 とうとう大晦日ですねえ。今年もあっという間の一年でした。様々なことがありまして、結構、自分としては激動の一年でした。しかし、体調が一応安定していましたので、それだけは良かったと、思っています。あとは精神的な問題が多く、やっかいでしたが、こればかりは解決できることと、自分で納得してしまわなければいけないこと、解決できずに時間にまかせるしかないことなど、いろいろです。とにかくあまりストレスにならないように、「忘れる」ことも大事だと自分で決めました。

 さて、大晦日と言えばやはり「紅白歌合戦」でしょうか。私は、そうです!昨日も日本レコード大賞を家族でご飯を食べながら見ていまして、結局ほとんど見てしまい、最後はお尻が痛くなってしまいました(座りっぱなしということです)。今年の紅白の注目というと、うちではなんと言っても「秋元順子」さん。昨日は始めてテレビで秋元さんを見た父親が、「この人、上手だねえ」と感心していました。離婚防止ソングとして注目されているんだよ、と説明すると、「へえ~」と言いながら見ていました。本当にのびやかな優しい歌声で、聞いていて安心していられる、素敵な歌声ですよね。離婚防止になるかどうかは別として、これからもどんどん、中高年の方向けの素敵な歌を歌って欲しいです。

 そんな秋元さんの今日の紅白の出番は、紅組6番目。うちは今日の晩ご飯は「すき焼き」なので、早めに始めて一息ついた頃の出番になりそうです。家族みんながテレビに注目して見ていることでしょう。楽しみです。

 来年はどんな年になるでしょうか。私としては、趣味のフラメンコを続けて、もう少し上手になりたいところです。あとは、楽しいことをたくさんしていきたい。自分次第ですよね。体調管理をしながら、小さな事でも楽しみながら過ごしていきたいと、思っています。

 

神棚のお掃除担当

 毎年、12月30日、実家の神棚をお掃除するのは、私の担当です。いつ頃からか、気が付いたときには、そうでした。

 実家は運送業をしていますので、商売の神様の神棚があります(小さめです)。ずっとありまして、私の記憶にあるのは、15歳の高校入学の時に、その神棚に向かって、希望の高校に入れますようにお願いしていたら、ふっと後ろに、その希望校の制服を着て立っている自分が見えた、ということがありました。もう随分と長いお付き合いです。

 一回目の結婚の前まで、多分、25歳までと、離婚して戻ってきた31歳から今まで、ほとんど神棚のお掃除担当でした。どうしてでしょう。何となく、私がしたい、私がするべきだ、みたいな感じでしょうか。今日も午前中からお昼にかけて、居間の角の上の方に祀ってある小さめの神棚をおろして、中にいる神様(の像)2人(2体?)を、丁寧に水ぶきすると、いつもそうですが、神様(の像)が笑っている気がするのです。良かったわ~、と思いながら、今度は棚の方を水ぶきして、一緒に飾ってある熊手とかお札のホコリも落とします。神棚の下に冷蔵庫があるのですが、その冷蔵庫の上もホコリを拭いて、それからうちは冷蔵庫の上にラップをひいて終わり。きれいになった神棚を、定位置に戻します。遠くから、神棚の位置とお札の位置などを確認して、今年もきれいになったわ~、と満足して終了です。

 母親は私が神棚を掃除している間に、キッチンを掃除していますが、他に何か手伝うことがあったら手伝うと言っても、「大丈夫」、と遠慮します。何かやらせて具合が悪くなったら困るんですって。まあ、これからちょこちょこと他の部屋も掃除したりしますので、それを少し手伝うとしますか。明日の大晦日は、うちは午前中からお料理です。これも毎年恒例で、祖母から受け継いできた「炒り豆腐」を二人がかりで作ります。普通の炒り豆腐とはちょっと違っていまして、お豆腐以外の野菜物、にんじん、しいたけ、コンニャク、ゴボウ、里芋などを、細かく、5㎜角位のさいの目に切ってゆくのです。祖母の家にも持って行くので、多分、小鉢2杯を一人前としたら、10人前くらいは作るでしょうか。結構な量になります。出来上がったら、それを持って、祖母の家に旦那と挨拶に行きます。そして元旦には嫁ぎ先の家と祖父母の家へのご挨拶。やはり年末年始は家族の行事が主ですね。

表参道ヒルズに行きました!

 昨日の日曜、旦那の親友と3人で、車で「表参道ヒルズ」に始めて行ってきました!一昨日の土曜に車で帰省して疲れていましたが、約束をしていたので、わざわざ旦那の親友に私の実家のマンションまで車で来てもらって(旦那はその前にうちに来ていまして)、3人で行ってみました。場所は私のリクエストです。

 まず車で青山通りを通って、表参道あたりに来ると、道にはたくさんの人達が行き来していました。ブランドのショップもいっぱいあり、久し振りに来た私はびっくり。表参道に来たのは多分、7・8年ぶりくらいだと思います。当然、まだ同潤会青山アパートがあった頃で、記憶にはそのアパートしかありません。「表参道ヒルズ」は2006年に開業とのことで、さすがに年末年始で、しかも日曜でしたので、人はたくさん来ていました。地下4階にある駐車場に車を止めて、地下3階から地上3階までが、スパイラルスロープと呼ばれるらせん状の通路になっています。その通路に沿ってお店が並んでいるのですが、どのお店も素敵なお値段のお店が多くて・・・・。とりあえずはランチをするためにレストランを探すも、どこも並んでいていっぱいです。その中でも、あまり並んでいない洋食店にすかさず入りました。午後二時を過ぎていましたが、まだランチをするのも並ぶほど、たくさんの人でにぎわっていました。後で靴のお店の方にお聞きしましたら、開店当時は、明治神宮あたりまで行列が出来るほど、お客様が多かったそうですが、今は平日ならそれほど混んでいないとのこと。「表参道ヒルズ」行くなら、この年末年始を抜かして、平日です!今ならもう、ゆっくり見られそうですよ。

 私はどうも人混みが苦手で、出来るだけ並びたくないです。並んでまで今話題の物を食べたり、手に入れたりしなくてもいいタイプ。しばらくして、流行が落ち着いてから行ってみたり、手に入れたりしたいのですねえ。ただ、とりあえず話題になった所は行ってみたい、話題の物は手にいれたり、食べてみたい、と言う感じでしょうか。ちょっと流行には遅れてしまいますが、それで良いです。「表参道ヒルズ」はスパイラルスロープになっていますから、私のように間接が痛んだりする人にも、優しい設計です。(ちなみに設計は、安藤忠雄さんです。)多分、バリアフリーを考えたのでしょうね。ゆっくりと下って歩いているうちに、ほとんどのお店が見られて、ランチもいれて約二時間、楽しみました。満足満足。でもちょっと疲れました。

 昨日は早めに寝て、今日は復活です。今日と明日は実家のお手伝い。いよいよ年末って感じがしてきました。

やっぱり疲れる?車で約6時間

 昨日、旦那と車で、富山から東京の実家まで帰省しました。約6時間くらいでしょうか。今回は前日に富山で雪が降り、富山の天気もそうですが、途中の新潟あたりの雪が気になっていました。しかし、昨日の富山は天気もなかなか良くて、雪の心配はなく、出発した午後1時半には一番気温が上がっていたころ。北陸自動車道に入って、しばらくは良かったのですが、親不知辺りから雪がちらついてきました。やはり新潟付近は、年末年始は雪を常に心配しなくてはいけませんね。それでも旦那は上信越道の松代PAまで、まずは運転してくれました。長野入ってからは雪は全く心配なかったです。天気がカンカンに良くて、日差しが暑いくらいでした。

 松代PAから横川SAまでは、私が運転。以前、住んでいた辺りですので、運転は慣れているわ~なんて思っていたのですが、忘れていました。道がクネクネしていたのです!でも隣では旦那が口を半開きにして眠っていますし、今更「私、こわ~い」とは言えずに、自分の運転に自信(?)を持って乗り切りました。まあ、無理をしなければ大丈夫ですからね。横川からは、また旦那が運転し、かなり順調に練馬ICまで着きました。振り返ってみれば、多分、今までの車での帰省の中では、一番順調に短い時間で帰ってこられた気がします。練馬から高速道路を降りて、途中のファミレスで夕食を食べる余裕があったくらいですから。いつもは疲れちゃって疲れちゃって、早く実家に着きたくて、夕食も食べずに帰ることが多いのです。うちはお互いの実家がマンションで、泊まれるスペースがありませんので、それぞれ夫婦が分かれて実家に戻ります。

 予定時間より早めにお互いの実家に着きました。私はそれほど疲れを感じていなかったのですが、どうやら旦那は疲れたみたい。そりゃあそうですよね。私が運転したのは、わずか約100㎞くらいでしょうか(そんなにないかな)。あとは全部旦那でしたから。夜も私は結構元気でしたから、「寝られるかしら」と思っていたらこれが間違い。すぐに寝付けて、今朝起きたときには、なんと、全身のあちらこちらの間接が痛い。肩が凝っている。疲れがど~んと出てきて、「やっぱり疲れてたんだ」と実感しました。でも今日は今日で予定があったので、遅めの朝食を食べてからすぐにプレドニン、ロキソニンを飲んで、しばらくしてからやっと元気が出てきました。やっぱり疲れていたんですね。運転して気をはっていたから、疲れを感じていなかったのでしょうか。今日も外出して疲れてしまったので、早目に寝ようと思います。疲れがたまると、この年末年始に救急で病院へ、なんてなったら困っちゃいますから。

雪で寒いけど、掃除

 天気予報で伝えてるとおり、今日の北陸は雪です。昼間は、雪、降ったり止んだり。夕方あたりからは、完全に雪が降り続いていますが、積もるような勢いではありません。うっすらとです。車の上はさすがに積もっていますが。

 北陸の雪は湿気を含んでいて、どちらかというと重い、「ボタッ」という雪が多いです。なので、道路などは、よほどものすごい勢いで降らないと積もりませんし、私が住んでいる地域は、道路の真ん中に水が出て雪を溶かす、あの融雪の機能は何と言うのでしょうね、それがあるので、びちゃびちゃしますが、ここ数年は雪がものすごく積もることはありませんでした。夜から朝方、気温が下がる頃に雪が降って積もったとしても、昼間になると気温が5度以上くらいになることが多くて、そうなると溶けちゃいます。あ、いまニュースで気温が出ました!午後6時の時点で、富山は-0.4度でした~、寒いわけです

 今日の昼間は、めずらしく富山も寒くて、月曜日に掃除機をかけて以来、クイックル○イパーでほこりを取っていましたので、何としても掃除機をかけたくて、寒い中、窓を開け放って掃除しました。いや~寒かった。その後、天気予報で、私が掃除していた頃、気温が0.5度だったと知り、「良くやった!ケロ!」と自分を褒めてしまいました。でも寒いのは、やはり疲れるのでしょうね。昨日もデパ地下に買い物に行って、寒くて重くて疲れたのか、昨日今日のシエスタ(昼寝)は、ベッドに入ると、パタッと寝られました。しかも1時間半くらい。それでも昨日の夜は、またパタッと寝られたので、寒い中での行動は多分、体力的に疲れるのだろうと実感しました。寒いときはあまり無理しない方が良いらしい、とあらためて思いました。ベーチェット病は寒いときに悪化する傾向があるそうなので。

 さあ、年末ですね。今年もうちは、東京の実家に帰省すると、お互いの実家に分かれて帰ります。どちらも実家はマンションですし、どちらかの部屋にも泊まれるスペースもないので。私達夫婦はいつになったら、年末年始を一緒に過ごせるのか、謎です。

クリスマスプレゼント?

 先日の土曜日に、旦那がヤマダ電○に、壊れてしまったPCのマウスを買いに行きたいと言いまして、ポイントを確認しましたら、1000ポイント以上たまっておりました。「ケロちゃん、何か欲しい物あったら、買ってあげるよ」と上機嫌で言いましたので、今だ!!とチャンスを逃さずにお願いしてみました。私、実は、ずーっと髪の毛用のカールアイロンみたいな物に憧れていたのです!そう!あの芸能人やキャバ○ラの女性の方々が、ロングヘアを大き目のクルクルしたカールにしている、あの髪型!私はまだ長さが肩くらいまでしかないので、多分あまりカール出来ないと分かっていても欲しかった。お安いので良いのです。でもマイナスイオンが出る、髪の毛をあまり痛めないタイプの、で32ミリの太目の物が欲しかったのです。そうしたら、なんと!32ミリは割りと太目カールなので、一番安い2600円台の品物が残っていました!ポイントを利用したら、これまたびっくりで、1300円位で買えてしまったのです。素敵な値下げに、素敵なポイント、旦那ありがとう!

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 写真の上のほうにあるのが、そのカールアイロン。実際に使ってみたら、見事にカールするのです!まだまだ思ったように出来ませんから、髪の毛が長くなるのと、テクニックを練習で習得しなくては。

 そして、写真手前が、来年の大河ドラマ「天地人」の原作本です。今日、自分へのクリスマスプレゼントとして、買って来ました。2000円分の図書カードを知人から頂いていたので、それを使って足りない分を自分で補って。私はハードタイプの本は、重いので出来るだけ文庫が良かったのですが、「天地人」は新装版で新しく出たものが写真のソフトカバーと言うのでしょうか、それが最新です。文庫化になっていないのですね。仕方なく3冊も買って、デパート内の本屋さんでしたので、その後デパ地下で買い物などして、持っているのが重かった~。でも嬉しい!本当はもっと早く手に入れて読みたかったのですが、文庫になるのを待っていたら、もうこんなに放送間近になってしまいました。結局文庫でないし、もう待てなかったのです。

 今日は一人クリスマス。昨日はイブで旦那の帰宅が、まあ、午後9時頃でしたが、自宅で食事しましたので、ハンバーグにケーキを食べたりしましたが、仕事が年末に近づいて、今が一番忙しい時期。旦那にとってはクリスマスどころではないのでしょうね、本当は。今日は忘年会で夜遅くなる予定。買ってもらったカールアイロンと、自分へのプレゼント「天地人」原作本で、満足しながら、これから一人で夕食です。(でもデパ地下で美味しそうなお刺身を買ってきたので、楽しみ!富山の魚介類は、きときとで、うまいっちゃ!)

逃避願望

 時々、現実から逃避したくなる時があります。きっと皆さん、あるでしょう。逃避、というより「失踪」したくなるというか。

 クリスマスイブだというのに、こんな話題は良くないですよね。でも今、私はそういう気分ですから仕方ない。だいたい、誕生日とか、クリスマスって、最近良い思い出がありませんし。若い時は自分で盛り上げたりしましたが、もうそろそろ疲れ気味で、できれば誰かに盛り上げて欲しい。うちは子供もいませんから、盛り上げる必要も特にないのですが

 今朝、旦那は風邪っぽく、私は何だか疲れていて、ものすごく眠かった。「ケロちゃん、眠そうだね」と旦那が言いましたので、「うん、眠い」と返事したら、「オレだって、眠いんだよ。そんなに眠いなら、起きなくてもいいから」と言われてしまいました。その時点で旦那は、鼻がグシュグシュしていて、風邪気味だと感じていましたから、いつもより機嫌が悪かったのです。気付いた私は、「ごめんね、大丈夫」と言って、眠そうな状態をやめました。そうですよね、風邪でも、眠くても、頑張って仕事に行かなくちゃいけない人にとって、一緒に朝食をとっている人間が眠そうにしている姿は、イヤですよね。旦那が出社して行ってから、洗濯をしながらコタツに入り、ダラダラしながらプレドニンを飲んで、元気が出てくるのを待っていました。

 それからしばらくして、実家の母親から電話がかかってきました。いつもの定例の時刻です。最初の「おはよう」と言う声から、何となくいつもと違うと感じていました。話し始めて、3分くらい。すぐにその理由が分かりました。実家は父親が自営業で運送業をしています。父親も、もう年齢が還暦をこえて60代半ば。それでも現役で荷物を一個一個運んでします。しかし、家計は大変で、やりくりをしている母親は、いつもお金のことで奔走しています。10年くらい前までは、私も一回目の結婚生活でものすごくお金がなくて、実家に助けてもらっていました。でも今は逆になりました。その頃に比べると、父親の収入もかなり減っています(荷物一個運んでいくら、という値段が下がっているのです)。今朝の電話は「お金を貸して欲しい」という話が主でした。実は、ちょこちょこと何度も貸しています。だいたいいつも数万円、と言う値段で、貸しては返してもらったり、返してもらわなかったり。親にお金を貸すという事は、戻ってこないことを前提に貸すというのが、私の考えです。貸す時はいつも、その理由と、私は仕事もしていないから持っている貯金から貸すしかない、という旨をしつこく説明します。でもさすがに今日はもう、やめました。ここ数日は母親の話がお金のことばかりで、私も参ってしまいました。親があまりにお金に困っている話を聞くのは、子供にとって本当に辛いことです。

 今まで育ててもらって、援助してもらって、30才すぎて離婚して実家に戻り、やっと仕事に就いたと思ったらベーチェット病を発症して、5回の入退院のたびに母親は看病してくれました。今後もいつ病状が悪化してお世話になるかわかりません。また離婚して実家に戻るかもしれません。ただ、自分としては、病気が悪化したり離婚したりしても、お金に関しては出来るだけ迷惑かけないように、貯金を少しだけ持っているのです。これは持ち続けなければならないのに、どうしようもありません。こんな時、「ああ、どっか行っちゃいたい。逃避したい。失踪したい。」と思ってしまうのです。

 一度離婚して、自分が壊れてしまってますから、そういう人間は割りと破滅的な妄想や願望を抱くものだと、自分で感じます。お金もなくなる、病気で無理できないから、いつも誰かに負んぶに抱っこ。知らない所で自分ひとりになったら、自分でどうにかするしかないから、たとえ病状が悪化してもどうにかするだろう、そうしたら誰かに迷惑かけることもない、どこかへ行ってしまいたい、と思ってしまうのです。暗いなあ、私。

 せっかくのクリスマスイブ。お昼になってお腹も空いてきたので、何か食べてお腹を満たしてから、シエスタ(昼寝)しましょう。寝れば結構、気持ちも回復してきます。また気分が明るくなるかもしれませんから。

料理を作ってくれる男性

 料理を作ってくれる男性に憧れています。うちの父親も弟も料理は上手。でも気が向いた時とか、本当に時間に余裕がある時などしか作ってくれません。弟は昔、イタリアンのコックになろうとしていた時期があり、一年近く修行しましたから、パスタやオムレツ・リゾット・ローストビーフまで、かなり上手に作れます。しかし、自分が仕事が休みの時に、遊ぶ相手もいないとか、一日中寝ていて夕方になって起きだして来て、気が向いたから作ろうか、など、余裕がある時にしか作りません。そこにたまたま帰省していると、美味しいイタリアンを実家で食べることが出来て嬉しいのですが・・・。

 私が憧れているのは、そういう「時々、気が向いたとき料理人」ではなくて、よく海外の映画などに出てくるような、朝、起きてみたら、彼氏や旦那が「朝食、出来てるよ」みたいな状況なのです!!毎日でなくて良いのです。毎週でなくても良い。目玉焼きや、スクランブルエッグなんて料理もいらない。コーヒーとトーストだけでも良いのです。せめて、調子があまり良くない土曜や日曜だけでも、作ってくれると言うか、朝食(起きる時間が遅いので、ブランチですけど)を用意してくれるだけで良いのです。

 きっと勝手な望みなのでしょう。専業主婦で、楽をさせてもらっている身で、何を言っとるか!?と怒られそうですが、結構、休みの日の朝は、あまり調子が良くないことが多いのです。例えば今朝。だいたい、次の日がお休みとなると、寝るのが遅くなります。寝るのが遅くなるのは、本当は私の体調にはよくありません。でも旦那とゆっくり話が出来る夜なんて、次の日が休みの時くらいです。ついつい昨夜も寝るのが、深夜の2時近くになってしまいました。そうなると今朝のように、起きるのは午前11時近く、しかもものすごく体がだるい。いつもならプレドニンを飲んでいる時間は、とっくに過ぎています。早く起きてご飯を食べて、薬を飲みたい。でもだるい。しかし、こんな朝でも、うちの旦那は先に起きたとしても、ボーっとコタツに入りながら、雑誌やら新聞やら読んでいるだけです。私が、体がだるいのは、分かっているはずでも、何もしない。でもそれは悪気があるのではなく、するという考えが元々ないのです。旦那の母、つまり義母はとにかく何でもやってあげる人でしたから。その状況で育ってますから、自分から朝食を用意しよう、なんて考えは元々ないのです。

 やっと起きだして、せっかくだから、目玉焼きにトースト、コーヒー、リンゴと、結構ボリュームあるブランチを用意しました。リンゴを最後に食べる前にプレドニンを飲んで、早く元気が出るように、自分で心の中で祈ります。でも何となく、せめてこういう朝だけでも誰か朝食を用意して、という気持ちが表れてしまっているのでしょう。旦那が「ケロちゃん、機嫌悪いね」と言います。そうねえ、そうなのよ、でも言えないから、ほっといてよ~、と心の中で思います。

 ああ、本当に勝手な望み。私、一度も、朝食を用意してくれるような男性と、お付き合いしたことがない。映画みたいに、朝食をちゃっちゃっと用意してくれるような人と、一度でも付き合ってみたかった。どんな感じだろう・・・・。

誕生日プレゼントにメガネ

 今日の富山は、荒れている天気です。シエスタ(昼寝)中に、突風と雨が打ちつける音で目が覚めたくらいです。北陸ではこういう天気は珍しくないんですけどね。でも余り慣れていないので、北陸3年目でも、ちょっと怖いです。

 さて、私の誕生日は約1ヶ月前でした。誕生日プレゼントを、旦那からまだもらっていなくて、品物は決まっていました。「メガネ」です。年末か年始にセールが始まったらで良いから、と、私から辞退しておりました。今週、仕事で会食やら、出張で東京やらで、家を空けることが多かった旦那は、何を思ったのか、「買いに行こう!!」と言いますので、ちょうど年末セールのチラシも土曜日に入っていたので、二人でメガネを見に行きました。

 今年の7月に、検査のために東京に帰省して、下瞼にバイ菌が入って膨らんでしまって、眼科で診てもらった時に、先生から「君はアレルギーがあるから、コンタクトはスポーツとかの短時間の場合にして、あとはメガネと併用した方が良い」と、始めて言われました。びっくりして、ちょっとショックでした。だって2ウィークのコンタクトがまだ1箱以上残っていましたし、2ウィークの方は出来るだけ避けたほうが良いと言うではありませんか。コンタクトなら1デイ用をとのことでしたので、それからは1デイを使用するようにしています。それにしてもアレルギーとは。どうりで最近、目がかゆくなると、その時思ったのです。そして、それならお出かけ用の、ちょっとおしゃれなメガネが欲しい、と考えていました。そこで今年の誕生日には、旦那にメガネを買ってもらおう!!と決めていたのです。

 しかし、いざ、メガネを見に行きましても、本当に迷うのです。まずは流行。メガネも流行がありますよね。私が始めてメガネを買った約15年前は、レンズが大きめの、今で言う、おば様方がグラデーション入りで付けている様なタイプのメガネが主流でした(私はグラデーションは入れませんでしたが)。フレームも大きめ、レンズも大きめです。しかしそれから確か5年位して、新しくメガネを作った時には、もうメガネのレンズが横長の幅が狭いものが流行。フレームもそれに合わせて、小さめ。何だか最初は慣れるのに大変でした(どうしてもレンズが小さい分、レンズの外が気になって)。

 そして、一番最近作ったメガネは1年半くらい前、病気のことも気になって(紫外線が目に影響あるかなと思いまして)、レンズには流行の薄茶色のグラデーションを入れて、UVカットレンズにしてみたのですが、フレームを女性っぽくしたくて、赤の金属的な上だけふちのある物にしました。出来上がってきたのは、そう、おば様的な印象のメガネ。でも車を運転するのには良いかな、と思い使用しています。実際、おば様ですし。

 そして今度の誕生日プレゼントとして買ってもらったのメガネは、本当に迷いました。私、あまり物を買うときに迷わないタイプで、迷ったら買わないのですが、メガネのフレームは本当にどれが自分に合うのか、マジ分かりません。様々なタイプを試しに何度もつけて、決まらないので諦めかけていた時に、ふと目に入ったフレームが、結構気に入り、旦那も「似合う」と言ってくれたので、それにしました。

 メガネの流行は、洋服などよりも長いらしくて、だいたい5年位らしいです。店員さんんに相談しました。選んだメガネが、最近流行の、ちょっと横長長方形のレンズの形だったからです。だから余計に迷うのですよね。結構、メガネってお高いじゃないですか。しかも誕生日プレゼントだから、少し高めでも良いって、旦那が言うから、余計に迷う。洋服などと違って、よほど雑に扱わない限り、メガネは長持ちしますから。出来上がりは、何とクリスマス!まるでクリスマスプレゼントみたい!楽しみです。

私の役目

 旦那が出張から帰って来ました。3日日間ほど一人暮らしのような状況だったので、帰ってきたら耐えられるかしら?なんて思っていましたが、意外や意外。結構、今の時点では大丈夫です。

 とにかくうちの旦那は、片付けない。物は出したら使ったら、そのまま。食べればボロボロとテーブルの下にも上にもこぼす。お風呂上りは、バスタオルを持ってビチャビチャと居間まで拭きながら歩いてくるので、その辺が水溜り。など、とにかくやってくれます。これが、平日、わずか朝と夜だけでも一緒に暮らしていて、時々あまりにも耐えられなくて「キーッ」と、ヒステリックになってしまう私ですから、旦那のいなかった3日間は、本当に静かに思うように生活していて、私のリズムで暮らしていました。これで旦那が帰ってきたら、どうなるのか、私いったい大丈夫か、一緒にまた暮らしていけるのか、なんて本心で考えていました。

 ところが、昨日帰宅した旦那は、相変わらずの状態ですが、私のほうが意外と大丈夫。やっぱり知り合いのいない土地で、一人でいるというのは不安や寂しさがあるので、多少寝不足でもあり(一昨日の義母との電話の一件もしましたから余計に寝不足)、帰ってきてくれた安心感もあったのでしょう。久しぶりに昨日は良く眠れました。しかも旦那に対して、優しく(?)接することができる。さらに結構、テキパキ動いたりして。で、気付きました。「そうか、もしかして、これが今の私の役目なのかもしれない」と。

 人にはその時に応じて、「役目・役割」があるような気がします。以前、コメントを下さった方が、「ケロさんにはケロさんの持ち場があるのでは」ということを書いてくださっていましたが、そのとおりだなと思います。頭では分かっていても、中々納得するのには時間がかかります。病気を抱えていて、仕事もせずに、手抜きの家事と、習い事をして過ごしている自分は、旦那や義母に負い目を感じていましたが、もしかして、時々イライラしながらもこうして旦那との生活で、家の中のことを担当するのが、今の私の役目ではないかと思いました。3日ぶりに旦那が帰宅して、テキパキ家の中で動いている自分が、気持ちとしては充実しているような気がして。まあ、こんな気持ちもいつまで続くか分かりませんが、そんなことを感じながら、また普段の生活が始まりました。しかし、年末年始休みのため一週間ほどで帰省して、お互いの実家に分かれて戻りますから、またお互いに独身生活みたいなものです。そして年明けに富山に戻ったときには、「私の役目」を感じるのかしら。それとも、他の役目を考えるのかしら。その時の状況と気持ちにまかせましょう。

義母と電話・私のイヤな性格

 昨夜11時過ぎ、「流星の絆」を見終わって満足している私の、携帯が鳴りました。義母からの電話です。旦那が出張で東京に行ってまして、実家に数日泊まっています。義母は結構、気を遣ってくれる人でもあり、旦那が出張でいない時などは、わざわざ電話をくれたりするのです。今回は電話がないな、年末で忙しいのだろう、と思っていたらかかってきました。

 「流星の絆」の後で、大変気分良く、電話に出ました。最初は良い感じで話していました。私も時々は義母と話して、コミュニケーションをとらなければ、なんて長めに話していたのがいけなかったのでしょう。電話を切った後、小噴火した私の頭は、安定剤を飲んでも気持ちが治まらずに、考えが頭を駆け巡り、結局寝付きもよくなくて、寝られたと思ったら朝方起きて、また考えて一時間くらい眠れなかったりして、今日はちょっと寝不足です。ああ、この細かい事を気にする、被害妄想的な性格をなんとかしたい。

 実は、こんな話を義母としたのです。様々な話題の中の一つとして、旦那がずいぶん痩せてしまった、と言うのです。「ずいぶん痩せちゃって、びっくりしちゃったわ。スーツもゆるくなっちゃって、あれじゃあ、似合わないわよね。ズボンにシワがよっちゃって」とか言いました。旦那はベルトを、ギューっとしめるクセがあります。確かに旦那は痩せました。8月のお盆以来会っていなかった義母は、3キロぐらい痩せた姿を見て、驚いたのでしょう。しかしお盆のときに東京に帰省して、遊びすぎ、食べすぎ、3キロ太り、スーツのズボンももう苦しくて仕方ない、と言う状態を、「ケロさん、あなたが食生活で何とかして」と言ったのは義母ですから。その3キロを落とすのに、私と旦那はどれだけ努力したか。毎週ジムへ通い、筋力トレーニングにエアロバイクに5キロのランニングマシーン。でも義母に言わせると、それくらいでは痩せない、ということなのです。もちろんさらに、食生活も気をつけました。ドカ食い、遅い時間の夕食を避けるなど。そうして約4ヶ月で、理想的に痩せた旦那は、今ではスーツのズボンもゆるめで、しかもポッテリしていたお腹も締まって、もう少しで筋肉の段々が出来そうです。走るようになったので、女性のようにふっくらしていたお尻も、きゅっと締まってきました。ただ、どうやら最近は、痩せると顔の肉も落ちるようになってきたので、ものすごく痩せたように感じるのでしょう。しかし、体重もベスト、健康診断の結果も最高に良い状況、どこもなんともありません。

 どうして息子の母親は、ああなのでしょう。息子が太れば痩せさせろと言い、痩せればまるで私がご飯を食べさせていないような言いっぷり。だったら、あなたが責任を持ってくれ!もうお返しします!と、夜のベッドの中でさんざん考えてしまいました。で、寝られなくなるのです。もちろん、義母は悪気はないのでしょう。私のせいで息子が痩せぎすになってしまった、とも考えてはいないでしょう。しかも息子を褒めるのですから。節制して痩せた旨を伝えると「そういうところが、あの子はすごいのよねえ」と。その前まで私とさんざん、その息子のだらしなさに文句を言っていたのに、「痩せた」話題になった途端に、コロッと変りました。やっぱり息子が可愛くて、仕方ないのですね。

 私の実家の母親に、朝一番の電話でグチりました。旦那が痩せたのを、まるで私のせいにされているみたいだ、と。母親は「あんたは考えすぎ。気持ちを切り替えなさい」と言われました。わかっています。考えすぎ。被害妄想。どうせ義母は、何とも思っていないはず。言った方は忘れますし、ましてや悪気がないのですからなおさら。あとは、私の問題です。まあ、どうしても昨夜は頭から小噴火を起こしたので、義母と電話を切った後、すぐに旦那に電話して、「あんた!お義母さんに痩せた痩せたって言われたから、まるで私が食べさせてないみたいだから、食べてちょうだい!食べてよ!」と八つ当たりをしてしまいました。私ってイヤな性格。

緊張で頭痛

 私は趣味で、フラメンコを習っています。基本的には週に一回。1時間ちょっとの練習です。子供の頃からフラメンコを習うのは夢だったけど、ベーチェット病を発症している今、こんなに激しい踊りは出来るかしら?と、習う前にはちょっと悩みました。実際に見学に行った時、その教室にリウマチの方がいらして、その方に励まされ、先生にも事情を話し、できる範囲で構わない、との事でしたので、入会しました。それが、もう一年半前の話です。

 今週、たまたま旦那が週の真ん中あたりから東京に出張でしたので、一人でボーっとしていると寂しいし、どうせならこの自由な時間をフラメンコに使おう!と、いつもとは違う教室にも始めて参加してみました。今日も行きましたので、今週は週に二回、フラメンコウィーク、と自分で名づけました。

 さて、先日参加した始めての教室は、人数がいつもの倍のレッスン生の数。私を入れて22人いました。まずはその人数に圧倒されて、初めての教室ですから、端っこの方にいると、しばらくしてから、私がフラメンコを習うのを励ましてくれたリウマチの方が来ました!その教室に移動されていたのです。その方は私のことはお忘れでしたが、私は励ましてくださったお礼を言うことが出来て、嬉しかったです。そして病気の話もしましたら、私は関節炎で少々間接が痛む程度ですが、その方は指などが少し変形するほどこわばってしまっていました。でれでも、自分なりに出来る範囲で続けているそうです。とにかく、続けること、それが大事!とまた励まされて、よくよく聞いてみると、その方もフラメンコ歴は私よりも2ヶ月くらい早い程度だということ。そんな話をしているうちに、練習の時間が始まりました。

 私はその教室は始めてですから、端っこの方にいましたが、何とそのリウマチを患っている方は先生の隣、最前列正面ど真ん中。おお~、とびっくりしていると、練習が始まってまたまたびっくり!!何と、ものすごく上手ではありませんか~!(ちなみにお年は、還暦を越えてらっしゃるそうです)ちらちら見ていると、自信持って自分流に踊っていらっしゃいます。フラメンコは指をかなり動かしますが、その辺も出来る範囲で、自分流。ああ、楽しんでいるのだ、といのが良く分かりました。私はと言えば・・・・もう始めての踊りもあって、人数が多くて、もちろん先生によって振り付けやら動きが若干違いますから、集中して、緊張のしっぱなし。足が震えるような思いを何年ぶりかで、経験しました。

 練習が終わり、車に乗り、そのあたりから、何だか頭が痛くなってきました。やっとこさマンションについて、駐車場に止めるのに何度切り返して止めたか。頭が緊張で上気して、家に着いた時には、完全に頭痛。即、ロキソニンを飲んでしまいました。緊張で、足が震えて、頭が痛くなったなんて、本当に何年ぶりでしょう。でも時々はこういう経験もして良いと思いました。もしまた転勤したら、その場所で新しい教室を見つけなければならないのですから。それにしても、大人数でのフラメンコは迫力ありました。最後は22人でセビジャーナス1番という定番の踊りを踊ったのですが、ものすごい迫力で、でもそれが楽しかった。一人きりのフラメンコも、いずれはという憧れもありますが、大人数で楽しく踊るフラメンコは、日本の盆踊りみたいな、でもそれよりも激しくて、皆でテンション高くて楽しめました。そのテンションで頭痛くなったのかもしれませんが。

 

冬の曲MD集

 私はいわゆる、アラフォー世代です。今はやりの曲はあまり分かりません。でも昨日、日本有線大賞を受賞した、エグザイルの「Ti Amo」は大好きで、パソコンにダウンロードして、毎日リピート状態で何度も聞いています。

 そんな私は8歳年下の旦那と、曲の好みが時々違います。旦那も私も共通して好きなのは、なぜか’70年代歌謡曲。それ以外は、ちょっと違っていて、昨日なんか知らずに車に乗ってエンジンをかけた途端に、大音量でパラパラで流行ったあのちょーハイスピードな連続曲が流れてきて、びっくりたまげました!旦那はまさにパラパラを踊っていた世代なのですねえ。上手ですよ、時々踊ってもらいますが。

 私の好みの曲は様々ですが、去年、時間のある時に、いろいろなCDを借りてきて、「KERO 冬」とタイトルをつけてMD集を作りました。中には別に「冬」にしなくても良い曲も入っていますが、最近はそのMDを聞きながら、洗濯やら掃除やら家事をしています。

 「KERO 冬」のMDに入っている曲は、スピード「White Love」、Zoo「Choo choo TRAIN」、globe「DEPARTURES」、オリジナル・ラブ「プライマル」、Every Little Thing「fragile」、TRF「寒い夜だから・・・」、Do As Infinity「We are」、MAX「一緒に・・・」、浜崎あゆみ「appears」、平井堅「哀歌(エレジー)」、鈴木雅之「恋人」、の11曲。結構、自分では良い趣味してるじゃん!と勝手に思っています。でもアラフォーですから、それなりにちょっと古めの曲も入っていたり、冬とは関係なかったり、大好きだから、という理由で入れた曲もあるのです。たぶんこのMDにはもう残りの分数がないので、これ以上入れられないのが残念。本当は「Ti Amo」も入れたかった。

 もしかして春頃に新車を購入するかもしれなくて、何度か試乗などしているのですが、最近の車は、なんですか、MDのプレーヤーが付いていないものがあるじゃないですか!CDか、直接、車に搭載されているハードディスクというのですか、それにCDから落として聞くとか、何だか私には機能が進んでいてついてゆけません。それよりも、この苦労して作ったMD集が聞けないのか!ということの方が重要なのですが、その辺はどうしましょうか、旦那さん。MD機器を付けるのか、付けないなら、あなたが何年も前に女性を口説く方法として10枚以上作り上げたMD集も、全て聞けなくなるのですが、よろしいのですか?と、いつか聞いてみようと思っています。

病気だけど元気!?

 昨日、母親からいつもと違う時間に電話がかかってきたので、どうしたのかと思ったら母親の一番仲の良い友人である女性(仮にAさん)の旦那様が、C型肝炎だということらしいのです。一時間ほど電話でAさんの話を聞いて、Aさんがちょっとパニック状態だったと言っていました。

 母親とAさんとはもう20年以上のお付き合いでしょうか。私も当然良く知っていますし、実家に帰省した際などには、家に遊びにいらしては、私も一緒に混ぜてもらって母親と3人で話をすることもよくあります。Aさんが7・8年前に肝臓の病気を患って入院した時には、母親が一日おきくらいに見舞いに行っては、洗濯物などを洗濯したりしていたのを、よく覚えています。反対に去年母親が胆石の手術をした時には、私達家族が病院に行けなかった日には、見舞いに来てくださったりしていました。

 Aさん自身もあまり体調が良くないときが多いのですが、旦那様は泊まりで仕事に行くことも多く、ここ数ヶ月は旦那様の体調も良くなくて、かかりつけの内科医に検査をしてもらったそうなのです。その結果がC型肝炎だった、ということです。旦那様は仕事に行っていてまだ病気のことは知らずに、Aさんだけが知ってしまって、ショックを受けて、昨日うちの母親に電話をしてきたのでしょう。いろいろと話をしたその会話の中に、私の病気の話を母親が出したそうなのですが、その際にAさんが「ケロちゃん(私の名前)はまだ良いわよ。うちの旦那のほうが大変よ」と言ったそうです。母親は「でもうちのケロも、一ヶ月入院した時には、それなりに大変だったわよ~」と話したそうですが、私はそれを聞いて、正直、軽いショックを受けてしまいました。

 もちろんAさんが、旦那様のC型肝炎のことでパニックになっているのだということは、よく分かります。私の病気であるベーチェット病は、難病ではあるものの、私の場合は多分、症状が軽い方でしょう。しかし、眼や腸などに症状が出ている人は、辛い思いをしている方もいらっしゃるはずです。そして、私も、今後いつどんな症状が出るのか、分かりません。私なりに、病院に検査に行ったり、眼科に行ったりする時には、ドキドキして、それなりに覚悟をして行きます。きっと、普段の私を見ているAさんにとっては、私はどこが悪いのか、病気なのか理解できないのかもしれません。他人には自分の病気は分からないのだと、あらためて思いました。膠原病に関しては、病気の症状によって、人から理解されにくい病気だというのは聞いたことがありますが、その通りだと思いました。

 どの病気が一番重いとか、そういうことではなくて、何と言えばよいのか、自分でも分かりませんが、そうですね、こうして日常生活が出来ていることにまずは感謝して、症状が悪化して入院して、「ケロちゃん、大変ね」と言われるより、「元気でどこが悪いのか分からないわ」と言われて嬉しいくらいの度量を持ちたい、と深く願います。まだまだ自分が病気との共存を受け入れられていない、と感じます。元気に見えることが嬉しい反面、やっぱり分かってもらえない、と考えてしまう自分が、残念で仕方ない。どうしてこんなに、悲劇のヒロインみたいな考え方をしてしまうのだろう、と。まだまだ、精神的に病気と向き合っていない。他人の意見に惑わされる自分の心の弱さが、哀しい。元気で明るいケロちゃんと思われたいと、考えているのに。自分の心の葛藤が、どんな事においても人生最大の難問ですね。

 

自由な一週間!

 今週、実は、私にとって自由な一週間です!正確には、平日の昨日月曜から金曜まで。まあ、最低限の家事はしていますが、何と旦那が平日一度も夕食を家でとりません。しかも週末は東京に泊まりで出張です。私は先週から、「じゃあ、何をしようかな。暇かな、寂しいかな」と思っておりましたが、頭の中でだんだんと予定が組まれて、何だかワクワクして今週になりました!

 時期的に忘年会シーズンになっていますし、年末になってなんで出張なのか?とも思いましたが、会社の指示ですから仕方なし。私は先週、東京の実家から帰って来たばかりで、すぐに旦那は忙しくて夕飯は平日食べない、週末は東京と、寂しい富山一人住まいかな?と思えばそうですが、これを逆に考えて、普段では出来そうもないことをしてみよう、と思っています。まずは、フラメンコの練習を今週2回通ってみる、とか。そうすると結構、大変で、充実しちゃうんですよね。

 夕飯は旦那が食べないと、どうしても一人なので簡単に済ませてしまいますから、その辺も気をつけて、栄養を考えて作ってみる。今夜は、残り物の野菜炒めに、さらにモヤシとキャベツを加えて醤油で炒めなおして夕食にして、明日はニラとモヤシで焼きそばなんてどうでしょうか(なぜ、モヤシを連日使うかというと、昨日生協さんから届いたのです。頼んだ時点では、旦那が今週一度も家で夕飯を食べないことを知らなかったので)。それから、いつもは旦那が帰ってくる時間だから、見れなかったドラマをじっくり見てみる。昨日は「イノセント・ラブ」を始めてみて、中々良いドラマなのだと、最終回近くになって思いました。今日は今日で、朝から、めずらしく快晴!!しかも暖かいので、洗濯を2回しましたし、午前中に買い物も済ませました。夜はゆっくりと「チーム・バチスタの栄光」か、歌番組があるようなので、テレビを見ながら、今年はまっている髪飾りの「シュシュ」を編もうかな、なんて考えたりして。

 昼間は一人でも、掃除洗濯などの家事をしたり、買い物に行ったりして時間が過ぎるのですが、夜が一人だとちょっと寂しいのですよね。夜の予定を考えて実行しようと思っています。実は、旦那には東京に出張のついでに、実家に泊まって同僚と飲み会でもしてくれば良いのに、と私が提案しました。私も実家でゆっくりさせてもらいました。旦那は中々帰省することが出来ませんから、出張などの機会を使って、週末ならなおさら、東京にいる同僚と飲んだりしてストレス発散も必要かな、と考えました。私は私で、富山で一人の時間を楽しもう!と思っています。

「篤姫」の最終回

 NHKの今年の大河ドラマ「篤姫」が、昨日最終回となりました。一年通して、本当に楽しみに見ていたので、昨日はオープニングの画面を見ながらですでに、涙が出てきてしまいました。

 ここ数年、大河ドラマにはまっていて、最終回を迎えるたびに、物語が終わってしまう残念さと、一年が終わるのだなあ、という個人的な感慨にひたってしまったりしています。しかし今年の「篤姫」に関しては、ちょっと特別でした。原作をすでに、一年くらい前に読み終わっていましたし、篤姫が鹿児島の女性だということで、思い入れがあったのです。私には半分、鹿児島の血が入っています。父親が鹿児島人ですが、すでに祖母の時代に東京に出てきてしまっていて、父は鹿児島には一度も行ったことがないそうです。ですから、私も行ったことがありません。一度、行きたいと思っていたところ、今年の大河の主人公が鹿児島の女性だということを知って、早速「篤姫」の原作をを読んだのです。

 以前、勤めていた会社の上司に、私の父が鹿児島の人で、私には半分鹿児島の血が入ってます~、なんて言いましたら、「鹿児島の女性は、芯がしっかりしていて、男性を支えるんだよな」みたいなことを言われました。ちょっと嬉しかったですね。「篤姫」の原作を読んだり、ドラマを見ていたりしても、篤姫は、若い頃からどんどん成長して、将軍を支えて、家定公亡き後は、その後の若き将軍・家茂を支え、またその後の徳川宗家16代となる亀之助を養育するという、男性を支えたり、育てたりする能力が大変すぐれている女性だったのだと感じました。もしかして、鹿児島の女性は男性を支える、というイメージがあるというならば、それは篤姫から由来しているのではないかと思うくらいです。

 それにしても、今回の「篤姫」はキャストも良かったですねえ。宮崎あおいさんは、配役発表の当初は、様々な意見があったそうですが、回を重ねるごとに、どんどん少女から大人の女性へ、薩摩の分家のおてんばな娘から、大奥を取り仕切る立派な御台所へと成長してゆく様が、本当に上手に演じられていて、驚きました。昨日の最終回に関しては、年の取り方も上手かった。最期は、まだ49歳(満47歳)という若さだったそうですが、その表情も無理やりシワを書いたり塗ったりすることなく、うちの旦那と話していたのですが、まるで私の寝起きの朝みたいな表情(ノーメークで、目のまわりがうっすらとクマにおおわれて、全体的に瞼や頬が何となく下がっている?)で、自然でした。今のメークの技術はすごいですね。あれは設定が47歳ということで、多分無理に顔を老けさせるメークをしないで撮ったのではないかと、私は勝手に推測しています。ストーリーも、何だか出演している人物に悪者が少なかった気がして、それも私としては良かった(これに関しても、いろいろな意見があるようですが)。現実に私達は生活していて、いつも大変なこと辛いことが多いですよね。そんな中で「篤姫」を見ていて、きれいごと、みたいな物語かもしれませんが、だからこそ、感動して涙して、浸ってしまったのではないかと思います。私はとっても良いドラマを、一年通して見ることができて、嬉しかったです。

 さて、来年は「天地人」ですね。まだ原作を読んでないので、早く読みたい。そして、どんな大河になるのか楽しみです。

曲をダウンロードしてみました

 最近、CM曲になっている、エグザイルの「Ti Amo]という曲が好きで、でもレンタルCDを借りてくるのもどうしようかな、と考えて、もし借りてくるなら、夏頃に発売になった嵐の「truth」も借りたいし、と考えていました。で、ふと思いついたのが、インターネットから曲をダウンロードしてみるということ。もちろん一度も挑戦したことがありませんし、ほとんどどうしてよいかもわかりません。料金もいくら位か分からずに、とりあえず調べてみました。

 私は基本的に、パソコン関係は苦手です。ただ、ちゃんと画面に映っていることを読んでいくと、そのとおりに操作すれば、出来ることが多いです。ネットで調べて、「ツタヤ」さんから曲を自分のパソコンにダウンロードすることにしました!始めての経験です。まず会員登録してから、画面の説明通りに進んで、視聴してみて、どうやらこの曲が私が好きな曲だと確認してから、購入のページへ。金額は200円。おお~、どうしようかと、洗濯物を干しながら考えて、200円なら、一曲まずは挑戦してみよう!と決心して、洗濯物を干し終わってから、いざもう一度パソコンへ。

 あれ?どうやら出来ていない、という状況が2度ほど続き、何とか保存の仕方が分かり、もう一度!見事に完了です!!私のパソコンに保存されているエグザイルの曲を、メディア・プレーヤーで再生!まあ~、きれいな音でちゃんと保存されているではないですか!感激しました~。やれば出来る!さあ~、では、これをどうすれば、パソコンでなくCDみたいにして家のプレーヤーで聞くことが出来るのでしょうか。それはまた明日以降の課題です。とりあえず、パソコンに曲をダウンロードしたこと事態が、私にとってはすごい!!他にも嵐の「truth」を調べたけど、なぜか配信されていません。うううううむ、仕方がない。いろいろな曲を調べましたが、中々ネットで希望通りの曲があるとは限りませんね。まあ、私の探している曲が昔の曲だったり、韓国ドラマの主題歌だったりするからでしょうか。これからも、このネット配信の曲をダウンロードする方法、続けてみようかな。どうしようかな。家のプレーヤーで聞く方法が分かったら利用しようかな。頑張ります!

バイオリンコンサート

  昨夜、バイオリンのコンサートに行ってきました。クラシックコンサートは、約7年ぶりくらい。楽しみにしていました。

 過去には独身時代に、なぜか新聞の懸賞に当たったりして、大きなコンサートホール(確かサントリーホールとか)でのオーケストラコンサートや、芸大の卒業記念オペラ(非常に若くて綺麗なカルメンでした)など、東京で行ったことがありました。その後は一回目の結婚生活中に、長野県内でピアノのコンサートや、第九など聞きに行った覚えがあります。個人的にはショパンが好きで、ピアノのコンサートが好きでした。(というほど、クラシックに関しては詳しくありませんが)

 昨日は、旦那の関係で、まあ早めのクリスマスプレゼントみたいな感じで、コンサートのチケットを買ってくれたのです。しかも最前列でした。生まれて始めて、生のコンサート・舞台で、最前列を経験しましたが、すごいですね~。演奏者の鼻をすする音まで聞こえました!それにしても、感動的でした。

 富山市のオーバードホールで行われた「川畠成道 デビュー10周年コンサートツアー」。川畠さんは37歳。舞台に現れたときに、小柄で年齢が何歳くらいか分かりませんでした。後で調べてみて、37歳と知ったのですが、その演奏からも、まるで少年のような透明さが伝わってきたのです。私は男性の演奏が好きで(女性ももちろん好きですが、どちらかというと、強弱のしっかりした音が好きなので)、ピアノにしてもバイオリンにしても、強さとキレのある音が好きなのです。しかし、川畠さんに関しては、全く音楽に関しての素人である私が言うのも変ですが、まるで、女性が弾いているといってもいいくらい繊細で、それでいて、強いところは強くキレがあり、緻密なテクニックにびっくりして、それを最前列で見ることが出来たことが、また感動的でした。アンコールに5曲も弾いてくれまして、その中でも、今年チャレンジしていると、本人がコメントして弾いてくださったアルゼンチンタンゴは、聴いていて涙が出てきました(タイトルを忘れてしまったのが残念)。クラシックコンサートにしてはめずらしく、アンコールで本人がマイクを持って挨拶しながら、ちょっとしたコメントを入れて曲紹介をしてくれたのです。その時の声がとても柔らかくて、川畠さんが優しい人なんだなあ、と感じました。演奏していてもその音や、選んでいる曲などで、何となくその方の性格というか、人間的な雰囲気が分かりますよね。昨日のバイオリンコンサートは、本当に素敵なクリスマスプレゼントでした。(ちょっと早いですけど)

 また機会があったら、クラシックのコンサートに行きたいです。やはり生で聞くのは素晴らしい!歌手のコンサートも良いですが、クラシックは特に心が穏やかになるというか、私は大好きです。ただ・・・クラシックコンサートは、ちょっとお値段がお高いのですよね~。中々自分では手が出ませんので、今回のように、旦那からのプレゼント、みたいな状況を今後も願っています。が、本来なら、自分で手に入れて行くものですよね、多分。

いつか欲しい物

 一般的には、会社に勤めている方々は、ボーナスが支給された頃ではないでしょうか。うちの旦那も昨日、支給されました。ボーナスの使い道は決まっていますので、出来るだけ貯金貯金。うちの財務に関しては、旦那が管理していますので、ボーナスも任せています。私は特に欲しい物があれば、聞かれるので答えるのです。しかし今回に関しては、二人とも出来るだけ我慢。そろそろ車を買い替えようかと、話しているので、そのために貯金をしたいのです。それでも、私は毎月のお給料から食費雑費などをまとめてもらうので、その範囲でやりくりすれば良いのですが、旦那は公共料金他の支払いをして、残った分で毎日(お昼代やら飲み会やら雑誌代やら)生活しているので、どうやら赤字のようです。自分で貯金していた分から毎月の赤字を埋めていたので、ボーナスから補填しないと、自分の貯金が減ってしまっているのでしょう。新車のための貯金も少なめになりそうです。結局、そんなにボーナスも頂けてない、ということですが・・・。

 車を買い替えよう、という話が出る前、そうですね、1年前くらいは、ボーナスの時には、ど~んと5万円くらい私にお小遣いをくれたりしました。これは、欲しい物を言って買ってもらってその他に現金でくれた、というわけです(と言っても、買ってもらった物はそんなにお高くないですよ。化粧品とかバーゲンで半額になったブーツとか。すみません、それでも恵まれていますね)その頃は、多分、会社も景気が良かったのか、今よりもボーナスの金額が良かったのです。で、この一年はボーナスの金額も下がり、新車の件もあり、貯金したいのです。でも中々思うように出来ませんね。

 私には、いつか欲しい物があります。韓国にいる親友が、8月に帰国した際、お願いしていたローズクォーツのペンダントヘッドを買ってきてくれました。私の信頼している、前の会社の先輩(女性)が、要するにスピリチュアルな感覚が強くて、「私に合う石は何でしょうか」と以前聞いた時に、「ケロちゃんはローズクォーツが良い」と言ってくれました。私も結構、スピリチュアル系が強めだと思いますが、その先輩はもっともっとすごいのです。なので、それからはローズクォーツのアクセサリーを集めていました。自分で大きなショッピングセンターに行った際に、全国チェーンのお店でローズクォーツの指輪を見つけたときは、直感で即、買いました。ローズクォーツは水晶のピンク色をした石です。意味は「愛」とかそういう意味があるようで。物によっていろいろと色味が違いますが、韓国の親友が買ってきてくれたローズクォーツのペンダントヘッドは、ちょっとにごっているピンク色。先輩によると、頂いた相手のパワーも一緒にもらえるようなので、25年来の親友からのプレゼントでとても嬉しかったのです。ただ、石についている金属の部分が銀色なので、ネックレスを現在、持っていないのです。ですから、付けることが出来ないのです!本当に残念!シルバーのネックレスだと、私は本当に手入れが下手なので、すぐに色あせてしまいます。できれば、ホワイトゴールドか、プラチナのネックレスが欲しい!でも今、金もプラチナも高くて買えません。毎月少しずつでもお金をためて、いつかWGかプラチナの普通のチェーンネックレスを手に入れて、親友からもらったローズクォーツのペンダントを身に付けたい!お守りみたいな物でしょうね。いつか欲しいネックレスです。

あれ?富山のほうが暖かい?

 昨夜、夜の7時頃に富山についてびっくり!午後3時過ぎに東京を出発してきた時よりも、富山に到着したときの方が、暖かく感じたのです。しかも雨が降っていました。雪ではなく、雨なので、気温があまり低くなっていないのが分かりますよね。ダウンのショートコートを着て帰省して、同じコートで富山に戻りましたが、昨日の夜の富山は、ダウンコートもいらない暖かさでした。

 で、今日も朝から富山は晴れています。北陸で冬の晴れ間は貴重ですから、約10日間ぶりに自宅に戻った私は、午前中2回も洗濯をしました。それから、寂しい冷蔵庫の中身を買いに、スーパーへ。今日は久しぶりに旦那と夕食ですので、美味しい日本海魚津港で今朝取れた、「ふくらぎ」と「鯛」のお刺身を買ってきました。「鯛」に関しては、尾頭つきです~(お刺身で切り身になっていて、さらに尾と頭が飾りでついてるなんてめずらしいですよね)。尾頭つきにしたのには訳があって、今日は旦那のボーナス支給日。金額としては、前回と変らないみたいで(私は金銭面担当でないので、しっかりとは分かりません)、一生懸命仕事をしている旦那はちょっと残念な気持ちかもしれませんが、やはりその頑張りをお祝いしないと。で、「鯛」のお刺身尾頭つきなのです。

 私が東京に帰省していた間、東京もとても寒い日があり、先週の土曜日は外出していたのですが、東京では電車移動ですから、ホームで電車を待っていると寒い寒い。もう北陸に来てから二年半位になりまして、外出はほとんど車ですから、外で何かをするときの寒さに慣れていないのですね。東京が寒いからといって、北陸が寒いかというと、そんなことはない。だからといって、じゃあ一般的なイメージの北陸の冬とは、本当は違うかというと、そんなこともない。ただ、ここ数年は北陸に雪が少ないことは確かですが。

 太平洋側と日本海側は、同じ冬でも本当に気候が違うときがあるなあ、と実感しています。でも冬はやはりこれからが寒さ本番。北陸もこれからが、気温がまたググッと下がって、今年は11月も12月も雪が降りましたから、多分1月は結構降るのではないかと、私が勝手に予想しています。気温も昨日今日のように、暖かいままのわけがありません。天気予報も、明日の予報に関しては、今朝・昼・夜で明日の予報が全然変わってしまうときがあります。とにかく富山も金沢に住んでいたときも、一日のうちで、くるくる天気が変ったりしますから、油断は出来ません。とりあえず、久しぶりに自宅に帰って来た今日がお天気で、どうも明日も天気が良いようなので、明日は大掃除です。うちは年末年始は夫婦とも帰省しますから、特に年末大掃除はしません。そのかわりに、明日あたりから、ちょこちょこと気がついたところ、水周りやら、キッチンやら、玄関やら、と普段はしていない部分を少しずつお掃除し始めようと思います。まあ、まずその前に、私がいなかった間の大掃除ですね。昨日帰宅したときに我慢できないホコリに関しては、ササッとクイックル○イパーで取りましたから。後は明日、ゆっくりと。

 

母のおむすび

 これから東京の実家から、富山の自宅に帰ります。私は一人で帰省する際は、電車でいつも行き来しているのですが、帰省して富山の自宅に戻るときには、必ずと言っていいほど、母親に「おむすび」を握ってもらって、それを持って電車に乗ります。

 まずは新幹線に乗りまして、越後湯沢で特急に乗り換えて、全部で約3時間半電車に乗るのですが、帰る時の都合によって、今日のように夜になったり、お昼になったりするので、ご飯時間に引っかかる時には、必ず母親に「おむすび」をお願いするわけです。普通は駅弁を買ったり、もしくは途中のコンビニで何か買ったりするのだと思いますが、母親は「おむすび」を作ってくれることを、全く苦にしません(これって長野の方の方言かな?)ので、せっかくなら美味しい手作りのおむすびを食べたいですし。なんせ、駅弁はお値段がお高いのです~。で、冷めていて、いまいちの駅弁を食べると、ちょっとガックリすることもあるので。

 私が電車内で母親手作りの「おむすび」を食べるのは、だいたい越後湯沢から特急「はくたか」に乗り換えてから。そこから富山まで約二時間ありまして、その間に、ゆったりした気持ちで頂きます。「おむすび」二個。一個はたらこで、もう一個はその時によって鮭だったり昆布だったり。特急に乗り換えてしばらくすると、日本海が窓から見えてきます。指定席で日本海が見えるD席にいつも座りますので、天気が良い時は真っ青な穏やかな日本海を、天気が悪い時は鉛色の空と同じような色のどんよりした日本海を眺めながら。実家で家族がいつもいる状態から、旦那と二人きりの自宅に戻る、ちょっとした寂しさなんかを感じながら。モグモグと母親の「おむすび」を食べます。あ~、私って、もしかして暗いのかしら?でも食べ終わると、お腹いっぱい!!美味しかったし、満足満足!と思って、そのうちにウトウトと眠くなったりして。あっという間に二時間、富山に着きます。着いたら、いつもの一応、主婦です。明日からの生活のことを考えて、駅で朝食用のパンを買ったりしてから、タクシーで自宅のマンションまで帰ります。

 さて、今は実家でまだ昼ドラの「愛讐のロメラ」を見ながら、このブログを書いてますが、見終わったら、帰る準備です。夜はもう富山です。

 

「篤姫」「SCANDAL」で涙・涙。

 今年も残り少なくなり、連続テレビドラマも、放送回数が残り少なくなってきました~。毎週楽しみに見ている日曜のドラマ「篤姫」と「SCANDAL」も最終回が近いです。というか「篤姫」に関しては来週で最終回。昨日は、この二つのドラマを見ながら、涙涙涙でした。

 「篤姫」は、毎回といっていいほど、見ながら泣いています。昨日は、大奥江戸城を後にする前後で涙がポロリポロリ。ずっと一緒にいた滝山との別れでジーンと涙。小松帯刀との再会シーンで、これまた涙。番組の後半でほとんどポロポロ泣いてました。わんわん泣くのではなく、じーんとした涙ですね。原作にはないシーンですが、本当に素敵なストーリーになっていますね。

 「SCANDAL」は、鈴木京香さん、桃井かおりさんなど、出演女優陣が話題のドラマで、最初に見始めた頃は、何となく女性がキャ~キャ~うるさいドラマだなあ、なんて思いながら、それでも旦那が気に入っていたので見ていました。しかし、だんだんとミステリー的な謎解きみたいな要素が入ってきて、さらに物語としても重みが出てきたので、私も好きになり、昨日は実家で一人で見ていましたので、もうほとんど号泣みたいになっていました。私は、物語としては「友情もの」に弱いのです。特に女性の友情もの。昨日の「SCANDAL」は、桃井かおりさん演じる女性の過去が明らかになり、女性同士で一緒に泣いている、というシーンで、私まで一緒に泣いていた、というわけです。

 年を重ねて、とにかく涙もろくなってしまって、ドラマでも、ドキュメントものでも、映画でも、本でも、泣いている人を見ただけでも、何だか涙が出てくるようになってしまいました。でもあまり我慢しないで、泣いています。特にテレビ、ドラマ、映画などで感動したり悲しくなったりしたときは、我慢しない。そういう感情の動きも、回りの人に迷惑をかけないのなら、感じたままを表現した方が、心にも体にも良いような気がして。そのかわり、笑うときも思い切り笑います。喜怒哀楽をあまり我慢しないで、表せる範囲で表そうと思っています。だからドラマでも、昼間から昼ドラで感動したり悲しければ泣いています。泣くと私は頭が痛くなるので、それが難点なんですけどね。

南青山で親友の快気祝い!

 昨日、南青山にある弟が勤めているレストランで、8月の末に胆石・胆嚢の手術をして成功した、大学時代からの親友の、「快気祝い」をしました。弟の勤めている店は、お客様の苦手な食材や、希望の物など、コースのお値段に応じて、出来る限り工夫してくれます。昨日は、親友の体調に合わせたメニューを、以前から弟に話しておきました。

 レストランのジャンルとしては、チャイニーズに分類されるようですが、結構創作メニューが多いので、一般的な中国料理も希望すればOkですが、昨日は親友が胆石・胆嚢の手術後、やはり脂っこい料理や、量が多いのも辛そうでしたので、その旨を弟には伝えておいて、さらにコースの最後の方に出てくるご飯物を、おしゃれなお粥にして欲しいと、希望しておきました。さて、どんな料理が出てくるのかと楽しみにしていましたら、あらあら出てくる物出てくる物、ほんとに胃腸に良さそうな、さっぱりした感じの、お料理。私は弟の店に何度も行っていますが、昨日のメニューはほとんど食べたことのない物でした。

 最初に前菜、鴨肉や九州の何とか豚肉やクルミとクリームチーズやたらの何とか焼きとか、一口サイズのお料理が大きなお皿に5種類くらいのってきました。その後、有機野菜と卵白のポタージュスープ、このスープがとても美味しかった。それから蒸しもの二種類。メインが白身のお魚の何とか煮(名前が良く覚えられないのですよね~)、とろみのある薄味の中華風のたれで白身の魚が煮込んであり、頭も付いてきて、「コラーゲンたっぷりです~」と従業員の女の子が言ってたので、親友がお魚の頭と目を食べてました。私も目に挑戦、確かにコラーゲンっぽかったです。そしてチンゲンサイと野菜のオイスターソース炒め。炒め物はこれだけでした。でもさっぱりした本当に青菜の炒め物。最後にお願いしておいた、お粥。これが珍しい、ハトムギのお粥で、トッピングに何とか味噌とか、2・3種類付いていて、それをお粥に混ぜて食べたら、これがまた良い具合に味が付いて美味しかったのです。親友も私もびっくりするほど、体にやさしい、胃腸にやさしい、お料理の数々でした。さらにデザートには、タピオカ入りココナッツミルクと黒ごまのソースが二層になってグラスに入っていて、それにツバメの巣がスプーンにのって添えてあって、混ぜて食べても良いし、ツバメの巣は単品で食べても良し、というデザートでした。このデザートもものすごく美味しくて、大満足。お料理を食べながら、それぞれ好きな飲み物を注文して、親友はアルコール弱めのカクテル、私は赤ワインなど飲んでいました。(最初はシャンパンで乾杯でした)

 大学時代の親友と、夜のお食事に行くのは何年ぶりだったでしょうか。多分、4年くらいぶり?しかも今回は、親友の手術後のお祝い食事会。手術から約3ヶ月。体調も日によって違っているらしく、まだまだ本調子ではないようですが、こうして二人で夜に食事をしながら、軽くアルコールを飲めるようにもなりました。二時間くらいでしたが、二人で日頃の出来事や心配事、悩み、おかしな事や思い出話など、いろいろな話を気兼ねなく出来る仲になるほどの友人というのは、大人になるとなかなか出来ません。また、学生時代の関係が、その後も、良い距離感で続いていくこともなかなかないと思うのです。これからも彼女とは、お互いを気にしながら、何かあればメールや電話したり、年に一回でも夜におしゃれして食事をしたりしようね、と約束して帰途につきました。

 体に負担の少ない、美味しい食事を考えてくれた弟やお店のシェフに感謝です。そして、彼女と会えて食事が出来たことに感謝。これからも長い付き合い。私達の夢は、熟女になって二人でもう一度イタリア旅行をすることです。(大学の卒業旅行が二人でイタリアとフランスだったのです)それまで、またお互い適度に頑張って、適度に休んで、無理をしてこれ以上体調を崩さないように気を付けて、そしておしゃれな熟女になれるよう、生活してゆきたいと思います。

私って、寂しがり屋で神経質?

 今回、東京の実家に帰省して、あらためて気付いたことが2つ。いつもなら、久し振りの実家のお布団に慣れて、しっかりと眠れるようになるのに3・4日かかるのに、今回は一日目から爆睡状態。その前に、富山の自宅でいろいろと考えたり、少し悩んでいたりしていたせいか、睡眠不足気味(と言っても一日7時間は寝ていましたが)だったので、余計に実家でよく眠れているのかもしれませんが。自宅では旦那と二人きりなので、起きる時間や寝る時間は基本的に同じですよね。実家では父が仕事に行くのが、朝7時前、弟が仕事に行くのが、9時だったり10時だったり(飲食業なので帰りが夜中です)、母親は父が仕事に行ってからもう一度ベッドに入って一眠りすることもあるので、だいたい9時に朝ご飯を食べています。家族みんながまちまちの時間に起床するので、だいたいその物音などで、私は目が覚めてしまうのですよね。だから富山での生活から、東京の実家での生活に慣れるのに何日かかかり、慣れた頃にはもう帰宅することになっていたのですが・・・。どうも今回は、帰省一日目からぐっすり眠れて、いい感じ。

 どうやら私は寂しがりやなのかもしれません。基本的に、家族が誰か家にいて、自分の用事があるときは自分の部屋で用事をしていても、他の時間には、誰かと話したり、お茶したりして、一人が苦手なのかもしれません。と、今回の帰省で気付きました。ちょこちょこ外出する事があっても、帰ってくると母親が家にいるので、何かしら話をします。で、一休みしていると、夜には父親が帰ってきて、3人で夕飯。いろいろと家族でテレビを見ながら、今日一日の出来事を話したりします。まあ、私は基本的におしゃべりなので、うるさいみたいですが、それが富山の自宅にいるときには、ほとんどの時間を一人きりで過ごしていて、さらに夕飯も一週間のうち旦那と一緒に食べるのは、土日いれて多くて5日。旦那の仕事が忙しいとそれこそ平日は1・2日しか夕飯も一緒に食べません。しかもうちの旦那はテレビを見ながら完全にその方向に体が向いてしまいますので、私が話しかけなければ、ずっとテレビを見ながら食べています。普段は旦那もおしゃべりですが、やはり仕事で疲れているのでしょうか。今回の帰省前に少し悩んで、一人きりの時間が多くて落ち込み具合も深かったので、帰省して家族のいる状態になって、安心したのか、それでよく眠れるているのかもしれません。

 それから気付いたこと、もう一つ。どうも、私は自分で思っていたよりも、やはり神経質。今朝、弟の機嫌が少し悪かったのです。私は大人になってから、弟とあまり朝、顔を合わせることもなかったので(仕事の種類が違いますから、お互いに独身で実家にいたときでも、私の方が早めに仕事に行ってました)、朝の状態や、大人になってからの弟の性格的な部分が分からないことがあったのです。今朝、ちょっとした言い争いをしてしまいました。で、弟はそのまま出社していったので、母親に「ねえ、今日、機嫌悪かったね」と聞いたら、「そう?」と返事。「今日は仕事が立て込んでるみたいだし、昨日は帰りが遅くて疲れてたんでしょ。朝はいつもあんな風よ。あたし、全然気にしない。ちょっと怒ったり機嫌悪かったら、あ、そう。って思って気にしないから。だって、あの子、すぐ機嫌も直っちゃうし」とのこと。そこで私は、ああそうか、自分が気にしすぎるんだ、神経質になりすぎてるんだ、とあらためて実感。まあ、母親は弟の性格をよく分かっているから、ということもありあますが、確かにいちいち気にしていたら、身が持たない。せめて家族に関してだけでも、性格的に分かっている部分が多いのなら、気にしない気にしない。あと、忘れること。もちろん、第三者や他人に対する気遣いは必要ですが、必要以上に気遣うことも、気にすることも、心配することもないし、早めに解決出来ることは解決して、忘れてしまう。私にとって必要なのは、多分そういうところだろうと、思いました。寛容というか、大らかというか、鈍感力というか、とにかく神経質になりすぎないこと。

 今回の帰省も、気付くことがありました。前回もいろいろとあったのですが、貴重な帰省でした。結構、このブログでも違うきっかけで、同じ事に気付いていることがあるのですが、やっぱり性格ってなかなか直らない。まあ寂しがり屋の部分はは、そのうち東京付近に旦那が転勤してくれば状況も変わるし、神経質の部分は、自分で意識して変えてゆきたい、と思っています。

認知症の症状

 私の東京の実家から、歩いて10分くらいの所に、父方の祖父母が住んでいて、昨日会いに行って来ました。祖父は87歳、祖母は88歳。数年前から、祖父が心臓病やら軽い脳梗塞やらで入退院したり、今年に入ってからは階段から落っこちて腰を打ったり、さらに軽い老人性のうつ症状が出てしまったりと、全面的に祖母が祖父を面倒見ていたというか。一緒に私の父の弟夫婦が住んでいますので、もちろん弟夫婦が祖父母を助けているわけですが、それにしても、若い頃は本当に仕事と夜の外出が多かった祖父が、さすがに87歳にもなって、それは無理ですし、なんと言っても病気をして、さらに腰を打ったり、精神的に落ち込んだりして、家にいることが多くなって、その分の負担が祖母にいろいろとかかっていたわけです。男性は、病気をすると妻に甘えるというか、わがままになるというか。今まで何十年と一緒に暮らしてはきたものの、祖父と祖母は仕事の関係もあったのか、一緒に旅行に行ったり、遊びに行ったり、買い物に行ったりしたことはほとんどなく、いつも別々の友人と旅行に行ってましたし、祖父はとにかく付き合いで外出が多く、祖母はそれを何も言わずに我慢してきた長い年月だったらしいです。(それは実は、孫の私でも分かるくらいの夫婦の関係です。でも夫婦はいろいろな形があるし、なんて思っていましたが)

 しばらく前、そうですね、多分半年くらい前から、どうやら祖母の様子が違ってきたみたいなのです。相変わらず祖父は腰が痛いと言っては、昼間に寝込んでいたりしていましたが、それは歩いてリハビリをした方が良い状態なのに、本人が痛いからクスリを飲んでは寝込んでいたのです。みんなで祖父を歩かせようと声をかけても、ダメだったのです。祖母の方は、それでも祖父の面倒をよく見ていましたし、自分もいろいろと落ち込んだり具合が悪かったり、それこそ祖父のいないところで祖父の悪口を言うくらいの勢いがあったり、時には落ち込んで「長生きはしても良いことがない」みたいな事を言っていたりしたのですが、だんだんと何となく、???という行動や、???という事を言うようになってきました。「あれ?私、今、何してたっけ?」とか、それくらいの事なら88歳ですから年相応の状況でした。と思っていました。ところが、この1ヶ月くらいの間に、急速に祖母の状況が変わってきました。私は先週まで富山の自宅にいて、実家の母親から話を聞いていたので、昨日祖母に会いに行った際には、心の準備は出来ていたつもりでした。

 昨日は夕方、祖母に会いました。玄関を入ると、まず和室に洋服を片づけている様子がありました。何枚か服が出してあって、そのままになっていました。祖母は一人でキッチンにいまして、私に気付いて「いらっしゃい」と言ってから「こっちへどうぞ」と、いつものようにキッチンのテーブルに私を呼んでくれました。しかしその様子は、数ヶ月前に会った時よりも痩せていて、腰が曲がってしまい、何となく視点がぼんやりしている感じでした。お茶を入れてくれて、小豆を煮てお汁粉を作っていたらしく、少し食べさせてくれました。そういう一連の料理や家事に関しては、まだまだ出来るのです。二人でテーブルに付いてから、いろいろと話しました。内容は、子供時代のことから、私達孫のこと、それぞれの家庭のこと、しかし、夫婦のこと、特に祖父母の関係にについての事に話が及ぶと、まるで目がつり上がったような顔つきになって、「私はあの人(祖父)と一緒にいても話すことがない」と言います。どうやら不満をずっと我慢していたらしいので、「ケンカとかしたの?」と聞いても「したことがない」とのこと。「言いたいこと言って、ケンカしちゃえば良かったのに」と私が言うと、「私は口べただから」と祖母は答えました。一時間くらい様々な話をして、「じゃあ帰るね。最後にトイレかしてね」と私が言って、トイレに入っていると、外で「私、何してたのかしら?」と言いながら和室に向かって歩いていく祖母の声が聞こえました。

 どうやら、認知症の初期症状のようです。(もしかして、もう少し進んでしまっているかもしれません)私と話しているときは、昔のことも私の再婚相手のことも、よく覚えているのです。ところが、今さっき自分が何をしていたのか分からない。そして、家族が一番困っているは、祖父に対しての不満が、今になってドーッと出てきてしまっているようなのです。私は見たことがないのですが、祖父が同じ部屋にいると、祖母はものすごい勢いで祖父を怒っているそうです。私との話の中で祖母は、若い頃一人で夜、寂しいときに、家の回りをふらりと歩いていたこともあったと、昨日話していました。もっと、祖父に家にいてほしかったのかもしれません。素直に甘えられる世代ではなかったのでしょうか。性格だったのか。心の中に押しつぶしていた感情が、軽い認知症になった今、一気に出てきてしまったのだと、私は感じています。これから先、祖母がどのような状態になってゆくのか分かりませんが、怒りの感情が和らいでゆくこと、願っていいます。

義母のお手伝い

 義母は仕事をしています。自営業の部類に入ると思います。年末は何かと忙しい時期。先週の木曜、まだ富山の自宅にいる時、夜に電話があり、お客様への年賀状作りをできれば手伝ってほしいとの事でした。最初は電話で何を言っているのかよく分からずに、よくよく聞いてみると、要するに、パソコンに年賀状のソフトは入っているものの、どう使って良いのか分からないから、去年は住所録だけ入力して、プリントアウトをした。裏の内容に関しては、はんこを使ったり自筆で書いたりして何とか終わらせたけど、今年は忙しくて手書きでやっている時間がなさそうだ。そこで、裏のレイアウトなり印刷なりをケロさんに、時間があればやって欲しい、とのことでした。義母は東京、私は富山、どうやってやりとりするのか、しかも電話のあった二日後には私は東京の実家に約10日間帰省して、病院だの何だのと、すでに用事を入れてしまっている。義母は、私が帰省している間に、時間があれば義母の家に来てやってほしい、または、富山と東京間でFAX等使ってレイアウトなど打ち合わせして印刷だけでもして欲しい、みたいな感じでした。

 義母の予定としては、12月25日までには年賀状は出したいらしい。しかも250枚くらい。私は東京に帰省しているのは12月9日くらいまで。その間はとりあえず予定を入れてしまっているから、義母の家に行って手伝うことは出来ないと、はっきり断りました。迷っているより良いと思ったからです。で、富山に戻ってからでも、1週間は時間が欲しいと、義母に言いました。体調を調整したり、家事をしながらの年賀状作りで、しかも自分の家の年賀状もまだですし、私は年賀状作りは、旦那が主に担当でしたので、全くと言っていいほどの初心者でした。最低でも1週間は時間をもらわないと、自信がありませんし、安請け合いして、あとになって出来ませんでした、間に合いませんでした、では義母に迷惑がかかりますから。そうしたら義母は、「何とかするわ!うん、大丈夫、ゴメンなさいね。変なお願いして。大丈夫よ」と、言いました。一応、富山に帰って1週間時間が頂けるなら、何とか出来ると思いますから、その時は連絡くださいね、と言って電話を切りました。

 悩みました。ものすごく。義母が困っているのに、私は東京で、病院通いが終わったら、祖母の様子を見に行ったり、母をショッピングに連れて行ったり、友人と会ったりと、予定を入れています。一つだけ友人との約束をキャンセルすれば義母の家に行けそうなスケジュールでした。私は結局、良い子ちゃんなのか、良い嫁と思われたいのか、一生懸命仕事で頑張っている義母と、外で遊んでいるときにバッタリ会ってしまったらどうしようか、なんて正直、自分の立場もいろいろと考えて、結局、義母と電話を切ってから1時間後には、友人との約束をキャンセルして、義母の家に手伝いに行くことを決めていました。その日の夜は、微熱が出たほどガックリしてしまいましたが。

 今日、その手伝いに、義母の家に行ってきました。でも結局、始めての年賀状ソフトで、パソコンへのインストールも中途半端でしたので、そこから始めたりして、約4時間いましたが、レイアウトを決めるところまでしか出来ませんでした。その合間に、他の事をちょこちょこお手伝いしたりして、肝心な年賀状はあとは私のやり方を見ていた義母が「何とかやってみるから」と言うことでしたので、これから仕事だという義母が車で私の実家まで送ってくれて、お土産も持たせてくれて、終了となりました。これって本当に役にたったのかしら、何だったのかしら、と思わなくもないのですが、とりあえず出来ることはしたと、自分に言い聞かせて、今このブログを書いています。もちろん、疲れました。でも来年からは、11月になったら「今年はいつ行くか」と義母に聞こうと思っています。手伝えることがあるなら、年末の忙しい時期だけでも出来る範囲で手伝うと、自分で決めました。そう思っていれば、心の準備が出来ますから。まあ、役に立ったと思えるくらい、手伝えると良いのですが。

 

眼科に行って一安心

 お昼頃に眼科に行く予定で支度をしながら、何となく怖くなって、「行くのやめちゃおうかな」なんて、思っていました。約2ヶ前に下瞼にバイ菌が入って腫れて、眼科に行った際に、とりあえずその腫れがあるから、ベーチェットの症状が出ているか瞳孔を開いてきちんと調べることが出来ませんでしたので、後日また来ます、ということになっていました。その時に、一つ眼科の先生に言われたのは、眼圧が正常値ではあるけれど21でギリギリだということでした。もしかして緑内障の症状が?という不安もあったのです。それに半年くらいに一度とは言え、眼科にベーチェットの目の症状が出ているかどうか検査しに行くたびに、不安になります。

 でも行かないわけにはいきません。昨夜は電話で旦那にさんざん弱音を吐いてしまいましたが、いつも強気で旦那には、旦那が体調を崩すと「すぐ病院へ行け!!」と言うのに、自分が行かないわけにはいきませんから。気が重いながらも、歩いて20分くらいの眼科に、きちんと30分前に家を出て歩いて行くところが、私らしい・・・・。瞳孔を開くので、その後しばらくは見え方がぼやけてしまうことが分かっていましたから、母親に迎えに来てもらうことにしていました。

 眼科に着いて、診察券を出し、検査の旨を伝えて、名前が呼ばれるのを待って・・・・。視力の検査をしたり、瞳孔を開くクスリを入れたりして、約40分後くらいして、先生にものすご~くしっかりと診て頂きました。器具を使ってしっかりと、それから先生が直接大きな虫眼鏡みたいな物でちょー接近してしっかりと。あまりに近すぎて、終わったときに隣にいた看護師さんに「私、旦那以外でこんなに接近したの、久し振りで緊張した~」と言ったら、「プッ」と笑われてしまいました。先生の診断は、大丈夫、炎症も起こしていないし、炎症を起こした跡もない、きれいな眼をしているとのこと。眼圧も19と、前回より下がっているから、今のところは心配ない、とのことでした。体調によって眼圧も変化するし、今後は半年に一度くらいで定期的に検査していきましょう、ということになりました。本当に、その時、ホッと一安心しました。気が付くと、待合いのイスに母親が座って待っていてくれました。思わず涙ぐんでしまいそうになったのを、ぐっと我慢したのでした。

 視界がボヤ~っとしたまま、母親と歩きながら、お昼ご飯がまだだったので、家の近くにあるいつも行く中国料理店で、ランチをすることにしました。これで私の帰省の第一目的が全て終わりました。ベーチェットの検査が終了しました。血液検査の結果はまだ出ていませんが、とりあえず今のところ体調も大丈夫なので、数値的にもいつも通り、高値安定の様な気がします。明日からは、プライベートなスケジュール。義母の家へ行ったり、祖母の家に行ったり、友人と食事をしたり、祖母の軽い認知症のことで少し参っている母親をデパートに連れ出したり、そうして、あと一週間後に富山の自宅に帰る予定です。自宅では「寂しいよ~」なんて嘘かほんとか分からないけど、一応電話でそう言っている大きな子供(?旦那)が待っています。帰れば帰ったで、また二週間くらいですぐ年末にまた帰省します。何だか一安心した後は、忙しい年末に突入です。

 

薬を減らす相談してみたけど

 今日はベーチェット病の主治医の病院で、定期検診の日。何だか東京も、冬らしく風が冷たく感じる日でした。が、お天気はまあまあ良くて、バスに乗って病院へ向かう途中で、川を渡るのですが、真っ青な空を見ながら、何となく憂鬱な気分でした。どんな症状の場合でも、体調が良くても悪くても、一人で病院へ行く時は、何となく憂鬱なのです。年に一回は旦那が一緒に付いてきてくれますが、その時は自家用車で一緒に行きますから、一人ではない分、話をしたりしながら気がまぎれるのでしょう。あとは母親が付いてくるのは、今までで入院時の時だけなので、そんな時は、体が辛くて憂鬱も何もなく、ただ病院に行くのが目的で、なんとしても早く病院へ着きたい!と言う気持ちです。いつもの定期検診の時が、何となく一人で寂しいのでしょうね。わがままです。

 さて、今日は、思い切ってステロイド薬である、内服中のプレドニンを、一日10㎎から減らすことが出来ないか、という相談を主治医にしてみました。血中のコレステロール値も高く、何となく副作用なのか、ただ重力に負けているのか、顔の頬がふっくら下がっている感じも気になっていましたから。でもやはり、このままの方が良い、とのことでした。他に、ステロイド薬でない、別の薬もあるけれど、その薬は副作用として、不妊になることと、他にもステロイドとは違う副作用が出るようで、使ってみないと症状も今のように治まった状態になるかどうか、分からないとのことなのです。せっかく今は、時々、前回のように白血球が高くなったり、間接痛の数値が正常値より3倍になったり、不安定な時がありますが、症状としては悪化することがありません。副作用も、顔の件、コレステロールの件、その他には目立ってないと思います(もしかしてそれらは副作用ではない可能性もありますし)。だとしたら、他の薬に変えたりする必要性はないのだろうし、時々数値的に安定していないなら、やはりプレドニンの量も、減らさない方が良いのでしょう。先生もそう考えていらっしゃるから、減らさない、このままの量が、私の今の維持量だと判断しているのかな、と思いました。

 まあ、ちょっとガックリしましたが、仕方ないことです。日常生活を、とりあえず普通に送ることが出来るのですから、今のままプレドニンを続けて、また自分が何か考えることがあれば、主治医に相談しようと思い、この件はこれでおしまい。あまりぐずぐず考えていると、「なぜ病気になったのか」と、最初の段階まで戻って考え込んでしまいますから。帰りがけに、大好きなパン屋さんで、いつも買うパンと、他に好きな調理パンも買ったりして、気分転換して帰ってきました。さて、明日は眼科です。一応、前回行った時には、目の下瞼にバイ菌が入って腫れてしまっていて、瞳孔を開いての検査が出来ませんでしたので、明日はしっかりと見て頂こうと思います。

 

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