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新しい知人

 私達の住んでいるマンションの同じ階に、今月の上旬に引越してこられたご夫婦がいます。お隣ではないのに、たまたまお部屋の間が住人がいない部屋だったので、わざわざ私達のところまで挨拶に来てくださいました(奥さんが)。その時に、玄関先でしたが、どこからいらしたか、出身地はどこで、旦那様のお仕事は?、この周辺のスーパーはどこ?とかいろいろと、立ち話でしたが結構しました。その時に、また何かあったら、私はだいたい家にいるので、いつでも来て下さいね~なんて言ったのですが、そうしたら今日の午後、ピンポ~ンと玄関のベルが鳴って、出てみると、その奥さんでした。最初はまた玄関先で、話し始めたのですが、そのうちに様々な話題も出そうだったので、「上がってください」と声をかけて部屋へ上がってもらいました。

 そこからなんと、3時間も二人で話しまくってしまいました。不思議なもので、人というのは、話が合いそうだ、続きそうだ、という雰囲気を感じると、どちらともなく誘って話す機会が出来るものです。うちの実家の母親は「知らない人なのに~?」なんて言いましたが、そんなことを言っていたら、転勤族である私なんかには、知人も友人も出来ません。もちろん、例えば、あまり興味のない宗教を熱心に勧められるとか、商品を熱心に説明されるとか、そういう方はこちらも対応が困りますが、だいたいそういうのは雰囲気で分かります。(と思います)

 今日、3時間くらい話していて、その同じ階の新しく引越してこられた奥さんは、私よりも年上でしたが、子供さんがいないので、状況的にも私と何となく話も合います。日常的な様々な話題から、お互いの旦那のことも、実家のことも、趣味のことも、たくさん話しました。やはり転勤族なので、引越した先々で、閉じこもり(?)になりやすいそうです。確かに、新しい土地では、自分から外に出よう、習い事をしよう、知人友人を作ろう、働いてみよう、という思いが沸いてきて、実際に行動に移すまで時間がかかると思うのです。まずは自分の住んでいる周辺の状況が分かって、日常的にも何となくリズムが出来てきて、心に余裕が出来て、始めて新しい何かに挑戦しようと思うものだと、私は感じます。転勤してすぐに仕事をしなければいけない夫達にしてみれば、「甘いな」なんて思われるかもしれませんが、妻は妻で精神的にも新しい状況に慣れるのに、結構苦心していたりするのです。

 そういう状況で、一番良いのは、近くに知人が出来ること。うちなら同じマンションに知り合いが出来るのが、一番良いのです。それももし気の合う、友達になれそうな方なら、なおさら嬉しい。友人知人を作るのに、相手からのアプローチを待っていたら、中々出来ません。チャンスを逃さず、声をかけてみるときは声をかけてみる。それで、相手から良い返事がなければ、ご縁はなかったのかもしれない、と判断します。(これは習い事で友人を作る際も同じですよね。)まあ、恋の告白と似ているのかもしれません。躊躇していたら、よい人を逃がしてしまうかもしれませんから。どこで出会いがあるか分かりませんよね。今日、たくさん話した奥さんとは、メール交換もして、今度はランチでも行きましょう、ということになりました。今後も良いお付き合いが出来ると嬉しいです。

 

料理が楽しみ!?

 私はブログで何度も書いていますが、家事は苦手です。料理は得意ではありませんし、作らなくて良いなら、作らないでしょう。でも、嫌いではないのです。

 最初の結婚の時に、家事全般何も分からなかった私は、母親からたくさん教わりました。料理もその一つで、教わったレシピは、全てノートに記して、今でもそれを見ながら作っています(見るのがくせになっていて、教わった料理を作るときは、12年たった今でも見ながら作っています。ちなみに昨日も)。さすがに始めは大変でしたが、そのうちに母のレパートリーの料理を作るのは、大丈夫になってきました。そして、だんだん自分でも他の料理に挑戦するようになり、次第に時間がある時には、ケーキだのパンだのも作っていました。これは一回目の結婚生活の時の話。

 離婚して再婚するまでの数年間、実家にいた時には、家事は母親がしていましたので、全く料理もせずに、今の旦那と同居をするようになってから、また再開したのですが、すぐにベーチェット病を発症してしまい、料理もあまり手のかかるものは作っていませんでした。いわゆる、母親から教わったり、以前に自分で覚えた、手早く簡単に出来る料理のレパートリーがほとんどです。ケーキやパンという物は、数度しか作ったことがありません。本当は今なら専業主婦ですから、手間と時間をかけて、美味しい物を作ってあげたい、と思うべきなのでしょうが、なんせ、疲れてしまうのです。あとは、きっと、気持ちの問題かもしれません。気持ちに余裕が出来て、自分が「してみたい」と思ったら、するだろうと考えていました。

 ところが、先日も書きましたが、最近新メニューに挑戦しています!そのきっかけは、NHKのテレビ番組で放送している料理番組のテキストを買ったこと。今までも料理本は大好きで、いろいろと買っていましたが、どうも作る気にならずに、見ていて楽しんでいました。ところが、NHKテキストに載っている料理は、手軽に出来そうな料理がいっぱい!作る時間の目安が書いてあり、だいたい材料準備や始めての時は、表示時間×2と思っていれば良いですから、出来るだけ15分とか20分とかの料理を選んで作っていたら、これがほとんど大成功!この間の日曜に作った「チキンのクリーム煮」は、旦那が大好きなクリーム料理でしたので、「まるでフランス料理店に行ったみたいだー!!」と大感激していました。それを見ている私も、とても嬉しい!短時間で手軽で、これだけ喜んでもらえるなら、作るのが楽しみになります。でも昨日の「サンマの塩焼き」はフライパンで焼くのですが、これは私がサンマをうまく返すことが出来ずに、皮がはがれてしまって残念。サンマ自体は美味しかったのですけどね。

 やっと気持ち的に、「新料理に挑戦してみようか」という気になったようです。良いテキストに出会えたことがきっかけでしたが、せっかくの専業主婦の状況です。これを存分にいかして、やりたいこと、出来ることを、他にもいろいろ挑戦してゆきたいです。ちなみに新料理は、作って成功すると、テキストからその部分を切り取ってレシピノートに貼り付けたり、書いたりしています。ノートにだんだんレシピが増えていくのが楽しみです!!

北陸に冬到来!?

 来ました来ました~北陸にも冬の季節が~。まだまだ本格的な寒さではありませんが、朝晩の気温が10度前後になり、週間天気予報も、ずーっと曇りと雨のオンパレード。これぞ北陸!という気候です。

 こうなってくると、もう衣類の入れ替えや、布団の切り替え、暖房の用意、洗濯物は乾かない、と、することがいっぱい!今日も午前中は寒さに備えて、フリースだのセーターだのと厚手の衣類を押入れの奥から出してきました。疲れました~ さらに旦那のスーツの冬物の用意など、まだまだしなくちゃいけないことはありますが、毎日少しずつしていかないと、一気に疲れが出て、寝込んでしまいます。季節の変わり目に、衣類の入れ替えの疲れがきっかけで、2回入院したことがあります 気をつけなければ。

 北陸は冬になると、本当に毎日お天気がくるくる変ります。今は晴れていてお日様が出ていると思ったら、10分後には曇ってきて、その10分後には雨になったりして。これがほとんど毎日。で、冬本番になると、雨が雪になったり。昨日も義母と電話で話していて、義母はこの時期になると必ず「いやよねえ~、天気によって気分も違うし。晴れが少ないっていうのは、気持ちも落ち込むわわよねえ~」と言います。毎年のことなので、慣れてきたと言えば慣れてきましたので、あらためてそう言われると、「ああそうか、天気が良いと、寒くても気分は良いかもしれないな」なんて思ったりして、ちょっと落ち込みます。義母も心配してくれているのは分かっていますから、気にしなければよいのですが、気候はその地方によって特徴が違うものですから、慣れるしかない。自分としては、「晴れなくて洗濯物が乾かないよ~」くらいの気持ちしか持っていないので、軽く考えよう、と自分で自分を励まします。だって、20代の時に卒業旅行で、2月にパリに行った時だって、3泊したけど、晴れた日がなかったもの。イギリスだって晴れの日が少ないって言うじゃないですか。同じですよねえ~。

 きっと気持ちの持ちようでしょう。何となく今日も朝から(昨日もそうでした)、気分も体力的にもな感じで、その上お天気はもちろん雨時々曇り時々日が差すような、北陸独特の様子。でも午前中から衣類の出し入れをしたり、洗濯したりしていたら、何となくどんよりした気持ちも治ってきました。天気が悪いなら室内で、集中して何かをしたり、好きなことをしたりしているうちに、気分が落ち込んでいるのも忘れてしまうものだなあと、実感しました。さて、これからランチして、シエスタ(お昼寝)して、今夜はサンマを焼いて食べようと思っています。最近、夕食が楽しみ。それについてはまた後日書きます。

接続プランを変えてみた

 約2年前に住んでいた金沢のマンションでは、最初からインターネットのプランは光何とかというやつで、しかも光電話というのも使えました。新築で、その部屋は私達が最初の住人というくらい新しいマンションでしたので、接続プランもそういうものだったのでしょう。何といっても、東京に両親や親戚、友人が主にいますので、NTTさんの光電話と言うのは、料金的にとても家庭経済(?)にやさしく嬉しいプランでした。ところが、富山に引っ越してきて、当たり前のように、その光電話を入れようと思ったら、このマンションは光電話は出来ないとの事、残念ながら普通の電話にしたのです。まあ、それでも、電話料金というのは、10年位前に比べたら、とーってもお安くなっていますから、プラチナ○インなんていうシステムに入って、東京との電話のやりとりをしていました。インターネットについては、光回線が入っていました。

 しかし数ヶ月前くらいからでしょうか。さかんに郵便受けに、NTTさんの広告が入るようになりました。まあ、うちはいいや、なんて思いながら過ごしていたら、10月上旬くらいに電話がかかってきて、「光電話も可能になった」とのこと。これはチャンス!と思い、工事費用など料金を聞きまして、どうやら接続プランを変えて、光電話に加入した方が得だ、ということになり、早速お願いしました。そして、今日、その変更工事を終え、無事に接続プラン変更となりました。

 光電話になって、電話代は安くなるだろうけど、何といっても面倒なのが、パソコンの設定!私もう何度これをしたことか。なんせ、同棲してからすでに、3回は引越ししてますから、その度に自分のパソコンと、旦那のパソコンの設定をしなければなりません。(その上、実家の弟のパソコンの設定もしています)私は元々、機械関係に弱いです。だからもちろんパソコンだって、詳しくないです。しかし、‘本当に感謝だなあ’、と感じているのは、大学を卒業して最初に入った会社で、教わったことです。配属先は役員秘書でした。その際に、前の秘書さんは退職することになっていましたので、引き継いだ形なのですが、まずその方からしっかりと教わったことは、「分からないと投げ出さずに、説明書をきちんと読むこと」「それでも分からなければ、知っている人に相談すること」、それと「メモを必ず取ること」でした。このことを大学卒業後の、まだ社会人として真っ白な状態でしっかりと教わりましたので、その後の私の人生に大きな財産として残ったのです。

 まずは最初に入社した会社で、説明書を読みながら、FAXだの、パソコンだのを、自分で操作する努力をしました。それでも分からなければ、人に任せる前に、自分で聞いて、それでもダメなときに始めて人にお願いする、というようにしつけられたのです。それが、今の自分につながっているのですね。パソコンの接続も、多分、NTTの方にお願いすれば、サービスか有料でして頂けるのも分かっていますが、出来る事なら自分でしないと、後で何かあった時も全く分からない事になります。しかも私達夫婦は転勤族ですから、これからもずーっと、パソコンとの接続関係は続くわけです。旦那は全く出来ません。説明書通り行えば、必ず出来るはずなのに、出来ません。出来ないと思っているのでしょう。苦手な分野であることは間違いないようです。まあ、私が専業主婦で家にいることが多いですから、これは私の仕事だと思って、旦那のパソコンも設定してます。その他もろもろ、NTTさんとの細かい打ち合わせや、料金プランについても私が問い合わせをしています。旦那は仕事をガンガン頑張ってもらって、私は家の関係を受け持つ、という、まるで昔ながらの家庭ですね。それぞれの持ち場で力を発揮しましょうか。

ちなみに、接続プランを変えたら、インターネットへの接続時間も早くなりました。

母ちゃんの逆襲

 私の実家の母親は、もうすぐ70歳に手が届きます。父親は母親よりも4歳年下。まだ60代半ばです。この年頃の両親と言えば、お父さんを立てて、お母さんは三歩下がって、みたいな慣習のようなものがある時代。父も母も生まれも育ちも、東京下町。でも父親は鹿児島の血が入っています。どうしてこういう言い方になるかと言うと、すでに生まれたときには東京で、一度も鹿児島には行った事がないそうなのです。父はちょっとお金があった家の息子だったので、いい洋服を着て、おしゃれで、娘の私から見てもハンサムで、いわゆる昔の日活の映画に出てきそうなタイプ。母は普通の家庭だったようですが、14歳の時に自分の母親を亡くしています。ですから10代の頃から働いて、自分で生きてゆくという、たくましい女性だったようです。その2人が出会って、4歳の年の差と、父の両親の反対を受けながら、長く付き合った末に結婚したわけです。

 母親はチャキチャキしていて、本当に下町のおばちゃんタイプ。しかし、若かりし頃は、父の両親(要するに私の祖父母ですね)に仕え、父に仕え、耐えに耐えた祖父母との同居生活を7年くらいで終了し、祖父母から追い出されるような形で、一家4人(父・母・私・弟)が独立したのです。元々両親が結婚したときには同居していなかったのに、私が4歳くらいから祖父母と同居して失敗したのです。結婚するときも反対されたのに、うまくいくはずがないって。でも父が同居することを決めたらしく、いざ同居してみたら、商売をしていたので忙しい家庭環境でしたから、母はほとんど使用人のように毎日くるくる働いたようです。祖母は厳しい人で、その頃は50代でしたから、まだまだ元気で、祖父も夜遊び、私の父も夜遊び、帰宅はどっちが早いか、みたいな状況にキレまくっていたそうです。そのとばっちりを母親が受けていたのですね。しっかりしていて、たくましい母親も、さすがに同居していた7年の間に、胆のう炎だの、胃腸炎だの、潰瘍だのと、ストレス性の病気をしていました。私、覚えています。でもすでに母の両親は亡くなっていましたから、帰るところがないのですね。私と弟を連れて、母のお兄さんの家に行ったことも、良く覚えています。

 その祖父母と同居していた約7年の間は、私の記憶の中で、母親は影の薄い人でした。父は大変しつけに厳しくて、もう箸の上げ下ろしから、食べ方から、座り方から、何か何まで厳しい。その上、神経質で感情の起伏が激しいので(私、最近似てきてるんだよなあ)、いつも父親の顔色を見ながら、私と弟は生活していました。ささない事でもものすごい勢いで怒られ、ぶったりされても、よほどひどくない限り母親は止めに入ってくれませんでした。で、父は夜になると外出してましたから、父親というのは夜はいないものだと思っていました。夜遊びしながら、商売の話をしていたらしいので、全てが遊びとは言えないまでも、時々家にフィリピンっぽい女性から父宛に電話がかかってきたりしていた、と言うので、まあ遊んでもいたのでしょう。でも母親は、気にする余裕もないほどに、祖父母との同居は毎日忙しく、厳しく、大変だったようです。とにかく祖父母と、父の態度と感情に何とかついてゆく、自分を抑えて従ってゆくのが精一杯だったようです。

 祖父母と別居してからは、母親の存在は大変大きなものでした。喫茶店とスナックを始めて、父親は宅配便を始め、共働きでガンガン働き、ガンガン二人で夜遊びしてました。でも母親は基本的に父親に従っていました。そういう世代の女性なのですね。それが何と、私が察するに、私が離婚して実家に戻ってきたあたりから、母親が父に反抗し始めました。自分の意見を、ケンカになっても言い始めたのです。60代前半くらい。もう我慢しない、言いたいこと言う、と言い始めたのです。これにはびっくり。私と父親がケンカしたりすると、私に加勢するような意見も言ったりしました。そして、昨日、どうやら父親と大ゲンカして、「どうして結婚しちゃったんだろうね!!」と捨てゼリフを言ったそうです。これには父も絶句していたようで、そんなこと多分、今までの人生で一度も口に出したことなかったはずです。

 やっぱ母ちゃんも我慢してたんだな、若かりし頃のうっぷんが徐々に出始めて、まさに噴火したんだな、母ちゃんの逆襲だ、と私は思いました。まあ我慢しすぎるのはよくないので、ほどほどにケンカしてもいいのですが、どうか離婚騒ぎはしないでね、と心の中で思ったのでした。

妄想的家出計画

 私は一ヶ月に一度は多分、家出計画を妄想しています。前回のブログで、「うちの旦那はだんだんと変ってきた、自分達が良ければ(周囲がどう思おうと)それで良いのだ」なんて、いかにも理解のある、優しい旦那、みたいな感じで書きましたが、これはちょっと違うのですねえ。

 人間、みんな、それぞれ、欠点があります。私なんか欠点だらけ。そんな私と結婚したのですから、うちの旦那はすごいとは思うのですが、うちの旦那みたいな人と結婚した私も、すごいなあと自分で思うのです。嫁ぎ先の両親に言わせると、「相互救助したみたいなものだ」、とでも言うのでしょうか。(嫁ぎ先の両親は私のこと、結構可愛がってくれていると思っています。その分、言うこともオブラートには包みませんけど。私も言いたいこと言ってますけど)

 旦那はとにかく、感情の起伏が激しい。仕事中はそれほどでもないと思うのですが、家では同棲した3年半前当時から、そうでした。一度大ゲンカしているところを、うちの実家の母親が見たのですが、後で私に「あんた、あの人で本当に良いの?」みたいなことを言いました。それくらい激しい物の言いようです。当初は私も耐えていたのですが、病気を発症してから、耐えるのがストレスになると自分で気付いて、言いたいことは言うようになりました。そうしたらもう、私は旦那に、一年中文句の言いっぱなし。これは自分でもイヤになり、あきらめたり、見ない振りしたり、後で自分がやったりするように努力している最中です。文句を言っている自分が、イヤになるのです。その文句と言うのは、たいてい、旦那の日常生活ですから。出した物は出しっぱなし、使ったら使いっぱなし、食事はテレビ見ながらでポロポロこぼすのは当たり前、人の話など上の空で自分のしたいことをする(パソコン、雑誌、小説、好きなことを何時間でも)、トイレやお風呂に雑誌を持ち込んで読んでいる(待ってるのよ、こっちは)、お風呂を出たら体もろくに拭かずに居間を歩き出す(びちゃびちゃよ、居間が)。何度、結婚についてもっと考えれば良かったと、思ったことか。これじゃ、子供よりひどい。でもこのくらいのことでしたら、文句を言っていたって、彼はほとんど何も感じないはずです。だって、同じ事を、もっと強く注意されながら育ってきたのですから。(義母がいまだに注意してます。私よりも、激しく)

 私が、「もう耐えられない、家出してやる。」といつも考えるのは、たいてい精神的なこと。先日も書きましたが、昨日も実は、土曜で夜更かしをしようと思いながらも、何だか疲れてしまって、夜の11時半過ぎに「ベッドに行くね」、と旦那に告げると、「体調悪いの!?なんで早く言わないの!」とものすごく強く文句を言う始末。昨日は土曜にも関わらず、どうしても付いて来てくれというから、旦那の皮膚科へ行くのに同行して、診察室まで入って先生に一緒に症状を話して・・・とお母さんですよ、まるで。その後、回転寿司を食べに行ったりして、疲れたんですよ、はっきり言って。でも旦那は、居間に一人で残されるのが寂しいもんだから文句を言う。私は半ばあきらめと、これで体調が悪くなったら入院してやる、という覚悟で、12時半まで居間で小説を読んでいました。それから旦那の文句たらたらを耐えながら、ベッドに入って考えました。「絶対明日、家出してやる。もう我慢できない。どうして寝たいときに寝られないんだ。あんたは土日の昼間、一人でだって昼寝してるじゃないか。」と。夜って不思議ですよね。私、ものすごい、悲劇のヒロイン。「持ってるお金を使って、実家に帰るのじゃなく、どこか、横浜とかのホテルに泊まったり、昔の友人のところに行ったりして、携帯は新規で契約して、好きなことして、最後はのたれ死んでやる」と考える訳です。これだいたい、月に一度は考えてますね。

 しかし不思議なことに、朝になるといつも通り、パンを焼いて、コーヒー沸かして、2人で食べてる。とりあえず、寝たら怒りがおさまったから、ま、いいか、なんて思ってたら、旦那が風邪っぽい。気温が急に涼しくなってきたから、恒例の鼻炎が始まったのか、自分が体調悪そう。ふふふ、私をいじめるからだ・・・ふふふ・・・。と思いながらこのブログを書いているのでした。

萩原流行さんの「うつ」のお話

 今日の午前中、10時ちょっと前からのテレビの情報番組で、俳優の萩原流行さんが出演されていて、ご夫婦とも「うつ」病にかかってしまったお話をされていました。萩原さんの「うつ」についてのお話は、奥様と一緒に出演された他の番組も見ていましたので知っていたのですが、あらためて聞いてみて、はっきりと気付いたことがありました。

 萩原さんご夫婦はお子さんがおらず、最初に奥様がうつ病になり、原因としては、旦那様の仕事からの帰りを(遅いときが続いても)一人で待っていたこと、などがあげられていました。一人での時間が多かったのでしょう。私もそうですから、ものすごく気持ちが分かるような気がします。数年かけて奥様はだんだんと症状が落ち着かれた頃に、今度は旦那様である萩原さんもうつ病になっていた、ということでした。自分がうつになって始めて、うつの辛さが分かった、とも話されていたと思います。

 多分、番組のコーナーとしては、15分あったかどうかくらいの短さだったとは思いますが、私は何度も萩原さんのお話をテレビで聞いたことがあり、その度に気付くことがあるのですよね。今回は、「そうか、自分達がこうで良いと思ったら、それで良いんだ」ということでした。萩原さんの話では、奥様がうつになってから、帰宅したときに「夕食がつくれなかった」と言われても、それは病気の影響で出来ないわけだから了承していた、みたいな感じだったのです。「うつ」の症状は、家事もする気力がなくなりますから、それを「なまけている」と思われるのが、一番イヤなのです。私がそうです。「うつ」気味でないときでも、ベーチェットの症状なのかどうか分かりませんが、だるくて家事をしたくない時や、朝起きるのが辛い時などあるのです。そんな時に自分で「これは、なまけているんだ。これじゃいけない。主婦業しかしていないのに、家事も出来ないし、朝も起きて旦那を見送れないなんて」と、自分で自分を責めるのです。でも、最近旦那に、「毎週金曜のフラメンコの練習日には、朝は一緒に起きなくても良いから」と言われて、それに甘えていたら、いつもより長く眠れるわけですから、体力的にも精神的にも何だか楽なのです。今日もそうでした。旦那は自分で支度して、出掛ける時に「行ってくるね」と寝ている私に声をかけて出社していきます。私はその後ゆっくり起きて、今日も朝の萩原さんの番組を見たのでした。

 旦那は最初、まだ私が病気を発症する前には、共働きの状態での同棲でも、夕食は手作りが良いとか、いろいろと言っていましたが、病気になって、だんだんと症状が悪化してくるにしたがって、変ってきました。最初は、同棲でも結婚後も共働き、という話が、仕事はしなくて良い、手作りの夕食も出来るときで良い、掃除も出来るときで良い、さらにフラメンコの練習日は朝寝ていて良い、になったです。これは3年以上かけて、このような状況になったのですが、これに慣れるのに私が中々大変でした。仕事は出来ない、と思いましたが、夕食や掃除は、専業主婦なんだからやらなくちゃ、という自分の掟、みたいなものにとらわれていました。多分、「周囲の目」みたいなものにも、とらわれていたのでしょう。こんなことを義母に知られたらなんて言われるか、みたいな。でも今日の萩原さんの話を聞いていて、自分達夫婦が良いなら良いのだ、と感じました。お互いの体調を思いあって、出来ないときは出来ない、と甘えてしまって良いのだと、あらためて思ったのです。旦那がそういう私でも良いなら、良いのです。私自身もそれが楽なら、そうして甘えさせてもらってもいいのではないかと、やっと思えるようになってきました。ただ、あまりにも家事をやらないと、私の場合は逆に「うつ」になってしまうときがあるので、これは気をつけようと思っています。

 

専業主婦だけど

 私は専業主婦です。ベーチェット病という病気を持っていますが、ステロイド薬であるプレドニンを毎日10㎎飲んで、日常生活を送ることが出来ています。プレドニンを飲む前は対処療法で、発症してから1年半で5回の入退院を繰り返しました。出来ればステロイド薬は飲まないで過ごしていきたかったのですが、結局無理でした。飲み始めたら、症状が落ち着いてきて、現在、最後の入院からもうすぐ2年が経ちます。その間に、「うつ」気味になったり、毎月女性の生理にともなって症状がアップしたりダウンしたりと、体調は波がありますが、専業主婦という状態になり、何とかコントロール出来るようになってきました。

 さて、「専業主婦」という立場は、今までの人生の中で、一回目の結婚の時(私、バツ1です)、半年くらいありました。しかしその時は、その間に運転免許を取得したり、始めての結婚で料理に奮闘したり、嫁ぎ先が長野県でしたので(私、生まれも育ちも東京下町です)、初めての土地での地域探検(?)したりしている間に、だんだんと時間をもてあますようになって、バイトを始めました。それから仕事をしながらの主婦業両立で、最後の方はバイトだった仕事が本業か、主婦が本業か分からないくらいの忙しさでした。

 離婚して東京の実家に戻ってからは、主婦業は母親がしていましたので、私はしませんでした。バイトをしたり遊んだり、そのうちにフルタイムの派遣社員をしたりしているうちに、今の旦那と同棲することになり、同棲して2ヶ月で病気を発症しました。30代半ばです。ちょうど女性が体調を崩しやすいと言うか、体の調子が何となく変化する年頃です。同棲10ヶ月で旦那が転職し、いきなり転勤となり、一度別居して、その4ヵ月後に私が仕事をやめて旦那のいる金沢に引っ越して、結婚という形になりました。それから今まで「専業主婦」です。約2年半。

 「専業主婦」って、昼間何してるの?みたいなことを前に聞かれたことがあるような気がします。長野も富山も、結構、夫婦共働き率が高いです。しかし、最近思うのですが、専業主婦も中々忙しかったりします。私達夫婦は子供もいないので、余計に時間があるはずなのに何してるのか?と思われるようですが、主婦業は始めたらキリがないし、不思議なことに忙しい頃には、手のかからない旦那だったのに(一度目)、こうして時間の作れる専業主婦の時の旦那は(二度目)、ものすごーく手がかかる。さらに私の実家の母親の相談やグチを電話で聞いたり(母の年齢がもう70歳近いですから)、お互いの実家の定例行事やらお祝い事やらを計画・実行したり、旦那が8歳年下なので、女性関係が気になったり、何だか精神的に忙しいことが多くなりました。また、私は毎日の昼寝(最近私は昼寝を「シエスタ」と言っていますが)をしないと体調が安定しませんので、毎日時間的にも結構忙しかったりします。だから、週に一度は自分の自由な日、を決めて過ごすようにしています。ちなみに、土日は主婦にとって、あまり「休み」とは言えません。旦那がいますから、それなりに家事をしますので。

 そんなこんなで、今日も忙しかったので、専業主婦について書いてみました。専業主婦もそれなりに忙しい・・・。

金沢の友人宅へ

 昨日は、金沢に住んでいた時に、同じマンションにいて友達になったお宅に、遊びに行って来ました。実は、彼女の旦那様が、九州に転勤になり、今度の11月上旬の三連休で引越ししてしまうのです。ですから金沢の友達として、マンションにお邪魔したり会いに行ったりするのは、今回が最後となりました。

 実は前日の夜から、何となくそわそわ。午前10時過ぎの金沢行きのバスで、富山から行く予定で、乗車している時間は1時間ほど。以前住んでいた土地ですし、何度も行っているけれども、「金沢」って響きが、どうも何かワクワク感というか、旅行的な気分を連想させるのでしょうか。旦那を朝、仕事に送り出してから、ドタバタと支度して、バス停まで歩いて約15分(男性なら間違いなく10分)。5分遅れくらいで到着した金沢行きバスには、結構お客様が乗車していてびっくり!平日の火曜日なのに、皆で金沢?と不思議な感じでした。しかもおば様方が多く、バス内はワイワイと楽しそうな雰囲気。あっという間に金沢駅に到着しました。

 駅まで車で迎えに来ていてくれた友人は、2歳になる男の子の息子さんと一緒。3人で彼女のお勧めのお店で、まずはランチ。とっても人気があるお店のようで、お昼前に入りましたが(予約していてくれたおかげで私達は大丈夫でしたが)、12時頃にはもう店内お客様いっぱい。それでもゆったりとした空間で、座敷とテーブル席とあり、ランチメニューは限定食があって、和風ランチがレンコンのハンバーグ、洋風がサンマとホタテのソテーと、めずらしいメニューでしたので、洋風を2人で頼みました。サンマとホタテをトマトソースでソテーしてあって、美味しかった。サンマって、焼くだけじゃないのね、と感心してしまいました。2歳になる息子さんは、お魚大好きらしくて、もう骨だけになっているサンマを食べたがっている姿にびっくり!私は骨取りが苦手で、いつもはお父さんか旦那に取ってもらって食べていますが、さすがに昨日は、彼女が背骨を取りながら食べているのを横目でちらちら見ながら、真似して食べました。

 ランチ後は、彼女のマンションへお邪魔しました。以前、私達夫婦も住んでいたマンションです。部屋の中には段ボール箱が置いてあって、「ああ、引っ越しちゃうんだな」とあらためて思ってしまいました。彼女の部屋で何時間話しても飽きずに、何だか時間が過ぎるのも早くて、これでしばらくは会えないと思うと残念で、予定時間より一時間も長くお邪魔していました。彼女とは、私が富山に引っ越してからの方が会っていますが、とても波長が合うというか、感覚が合うのか、私よりも年下なのにしっかりしていて、よく話を聞いてくれますし、お互いに家庭のことなども話しました。転勤族ですから、いつかはどちらかが先に、北陸から引っ越してしまうとは思っていましたが、やはりその時が来ると、残念でなりません。そりゃあ、どこにいても会おうと思えば会えるのは分かっています。でもやはり、九州と北陸では、中々今までのように、半年に一度、というペースでは会えないでしょう。ただ今後、うちの旦那が九州に転勤になったり、お互いの旦那が東京に転勤になったりすると、また会いやすくなるのですよね。どこかでまた近くになれる可能性はありますから、これが最後ではないから、絶対泣かない、と思っていました。旦那にも、朝、「泣くなよ」と言われていました。

 ですが、最後に、彼女が息子さんと駅まで送ってくれた時に、「ケロさん、握手!」と言われて、一気に目がウルウルしてしまいました。その後に息子さんとも「ばいばい」して、もう胸の中は涙でいっぱい。でも流れないように我慢しました。笑顔で、次に会うのを楽しみにしたかったから。

 距離は遠く離れても、友達です。どこかでまた、会おうと思えば、必ず会えます。私はそう信じて、今までも生活してきました。だから、長野にも沖縄にも、今度は九州にも友達がいます。嬉しい事です。これから引越しで大変だとは思いますが、彼女の家族の皆の健康と幸せを、いつも祈っています。

 

眠い秋

 読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、いろいろな秋の過ごし方がありますよね。秋って、それだけ気候的に安定していて、過ごしやすいのかもしれません。私はもともと四季の中で秋が一番好きでしたが、北陸に来て、この秋の素晴らしさを実感しています。

 とにかく北陸は、冬の時期に入ったら、もう毎日ほとんど曇り空。雨や雪もあります。だからこそ、秋の紅葉、ちょっとした街路樹の紅葉ですら、「あ、紅葉し始めたね」なんて旦那と話します。それから、先日も書いたように、夏から秋は大変天気が良いときが多いので、洗濯日和が続いたりして、大きな洗濯物を、どんどん洗いたくなります。昨日一昨日の土日も、とても良いお天気で、行楽日和でしたから、外出された方も多いと思います。うちは、夫婦共に、土曜が実質的に完全休養日ですから、天気が良かったにも関わらず、昼間は家の中でだらだら二時間ドラマを見たりしていましたが、久しぶりに夜、スーパー銭湯に行ってきました。

 富山にも温泉はありますが、私達が住んでいる場所の近くには、多分ないのでしょう。行くときは近くの、スーパー銭湯です。しかも半年振りくらいでした。なんせ冬は寒いので、だからこそ銭湯、とも思えるのですが、お風呂に入って帰ってくるまでの間に寒さで風邪を引いてもいけませんから、中々行く気になれません。一昨日の土曜は天気が良くて、気温も24度くらいまでありましたから、夜になってもさほど気温も下がらないだろうと考え、久しぶりに疲れを癒しに行ってきました。しかし、温泉も銭湯も、時には疲れが、ドーっと出るときがあるのですよね。一昨日は、それが出てしまいました。

 銭湯から帰ってきて、いい気分で旦那と2人で、クリームチーズにクラッカー、白ワインをグレープフルーツジュースで割ったカクテルもどきで楽しんでいましたら、だんだん眠くなってきた。その後、旦那が借りてきたDVDを見ていたら、疲れがドーっと出てきた。しかも眠い。午後11時が限界で、「もうベッドにいくね」と言うと、旦那はなぜか怒り出す。「具合が悪いなら銭湯へ行かなきゃよかったじゃないか!」と。そうじゃない、と言っても聞きませんし、それよりも眠いしだるい。ベッドに横になって小説を読んでいるうちに寝てしまいました。(昨日、旦那は白状しました。怒ったのは、一人残されて、寂しかったからだそうです)

 土曜の夜から日曜の朝にかけて、寝た寝た。睡眠10時間(それほどでもないか)。しかも眠りが深い。具合が悪いとかでなく、今年の秋は、なぜか眠い。10月に入っても、富山の気温が平年の平均気温に比べて、3度くらい高くて、過ごしやすく心地よいのかもしれません。過ごしやすいから、いろいろ動いてしまうから、週末に疲れが出るのかもしれませんが、私としてはかなり充実した毎日。でも今朝もかなり眠かった。読書もしている、習い事もしている、食欲もあるけどセーブしている、でも私にとっての今年の秋は、「眠い秋」。なんでこんなに眠いのでしょう。

鬼平犯科帳を見て

 一昨日の金曜夜、テレビで放送された「鬼平犯科帳」を見て、「やっぱ、鬼平は良いよねえ~」なんて、独り言を言っていました。

 池波正太郎さんの時代小説は、全部ではありませんが、いろいろと読んでいます。一番最初に読んだのが、「鬼平犯科帳」でした。大学時代の友人に借りて、一気に5冊くらい。その後、実は鬼平の原作を読んでいません。だから私は、鬼平の物語を全て知っているわけではないので、連続ドラマでテレビ放送していた時や、再放送の時などは、結構見ていました。鬼平の他に「剣客商売」や一冊だけの物語、「仕掛人・藤枝梅安」シリーズなど、多分、シリーズ物で最後まで読んだのは「藤枝梅安」です。これは入院中に、義母が義父の持っていた本を貸してくれたので、最後まで読んだのですが、実は「梅安」シリーズは途中で池波さんが亡くなってしまったので、本当に途中で終わっているのですよね。残念です。

 さて、「鬼平犯科帳」については、私がテレビドラマとして見ているのは、今の中村吉右衛門さんのシリーズです。(お父様である八代目・松本幸四郎さんをモデルにして、主人公である長谷川平蔵を書いた、と言われていますよね)実は、私の実家の父親が鬼平のドラマが大好きで、いつか全作のDVDをプレゼントしなたいなあ、と思っています。父は、もう10年くらい前に亡くなった叔父が肝硬変で入院中に、鬼平のマンガ本(すでに叔父の体調は厳しい状況でしたので、文字を追うよりもマンガのほうが読みやすいと判断したらしいです)を持っていくと、叔父は「これ、面白いらしいなあ。」と言って、喜んだそうです。亡くなった時に、棺の中に父が持っていった鬼平のマンガ本も、一緒に納められていたそうです。でもうちの父は、あえてマンガも原作も読まずに、なぜかテレビドラマの鬼平を、好んで見ています。私の時代小説好きは、父親の影響なのですが、鬼平は私の方が原作を読んでいますね。(と胸をはって言えるほど、読んでいませんが)

 あの何とも言えない、人間味あふれるストーリー、決してハッピーエンドには終わらない物語もある、まるで実話でもありそうな話が、たまらなく良いのです。私は年を重ねるにしたがって、ハッピーエンドが好きになりましたが、なぜか時代小説に関しては、どちらでもいいような気がします。時代劇は、私のイメージの中で、哀愁的な感覚のジャンルなのかもしれません(まあ、水戸黄門はおいといて)。一昨日の鬼平のドラマは、やはりせつない物語でした。いつものメンバーに加えて、余貴美子さんが演じた引き込み役は、本当に上手でした。余さんは大変演技が上手だということは、世間の皆さんがよくご存知だとは思いますが、時代劇でもOKで、あれだけ薄幸の女性役がうまい方も中々いないと思います。表情がたまらなく良い!

 それにしても、噂によると鬼平犯科帳はすでに、原作がない状態(ドラマ化されている)と聞いたことがあります。でもこれからも見たいので、年に二回の特番でもいいですから、古くドラマ化した原作を、新しいキャストで(すでにしていると言う噂もありますが)、続けてほしいと願っています。鬼平を見ている時間は、まるで自分もその時代にタイムスリップしていたような、夢の中にいたような、そんな感覚でした。(ちなみに、池波正太郎さんの出身地は、私の実家の近くです)

初カキフライ!

 昨日、結婚生活初の「カキフライ」を揚げました!!と言っても、一回目の結婚でカキフライは何度か作っていましたけど、二回目の結婚生活では、初カキフライでした。

 今、住んでいるのが富山。昨日はデパートで、フライ用のカキを2パック買ってきました。しかも「能登」でとれたカキです。嬉しかった~。能登カキのフライを、今の(?)旦那に食べさせてあげることが出来るなんて、もしかして私って、こんなことでも嬉しいなんて、ちょっと幸せかも。

 実は、ベーチェット病を発症してから、疲れやすくなり、中々時間のかかる、手間のかかる料理を、旦那に作ることが出来ていませんでした。揚げ物は私も大好きですが、コレステロール値が高いので、すすんで食べることが少ないのと、平日の旦那の帰宅時間が遅いので、作ることが少ないのです。で、揚げ物に関しては、揚げ始めたらその場から離れることは出来ませんよね。うちは2人家族なのに、量が多くて、天ぷらにしても、カツにしても、4人分くらい揚げます。1時間くらいかかるでしょうか(私が下手なので、時間がかかるのでしょう)。その他、サラダだの汁物だの作っていると、ヘトヘトになってしまうので、中々作れないのです。しかも、旦那は温かいのが好きなので(もちろん皆さんそうでしょうが)、どうせ作るなら揚げたてを食べさせてあげたいですから、これまで揚げ物を作ったのは、同居生活を始めて約3年半で6回位だったでしょうか。まさに数えられる位です。

 それが、何と、昨日は違うメニューを考えていたのですが、午後6時くらいに電話がきて「今日は早く帰れるよ」と言うじゃないですか。本当は日曜日にでも作ろうと思っていた「カキフライ」を、急遽昨日作ったのです。カキだけでは飽きてしまうだろうと、串カツも作って、予定よりも早く帰って来た旦那を待たせておいて、さあ!揚げたてをどうぞ~!と二人で夕食となりました。旦那は一口、カキフライを口に運ぶと、「おいしい~」と喜んでくれました。普段は日常生活において、何かと問題のある(?)旦那ですが、私が作った物を喜んで、たれ目をさらにたれさせて「おいしい~」と笑顔で食べてくれる姿を見ると、「ああ~作って良かったあ~。」と、他のことは置いといて、嬉しくなるものです。しかし、作っている間も、2パック買った「カキ」の量の多さに、揚げている最中に飽きてきたくらいですから、2人で食べられる量ではありませんでした。「うう、もう無理」と2人で言いながら、食べすぎなほど、美味しい能登カキのフライを食べたのでした。

離婚後の心情

 夕方、テレビをつけてみたら、ニュース番組の中の芸能コーナーで、落語家の小朝さんと離婚した泰葉さんが、ご自分のブログでいろいろと小朝さんについて書いている、という情報を放送していました。もうそろそろ離婚して一年になるようで、私の印象では、離婚会見も一緒にしたり、その後もテレビ番組に出ては、小朝さんのことを良い風に言っていたことのほうが多かった気がするのですが、ここ最近は随分と過激発言があるようです。

 今日のテレビでも、泰葉さんがご自分のブログで、小朝さんは20年間、泰葉さんの母親である海老名香葉子さんのことを「ゲロ」と呼んでいた、なんて書いたそうで、それがクローズアップされていました。このブログを書くにあたって、泰葉さんのブログを見させて頂いたら、確かにその記事もありましたし、小朝さんのことを書いた記事もありましたが、どうも他の話題の記事のほうが多いのと、過激な言葉遣い&他人には良く分からない内容が多い気がしました。泰葉さんのファンの方は、きっと毎日楽しみに見ているのでしょう。

 私は泰葉さんについては良く知りません。ヒットした曲を聞いた覚えがあり、先日テレビ番組で震えながら熱唱している姿を見て、「上手だなあ、離婚についての話題はもうなしにして、歌で頑張れば良いのに」なんて、生意気にも思ってしまいました。普通の人でも「離婚」というのは、どんな理由にせよ、ものすごいショックが後からきて、後になればなるほど、傷がうずくものだと、私は実感しています。自分も離婚後の心の痛手は、6年経った今くらいでやっと癒えてきたかな、と言う感じです。その6年は私の最初の結婚生活の年数です。同じくらいの年数、もしくは例えば泰葉さんなら半分の10年くらいはかかるような気もします。仕事があれば、それに追われて癒えるのも早いかもしれません。

 最初は納得して離婚しても、後から「何で?どうして?」と思うことが、必ず出てくるのだと思うのです。それがずーっとずーっと続いたりして、そうすると、精神的に感情のコントロールが難しくなったりします。第三者の方、カウンセリングなど受けるのも、一つの方法ですよね。私も受けました。それでも後から後から、離婚の原因について浮かんでくるのです。もう離婚しちゃってるのに。まだ離婚の話し合いの最中の方が、今考えると精神的には楽でした。離婚後は、まるで自分の中にあったものが、ぽこっとなくなってしまったようでした。これは多分、自分が相手を嫌いになって別れた人でも、日常生活を共にした年数が長ければ長いほど、この空虚感とでもいうのでしょうか、それは強いと思います。

 泰葉さんはまだ、心の整理がついていないのではないかと、今日のテレビを見ていて思いました。あんなに歌が上手で、才能があり、芸能一家の方なので、今後のご活躍を期待しています。結構、バツって、仲間意識があったりしますから、離婚経験者の方が頑張っている姿を見ると、「私も頑張るぞ~」なんて、元気がもらえます。特に、杉本彩さんみたいに、セクシーな女性を見ると、「よし!」なんて勇気が沸いてきます。私も自分磨きをするぞ~、みたいな。

ポカン口は口輪筋の衰え?

 以前、ブログで「寝いている時に口が開く」ということを書きました。これは、本当は良いことではないのですよね。それは知っていました。だって、いわゆる「ポカン口」は、特に寝ている時など、口の中も乾燥するし、細菌などが入りやすいとか、聞いたことがありました。私はベーチェット病でも、特に喉と鼻の症状が激しく出るので、鼻から喉にかけての乾燥と、扁桃腺を守るためにも、口中の乾燥は避けたく、冬の暖房を使う時期は必ずマスクをするくらいです。

 先日、東京の実家に帰省して、歯医者に行った際に(もう5年くらい通っている歯医者さんで、先生は私と同じ年齢)、その話をしました。先生は私の病気を知っていて、学会などで情報を得ると、私にアドバイスしてくれたり、関連の本を貸してくれたりします。扁桃腺が腫れるとか、鼻から喉の症状が悪化する話をしましたら、「ポカン口」になっていないかと、聞かれました。普段はならないけど、どうも寝ているときに口を開けているらしい、と話すと、口周りの筋肉を測ってみよう、と計測器を出してきました。それは、マウスピースみたいな物にバネが付いていて、口でマウスピースを挟んでグッと力をいれてバネが付いている先の器具を引張るのです。それでどこまで引張れるかで、口の周りの力が分かるらしく、精一杯頑張った私の記録は、平均で16なのに対して、10しかありませんでした。ショックでした。要するに、普段、話したり表情を動かしたりしている人は、平均までいくらしいのですが、私は以前、コミュニティFMでアナウンサーをしていたにも関わらず、病気を発症してから、喉の症状のため、主治医から「話す」仕事はやめたほうがいいと言われましたので、とりあえず結婚して北陸にきてからは体調の調整もかねて仕事はしていません。でも一応、今でもフリーアナウンサー(?)のつもりでいるのです。それなのに、口周りの筋肉が弱っているなんて・・・・。やっぱりいつも基本的にひとりですから、話すこともあまりありません。口周りの筋肉「口輪筋」が、弱ってしまったのですね。

 どうも「口輪筋」が弱ると、「ポカン口」になりやすいようなのです。そこで、歯医者の先生から渡されたのがこの本

オーラル宝田メソッド―10歳きれい!10年後もきれい! Book オーラル宝田メソッド―10歳きれい!10年後もきれい!

著者:宝田 恭子
販売元:朝日新聞社
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 この方、有名な方ですよねえ。テレビで何回か見ましたし、その際に、ものすごい顔して顔の筋肉のトレーニングをするのも見たような気がします。本を開いてみると、やはりそう!こんな顔、一人の時とか、結婚何年目の夫婦の間でしか見せられないような、顔になるトーレーニング。でも、それを続けると、口輪筋が鍛えられて、「ポカン口」も治り、寝ているときの口内の乾燥も良くなり・・・・、さらに、顔の表情筋が鍛えられるので、ほうれい線だの、たるみだのにも良いのだそう。そりゃあ、毎日少しずつでもやっちゃいますよ~。すごい顔でも~。実際に効果が出るのはまだまだ先だとは思いますが、気がついたときに家の中でするようにしています。

 そんな話を帰省中に会った、30年来の親友に話したら、「あんた子供の頃から、口開いて寝てたけどねえ」と言われて、あれ?私、口輪筋鍛えて、本当に「ポカン口」治るのかしら?と、ちょっと不安になったのでした。

念願のカーテン洗濯!

 確か春頃から、カーテンを洗濯したい!とブログにも書いていたと思いますが、カーテンの洗濯って、天気とか、タイミングとか、体調とか、いろいろと条件がありまして、出来ていませんでした。まあ、旦那がタバコを吸わなくなった分、きっと汚れも違うとは思いましたが、それでも気になっていたのです。それが、今日、やっと念願かなって、カーテンの洗濯をすることが出来ました!!

 最近のカーテンは、自宅で洗濯出来るような物がたくさんあり、本当に便利になりました。一回目の結婚の時には、そんなこと知りませんでしたし、カーテンの洗濯なんて考えたこともなかったので、いざ洗濯をしようと思ってしてみたら、なんと縮んでしまったのです。そのカーテンは自宅洗濯は出来なくて、クリーニングのみだったのです。しかも、長野県での生活で冬は寒くて仕方なかったのに、知らなかったので、レースのカーテンと、厚手の物は白と紺のチェック柄の普通のカーテンを買ってしまっていました。カーテンの洗濯に失敗してから、いろいろと研究してみたら、冬でも夏でも遮光カーテンの厚手で洗濯機OKの物が便利なことが分かりました。(遮光のほうが光をあまり通さない分、冷気や暖気もあまり通さないと思います)

 そんな経験から、二回目の結婚生活(正確には、まず同棲でしたが)は東京でしたが、カーテンは遮光で、洗濯機OKの物を、長さを床ぴったりにしてオーダーしました。最近はカーテンのフックもプラスチックのアジャスターで、5センチくらいは上下の長さが調節可能ですし、厚手のカーテンの方は床に引きずる位の長さのほうが、冬は冷気が入ってきません。これが大成功でした。だってまさか、旦那が転職して転勤で、冬は雪の降る寒い富山県に行くことになるとは思いませんでしたから。

 今日の富山市は、曇り空。カーテンの洗濯にはどうだろう?と昨日から考えていましたが、実は昨日、休日だったにも関わらず、旦那は仕事で家にいませんでしたから掃除をしました。さらにここ数日は天気がとても良く、空気も乾燥しています。部屋が綺麗な状態でないと、カーテンを床に置いたり、洗ったカーテンにフックをつけたりするのに、ほこりがついてしまいます。今日は掃除後の綺麗な部屋でしたし、曇りでも風があり、体調も良いほうです。朝起きて「今日、洗濯しよう!」と決めました。いざ、始めると、やはりちょっと大変。うちのマンションの窓枠は、冷気が逃げにない用になのか、上のところに木の枠がついていて、カーテンを外すのもつけるのも、ちょっと一苦労。始めてみて、そうだった、と思い出しました。でも無事、レースも厚手も二部屋分、カーテン2セット洗濯完了!洗濯後は私はそのままカーテンを窓にかけてしまい、自然乾燥しますので、今は部屋中に洗濯後の良い香りが漂っています。やっぱりさわやかな感じで、嬉しい!!これで天気が良ければ、もっと良かったのですが。

新メニューに挑戦!

 ここ一週間くらいで、新メニュー2作、挑戦しました!どれも簡単で、ヘルシー。この間の病院での検査結果が、いつも通り数値的には高値で、しかもコレステロールが今までの検査の中で一番高かったのが気がかりでした。主治医は、悪玉コレステロールが一応正常値ギリギリだから、あまり気にすることはないと、めずらしく優しい物言いだったのが、余計に何となく気になりまして・・・。まあ、どうしてもステロイド薬を内服していると、コレステロール値は上がるらしいのですが、やはりショックですよね。だって、280超えましたから。

 そういうわけもあり、また新作のメニューを試してみたい、と常々思っていましたので、ちょうど良かったのです。東京の実家から富山の自宅に戻り、一週間で2つ作ってみました。これが、2つとも旦那に好評!もちろん、本を参考にしての料理です。

 料理本を読むのが大好きで、雑誌もいろいろと買っては読んでいますが、中々作るところまでいきつけません。読んで満足してしまします。まだ若かった頃は、時間もないのにパンだのケーキだの、お菓子作りに挑戦したりして、それがストレス発散にもつながっていたようですが、今は体力的に、長時間立って料理するのが辛いこともあって、旦那にお菓子やら新作料理を作ることが出来ませんでした。それが、たまたまテレビで目にした、NHKの料理番組で、これなら作れそう!と思い、早速テキストを書店で購入。試してみたら、自分でも「美味しい!」と嬉しくなりました。

 まず一つは、「ひじきの煮物」。私はひじきの煮物は始めての挑戦だったのです。一回目の主婦生活をいれて、合計9年目(?)。実は前の夫がひじきが苦手だったので、一度も作ったことがなかったのですねえ。しかし今の旦那は、基本的に煮物大好き。ひじきも好きとのことだったので、テキストを見ながら、まずはひじきの薄味煮をして、それを半分冷凍保存。半分をその場で調理。で、ここからは自分流で、家にあった油揚げといろいろな豆のパックをひじきの薄味煮の中に入れて、さっと煮て出来上がり。好評でした。

 もう一つは、「キムチチヂミ」。これは~おいしかったあ~!金曜の夕食に作ったので、思わず旦那と、缶ビールを飲んじゃいました。やはりテキストに掲載されていたのですが、キムチとニラとイカを、薄力粉と白玉粉と卵を水で薄めた液に混ぜて、焼き上げます。4人分でしたので、二人で思い切り食べても残ってしまいました。白玉粉を入れるのがポイントらしく、普通のチヂミよりも、ふっくらともちもちした食感で、お好み焼きの柔らかい感じ、という料理でした。が、しっかりと韓国風にキムチが入っていましたので、本当に美味しく、旦那も大喜び!挑戦した私も大満足でした。

 これからも、少しずつレパートリーを増やしてゆきたいです。できるだけ、ヘルシーで、美味しい料理。私は一度作って成功した料理は、小さめのレシピノートに書いたり、はったりするようにしています。あまり料理が得意でない私でも、そんなことしちゃって、レシピノートに新しいメニューが加わると、嬉しくなります。

最近の報道を見て

 昨日か一昨日か忘れましたが、朝のワイドショー番組で、この一週間でまるで世界大恐慌なみの世界的株安になり、このままの状態が続いたら私達の生活にどう影響するか、ということを、女性の経済評論家か何かの方が出て話されていました。この女性はよく、家庭での節約の仕方などで、度々テレビで見かける有名な方です(お名前忘れました)。他の番組でもいろいろなエコノミストの方が出て話されていますが、一番怖いのは、「このままの状態が続くと、私達の生活はこうなる」と、悪い方悪い方の状況をテレビで話されるんですよね。このまま株安がずーっと続くとは思えないし、だからと言って株安で影響を受けた状況が、すぐに良くなるとは思えませんが、まるで視聴者の私たちを、脅かすような経済評論家の方の話には、「?」と感じましたし、怖くなります。

 私が軽く考えすぎなのかもしれませんが、あまり脅かさないで欲しい・・・・。前述の女性経済評論家(?)の方は、お昼過ぎの番組で、家計の節約の仕方など、私達主婦にとっても「お助け的存在」な方だったのに、その人がいきなり朝の番組で、この今の経済状況(株安の状況だったかな)が今後どんな影響をもたらすか、というような質問に対して、いくつか答えていた中に、「奥さんが働くことになる」みたいなことを言っていたのです。私はびっくりして、前に座っている旦那に、「この人、こんなこと言ってる~。私みたいに働けない主婦はどうしたらいいの~?」と言うと、「テレビ局にクレームをつけろ」とか冗談まじりに言って、出勤して行きました。

 私は持病があるとはいえ、日常生活は出来るので、もし働かなくちゃいけないような家庭の経済状況になれば、病気が悪化しない程度に働くしかないのですが、でも「奥さんが働くことになる」みたいなことをテレビの評論家の方に言われると、不安になります。しかも女性の評論家の方に。私は過去に、働きながら家事をして、ベーチェット病を発症し、その後もそれを続けている間に、半年くらいのうちに短期入退院を3回繰り返しました。専業主婦になっても2回入退院して、今はステロイド薬を内服して症状が落ち着いている状態です。私はまだ症状が今のところ悪化していないので、日常生活も出来ますが、これがどんな無理をすると、どういう風にまた症状が出てくるのか、分かりません。そんな中で手探りで、毎日出来るだけ楽しく生活しようと思っていますが、そういう風に出来ない状況の方もいるはずです。どうしても働くことの出来ない「奥さん」だっているのです。同じ女性なのに、私達の味方だと思っていた方にそういうコメントを言われて、ショックでした。

 私はきっと、考え方が甘いのでしょう。病気だろうと、何だろうと、自分が生きていくために働かなくてはいけない状況の方もたくさんいらっしゃると思います。私もそうなれば、きっと病気が悪化したって、働きます。(悪化したら入院ですが)しかし、テレビの報道は、怖い。悪い方へ考えておくことは必要かもしれません。でもそれを朝の番組で、「このままでは、こうなる」としか言わないで、ではそういう風になったらこう対処しましょう、までいかないコメントを流して、視聴者を不安にさせた状態でコーナーが終わる。そんな番組を見た後で、ずーんと朝から心が重くなって、一日の家事を始めるなんて。だからNHKを見ちゃうんだよ~結局~。なんて、思っちゃいます。

泣きながら起きた

 昨日の朝方のことでしたが、夢を見て、その内容でびっくりして、泣きながら起きました。こちらは夢の内容に驚きと悲しみで、泣きながら起きたのですが、隣で寝ていた旦那は違う意味でびっくりして起きたそうです。以前、私が朝方に具合が悪化して、調子が悪くて泣きながら起きだして旦那に訴えたのを、思い出したそうです。(涙がスーッと落ちるタイプの泣き方でなくて、「う、う、」とか言いながらの、いかにも泣いている状態でした)

 旦那は「どうしたの?どんな夢見たの?」と聞いてきましたが、夢って起きると詳しいことを忘れるものですよね。しかし、その時はしっかりと覚えていたのですが、細かい内容だったので、「忘れた」と返事して「大丈夫だから」と言いながら、涙が止まらないのでとりあえず起きて、トイレに行ったり、水を飲んだりして、ベッドに戻りました。

 私は霊感みたいなものが強いのかもしれませんが、実際は感じる程度で、「見える」ことはありません。ただ、とても大切な人や親友、家族の緊急時など、何となく感じることはあるのです。でも「夢」は違う意味を持っていると思うのです。どこかで読んだり、聞いたりしたことが夢として現れたり、潜在的に思っていることが現れたり、また、まれに「虫の知らせ」みたいな夢を見ることもあるでしょう。私と私の母親はそういう「虫の知らせ」的な夢を見ることがあります。ただ、そういう夢を見たときは、寝起きがとても悪い。というか、寝覚めが悪いのです。多分、「夢」を見て、寝覚めが悪い夢は、あまり良くない夢なのでしょう。内容的にそういう風になるとかではなく、自分の体調が悪いとか、何か意味が隠されているような気がします。反対に、夢の内容が悪くても(そう自分で思える内容でも)、寝覚めが悪くなければ、別に気にすることもないと思います。まあ、夢は夢だから関係ないさ、と思えばそれまでです。

 特に夢判断が出来るわけでもないのですが、以前に興味を持って、本を読んだりしたことがありました。自分なりに、昨日の夢は、とてもよく理解できる内容だったので、本当に驚きました。簡単に内容を説明すると、どこかの大学の教室か何かで、一人ずつ面接のようなことをしているのです。そこに私がいて、いざ自分の面接の順番にきたら、なぜか面接官(教授かなあ??)に向かってものすごく反論して、教室を飛び出してゆくのです。一人で並木道のようなところを歩いていると、ふと携帯電話に留守電が入っているのに気付いて聞いてみると、私の大切な人が亡くなったと、その人のお父さんから伝言が入っていたのです。本人から私に言うように言われた、詳しいことは私の実家にしらせてあるから、と。それを聞いてびっくりして、もう一度留守電を聞こうとしても、動揺して携帯のボタンを押すことができません。そこへ、あちらからOL時代の上司がやってくるのです。私は上司に駆け寄って、面接で面接官に向かって反論して、教室を飛び出してきたこと、それと大切な人が亡くなったことを、言おうとしたら、上司の携帯が鳴って「ちょっと、待って」と言われて、動揺しながら泣きながら待っている。というシーンで目が覚めました。

 いやあ、ほんとに驚いて泣きながら起きたのですが、夢分析をしてみて、これが今の自分の気持ちにぴったりと当てはまっているのに、さらに驚き、会社を辞めてすでに2年半経つのに、いまだに私の中では上司は夢に出てきたあの方で、何か相談するときはあの上司に相談したいのか、とこれまた驚きました。いろいろな見方は出来るのですが、まず、泣きながら起きたにしては寝覚めは悪くない、虫の知らせ的な夢ではないことは分かりました。ただ自分の気持ちが反映された夢だなと、分かりましたから。でも寝覚めは悪くなくても、悲しい驚きの夢で、夢のショックで泣きながら起きるなんて、イヤだわ。そういう夢を見なくなるほど、心の強い人間になりたいものだと、思ったのでした。

 

歌番組っていいですねえ

 昨日テレビで放送されていた、4時間の歌番組を見ました。途中からだったのですが、1970年代後半あたりからのヒット曲の、昔の映像と、現在の歌手の方が歌う構成になっていて、本当に懐かしかったです。

 何だか安住アナウンサーが、昔のスナック(クラブ)のような大きなホールに見立てたスタジオで、歌の紹介や歌手の方との対談をしたりしていましたが、安住さんが真面目に紹介していると、ちょっと笑っちゃう気がするのですが、でもまあ、そろそろバラエティだけでなく、真面目な司会路線も良いかな、なんて思いながら見ていました。私としてはめずらしく、テレビをつけながら曲を聴きながら料理もしちゃいました。(料理をするときはテレビをつけずに、MDを聞いたりしていますから)

 歌(曲)って、ほんとうにその時代の思い出が、聞きながら甦ってきますね。さらに、歌詞を聞くと、その当時はなんとも思っていなかったけど、今この年齢になったから、歌詞の意味が良く分かる、という歌もたくさんありました。4時間(私は3時間半くらい見てました)の番組ですから、本当にいろいろな歌と映像が流れたのですが、百恵ちゃんの美しい映像や、もうめったに見られない石川秀美さんの映像(薬丸くんの奥さんですね)、演歌からアイドルまであらゆるジャンルの曲、歌を耳で聞いているだけでも楽しめました。

 中でも私が泣けてしまったのは、今は相撲部屋のおかみさんになっている、高田みづえさんの「私はピアノ」でした。調べたら、作詞・作曲が桑田佳祐さんではないですか。良い歌のわけです。歌詞の中に、「人がうらやむような仲が、いつも自慢の二人だった。あなたとならどこまでも、行ける気がしていたのに。突然の嵐みたいに、○○音もなく崩れてく。涙が出ないのはなぜ、教えて欲しいだけ・・・。あなたから目が離せない~」と、確かこんな感じ(○○の部分は分かりません。歌詞は私が覚えている範囲で書きました)で続いてゆくのですが、当時は何となく聞いていましたが、さすがに年を重ねた今、というか昨日聞いたら、涙がポロポロ出てきました。そういう自分の思い出と重ねてしまったのですね。曲に自分の思い出が重なる、というのも歌の素晴らしいところでしょう。

 もう一曲は「木綿のハンカチーフ」。この曲は現在の太田裕美さんが歌ったのですが、当時よりも声が高くなっている気がして驚きました。普通は年を重ねると、声は低くなりますから、若い頃の声の高さをキープしているだけでもすごいことです。で、やはり歌詞が素敵。あれは一番の歌詞が非常に有名ですが、ちゃんと聞くと、物語になっていて最後の結末まであるのです。これは随分前から知っていましたが、あらためて聞くと、涙ポロリでした。

 曲の旋律と、歌詞が素晴らしいからこそ、名曲になるのだなあと、昨日の歌番組を見てつくづく思いました。懐メロの番組も好きで良く見ますが、1970年代後半から2000年くらいまでの曲の特集というのは、中々ありませんので、また見たいなと感じました。年末にまた特番で、こういう歌番組を放送するでしょうか。でも秋のこの季節だからこそ、ちょっとアンニュイな気持ちで見たのかもしれませんが。

何となく気持ち一新

 富山の自宅に帰って、旦那とのいつもの生活に戻っています。が、私は今回の短めだった帰省で、何となく気持ちの切り替えが出来たような気がします。

 まあ、いつも病院の検査で、数ヶ月に一度帰省する際には、そんな風に思いながら帰省して帰ってくるのですが、今回はまた一歩踏み出したような、気持ちを一新させて帰られたような気がするのです(いつまで続くか・・・)。以前に、旦那に気を遣わないようにしてみる、みたいな事を書いたことがありましたが、同じような感覚と言うか、それをさらにバージョンアップさせた感じというか。

 今回の検査で、主治医からストレスの原因は旦那さんじゃないの?と言われて、それから考えていたんですよねえ。それもブログに書きましたが、実際に決行するときが来たわけです。旦那に関することのストレスが原因で体調を崩して、また旦那に八つ当たりしていたら、意味ないですものね。だったら、思い切って、やるだけのことは試してみて、二人の生活を楽しく出来るように。これから先、何十年と一緒にいる人と、今からその人がストレスの原因では、一緒にいられないですから。相手はどう思っているのか分からないのですが、旦那は基本的によほどのことでない限り、生活に関してはこだわらないタイプ。ただ、一番重要なのが、いつも自分を見ていて欲しいのです。気にしていて欲しい。私の中で彼が一番であって欲しいのです。ですから、部屋がすこし汚れていようと、寝込んで家事が満足に出来ないだろうと、彼が休日のときに一緒にいられて、楽しく過ごせれば大満足なのです。で、できるるときに美味しい晩御飯が食べられればとても嬉しい!みたいな。

 あとは私次第。季節的にも秋になり、外出するのにとてもいい気候ですから、もう少し、外に出て気分を変える生活をしても良いかな、と思っています。これから冬に向かって寒くなる前に。冬になれば北陸はそれなりに寒くなって、中々外に出るのも億劫になります。その前にウォーキングをかねて、外でも歩いてみますか。

「キッパリ!!」打ち切り!?

 ショック~!!お昼の1:30~放送していた「キッパリ!!」が、加勢大周の覚せい剤・大麻所持で逮捕のために、放送打ち切りとのこと。ああ~、あのドラマは、見ると元気が出るので好きだったのに、残念です・・・・

 シリーズ前作は見たことがありませんでした。ただ、今回は、「ナツコイ」の後番組でしたし、一度見てみたら、主人公を演じる奥山佳恵さんが、とても元気で明るくて印象が良く、さらに家族の絆を描いているみたいで、興味を持ちましたので、見られる限り見ていました。中でも実は、主人公の初恋の相手役として、加勢大周さんが出演していたので、「お??これはめずらしい。なかなか格好良いではないか」と思ったのです。

 加勢大周さんの逮捕は、残念でした。何か精神的に紛らわしたいものがあったのでしょうか。私達の学生時代に、本当に売れに売れた、いわゆるトレンディ俳優の一人でした。その後、事務所の問題なのか、改名の事とか一時騒ぎがあり、テレビや映画でも、あんなに出ていたのに、しばらくあまり見なくなっていました。しかし、ここ最近ちょこちょことテレビドラマでも見るようになって、ハンサムだし、30代後半になって、結構いい感じに大人の男性の魅力が出てきたかな、と思っていたら、「キッパリ!!」に出演していて、私としては見るのが楽しみでした。

 ドラマの打ち切りがまず残念。そして加勢大周の逮捕が残念。このまま順調に歩んでいれば、脇役としてのいい男役の位置を、確保できたと思います。これから彼がどんな人生を過ごしてゆくのかは彼次第。そして、「キッパリ!!」が打ち切りになり、再放送が今日から始まるそうですが、本当なら本放送を何とか編集して放送して欲しいです。楽しみにしていた私を含めたファンのためにも、どうにかなりませんかね。

祖父母の状態

 今回の帰省は、いつもに比べて少し短めの滞在となります。まずは私の病気であるベーチェット病の定期検査と、その他、歯科、眼科と医者通いが重なり、昨日のブログにも書いた愛犬「サスケ」のお墓参りなど、通常なら友人や先輩方と会ったりする時間を、もう少し取るために長めに滞在するのですが、今回はどちらかというと自分の体調と家族間の予定があったりして、そちらを集中的に予定を組みました。実は、私の東京の実家から、歩いて10分くらいの所に、米屋を営んでいる祖父母の家があるのですが、その祖父母の様子を伺うのも、最初から予定の一つに入っていたのです。

 帰省する10日くらい前に、祖父が体調を崩し急に入院し、ちょっとこれはやばいかもしれない、なんて思っていたら、3日間で退院しましたので、一安心でした。そんなことがあったので、今回の帰省の時には、祖父母の家に顔を見に行くことが、目的の一つでもあったのです。祖父は今年87歳、祖母は88歳。祖父は心臓、脳梗塞と軽めの症状で、過去に数度入院もしています。最近では外出先で階段から落ち、腰を打ってから、歩くのも辛いとのことでした。ところが、これが、もう治っているらしいのですが、自分は「痛い」と言うわけです。痛いから歩かない、だから余計に閉じこもりがちになり、「うつ」気味になる、するとまた痛くなる(←多分、痛くなる気がするのですね)、動かないから寝られない、病院に行って寝られないと言うと、多分安定剤か何かを処方される、するとそれを飲み、昼間でも寝ている、で、夜は寝られない、その繰り返しで、そばで見ているまたは看病している祖母が今度は参ってしまう、という感じなのです。

 祖父母は、私の父親の両親で、父の弟と同居しています。祖父に、本当は歩いて腰や足の筋肉を鍛えないといけない、もう前のケガは治っている、と回りの家族は言うのですが、祖父はちょいと頑固で聞いてくれないのですねえ。これ病院の先生が「歩きましょうね」と言っているそうなので、本当に歩いてリハビリしないと、寝てばかりだと歩けなくなります。だって、今年の4月下旬のブログに、「お祖父ちゃんとお茶」というタイトルで、歩いて10分くらいのドトールまでお茶しに行ってるのですから、それからまだ半年たっていないのです。その間に外出先で階段から落ちて腰を打ったのですが、すでに完治しているのだから、また歩けるはずなのです。あとは本人の気持ちとやる気ですね。

 何か、目的や楽しみがあれば、「歩こう!」と思うのかもしれません。「お祖父ちゃん、またお茶飲みに行こうよ」と言っても、「歩けないから」と返事をします。隣でお祖母ちゃんも困った顔。「お祖母ちゃんと二人で散歩したり、お茶しに行ったら?」と言ったら、お祖母ちゃんは苦笑い、お祖父ちゃんは無表情。そう、この二人、基本的に会話がない、と、お祖母ちゃんがグチを言ってましたから(どこの家庭も、いくつになっても、同じようなことで悩んでいる・・・)。87歳、88歳のカップルにしては、とてもしっかりしていて、体調は主に、加齢からくる高齢者の症状だけ。だからもう少し、二人で、あちらこちら、ゆっくりと歩いて散歩したり、遊びに行ったりすると、良いんだけどなあ、と家族は思っていても本人同士はとてもとても・・・。まあ、私たちでさえ、結婚して何年かたてば、会話もない、散歩もめったにしない、喫茶店でお茶なんてもったいない、となるわけですから。

 難しいですね。結局は夫婦の問題も絡んでいますから。しかも高齢で、考え方もそうそう変わりません。祖父母をみていると、自分たちの将来も考えます。私たち夫婦は、この年齢になったら、どうなるだろう、と。医療が発達していますから、88歳まで長生きできる可能性は充分あります。夫婦の問題、高齢からくる体調の問題、などなど。まあそれは、これから長い時間かけて考えながら生活してゆくとして、とりあえずうちの祖父母は体調は大丈夫だけど・・・・・。どうか二人で仲良くゆっくりと歩いて、気持ちも元気になって欲しい、と思いました。また12月に会いに行きます。

愛犬のお墓参り

 今日の東京は快晴。絶好の(?)お墓参り日和。約二年前に亡くなった愛犬のお墓参りに、母親と30年来の親友と3人で行ってきました。実は、親友の家の猫ちゃんも、今年の8月に亡くなり、同じお寺に納骨しているのです。彼女は多分、やはり猫ちゃんを可愛がっていたお母さんと一緒に、お彼岸にお墓参りに行っているとは思っていたのですが、誘ってみたら「行く」とのことだったので、一緒に行きました。

 お寺は赤羽の駅から近くにあります。駅周辺でお花を買って、お寺までタクシーで行き、うちのシーズ-犬「サスケ」は合同のお墓に納骨しているので、屋外にある大きなお墓の石にお花を供えて、サスケの好きだったビール(皆さんはペットに飲ませないように)の小さい缶を置いて、3人でお参りしました。親友の猫ちゃんは、屋内にある納骨部屋の一角に写真とお位牌と一緒にいましたので、3人でお参りしました。今ごろ天国で友達になっていることでしょう。

 私達がお参りを終えて外に出ると、屋外の合同墓石のそばには数人、お墓参りの方々がいました。天気も良かったので、皆出てきたのでしょう。月日、年数がたてば悲しみも少しずつ薄れてはきますが、決して家族と同じように過ごしたペット達のことは忘れません。年に一度でも、数年に一度でも、もしくは悲しみが癒えるまで何度でも皆さん来るのだと思います。うちの母親も、もうサスケが亡くなって2年経ちますが、年に2回は私と一緒に来ています。

 サスケが亡くなった後、半年くらいは、実家に来るとサスケの気配を感じました。「いるな」と思いました。足音もなんとなく聞こえるのです(私だけですが)。実は、北陸の自宅にいる時も、足音や雰囲気を感じることがありました。しかし不思議なことに、ある時、夢の中にサスケが出てきて、お嫁さんをもらい、可愛い子供も生まれた夢を見ました。そうしたら途端に、サスケの気配を感じなくなったのです。「ああ、現実の世界では結婚することもなかったから、天国で結婚して幸せになったな」と思いました。それはそれで嬉しい事なのでよかったのですが、なんだかいまだに実家に帰省すると、サスケが両親のベッドの上で丸くなって寝ている姿があるような気がして、ふっとそちらを見るのですが、もちろんいません。さびしい気がします。やはり何年たっても、家族だったペットを亡くしたのは悲しいことです。

 あまり悲しんでいると、自分の気持ちも落ち込みますし、なんせ当のサスケが結構、性格的にムラがあり、わがままで、割と自分本位(?)なところがあったので、夢に出てきたのは多分、「オレもこっちで幸せにやってるから、姉ちゃんもまあ、幸せにやってよ」みたいなメッセージだったような気がします。お互い幸せに暮らそうよ。どうせ私も、うちの家族も皆、最後は天国に行って、サスケに会える日がくるからさ、それまでそれぞれの世界で楽しく暮らそう、といつも心では思っています。しかし、あの性格はいったい誰に似たのだろう。私なのか??

結婚生活3・4年目は・・・

 東京の実家に帰省して、病院の検査や医者通いも今日で終わる予定です。約束していた知人との会食もキャンセルとなり、どうやら一日早く富山の自宅に帰ることが出来そうなので、旦那に昨日報告してみました。うちの旦那は、私が病院の検査で数ヶ月に一度帰省する度に、「寂しい」と言い、「早く帰ってきてね」なんてもう二年も言ってるのです。ですからこちらも「悪いなあ」と思いながらも、病院の検査だし、そのついでに他の医者に行ったり、友人と会ったりしてストレス発散もさせてもらおうと、予定を入れるのですが、最近はどうも実家に帰ってくるとよく眠れないのです。やはり自宅は自宅。すっかり自分の家の方が、安心して眠れるようになったのでしょうか。

 さて、旦那に一日早く帰れそうだと、昨日報告してみたところ、「え?そうなの?でも無理しないでいいよ。」と、こちらが拍子抜け。すげー喜ぶかと思っていたら、そうでもない。なんなんだ、あんたは~!「じゃあ帰らなくていいわけ?」と言うと「そうじゃないよ~。ケロちゃんの体調を考えて。急いで帰ってきて具合が悪くなっても困るでしょう!」と怒り気味。「はいはい、じゃあ考えます」と引き下がりました。

 あ~あ、私は困りました。実家にいても眠りがいまいちだし、予定も終わったし、早めに帰ろうとすると、旦那が体調を考えて帰ってこいと言うし。こればっかりは、帰ってみないと分からないよ~。用事もないのに実家にだらだらいても仕方ないから、帰って家事もしたいし。でも疲れが出て寝込むかもしれない。人間は不思議なもので、「寂しい、早く帰ってきて」としつこく言われれば、なんかうざい気もしながら嬉しい気もするのですね。それは、「いつ帰ってきてもいいよ」みたいに言われて始めて気付きました。

 結婚3年目、同居して4年目、この時期はだんだん二人の間も慣れてきて、いなければいない状態にも慣れるのでしょう。小うるさい妻がいない、しばしのオアシス。いよいよ倦怠期か?さて私はいつ帰ろうか。

スペイン料理店

 先月、東京に帰省した際に始めて六本木ヒルズに行き、その広さとショップや飲食店の多さ、建物の素敵さに、「もう一度来たい!」と思っていました。今回、体調的にも何とか大丈夫そうだったので、六本木ヒルズにあるスペイン料理店に行って来ました。

 あまり長い時間いろいろな場所に行ったり歩いたりしていると、一気に疲れが出たり、病気が悪化したりと、危険ですので、だいたい一日に一つの行動(予定)を入れています。これは、富山の自宅にいるときも、東京の実家に帰省していて、友人と会ったり、病院へ行ったりするときも同じ。例外的に前日のブログに書いたように、眼科と歯医者とはしご、ということもありますが、それは行動範囲的に狭いからOK。今回の六本木ヒルズのスペイン料理店も夕方からのお出掛けでした。

 フラメンコ練習生としての私にとっては、習い始めてからスペイン料理店に行くのは始めて。しかも六本木ヒルズ。家族でいつも行くお店は、実家の近くですし、旦那と東京にいたときに時々行ったのは、横浜にあるお店でした。新宿にあるお店にも行ったことがありますが、今までの経験上、スペイン料理店というと、ちょっと古めかしい感じで、店内はもちろんフラメンコの曲が流れていて・・・というイメージ。フラメンコのショーをする店はなかなかありませんで、実家の近くで家族と行く店は、子供の頃からショーをしていてよく見ていました。六本木ヒルズのお店は、中に入ってびっくり!もちろん新しいのですが、店内は洋楽が流れ、メニューはスペイン料理もありますが、スペイン風ピザ、とか創作的な物もあり、「ああ、最近の店なんだ」と実感。お客さんも、若い方、外国の方のグループ、など私が知っているスペイン料理の店のイメージとは全く違っていました。

 お料理は美味しくて、最後に食べたパエリアは、やはり良いですねえ。子供の頃は魚介類のあのおいしさが分からずに、「お父さんもお母さんも毎回頼むけど、おいしいかなあ?」なんて思っていましたが、やはり大人になると味覚が変わりますね。というか好みが変わるというか。パエリアは美味しい!でもスペイン料理というと、他にもいろいろとあるのですね。子供の頃は分からないから、両親に任せて、うちの親も毎回同じ物を頼んでいました。スペインオムレツとか、子羊の肉の煮込みとか、牛肉のどこかの部分の煮込み、パエリア。今回の六本木ヒルズのお店では、マッシュルームのガーリック何とか、とか、ピクルスと野菜のコンフィ(酢漬け)、お店のおすすめの牛肉の胃の煮込みなど、美味しかったです。

 六本木ヒルズは広いので、また次回に違うスペースを回ってみたいと思います。飲食店もたくさんありますし、イベントもいろいろと行われているみたいです。映画館も美術館もありますし。疲れてしまうので、少しづつ、楽しんで行こうと思います。

 

医者通い

 定期検査が無事終了したと思ったら、今度は何だか左目の下瞼が腫れてきて、眼科に行きました。しかも元から歯医者の予約も入れていたので、眼科と歯医者のはしごです。医者通いばっかり。

 左目下瞼の腫れは、どうやら目をこすって、バイ菌が入ったらしいです。人にうつるようなものではないから大丈夫、と眼科の先生に言われました。しか~し、当分、コンタクトもマスカラも控えた方が良いらしく、その上に、どうやら目のアレルギーがあるようで、富山に帰ったら挑戦してみようと思っていた、まつげエクステもダメだと言われてしまいました~。ひやあ~、悲しい~。

 実はマスカラを、あるメーカーのウォータープルーフのタイプにしたら、本当に汗かいても顔洗ってもお風呂入っても取れなくて、きちんとマスカラ落とす用のクレンジングで落とすべきだったのでしょう。気になって、手で取ろうとしていたのが多分、バイ菌が入る元になったと考えられます。ああ、かなし・・・。綺麗になるのも注意しないと、こういう結果になります。

 歯医者の方は、元々東京にいた頃から通っていた先生なので、そこで年に一回くらい診てもらうことにはしていたのですが、今回は親知らずが虫歯になっているようで、しかも冷たい物を飲んだり食べたりすると、前歯がしみる気がしたのです。毎回、ベーチェット病の検査で帰省するたびに歯医者にも行くべきか?と迷っていたのですが、口内の状態が良くないと歯医者は辛いのです。なんせ口の中に口内炎が出来やすく、しかも親知らず付近の歯ぐきが月に一度は、びらんのように炎症を起こしてしまいます。よほど口内の調子が良いときでないと、歯医者に行こう!という気持ちが起きません。今回はそれなりに調子も良かったので、予約を入れておいたら、たまたま眼科も行くことになり、はしごとなりました。

 歯医者の方は、親知らずの虫歯もそれほど悪くなく、そのかわり歯石を取ってくれるのに、痛い痛い!うがいをすると血が・・・。それだけで、肩にも背中にも体中に力が入って、終わったときには、グッタリ。また金曜に行くことになりました。

 それにしても、帰省している間に、体の調子が悪いところのお医者さんに、全て行ってしまおう!と思いながらも、気持ちとしては、「ああ、どうしてこんなにいっぺんにいろいろ行かなくちゃいけないの??お金もどんどん飛んでゆく~」と、ちょっと悲しくなります。でも行かなければ。行かれるときに行っておかないと。気持ちを強く持って、治せるところは治します!

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