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ストレスの原因は?

 東京に帰省して、病院へ定期検査に行きました。前回の先月に行った検査結果は、数値的には悪くないとのこと。(間接痛を表すらしい数値は、相変わらず正常値の3倍くらいはあるのですが)間接痛に関しては、時々痛むのは仕方ないとして、この夏、7月の下旬からこれまで、二週間に一度の割合で寝込んでしまって、2・3日すると良くなってくる、と主治医に話したところ、「数値的には悪くないから、ストレスじゃないの~?旦那の~?」と、さらりと言われてしまいました。

 確かに、この夏は旦那が仕事が忙しく、帰りが遅いのを、待って待って待って・・・と毎日続けているうちに、何だかふさぎ込んだのは間違いありません。一応、自分でも、ひとりぼっちの時間が多いから「うつ」にならないように、体力的に大丈夫なときは、デパートに行ったり、商店街を歩いたり、DVDを借りてきて見たり、好きな本を読んだりと、努力はしていたつもりなのですが、やはり一人の時間が多いのは寂しいものでした。土日も日曜はだいたい、旦那はスポーツジムへ行った後、会社に出勤していることが多いので、実際は土曜一日一緒にいるくらいでしょうか。まあ、あまり一緒にいる時間が多すぎても、ケンカしてしまうので、このくらいがいいや、なんて頭では思っていても、心は寂しいのですね、多分。そのうちに旦那も仕事が一段落して、それなりに早く帰ってくる時もあったりして、現在に至ったわけです。ちなみに、ここ二週間は寝込んでません。その間に、三連休に旦那と二人で金沢に遊びに行ったり、先週は輪島に一泊旅行に行ったりしています。それがストレス発散になっていたのでしょう。

 夫婦二人きりで、基本的に全国転勤の可能性があるので、そろそろ二人きりの状態に慣れて、旦那との付き合い方も、自分なりに納得のいく付き合い方をしなければいけない時期なのだと思います。うちの旦那のことは主治医もよく知っていまして、旦那の性格については、それなりに感情の起伏も激しくて、どうしても理解で出来ない部分もあります。私一人で悩んで、落ち込むこともあります。しかし、相手に「変われ」というのは違うのでしょう。だって、仕事が忙しくて帰宅が遅いのは仕方ないですし、だから私は専業主婦で気楽に、病気と主婦業をコントロールしながら、生活してゆけるのですから。性格的には、それこそ「変わってくれ」なんて無理。諦めるのではなく、一応、こちらの意見も言ってみて、あとは私自身の気持ちの持ちよう。きっと、それ次第で、自分の精神的な部分もコントロール出来るようになって、体調的にも影響が表れるのではないかと思うのです。

 ストレスの原因は、旦那であって、旦那でなく、自分の気持ち、なのだと思いました。もう少し自分自身が楽に生きていけるように、ストレスで体調を崩して寝込むことが少なくなるように、思い切って挑戦してみようと思います。どうせこのままでもこんな事の繰り返しなら、いろいろな方法を試してみる。旦那が帰宅が遅くて待っているのが辛いなら、先にお風呂に入ってゆっくりして待っているとか、ベッドに横になっているとか。本来なら、奥さんとして、きちんと待っている事が望ましいのかもしれませんが、うちはうちの形で良いじゃないか、私の体調に合わせて良いじゃないか、それで旦那がイヤなら、バツ2も仕方なし、くらいの覚悟で生活してみようと思います。これからは。

「太王四神記」最終回を見て

 一昨日の土曜日、毎週楽しみに見ていたヨン様主演のドラマ「太王四神記」が、最終回となりました。旦那と早めにお風呂に入って、テレビの前で待っていて、じっくりと見ました。半年の間、ストーリーがどうなるのかと同時に、二人で楽しみにしている番組があることの嬉しさも、あじわいました。結婚して2年半、一緒に住んで3年半、そろそろ倦怠期か?なんて周囲に言われることもある中で、一緒の趣味を持つとか、一緒に楽しみを見るけることというのは、重要だと感じています。

 さてその「太王四神記」ですが、ラストは正直、いったいどうなったのか、見ている人のそれぞれの理解の仕方なのかな、と言う気もするのですが、私は感動しました。特に、タムドクが朱雀に変わってしまったキハに対して、「信じることができなくて、悪かった」みたいなことを言って、謝ったのです。それが、本当に見ていて涙が出てきました。多分、人間は、裏切られたり、誤解したりした、特に男女の仲で、一番お互いが欲しいのは、相手からの「謝り」の言葉だと思うのです。それを言ってもらえれば、今までの相手に対する恨みや憎しみのような感情は、ほとんど消えてしまうと思います。相手に謝るという行為は、相手を想っている気持ちが少しでもなければ出来ないでしょう。また、自分が悪かったのだと感じていなければ、謝らないはずです。物語の中で、タムドクがキハに謝った途端に、キハの表情が穏やかになり、幸せそうな顔になったのが印象的でした。キハは最後まで、タムドクを愛していたのです。タムドクもきっと、スジニを大切に想いながらも、キハに対する気持ちはきっと「愛」だったのではないかと思いました。大変感動的なシーンでした。

 まあ、一番可哀想だったのは、ホゲかな、と個人的には思っています。お母さんの思いに縛られ、友人だと思っていたタムドクを恨み、父親も自殺し、愛したキハには最後まで振り向いてもらえず、没落して最後にタムドクと対戦して亡くなってしまう。親は子供に、重すぎる荷物を背負わせてはいけないな、とテレビのドラマながら、つくづく感じてしまいました。

 「太王四神記」は、壮大な韓国の大河ドラマとして、見応えのあるドラマでした。始まったものはいつかは終わるので、当たり前なのですが、終わってしまって残念です。でも良いドラマで、夫婦で見られたことがとても思い出になりました。これからも、素敵なドラマに、たくさん出会いたいです。

女の子はおとぎ話が好き

 今週、DVDの映画を3本見ました。「蟲師」「ウエイトレス~おいしい人生のつくりかた」「魔法にかけられて」。3本ともジャンルの違う作品です。なぜか見たくなったのです。それぞれ面白い物語でした。

 まずは「蟲師」。これはご存知の方も多いとは思いますが、私は映画の宣伝をテレビで見たことがあるだけで、原作が漫画であることも、すでにアニメ化されていたことも知りませんでした。今回は実写の方、オダギリジョーさん主演の映画を見て、うちの旦那はちょっとストーリーが分かりずらいのと、霊的な妖怪的なことを扱った物語だったので、すこし怖かったようです。私としては、ふと手にとって、見てみようと瞬間的に感じたので、何かひかれるものがあったのかもしれません。ストーリーの中に、親子の情愛や人間の精神的なものが描かれていて、私は集中して見てしまいました。(自分が少し、霊感的なものが強いからかもしれません。興味があったのですね)

 他の2作品は、洋画です。「ウエイトレス~おいしい人生のつくりかた~」。これは私の好きなジャンルです。主人公の女性は、旦那さんとの生活から逃れようといつも思っている、ウエイトレスをしている女性。この人が、パイ作りの名人。お店で様々なパイを作ったり、何か出来事があるたびに、頭の中で新作パイを作っています。旦那さんは、劇中ではそれほどそういうシーンは出てきませんが、DV夫なのです。パイのコンテストに出場して、優勝賞金で旦那から逃げようと画策しますが、そんな時に自分が妊娠していることに気づくのです。さて、どうなるのか。基本的にハッピーエンド。私は好きな物語でした。

 最後にディズニー映画「魔法にかけられて」。これはきっと、たくさんの方が劇場で見られたかもしれませんね。私はディズニー映画はそれほど好きなほうではないので、めったに見ることはありません。(昔、仕事では見ていましたが)アニメと実写が混じった映画で、公開当時話題になりました。ストーリーがまさにディズニー。白雪姫と、シンデレラと、他の物語をミックスしたような、本当におとぎ話のようでした。主人公のジゼル姫が現実の世界に落ちてきて、実写になった時のドレスの素敵なこと!!私はその時、始めて気づきました。私もこんなドレスが好きだ。子供の時に夢見ていた。ふわふわのパフスリーブの袖と、大きなふくらんだスカート。実際、一度目の結婚の時には、私は大人よ、みたいな気持ちで、そんなドレスではなく、どちらかと言うとマーメイドスタイルの裾を引きずるような細身のドレスを着ました。でも本当は子供の頃から夢でした。お姫様のドレス。この映画にはそのドレスを着た、カールクリンクリンのロングへアのお姫様が出てきて、素敵なおとぎ話を展開してくれます。気持ちがワクワクして、思わず見入ってしまいました。

 女の子は、おとぎ話が好きなのです。多分。大人になっていくうちに、いつのまにか忘れてしまうのでしょうか。それとも私のように、大人ぶって、「私は大人の女性よ」みたいな感じになってしまうのか。それともただ、好みが違ってしまうのか。でも多分、こうしてキッカケがあると思い出すのです。ああ、私もおとぎ話が好きだった。お姫様が大好きだった、と。

心の柔軟性

 昨日のブログには、キレた話を書きました。私はここ数年で、随分と感情の起伏を表にあらわすようになってきた気がします。それは、一緒にいる人の影響が大きいのかもしれません。うちの旦那は結構、感情的で、仕事関係では抑え気味にしているとは思いますが、かなり激しいはずです。「怒る」という感情よりは、喜怒哀楽の「怒」が少ない状態で、感情表現が大きいはずです。(もう6年ほど前になりますが、付き合う前に一緒に仕事をしたことがあり、よく覚えています)家に帰ってくると、家族に対しては、それこそ喜怒哀楽の全てが激しく、遠慮しません。ですから対応しているこちらも激しくなるわけです。

 昔、一度目の結婚生活の時は、どちらかというと私は内面は感情的でも、我慢するというか、穏やかな気持ちを装っていたというか、「怒る」ということはいけないことだと思っていたような気がします。いつも優しく冷静でいたい、そう思わせてくれる、表面上はとても優しい夫だったのです。しかしそれは、多分違っていたのでしょう。DVまではいきませんでしたが、結婚生活の最後の方で、元夫は彼を怒らすような、まさに真髄をついたような意見を言ったり、彼を追い込むようなことを言った時、私に蹴りを入れたことがありました。これはその時の一瞬の出来事で、ものすごく元夫は怒っていました。怒りの感情が、彼を操作して、私に蹴りを入れたのでしょう。その時に始めて、彼は我慢しているのだ、本当はキレると何をするか分からない人なのだと、知りました。

 離婚してから、私は感情がよく分からなくなりました。離婚経験者はお分かりだと思いますが、しばらくは心の感情がなくなってしまうというか、自分が何をしているのか、今どういう状態なのか、嬉しいのか楽しいのか、よく分からないのです。それが今の旦那に出会って、あまりにも感情的に気持ちをぶつけてくるので、だんだんと自分もそれに応じて感情が戻ってきたとでもいうのでしょうか。それよりも、今までよりも、感情的に怒ったり泣いたり、楽しんだり出来るようになった気がします。しかも、今まではこり固まっていた自分の考えが、「他の考えもあるのだ」とか、「自分が知らなかった世界もあるのだ」とか、全く興味がなかった事にも、興味を持つようにもなりました。

 私はいつも、心が柔軟でありたいと願っています。何歳になっても、年を重ねても、若い人達の考えていることも知りたいし、流行も知りたい。それに応じて、自分の考えが変わっていくこともありだと、思っています。感情表現は、周囲の人達に迷惑がかからない程度に、家族にはぶつけてしまうかもしれませんが、喜怒哀楽の感情をいつまでも、はっきりと持ち続けたい。それが自分の幸せにつながるような気がします。今日もちなみに、フラメンコ仲間の方に、「まつげエクステ」を教えてもらいました。今までの自分なら、まつげカールすら全くしようと思わなかったでしょうけど、まつげエクステで綺麗なまつげをしているその方を見ると、「私もしてみたい」と思えるようになったのです。機会があれば興味が持てれば、何でも挑戦!いつも心を柔軟にして、いろいろな事、いろいろな人と出会って、生きていきたいです。

私、キレました。

 私は、結構せっかちで、自分の考えている通り物事がすすまないと、イライラするタイプです。しかも神経質な部分があります。(だから、ストレスがたまって、膠原病を発症するきっかけをつくってしまったのかもしれませんが)仕事をしている時に、しっかりと段取りを組んで、そのうえに突然の出来事にも対処するような内容の仕事をしてきたので、性格なのか、もともとの性質なのか。生活でも、明日はこうしよう、明後日はこの予定で、なんて考えていて、急に体調が悪くなって予定通りいかなくなると、自分がイヤになってしまいます。しかし、今、自分は大変恵まれていて、そんな風に自分を追い込んで生活しなくても、時間はたっぷりあると納得しながら、日々大きな心を持って生きていこう!と考えています。

 せっかちでも神経質でも、私は俗に言う「外面(そとづら)」は良い方なので、家族以外の人達に対しては、かなり寛大な心で接する努力をしているつもりです。家族に対してはどうしても体調の悪いときや、物事がうまく運ばないときなど、当り散らしたりしてしまいます。これはいけないと思いますが、どうしても・・・ごめんなさい ところが、今日の出来事に関しては、キレてしまいました。

 うちは築約20年位のマンションをお借りしています。正直言って、部屋の中はきれいにリフォームしてあっても、水回りやキッチンはかなり古いです。お風呂にいたっては、バスタブがびっくりするくらい古くて、義母が泊まりに来た時なんかは、「二人が住んでいる部屋の風呂だから我慢できるけど、ちょっと気持ちが悪い」とまで言いました。確かに掃除していると、下のほうから変なカスが未だに出てきます。(住んでからもう一年半です)キッチンの蛇口にいたっては、水がポタポタ止まらずに、二度も直しに来てもらってから、やっと取っ手の部分を新しい物に交換してもらいました。換気扇はもちろん、古いタイプの浅型のものです。引っ越してすぐに電球が切れていて、取り替えてもらいました。とにかく、直すところが多すぎます。それでも、多分、転勤者の多いマンションなので、出入りが激しく、借りる人が多いのでしょう。よほど壊れたりしない限り、ギリギリまで使うようです。その換気扇が、今日は壊れました。

 正確には、換気扇の「ボタン」が壊れました。換気扇を回そうと、「強」のボタンを押したとたん、ポ~ンとそのボタン自体がすっ飛びました。へ???とびっくりしてしまいましたが、ボタンがなくなった換気扇は、止めようとしても止まらずに、「強」のまま爆音とともに、今も4時間回り続けています。(古いタイプなのでものすごい音がします)すぐに契約している不動産会社に電話して様子を話し、とにかく止めて欲しい旨を伝えると、電話口の女性は一言「ボタンを変な風に押しませんでしたか?」と私に聞きました。これに私は、キレました。「どういう風に押せば、変な風に押せるんですか!換気扇のボタンですよ!」と思わず攻め立てました。だって、そうでしょう。こちらだって、故意に壊してしまえば、いくら賃貸とはいえ弁償することくらい分かっています。だいたいボタンを変な風に押すって、どういうこと??回し蹴りしながらでも押すわけ??一応、私は借りているとはいえ、客です。しかも爆音と止まらない換気扇に困って電話しているのに、失礼な応対じゃありませんか。

 私は外の方に対しては、めったにキレません。かなり我慢します。しかし今日の電話の応対には、怒りました。私もOLをしていて、電話口で怒られたり、キレられたりすると、本当にめげます。だからこそ、どんなに失礼な応対でも、出来るだけキレないようにしているのに。ああ、いつになったらこの換気扇、止めにきてくれるのでしょうか。

続・能登への旅

 21・22日で富山の自宅から、能登半島へ車での小旅行に出掛けた私達夫婦。21日は昨日のブログに書いたように、能登半島の左側の海岸沿いを車で走り、先端の狼煙まで行って、今度は宿泊する旅館のある九十九湾まで、また海岸沿いにドライブしなが向かったのでした。その先端の狼煙(のろし)で、すでに出発から旦那は3時間は運転している計算になります。そろそろヘロヘロしてきました。それに雨も強くなってきて、残念ながら景色はあまりよく見られませんでした。(出来れば、火サスのような断崖と日本海の、曇り空の風景を望んでいたのですが、ちょっと無理でした)

 目的の旅館に着いたのは、午後5時くらいだったでしょうか。門を車で入ったときに、歴史のある旅館だと思いました。駐車場に止めて、旅館の方が外まで傘をさして迎えに来て下さっていて、荷物とともにやっと到着。中に入ると、まずは待合スペースでウェルカムドリンクが出てきました。ほっと一息です。そこで宿泊カードなど書いていると、団体のおばちゃんやおじちゃん達が、ワイワイと通り過ぎて行きました。私達は顔を見合わせて笑ってしまいましたが、私は年を重ねてもあんな風に仲の良いグループで、こういう所に旅行できるのがとても羨ましい。私もそうなりたいものだと思いました。

 私達が案内されたのは、和洋室の素敵な一室。洋室部分にベッドが二つ、和室部分にテーブルや座椅子、お茶セットが置いてあり、仲居さんがお茶を支度してくださいました。その時、私は気になっていた事を聞いてみたのです。なんと、旦那がこの旅館を予約した際に、ここは「お○けさんが出る」という噂を聞いたらしいのです。私は実際に見えませんが、感じることがあります。でもこの旅館に着いたときに、「歴史がある、古い旅館だ」とは思ったけど、何も感じはしませんでした。仲居さんも5年働いているけど、お会いしたことはないとのこと。ただ、建物自体は40年くらいはあるらしく、リニューアルをしてあるから中は新しくなっていましたが、建物は古いのでしょう。室内の洗面所へのドアやトイレ、バスルームのドアの高さなどが、多分180センチくらいで、旦那はちょいとかがみ気味で通る感じでした。歴史のある旅館だから、そんな噂もあったのでしょう。

 夕食の前にとりあえずお風呂へ。時間帯によって、男女が入れ替わる展望風呂と、洞窟風呂。私は何度もお風呂に入ると疲れてしまうので、展望風呂だけ入ったのですが、旦那は2種類とも、一泊二日で計3回も入ってました。ちなみに女性は浴衣を自由に選べることができて、ちょっと素敵な浴衣と帯でいい気分でした。夕食はもう食べきれないほどの会席料理。大瓶のビールなんか二人で飲んじゃって、いい気分でした。特に刺身の量の多さにびっくり。さすが海沿いの旅館。お肉料理も小さな鍋で焼いて、さらに海鮮しゃぶしゃぶまでありました。お腹か曲がらない、キューピーちゃんのようになって満足満足で部屋に帰り、夜はゆっくりとなぜか「男たちの大和」をテレビで見てから就寝。旅行に行くと中々寝付けない私も、すぐに寝付けてぐっすりと眠りました。

 翌朝の朝食もたっぷり。九十九湾がすぐそこに見えるお食事処で頂いて、いわしとアジの焼き物は、食べた後の頭や骨を、湾に浮いている鴨(?)に投げるとキャッチして食べるのです。朝から楽しいイベントつきでした。大変楽しく、美味しい時間を過ごして、チェックアウトの制限時間より少し早めに旅館を後にしました。二日目はだんだんと天気も晴れてきて、能登島に寄るためにツインブリッジという橋を渡る頃には、快晴!能登島では「石川県能登島ガラス美術館」を見ました。この美術館はドームを使った大変めずらしい形の美術館で、館内そのものと、展示されているガラスの美術品と、とても楽しむことが出来ました。また、美術館に併設してあるちょっと素敵なカフェで、ケーキとコーヒーなんて飲んでしまいました。

 美術館を最後に、帰途に着きました。早めの帰宅でしたが、疲れがあまりたまらないようにと、家についてゆっくり出来る時間を残しました。無理のない一泊二日の旅。一年に、2回くらいの小旅行ですが、本当に旅行というのは、良いものですね。リフレッシュできて、いつもと違う空間・場所で、様々な風景を見て、それがストレスを流してくれるようです。持病がありながら、ここまで回復して、小旅行ならOKになってきた自分の体に感謝。そして、連れて行ってくれる旦那に感謝の旅でした。

能登一泊二日の旅

 21・22日の一泊二日で、能登半島へ旅行に行ってきました。富山からお隣の石川県への小旅行、と言いたいところですが、車でのドライブ旅行で、これが結構時間もかかり、運転をしてくれた旦那は大変そうでした。

 能登半島は、中々行く機会が少ないと思うのです。特に私達夫婦のように、東京出身で、全国を転勤して回る会社員は、北陸以外の土地へ行ってしまったら難しいです。能登空港が出来ましたから、飛行機で旅行と、いうことになれば別ですが、私個人的には、何といってもあの海岸沿いを眺めながらドライブをするのが良いのではないかと、考えていました。ヤセの断崖までは行ったことがあるので、その先まで行ってぐるりと半島を回ってくるのが、とてもよい思い出になると思っていたのです。

 21日に富山から車で出発して、能登半島の左側の海岸、ヤセの断崖の上あたりまで突っ切ってから海岸沿いに出ました。天気が曇ったり雨が降ったりで、残念でしたが、風景は本当にいつもとは違った、山々と水田(まだ刈り取っていない稲がありました)、畑など、緑がいっぱいです。(私達が富山で住んでいるのは中心市街地で、まるで東京の下町の感じなのです。緑は富山城址公園くらいでしょうか)しばらく走ってから、輪島に着きました。輪島ではキリコ会館という所を見学したのですが、これが中々面白かったです。キリコというのは、能登のお祭りで今でも担がれている巨大な御神灯のことで、切子燈籠のことだそうです。館内に高さ10メートルを超えるキリコや中型のキリコなど、いくつか飾られてあり、生まれて始めて見た私達はびっくりw(゚o゚)w 見ごたえがありました。見学を終えて、車に乗って走り始めたら、なんと本当に中型のキリコ(もしかして小型かも)を実際に担いでいるお祭りに出くわして、これまた驚きました。

 さて、輪島から能登半島の先端まで行こうと、頑張って旦那は車を走らせましたが、雨は本格的に降り始め、ちょっと肌寒い。気温も19度くらい。すぐに着くかと思っていたら、これが結構時間もかかり、道はうねうね。頑張って走らせてやっと着いたけど、さすがに歩いて展望台まで行く体力に自信がなく、車の中から、「ここが能登半島の、先端さ」なんて二人で言いながら、遠くのほうに何となくかすかに見える島のようなものは、もしかして韓国か?なんて話しながら、今度は能登半島の右側(九十九湾沿い)にある旅館に向かって、海岸沿いを車でまた走り始めました。このときすでに、富山を出発してから4時間半以上。途中で軽食を取ったり、キリコ会館を見学したりしたとはいえ、すでに3時間近く旦那は運転しているのです。隣の県とはいえ、やはり車での旅行は中々大変かも。良かった富山に住んでいるうちに能登に行けて。ではここから先はまた明日。

腰痛の闘病記

  自分の体調が悪い時は、ひたすらベッドに横になって、寝たり起きたりを繰り返しながら、良くなるのを待つしかないのだけれど、少し良くなって、日常生活が出来るようにまで回復しながらも、まだどこかが何となく痛かったり、だるかったり、調子が何となく良くない状態が続くと、気分が落ち込んできます。そうすると今度は「うつ」なんじゃないかとか、でもやっぱりどこか悪化しているのではないか、とか一人で悩んで眠れなかったり、眠れないのがおかしい、とか思ったり、堂々巡りの考えから脱出したくて、「闘病記」の本を探すことがあります。私と同じ病気(ベーチェット病)の方の闘病記はないと思うので、他の病気でも、闘病を経験された方の本を読んで、自分にとって、何か立ち直るヒントになることが欲しくて、探すのです。8月下旬から体調の波が激しいので、今回はさすがに精神的にもちょっと参りまして、闘病記を探しました。そして、私とは全く違うのですが、良い本を見つけて早速購入し、読んでみました。

腰痛放浪記 椅子がこわい (新潮文庫) Book 腰痛放浪記 椅子がこわい (新潮文庫)

著者:夏樹 静子
販売元:新潮社
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  夏樹静子さんと言えば、ミステリー・サスペンスが主の有名な作家さんですよね。私は実は読んだことがなく、たくさんの著作の中から今回読んだこの闘病記が、始めての本となりました。夏樹さんは3年ほど大変辛い腰痛を患われたそうです。そのことが詳しく記してありました。しかもその腰痛の原因というのが、実は「心身症」だったということなのです。(別に小説ではないので、ネタをばらします)本当に驚くべき症状と、そのために費やされた数々の療法、どれも身体的には効き目がなく、結局は「心」ではないかと、そこまでにいき付くまでに数年かかっているわけです。それでもご本人は「心身症」ということが受け入れられなくて、入院してある治療をして、始めてその腰痛が回復へと向かうわけです。読んでいて、読者としてもショックであり、また信じられない病が世の中にはあるのだと、つくづく人間の心と体のつながりに、あらためて気づかされました。

 自分でも気づかないうちに、潜在的な部分で心の病が進行しているかもしれない、なんて誰も信じられないですよね。そういうことがありえるのです。この本はそれを教えてくれました。自分はこうしたい、と思っていても、身体は、もうダメだ、といっている。そして実は心も(が)、ダメなのです。私が膠原病であるベーチェット病を発症した時も、思い返せばそんな状態でした。私は入退院が短期間で何度かあったので、その病気を受け入れるしかないという気になりましたが、それでも少し体調が落ち着き始めた一年前には、私も実際に「うつ」からくる全身の疼痛、みたいな経験をしましたので、心と体のつながりは密接だな、と感じます。

 もちろん実際に今、体のどこかが痛い、辛い、と感じている方は、病院での検査などして頂きたいと思います。しかし身体的には異常が認められない場合は、もしかして「心」からの警告、知らせ、かもしれません。そういうことがない方でも、この本はご一読をお勧めします。著名な作家の方が、実際に経験された闘病記として、しかも「心」が関わっている本としてはとても参考になり、また勇気付けられ、気づかされる本だと思いました。

続けることが大切

 趣味のフラメンコも、習い始めていつのまにか一年が過ぎました。最初は「うつ」からの脱出のために、どうせなら子供の頃から憧れていたことを始めようとしたのがきっかけでした。本当なら太極拳でも習おうと、見学まで行っていたのですが、「うつ」になって実家に帰って、主治医から「何かスポーツとか好きなことをやってみなさい、旅行でも良いし」なんて言われて、フッと浮かんだのが「フラメンコ」だったのです。富山の自宅に戻って、その週のフランコの練習を見学して、翌週からすぐに参加させて頂きました。

 子供の頃に、家族でよく行ったスペイン料理の店で、フラメンコショーを何度も見ていて、大人になったらいつかやるんだ!と心には決めていましたが、いざ始めようとすると、練習用のコスチュームやら靴やらでお金がかかり、その上にレッスン代だったので、20代の頃には断念。今になって始めることが出来たのは、もちろん旦那のおかげなのですが、病気になって回復し始めて、持病を抱えている人が多分ほとんど経験する、「落ち込み」や「うつ」を経て、それがきっかけとなったのは、その時が私にとってフラメンコを始めるチャンスだったのでしょう。気がついたらもう一年経っていました。

 ここ半年位の間で、新しく入ってきた方々が何人かいらっしゃいます。もちろん、やめていかれた方もいたので、いつのまにか、私は練習の時には最前列に位置するようになっていました。(恥ずかしいです) 始めて間もない方々は、「覚えられない、上手くなるだろうか、出来るようになるだろうか」と、毎週話しています。その度に、先に入っていた、私を含めた先輩方は、「大丈夫、最初はみんなそうだから。」と言って励まします。「一年もしたらだいぶ踊れるようになるよ」と言いながら、自分も本当に不安だったなあ、と思い返します。随分とやはり先輩方に励ましてもらいました。

 続けることが、何より上達につながると、つくづく思います。用事があったり体調が悪いときは無理せずに、出来るだけ練習に通い、あきらめない。そして時間のあるときには練習のおさらいを家でやってみる。これを続けていれば、何とか形になってくるものだと、一年続けてみて思いました。フラメンコは日本人には考えられないような、腕の動き、指の動き、足の動きをします。クラシックバレエを習っていた方はまだ上達が早いでしょうが、ダンス系の経験がない方は、余計に大変です。特に手・指の動きは、とにかく練習あるのみ。誰だって最初からは出来ませんもの。私も最初の半年は、自分で何を踊っているのか、全く分かりませんでした。やっと最近、形になってきたと心の中で喜びながらも、練習に行くと、まだまだダメだと毎回思います。でもとても楽しいのです。その楽しさと、続けていればいつか上手くなるだろうという希望、そして、将来練習の成果を家族に見せられる日が来ることを願っています。(内心ではすでに、芸名まで決めていたりして)続けることが大切だな、と今日も思いました。

ああ、やっぱりデパートって素敵!

 今日はやっと体調も良くなってきたので、「一日私の自由の日」として、デパートに行くことに決めていました。8月下旬に手術した親友への、退院祝いも、まだ贈ることが出来ていなかったので、まずはそれが第一の目的として、午前10半過ぎには、デパートへ向かって出かけていきました。

 旦那には「今日はあまり無理しないで、明日フラメンコだし」と言われていたのですが、「一時間くらいだから大丈夫よ~」なんて言いながら、歩いて10分ほどの所にある、市内で一つのデパートへ。リニューアルオープンしてから1周年ということもあって、デパート内に入ると、所々で「セール」の赤い札が立っています。しかもいつもの平日よりもお客様が多い。あちらこちら見て回りたいのはやまやまでしたが、そうしていると疲れてしまうので、まずは親友への贈り物を探しに、キッチンや雑貨などの階へ。

 プレゼントの品物は決めていました。果物にしようかお菓子にしようか、化粧品にしようか、いろいろ迷って、「そうだエプロンにしよう」と考えていたのです。胆石・胆のうの手術をして、これから食生活に気をつけなければいけないと、ちょっと落ち込み気味の親友に、食べ物はいかがなものかと思って、それならば、これからお互いに食生活に気をつけながら、過ごしてゆきましょう、美味しい食事を自分で工夫して作りましょう、なんて願いをこめて「エプロン」にしたのです。以前に、東京にいる大変お世話になっている会社時代の先輩から、自分が「エプロン」を頂いたときに、とても嬉しかったのです。自分ではエプロンを買う機会って、中々少ない気がするのです。(うちはそこまで経済的に余裕がないからかしら・・)そういうこともあって、早速エプロンコーナーへ。そこで驚いたのが、どうもこのシーズンの流行エプロンは、タオル地のようです。いろいろと飾られていました。中から、ソニア・リキエルの、素敵な物を見つけたので、即、それに決めて購入。実は、自分でも気に入ってしまったので、色違いで私の分も買ってしまいました。(旦那に内緒

 さあ、目的は達成できたので、あとはデパ地下で買い物をして・・・と思ってエスカレーターを降りていたら、一階の所でチラシを頂きました。ふと見ると、ある化粧品メーカーのコーナーで、無料のハンドマッサージのチケットがついているではありませんか。あ、このメーカー、気になっていたフレグランスがあるところだ、と思い出して、自然と足はその化粧品メーカーの一角へ。気がついたら、コーナーの中のイスに座って、フレグランスを試しながら、ハンドマッサージのサービスを受け、綺麗な販売員のお姉さんとお話ししていました。マッサージを受けながら、気持ちが良く眠くなり、昨日の夜に旦那のいびきがうるさくて眠れなかったのをお姉さんに訴えながら、心の中ではフレグランスを買うことを決めていたのでした。(旦那に内緒内緒

 一時間くらい化粧品コーナーで過ごしてから、足早にデパ地下へ。ああ、気持ちも良くなり、買いたい物も買ってしまって、嬉しさと満足さと、お金使っちゃったというちょっとの反省と、しかし、旦那が好きなドンクのハードトーストというパンを買って、ふと通りかかったコーナーで、ドライフルーツなんか目に付いちゃって、「プルーンは食物繊維が豊富でお腹にいいのよね」なんて思いながら、また買ってしまいました。

 そんなにいるつもりはなかったのに、結局デパートに2時間。体力的にはちょっと疲れて帰宅したものの、気分転換と、購入した品物の嬉しさで、気持ちは。やっぱりデパートは素敵!本当に何でも欲しくなっちゃう。でも出来るだけ自制して、時々だけです。時々だけ。

 

最近の体調

 8月下旬から、体調が良くなったり悪くなったり、寝込んだり回復したりの繰り返しで、そろそろウンザリしていました。9月に入ってからは、肩から背中にかけての関節痛やら、全身の倦怠感やらで、やはり今一歩の日々。先週の今頃は寝込んでいて、週末から今週始めの3連休あたりは、やっと少しずつ良くなってきたと感じたものの眠りが浅くて、やはり体中の間接が何となく痛い。重い。それでも、最低限の家事をしたり、フラメンコに通ったり、一応、寝込んだ日以外は日々出来る範囲で、動いていました。

 先週の木曜あたりから肩から背中にかけて、関節痛と言うより、痛み・コリのようになってしまい、これはいったい本当に凝っているのか、それとも首のリンパ腺が腫れている影響なのか、分からないまま金曜にフラメンコの練習に行き、練習ではまず柔軟体操やバレエの基礎など全身運動をしますので、これで肩の痛みが取れなければ、多分、リンパ腺が腫れていると考えました。取れなかったのです。金曜の夜には全身だるくなり、肩も背中もやはり痛く、それは筋肉痛なのかリンパ腺の腫れなのか、もはや分からないまま、口の中の左奥は口内炎と炎症でベロベロになり、ちょっと悲しくなりました。眠りも浅くて、これはそろそろ何とかしないといけないな、と思っていたのですが、3連休に突入した土曜日、体調が悪かったのは私だけではなく、旦那もいまいちでした。

 旦那は土曜日には、偏頭痛の外来で病院へ行き、その際、睡眠時無呼吸の可能性があるため、夜の睡眠時に指に取り付ける検査機器をお借りして、その晩に試すことになりました。前日の夜がものすごいいびきで、途中で何度か呼吸が止まっていたような気がしたのですが、こういう日に限ってスースーと静かに眠り始めました。まあ、普段はどうなのかということも調べて良いと思うので、それはそれで良いのですが、機器が睡眠中に外れてはいけないとの事で、これまた私も気になって眠りが浅く、参りました。(それ以前に検査器を旦那に取り付けてあげるのに、なんだかんだと文句を言われて、ほとほとイヤになってしまったせいもあるとは思いますが)

 旦那は無事に無呼吸の検査機器も外れずに、一晩で検査を終えて、翌日の日曜には私の体調も寝不足の割には良かったので、金沢までちょこっと観光へ行き、中々有意義な休日を過ごしました。しかし、旦那はさらに、顔の右頬あたりから背中の主に右半分にかけて、吹き出物がボツボツと出来て、これまた困った。家にある軟膏の抗生剤を塗って様子を見ることにしました。そして、さすがにここ最近の眠りの浅さに危機を感じた私は、普段は飲まない「デパス」という安定剤の薬を飲んでベッドに入りました。さすがにその晩はぐっすり。本来なら薬の力をなりない方が良いのは分かっているのですが、多分、いつも飲んでいる安定剤では寝られなくなっていたので、体と精神的にストレスか疲れか、何かが溜まっていたのでしょう。翌日からはいつもの安定剤で寝られるようになりましたし、何とか日々体調も良くなり、今日は久しぶりに思い切り掃除も出来ました。

 旦那の吹き出物はまだ治っていません。だんだんと良くなっている気はします。夏から秋への変わり目で、顔にも体にも出来やすいのは分かっているのですが、お互いに体調が悪かったり、吹き出物が治らなかったりと、夫婦そろって病気みたいです。(旦那は元々アトピー性皮膚炎の症状があります)それでも、お互いに外出できるときはして、休日は気分的にも変えていかないと、あまり家に閉じこもっていても「うつ」気味になてってしまいます。こんな調子で何とか生活していくしかないのでしょうねえ。

暑かった金沢城観光

 三連休の真ん中14日に、旦那と二人で金沢城を見に行ってきました。これで金沢の主要な観光地は回ったと思われます。一気に回ると、私が疲れてぶっ倒れてしまうと考え、今年に入ってから少しずつ「ちょこっと観光」と名づけて、金沢や富山の観光地を見ています。前回は確か7月に東茶屋街、今回は最後に残っていた金沢城でした。

 兼六園は2度、行った事があります。しかも、雪の降った後と、春だったでしょうか。金沢城は、兼六園と併設というか、隣になるのですが、橋を渡って見に行くことが今まで出来ませんでした。8月のお盆休み明けに義母が遊びに来て、帰宅する途中に金沢城に寄って行ったらしく(義母は東京へ帰るのに、小松から飛行機で帰りました)、「中は結構歩く」と聞いていたので、スニーカーにGパン、さらに日焼け防止用にクリームをきちんと塗って、帽子をかぶって行きました。これが大正解!

 14日の日曜日は大変天気が良くて、気温的には30度までいかなかったようですが、金沢市内に入ると、観光客の方々がいっぱい。皆さん女性の方は、帽子や日傘をさして歩いています。いざ、金沢城に行こう!と、近くの駐車場に車を止めて歩いて「石川門」と呼ばれる門までたどり着くまでに、坂を登ってちょっとヘロヘロ。中に入ったら、なんとまあ、きれいな芝生の大きな公園。そう、金沢城は「金沢城公園」という名前なのです。本丸園地、二の丸広場、三の丸広場、と広場だらけ。ということは歩く歩く。これが春や秋の涼しい時だったら良かったのですが、まだまだ残暑厳しい、しかも晴天。汗はだらだら、日差しはカンカン。やっと見学できる建物「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」に入り、靴を脱いで中を見学。この中も歩く歩く。しかもクーラーがきいてないので、何気に暑い。しかし、やはり秋の気配が感じられ、櫓の上の方に上がると、吹いてくる風が心地よい。

 見学を終え、広場に出て、木陰に入るとやはり風は涼しい。真夏に比べると、秋が確実に近づいているのが良く分かりました。もう少し日差しが柔らかくなれば、この公園でベンチに座ってひと時を過ごしたいな、と思えるような、きれいな芝生とゆったりした空間でした。しかしこの日は暑かったので、早々に退散致しました。

 兼六園や金沢城公園に行く途中に、九谷焼のお店がいくつかあります。そこで念願の、焼酎用のマルチカップとでも言うのでしょうか。素敵な現代風九谷焼のカップを旦那に買ってもらいました。これも今回の目的の一つだったのですねえ。旦那が欲しい!と言った九谷焼の「壺」は、「どこに飾るのよ」と一蹴して、買ってあげなかったのが、ちょっと心残りでした。悪いことした・・・。

 さて、金沢に行ったらほぼ必ず寄る回転寿司で、夕方の4時にも関わらず20分待ちでお腹いっぱい美味しいお寿司を食べて、疲れ気味で帰る途中に、高速道路の「呉羽PA」でちょっとだけ休みました。何と綺麗な夕陽と、涼しい風。おだやかな風景が、ゆったりとした時間を感じさせてくれる、とても良いPAでした。ここでも美味しいソフトクリームを食べて、今日、始めて暑さを忘れて、一瞬時間が止まったような素敵なひと時を過ごせました。これで私達夫婦の金沢観光は、終了となりました。

「魔王」の最終回

 毎週金曜日夜、楽しみにしていたドラマ「魔王」が、12日に最終回になってしまいました。主人公の大野君演じる成瀬さんは、いっぱいどうなるのか。生田斗真君演じる芹沢さんは復讐をされるのか。本当に楽しみに一週間を待ったものでした。

 さて最終回の金曜、うちの‘魔王’(旦那)は、会社からの帰宅が何時になるか分からないとのことだったので、先に夕飯を済ませて、いつ帰ってきても温めるだけでOKの状態で、スタンバイ。テレビの前に陣取り、「魔王」が始まるのを待っていました。私はあのテーマ曲、嵐の「truth」が好きだったのですが、私の記憶では、最終回にいつものようにオープニング曲がきちんと流れた様子がなかった気がします。ちょっとガッカリ。

 いざドラマが始まり、どんどん話は進み、劇団ひとりさん演じるお兄さんが自殺してしまって、その後、お父さんも亡くなり、保釈された秘書の葛西は山野に殺され、人がどんどん亡くなってゆく悲しいストーリー展開。仕方ないのかな、と思いつつ、成瀬と芹沢の一対一の対決のその時!なんと、うちの‘魔王’から帰るコール。なんてこと・・・。

 温めればOKの夕飯を支度しながら、横目で熱演中の大野君と生田君の姿を見ながら、本当に最近の若者は演技がうまい、と感心。倉庫での最後の対決シーンは、二人とも、涙も鼻水も分からないほどの大熱演で、緊迫感あふれる演技。そこへうちの魔王も帰宅し、「そうか~今日が最終回だったんだ。」なんて言いながら、ドラマを見ながら着替え、夕飯を食べ、私はテレビのまん前でじっくりと見ていたのでした。

 それにしてもラストが気になる。しおりさんは、あのハーモニカをつかんだ瞬間、何を感じ取ったのか。二人の対決の最後のシーンを見た、と言うのが妥当なところだろうけど、何か隠されているのかと、頭の中で考えましたが、やめました。ちょっと寂しいラストになってしまって、本当は私はハッピーエンドが大好きなのですが、この物語だと仕方ないのでしょう。しかし、本当に最近のドラマは臨場感あふれる映像ですね。主演の二人はジャニーズにも関わらず、鼻水・涙はそのままの演技。いわゆる長回しの状態で撮影をし続けて、演技をしている俳優達のテンションをそのまま撮り続けているのだと、私は推測しています。もちろん、格好良いジャニーズのアイドルにしてみたら、もしかしてそれは挑戦なのかもしれませんが、かなりの迫真の演技で、俳優としても大変質の高いものを持っている、ということが良く分かります。そういう意味でも「魔王」はとても見ごたえのあるドラマでした。私はすっかり、大野君ファンになってしまいました。

ちょこっと贅沢

 今日は体調が何とか回復したので、フラメンコ教室へレッスンに行き、その帰りに、近くにある大型スーパーへ久しぶりに買い物行ってきました。

 10日間くらい買い物に行っていなかったので、買いたいものはたくさんあったのですが、生協さんも利用しているために、今週は寝込んでいてもご飯の材料は何とかありました。しかし、飲み物だの、調味料だの、豆腐だの(?)と細かい物がなかったのです。いつも買い物に行くときには、必ず欲しい物を忘れないようにメモしていきます。毎日行くわけではないので、一度に大量(だいたい5千円以上は買います。マイバック2袋いっぱいになります)に買いますから、必要な物を覚えられません。実家の母親は毎日スーパーに行って、その度に今夜のおかずを考えたりするというから、すごい。私には出来ません。だいたい3・4日間のメニューを考えてから、必要な物を書き出して行きます。

 さて、最近は物価の値上がり値上がり、が身にしみてきました。最初は分からなかったのです。だんだんと毎月上がってゆくそれぞれの商品が、私たちの家計に間違いなく影響しています。大人二人のうちにも影響していると感じているのですから、お子さんがいるご家庭はもっともっと影響を受けていることでしょう。余計な物は買わなくなりました。前なら、ちょっとデザートにプリンでも、とか、カマンベールチーズでも、とか、ついつい買っていたのが、そこまで手が回らなくなりました。そして何といっても私が悲しいのは「パン」。私はパンが大好き。それなのに、数ヶ月かけてだんだんとパンも値上がりして、今では調理パンなんてお高くて中々買えません。

 今日行ったスーパーには、一角にパン屋さんがあって、調理パンが販売されています。前は一週間に一度くらいの割合で、1000円以上、好きな調理パンを買ったりしていましたが、今では1ヶ月に2回くらい買うか買わないか。だって一個の値段が上がってしまって、1000円じゃそんなに個数を買えなくなってしまいましたから。そりゃあ、一個につき10円20円の値上がりなのでしょうが、なんかもっと上がってしまっている感じがするから不思議。さらに、ブロックで売っているイギリスパンなども値上がりしていて、中々買えなくなってしまいました。でも今日は、ちょっと贅沢してしまいました。調理パンを4個買ってしまったのです!ちょうど100円パン、というのが特売で販売されていて、さらに細長いやわらかいフランスパンにあずきとホイップクリームの入ったパンを見たら、もうどうしても欲しくて欲しくて。主婦の時々のちょこっと贅沢。良いじゃないか、たまには!4個で510円。うん、値段を見てパンを買わない私が、値段を見て買いました。ああ、早く小麦も下がってください。ガソリンが下がってきて、冬を目前にちょっと安心な今、早く他のものも下がって~。もう少し、ちょこっと贅沢させてください。

掃除したくなる~

 やっと体調も回復し始め、今日も朝から快晴!と思ったら、今度は旦那が「頭痛い~」と起きだして、偏頭痛用の薬を飲んで様子を見るも、今一歩の効果。夏疲れが出始めているのでしょうか。昨夜は義母がお盆休み明けに遊びに来た際に持ってきてくれた、冷凍になっていた「うなぎ」を食べて、二人して栄養をつけたのですが、私が良くなってくると今度は旦那が体調を崩し、うちの家庭は一年中、どちらかが具合が悪い感じです。

 旦那は会社を休むわけもいかずに、そのまま出社。私は心配しながらも、「さて今日は良い天気だからどうするか」、と思案。とりあえず洗濯はする予定だけど、本当は掃除がしたい!!月曜に、一生懸命掃除したり洗濯したりしろいろ家事をしたら、火曜から寝込んでしまったので、旦那から「掃除はするな!!」と言われてしまいました。確かに、夏や残暑の今頃の掃除は、体力的に消耗します。終わると全身汗だくだくで、疲れます。自分では知らない間に疲れているのでしょう。冬は冬で寒いけど頑張ってすると、これまた疲れる。「掃除はするな!」と、旦那に今まで何度言われたことか。本当は私は掃除が嫌いです。家事で唯一好きなのは洗濯くらい。

 実家では何もしない私でも、自宅では私がしないと大変な状況になります。旦那はとにかく、出したら出しっぱなし。使ったら使いっぱなし。片付けない。食べこぼす。ので、私が寝込んでも、体を少し動かしてみようという目的を兼ねて、動けそうなときは物を少し片付けてから、クイックル・○イパーでスルスルと床掃除だけはします。昨日もそうしてみました。でもやはり掃除機をかけた状態とは違うのですよね~。細かいゴミが完全に取れない。だから、内緒で今日の午前中、大掛かりではなく、床だけ掃除機をかけました。ああ~、なんて爽快。嫌いだけど、掃除をすると気持ちがスッキリするのです。

 本当に具合が悪いと、掃除をしたくても体が動きません。掃除がしたい~と思って、それが出来た、というのは回復に向かっているのでしょう。これを書いている最中に洗濯も終わり、何となく右肩が凝っているような感じがしますので、午後は昼寝です。やっと良くなってきたので、リハビリを兼ねて少しずつ家事をしながら、明日はフラメンコの練習に行けることを願って。それにしても、自分の体調を維持するのは、大変です。゚゚(´O`)°゚

どうも調子が良くないなあ

 昨日から寝込んでます。どうも調子が良くないのです。とりあえずは、女性が月に一度お迎えする可能性の高いお客様が、いらしているからだとは思うのですが。

 気持ちも滅入ります。このところ、二週間に一度の割合で寝込むことがあり、その度に理由を考えるのですが、思いつくわけです。だから仕方ないのだと分かっていても、どうしても気持ちが沈んでくる。仕事もしていないし、専業主婦なのに、その主婦業も満足にこなせない自分が、すっごくイヤになってくるのでしょう。これって、典型的な完璧タイプで、「うつ」になりやすい性格かもしれません。でも自分では結構、だらしない・どうでもいいや、と言う性格だと思っていたのですが、どうもそうではないみたいです。

 寝込むたびに旦那は「大丈夫だよ、頑張ろうね」と言ってくれますが、私は別に「頑張ろう」と言う言葉に敏感ではないので、それは良いのです。私にとって「頑張ろう」は、何もしないでよく寝て、病状が良くなるようにダラダラしましょう、という意味だと考えています。旦那もそのつもりで言ってくれます。しかし、こう寝込むことが多いと、何だか悲しくなってきます。だから旦那に対しても、イジイジと泣き言を言ってしまって、仕事で疲れた彼には申し訳ないと思うのです。

 昼間、日差しは強くても、今日のようにとても天気が良くて青空で、風は秋のさわやかな心地よい風が吹いている日に、家の中にいて寝込んでいるのも、ちょっと哀しい。でもこういう日って、不思議とベッドで寝ていても、窓の外がさわやかな陽気だというのが伝わってくるので、とても気持ちが良いのです。せめて、寝ていて気持ちが良いのが救いかもしれません。昨日に比べれば体調も良くなってきましたので、何とかこのまま回復に向かって、金曜にはフラメンコの練習に行きたいものです。

 ちょうど夏と秋の気候の変化の時。私のように持病がある人以外でも、体調を崩している方が多いことでしょう。夏の疲れが出てきている時期ですから。何とか乗り越えていきましょう。

何で寝ている時に口が開く?

 私は昔っから、寝ている時に口を開けているそうです。寝てる時の様子は、一緒にいる人でないと分かりませんから、「本当かよ~??」と何年か前に思っていた時、30年来の親友から「あんた昔っから、寝ているときに口開いてるよ」と言われて、ガ~ン(゚0゚)。 どうりで、起きたときに口の中が乾いていたり、時々よだれが出ていたわけだ、と納得したのでした。

 病気を発症する前から、よく喉が炎症を起こしていました。これは風邪だと思っていたので、そのつど、耳鼻咽喉科に通っていたのですが、3年半前にベーチェット病を発症してから、どうやら喉の炎症や扁桃腺の腫れは、ベーチェットからだったのだと分かり、しばらくしてプレドニン(ステロイド薬)を飲むようになったら、今までのが嘘のように、扁桃腺の腫れも引き、今では数ヶ月に一度くらいの割合で喉が炎症を起こすくらいまで、治まりました。

 その喉のためには、やはり口内の乾燥、口の開けっ放しは、細菌が入ってくる恐れもあるので、いけないことだと思うのです。でもなぜか私は、寝ている時に口が開いてしまう。旦那に聞いてみても「ケロちゃんは、寝てると口が開いてるよ~」と、ヘラヘラしながら答えます。ムカつきます。「そういう時は、口を閉めてください!!」と頼んでも、一度もしてくれたためしがありません。考えてみると、今までお付き合いしてきた男性は(別れた夫含めて)皆、私が寝ているときに口を、ポカ~ンと開けているのを、見てしまっていたのでしょうか。(と言っても、数人ですが)そんな恋人の姿を見たら、イヤにならないでしょうか。でも仕方ないのです。いくら考えても、どうにもなりません。

 しかし、夏や冬、クーラーを使用しているときなどは、寝るときにマスクをします。だいたい、寝ている間に自分で取ってしまっているのですが。朝起きると、マスクのゴム跡が、顔にスーッと付いていて、これが中々消えてくれない。こんな時、私の肌は弾力がなくなっている=年を・・・・。と感じてしまいます。悲しい・・・。その他、喉が気になるときは、のど飴をなめながら寝て、口内の乾燥を防ぎます。(口の天井にくっつけるようにして飴をなめていると、誤って飲み込んだりしません。気をつけましょう)

 それにしても、口をポカ~ンと開けていると、要するに楽なのですよね。寝ているときは完全に体に力が入っていなくて、リラックスしている状態だからこそ、口が開いてしまうのでしょう。私は特にいびきをかくことはありませんし、睡眠時無呼吸症でもありません。何で口が開いてしまうのでしょう。リラックスしていると言えば聞こえは良いですが。もちろん、口内の病気にも良くないですし、口を開けずに眠れる方法って、ないのでしょうか。こればっかりは、意識していても寝てしまうと、分かりませんから・・・。

 

看護師さんってすごい

 最近、テレビを見ていて、あらためて気付くことや考えることが多いのですが、昨日は最終回だったドラマ「Tomorrow」を見ていて、「看護師さんって、すごいよなあ」と思いました。

 もちろんドラマなのです。でも現実はドラマ以上にすごいのです。菅野美穂演じる熱血看護師さんの影響で、閉鎖される予定だった地方の市民病院が、様々な人々の力を得て再生してゆく、という簡単に言うとそういう物語だったのですが、その中に出てくる看護師さんや、お医者さんの素晴らしいこと。病院を題材にしたドラマや本はたくさんありますが、見るたびに、看護師さんやお医者さんの力は本当に必要であり、私たちを安心させてくれる存在だと思います。それはやはり、自分が病気になって、何度も入退院をしたからこそ、実感したことでもありました。

 私は20歳くらいのときに、朝方トイレに起きて、用を足して出てきた際、くらっときて倒れたことがありました。その時に何が何だか分からずに救急車を呼んで近くの総合病院へ運ばれましたが、着いた時にはもう完全に意識は戻り、微熱があるくらいでしっかりしていました。その私を見て看護師さんが一言「このくらいで救急車を呼ばないで下さい」。そして「ヒステリーじゃないの?」。この言葉には傷つきました。そういう人もいるのです。その後、家に帰って落ち着いてから、いつもお世話になっている開業医のホームドクターの所へ行き診察してもらい、「貧血を起こしたんだね。大丈夫だよ」と言われたときの安心感。医者や看護師との間には、信頼感が安心につながると、感じました。

 確かに、私が倒れたときに、自分で分からずに救急車を呼んでもらって、忙しい病院に迷惑をかけたのかもしれません。今は、タクシー代わりに救急車を呼んでいるような報道も、一部で見かけます。そういう非常識な例はちょっと置いておいて、私は自分の経験上、とりあえず少しでも病気に関しての知識を持とうと、結婚前の数ヶ月の間に、救急法の講習を受けました。せめて自分や家族が具合の悪くなったときに、どういう常態が予想できるか、また救急車を呼んだほうが良いのかくらいは分かるように。しかし、自分が発症した病気に関しては、全く気付きもしませんでしたし、分かりませんでした。

 私のベーチェット病を見つけてくださったのは、現在の主治医です。たまたま義母が連れて行ってくれた地域の総合病院で、診てくれた内科医の先生が膠原病の専門だったのです。今までに入退院を5回しましたが、その時々で主治医は詳しい説明をしてくださいます。また看護師さん達は顔見知りの方が多いので、「また来ちゃったの?」なんて気楽に声をかけてくれたりします。しかし中でも、私の病気に詳しい看護師さんは、他の患者さんと同じように対応してくれながらも、ポイントをおさえて必ず様子を見に来てくれたりします。1回目の入院の際には、2度目に入れた点滴で意識がおかしくなり、看護師さんに助けてもらいました。後で知ったのですが、その看護師さんはベーチェット病の他の患者さんの容態が急変したときにも対応したことがあり、この病気に関してかなり詳しかったのでしょう。その後も5回目の入院の時には、ちょっとした手違いで私の入浴が出来なくなり、精神的に参っていた私が、シクシク泣いているところに来て下さって、入浴が出来るように、はからってくれました。

 入院患者の病気の部分のほかにも、精神的な部分もケアしてくださる看護師さんやお医者さんの存在は、本当に大切です。また外来でお世話になるときも、同じですよね。看護師さんの仕事は本当に大変な事だと思います。これからも世の中の看護師さん達の健康と、幸せと、やりがいのある素晴らしいお仕事を、続けてくださることを願っています。

告白の夢を見ながらぐっすり

 先週は何となく、全身が痛いことが度々あり、ロキソニンが手放せない状態でした。毎月のように症状が違うのですが、例えば、生理が始まったあたりからそれまでのクールの体調がリセットされて、新しい体調クールが始まるといった感じでしょうか。前回は例えば鼻から喉にかけてが、いがらっぽい感じ、その前は外陰部の潰瘍、そのまた前は口内炎や歯茎の炎症など、その時その時によって重くなる症状が違うのです。で、今回は全身の倦怠感と関節痛でした。

 ベーチェット病は膠原病の一種なので、全身の免疫の病気ですから、全身的に症状が現れて当たり前なのですが、私は今のところ、症状が悪化したものに対しての対処療法をするしかありません。間接が痛ければ、ロキソニンを飲んで痛みを抑えるのです。先週はそれがちょっと強く出てしまって、朝起きたときにすでにだるく、背中か痛い、肩の間接が痛い、肘をテーブルについても痛い、手首が痛い、そうなるともう薬を飲んでしまいます。そんな日が一日おきくらいにあって、睡眠をとってはいても何となく眠りが浅い。夜中に背中の痛みで目が覚めたりしました。昨日はそれが一番辛く、もう朝からだるくて、そうなると、「なんでこんなに体が辛いのに、旦那はさっさと起きて、居間で本を読みながら、私が起きてくるまで朝ごはんの準備もしてくれずに待っているのだろう」と、朝からイライラ。(彼は本当に何もしませんから。)不機嫌なままブランチをして、プレドニンを飲んでからまた寝て、とりあえず体調が良くなってきました。

 夕方から旦那の用事で外出しました。私はその用事が終わるまでファミレスで待っていて、終わってからまた合流。夕飯を食べて帰って来たのですが、そのあたりからまた体調がぐーっと。お風呂に入って、「太王四神記」を見終わった頃には、旦那が「お前、死にそうな顔してるぞ。大丈夫か」とのこと。確かに、このまま眠ったら目が覚めなくてもいいかもしれない、と思うほど体がだるくて仕方ありませんでした。夜の薬を飲んで、ベッドへ入り、しばらく読書などしましたが全く意識がもうろうとしていて、ダメ。これで翌日体調が悪ければ、東京に帰るしかないのか、と思いながらスーッと眠りに落ちました。

 さて、夢を見ました。それは、中学生の頃、とても大好きだった男の子に、告白している夢でした。実は私、その子に高校生になってから告白して、振られています。しかし夢の中では設定は、10代後半くらいでしょうか。私が「O君(苗字が‘お’で始まります)。今、決まった人いるの?」と質問すると、「ケロ」と答えました。(一応私の苗字を言ったのですが、ここではケロということにします。)中学生の頃は、苗字を呼び合って、「さん」とか言いませんでしたよね。とにかく私の苗字を言ったので、それは単に私を呼んだだけだと思ったのです。「だから、違うって。決まった人って、好きな人がいるかどうかってこと」と聞きなおすと、「だからケロだよ」と彼は答えました。私はびっくりと嬉しさで、驚きました。その後、何か言った気がしますが、覚えていません。そして、目が覚めたのです。

 なんて素敵な夢。そしてなんてぐっすりと眠れたことでしょう。告白して、相手も私を好きだと言った、最高に幸せな夢。幸せな夢を見ていると、ぐっすりと眠れるのですね。ぐっすりと眠れているから幸せな夢が見れるのか。久しぶりに深く眠れて、寝起きに体も痛くなく、旦那が先に起きていて相変わらずソファに座って何もしていなくても、何となくウキウキしながら、朝ごはんの用意なんかしちゃいました。もっともっと幸せな夢が見たい~。

 

私も何度も落ちたなあ~

 昼ドラの「ナツコイ」が終わっ後に、何を見ようかと思案していた今週。一度「ナツコイ」の後に始まった「キッパリ!」を見て、「これにしよう!!」と決めました。

 2007年に同じ枠で放送されていたドラマの第2シリーズということのようですが、私は前回は見ていません。今回始めて見たのですが、主人公を演じている奥山佳恵さんの、元気な演技に惹かれて、見ることにしました。ストーリーは今のところ、まだ最初の一週目でなのですが、主人公の真実と夫の洋平、小学生の女の子と男の子の子供二人と、旦那さんのご両親と6人家族だということ、住んでいるマンションの隣に、真実の幼馴染の男性が一人息子と共に引っ越してきたこと(この幼馴染役が、加勢大周さん)、そして、なんと真実の旦那さん(的場浩司さん)がリストラにあって職を失い、いろいろな会社に面接に行っても落ちまくってしまう、というあたりで今週が終わりました。第一週目なのに、結構もりだくさんでした。

 それを見ていて私は思い出しました。そういえば、私も離婚後に再就職しようと活動した際、結構落ちたなあ、と。もう今から、5年くらい前の話ですが、離婚して一度は東京のコミュニティFMでアナウンサーをしていましたが、通勤が大変なのと仕事内容に対するお給料のこと、そして今後のことを考えて、思い切って違う職種にしてOLになろうと決意したのです。OL経験はありました。大学卒業後、2年8ヶ月、秘書をしていましたので、今回も秘書でなんとか就職先はないかと、職安やらネットやらで探しながら、履歴書を送っては落ち、面接を受けては落ち、多分10社くらいは落ちたでしょう。大学のときの就職活動より大変でした。それは、私の場合は、事務職としてのブランクが8年あったからです。(その8年の間は、一回目の結婚のときに4年ほど、長野のコミュニティFMでアナをしていて、離婚後もバイトで結婚式場の照明係りや、選挙のうぐいす嬢などしました。ですから、事務職からは全く離れていたのです)その間に、パソコンの機能は全く分からなくなり、まずはそれから覚えなければなりませんでした。秘書と言うと本来なら英語力もあったほうが、職はもっとたくさんあるのですが、私は英語がダメです。余計に就職先は見つかりませんでした。

 ところが、一社、正社員で決まりました。しかしいろいろと条件がつきました。そうこうしているうちに、派遣会社にも登録していたので、大きなグループ会社の派遣会社から、秘書で派遣先が決まりました。私は迷わず、派遣の方を選びました。もちろん正社員の方が良いのでしょうが、その時の条件としては、派遣の秘書の方が私にとっては良かったのです。その会社では、本当に皆さんに良くしていただき、今でも帰省した際には、会って下さる素敵な先輩にも恵まれました。

 「キッパリ!」の中で、夫の洋平は随分と再就職先に困っていました。その間、家族の間もちょっとピリピリした様子でした。この状態が今、現実だという家庭も、きっとおありでしょう。ドラマの中で、妻役の奥山佳恵さんは、本当に明るくしっかりと夫を支えています。素敵だな、理想だな、そう思って見ていました。現実は中々そうはいかないとは分かっていますが、あんな明るい素敵な主婦になれたら良いな、と思いながら見ています。

 

食べ過ぎは万病のもと

 8日前に胆のう・胆石の手術をした親友が、もう食欲が戻ってきたと言って、その食欲との闘いが辛いらしい。

 彼女とは大学からの親友で、多くの時間を一緒に過ごしました。共に演劇サークルを立ち上げて、授業も一緒のことが多かったし、ランチや、学校が終わってからも、駅の周辺にあったミスドやヴィドフランスでお茶したり、それでも家に帰って電話で一時間話すこともありました。お互いの家に泊まりに行ったり、卒業旅行や、社会人になってからも、京都へ旅行へ行ったりしました。目下、私たちの将来の夢は、卒業旅行で行ったイタリアへ、また2人で行こう!です。

 さて、彼女の体格は、私とほぼ同じ身長で161センチくらい。ところが体重は私は平均で52.5キロ、彼女は49キロがベストだそうです。学生の頃からとても細くて、ちょっと体調を崩すと、すぐに45キロを切ってしまうのです。私は多分、身長に対して標準、でも体が締まっていないので小太り状態。彼女は、ママになった今もスレンダーなボディに、綺麗なお化粧とおしゃれなファッションです。(5月に2年ぶりに会ってびっくりしました)ところが、実は、そんな彼女は、ものすごく食べます!食べるのが大好きなのです!そういえば昔から、スパゲティや、ドリアには、粉チーズをほぼ一ビン使ってしまうほど、かけたりしていました。甘い物も大好きだった気がします。ここ何年かの食生活をメールで聞いたりして、驚きでした。カマンベールチーズは、まるごと(ホール一つ)食べちゃうそうです。イタリアン大好き。量も多い。で、胆石胆のうの影響で、胃が痛くなり、手術前には食べるの大好き人間が、食べられなくて悲しかったようです。しかし手術も順調に終了し、主治医には、「これからは食べすぎに注意しないと、太るよ」と言われたそうです。もともとコレステロールが高かったそうです。

 昨日もメールで辛そうでした。「食べたいのに、我慢しないといけない。今夜の夕飯は、いつもならご飯2膳食べるのに、1膳にした。とうもろこしもゆでたけど、我慢する。栗きんとんがあるんだけど、食べても大丈夫かな。」というメール。時間は20時過ぎ。栗きんとんは明日の昼間にしなさい!と返信し、我慢と思わず、スイーツなどの楽しみを昼間や土日だけにしてみること、夜ご飯を軽めにして、土日は好きなものを食べるとか、あまりストレスにならないように、食べる量を減らしてみることを勧めました。それでも辛そうな文章が返ってきたので、「将来イタリア旅行に行くときに、私はグラマラスで、あなたは太っていて糖尿病でも良いならいいわよ」と答えてみると、「それはイヤだ」と返ってきました。

 コレステロール値が高いという事は、血糖値も気にしなければいけません。もちろん中性脂肪も。食べ過ぎ状態でこのまま生活してゆくと、様々な病気が心配されます。糖尿病、動脈硬化、他。私は常に、腹七分目くらいを心がけていても、痩せませんし、太りもしません。彼女はママなので、私よりもはるかに動いていることが多いでしょう。だからあまり制限しなくても、通常の食生活をして、時々自分へのご褒美に、甘い物やイタリアンランチなど食べれば精神的にも良いかと思いました。今までたくさん食べていても太らなかったのは、胆石があったせいなのでしょうか。胃下垂なのか。そのへんは良く分かりませんが、今後の彼女の体調と体格の変化に注目です。

素直になってきた?

 テレビ番組で「学校へ行こう!」という、みのもんたさんとV6が出演している番組が、昨夜で最終回だと言うことを、昨日の朝刊を見て始めて知りました。ええ?この番組終わっちゃうの?と、ちょっとびっくりして、昨夜も旦那の帰りが遅かったので、2時間最終回スペシャルを全て見てしまいました。

 「学校へ行こう!」は、毎回見ていたわけではないのですが、時々見てはおもしろくて、この番組はずっとやっているものだと思っていたのですね。11年も続いていたとは驚きで、そう考えると、私が一回目の結婚生活の時にも、夫の帰りを待っていたときなどに見ていたことを思い出しました。その時その時の、番組内でのおもしろい企画と人物がいて、昨日はそのVTRを特集していましたが、見ながら一人で大笑いしていました。私が特に気に入っていたのは、「未成年の主張」と「軟式globe」。「未成年の主張」は、随分と感動させられる主張をたくさん聞いた気がします。昨日も過去のいくつかのVTRが放送されましたが、感動してうるうるしちゃいました。また「軟式globe」に関しては、何度見ても笑える。もう最高に大笑いでした。「アホだな~」っていうフレーズと、ラップの内容が爆笑です。

 昨夜の2時間スペシャルで、何度大笑いしたことか。そこで気付きました。私って、随分とテレビを見て、素直に笑えるようになったな、と。若い頃は、何となく気恥ずかしいのと、「ふん、こんなので私は笑わないわよ。作り物でしょ。」みたいな斜に構えると言うか、意地を張っていたというか、素直じゃなかった気がします。それが今では、お笑い番組を見て笑って、「堂本兄弟」を見て笑いながら楽しんで、まるで番組に話しかけるようにして、一人でコメントしたりして。そんな私の姿を旦那が見て「ケロちゃん、楽しそうだね」と、先日も言われました。

 涙もろくもなりましたが、同時に、笑えるようにもなりました。素直になってきたのかな、と思います。テレビ番組が作り物だろうと、もしかしてやらせだろうと、面白ければ笑うし、感動すれば泣くし。それはそれで自分の感情に素直になってきたと、結構、気に入ってます。これからも、テレビを見たりしながら、笑えるといいな。感動で泣くのも良いけど、笑うのは自分の心が楽しくなって、明るくなるから。

福田首相辞任表明で私が得た事

 昨夜、テレビを見ていたら、速報で入ってきた福田首相辞任の意向。即座に、チャンネルを変えてNHKにしました。

 うちの家庭は政治の話好き。すぐに仕事中の旦那に電話して、「福田首相が辞任だって」と伝えたのが、21:22分。その後、私は旦那が帰って来るまでずっとテレビをつけていて、辞任についての記者会見も、全て見ました。

 うちでは家庭内の話として、私が「洞爺湖サミット後、秋にでも多分、衆議院選挙だね。」と言っていました。これは実際はどうなるのか、まだ分かりませんよね。でもどうも、民主党の小沢さんの動きが気になる。今はとりあえず麻生幹事長が首相になる可能性が大きいだろう。しかし、もしやここで小沢さんが民主党から何人か連れて離党し、新党を結成して自民党と連立をしたとしたら、小沢さんが首相になることが出来るのではないか、な~んて予想も私はしちゃいます。だって小沢さんだって総理大臣になりたいから、一年前位の大連立構想にのろうとしただろうに、それが叶わなかったわけだから、ここぞ!!と言う機会を、もう逃したくはないでしょうから。なんて、偉そうに書いてしまいました。

 さて、昨夜の福田首相辞任表明を受けて、私は得た事が二つ、あります。まず一つは、昨夜、22時半頃帰宅した旦那に夕飯を食べてもらい、それから旦那は知人と45分の長電話。やっとお風呂に入れたのが11時半近く。その時、旦那の携帯電話にメールが入りました。それは義母からで、「福田首相が辞任だってさ」という内容でした。私達は「遅いよね~」と言いながら、旦那はお風呂へ、私は旦那の携帯から、冗談とふざけて義母にメールを返信しました。「お母さん、遅いよ~。うちは政治関連情報早いからね。ケロ」と。それを風呂中の旦那に言うと、「え~~~!!まずいよ~!怒るぞ~」と答えました。何で?そこへまたメールが届きました。風呂場まで旦那に携帯を持っていくと、義母からのメールが来ていて、「やばいよ~、怒ってる」と言いながら、風呂中にも関わらず、急いでフォロー電話を義母にしていました。

 そうか、義母は息子に伝えたかったのだ。たとえ遅い情報だろうと、自分から息子に伝えたかったのだ。それを嫁である私が横から出てきて、旦那の携帯に届いた義母メールに、私が返信したのがまずかった。しかも冗談とは言え、「遅い」なんて。ムムム、難しい嫁姑。親しき仲にも不思議あり、礼儀あり。義母は私にも時々メールをくれますし、電話もくれます。そういう時はそれでよいのでしょう。しかし、息子に電話&メールをした時には、息子に話したいのです。当たり前でした。良い教訓となりました。

 得た事のもう一つ。今朝、テレビの番組に出ていた議員の方々の中に、ちょっといい男の議員さんがいました。民主党の細野なんとかさん。ん?細野?テーブルの向かい側にいる旦那に「この細野さんって、聞いたことあるわね」と言うと、「ほら山本モナの・・」ああ~、この人かあ。こりゃあ、中々いい男だ。なるほどなるほど。でもいくら自分の不倫報道は、モナさんの次の報道でおさまってきたとはいえ、こんな風にテレビに出ちゃうのね~、なんて思ってしまいました。民主党の若手のホープらしいので、過去のスキャンダルを消してしまうほどの働きを見せるべく、テレビでも意見をしっかりと述べているのかもしれませんが、どうなのよ~。私は今朝始めて、しっかりと、民主党の細野さんは、モナさんとあの報道があった人、と知ったのですから。

 福田首相の辞任表明で私が得たこと二つ。ああ、何だか政治よりも、まずは日々の生活です。

 

涙もろく・・・

 何だか年を重ねるごとに、涙もろくなっていくような気がします。この勢いだと、70歳代くらいになったら、遊んでいる子供の姿を見ているだけでも涙が出てきそうです。

 24時間テレビを見ては泣き、ドラマを見ては泣き、映画を見ては泣き、本を読んでは泣き、親友の手術が成功したと聞いては泣き、泣いている人を見ては泣きます。これは泣きそうだと予想がつくと、あらかじめハンドタオルを手に用意しています。若い頃はこんなに泣き虫ではなかったのですが、きっと気持ちが同調してしまうことが多くなったのでしょう。

 昨日の24時間テレビでは、前日からところどころ見ていたのですが、障害者の方がしっかりとした意思と生きる力を持って生活している姿を見て、本当に自分は情けないと涙が出てくるわけです。これはテレビの画面に映っている方々の姿にまず涙が出て、それから自分はどうなんだ、という気持ちになってさらに涙が出るのです。障害者の方の姿を見て泣く、というのは本来ならいけないことだと思うのです。昨日の昼間3時過ぎくらいからの24時間テレビで、外国にいる、名前もついていない難病にかかってしまった双子の姉妹の元へ、女優の仲間由紀恵さんが訪問し、彼女達にインタビューしながらその状況を伝えるコーナーがありました。私が見ていた限り、仲間さんは涙を流したような気配はなかったと、思います。あったのかもしれないけど、分かりませんでした。彼女達は難病にかかってしまったことで落ち込むこともあるけれども、これが自分達なのだと、しっかりと認めて生きているのです。そういう姿を見て、涙してはいけない気がします。彼女達のお母さんは泣いていました。でも私達は、笑顔いっぱいの彼女達を、やはり笑顔で認めていくことが必要かもしれないと感じました。

 また24時間テレビ内で、あの女の子4人組のアーティスト「SPEED」が再結成されました。その際に、ボーカルの今井絵理子さんの息子さんが、聴覚障害だということを告白し、一緒に写っている映像も公開されていました。今井さんは離婚されて、その後、あまりテレビでも見かけることが少なくなったな、と思っていましたが、息子さんと一緒に生活することに重点を置いていたのだと、理解しました。番組の中で、息子さんの障害は個性だと思うことにした、と確か言っていました。しかし、大変な努力をされているようです。でも子供を育てるという事は、本当に大変なことだと思うのです。私達は障害を持った方々と接するときに、それはその人にとっては当たり前のことで、それを特別視するのではなく、聴覚障害の方と接するときは手話や筆記を使って会話をすれば良いし、その人に合ったコミュニケーションをとれば良いのです。これは、障害者の方だけではないですものね。普通の生活の中でも、性格的に、これは言ったら相手が怒りそうだとか、相手に合わせて接しているのですから。

 何でもかんでも泣いてしまっていけない、と自分で思っていても、泣けてしまうのです。年を重ねると涙腺が弱くなるとか、そんな研究結果ってあるのでしょうか。

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