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お祖父ちゃんとお茶

 私の東京の実家から、歩いて10分くらいの場所に、米屋をしている父方の祖父母の家があります。先日の日曜には珍しく、私の弟も仕事が休みで、家族4人そろっていたので、祖父母の家へ夕飯の差し入れを持って、遊びに行きました。祖父母は、お祖父ちゃんが86歳、お祖母ちゃんが87歳で今年米寿です。二人とも、体のあちらこちらが痛いと、いつも言っていますが、自分たちのことは自分たちで出来るくらいの、元気な状態ではあります。しかし、お祖父ちゃんが具合が悪いと「うつ」状態に入ってしまい、お祖母ちゃんはそれを看病しないといけないので、しっかりする。ところがお祖父ちゃんが治ってくると、お祖母ちゃんが今度は具合が悪くなってくる、と交互になんとなく体の調子が、いつも悪い感じでした。

 日曜に会ったときには、お祖母ちゃんが風邪を引いていたので、コンコンと咳をしながら、一緒に夕飯を食べました。風邪でもしかしてボーっとしていたのかもしれませんが、同じ事を何度も言う、という状態。私たちは気付いていましたが、同じ事に何度も同じように答えていました。一時的なものなのか、ちょっとした老人性の物忘れなのか、分からないのですが、しっかりと豆ご飯と金目鯛の煮付け、フキとタケノコの煮物を作っていたので多分大丈夫と思いました。お祖父ちゃんが、ここ数ヶ月、椅子から転げ落ちたのをきっかけにして、腰の上の部分を打って痛めてから、ちょっと「うつ」になってたとの事だったのですが、お祖父ちゃんも元気そう。1時間ちょっと6人で夕飯を食べて、楽しい時間を過ごして祖父母の家をあとにしました。その際、お祖父ちゃんに「今度お茶を飲みに行こう」と誘いました。

 さて、昨日のこと。私が美容院へ行っている間に、お祖父ちゃんから電話があったそうです。「お茶を飲みに行こうと言ってたけど、いつにするか」とのこと。私は最初から実は計画していて、今日、行くつもりでいました。しかしお祖父ちゃんが本気に考えていたとは、びっくり。まあ最初から本当に誘うつもりだったので良いのですが。お祖父ちゃんには昨日電話で「明日のお昼過ぎ、1時半に迎えに行く」と約束しました。

 さあ、今日はお祖父ちゃんとお茶の日。さすがに2人でいても会話に自信がなかったので、お母さんにも一緒に来てもらうことにして、3人でなんと、ドトールでお茶しました。そのドトールは、祖父の家から歩いて10分くらい。祖父も良く知っている、私の後輩の女の子がアルバイトで勤めている所なのです。だから祖父は喜んで一緒に行ったわけです。歩くのは腰を痛めてから、リハビリのために良いそうです。ただ、「うつ」に入ってしまうとどうしても外に出るのがイヤになってしまうので、歩かなくなり余計に歩けなくなってしまうのです。そこで、ちょっとでも希望が持てるような目的をお祖父ちゃんに提案して、お茶に誘ったのです。私が祖父を迎えに行って、ドトールでお母さんと待ち合わせして3人で1時間近く、お茶しました。祖父は耳が遠くなってるとか、一時は認知症ではないか、という疑いもありましたが、どうやら私たちと一緒にいるときには、そういう事は感じられませんでした。大変、楽しそうに3人でカフェ・ラテやらロイヤル・ミルクティーを飲みながら、ミラノサンドやケーキを食べて、たくさんおしゃべりをして帰ってきました。

 祖父だけでは可哀想ではないか、というわけではないのです。実は祖母は祖母で、先日も私の母親と一緒に明治座にお芝居を見に行ったり、1月には温泉に行ったりしています。それぞれ別々に行動しているのが、ちょっと残念ですが、本来は祖父母とも仲良く一緒に行動してくれると良いのですが、どうもいろいろあるようで、そういうわけにはいかないみたいです。ですので、出来る範囲で、私達も祖父母を元気づけられればいいな、と思いながら、今回のお茶ということになりました。これで少しお祖父ちゃんが元気になってくれれば、嬉しいことです。

電車内で、元宝塚スターに遭遇

 先週の土曜日、旦那と東京に帰省する際に乗った電車でのことです。すでに、富山駅のホームで「その人」を見たときに、あれ?もしや・・、とは思っていたのですが、ノーメークで帽子をかぶり、お母様のような方とご一緒だったので、半信半疑で、もちろんホームでは声をかけさせて頂くことはありませんでした。

 富山駅から乗った特急列車内、なんと私たち夫婦は、「その人」とお母様がお座りになった席の、同じ列の通路を挟んだ反対の席でした。要するに、同じ列で、AB席に「その方とお母様」、私たちがCD席だったのです。車内で帽子を脱いで、すっぴんのお顔をちらちらと拝見し、私はほぼ間違いないと確信しました。そのことを旦那に告げると、「まさかあ~、だって本当に芸能人ならグリーン車に乗るでしょう」と言いました。いやあ、それはどうか分かりませんよね。グリーン席が空いてなかったのか、気さくな方なら、別に普通の指定席でも良いと思うかもしれません。というか、私も富山駅から特急のグリーン席に乗ったことがありますが、実は、普通の指定席と、あまり変わりなく感じたので、それからは普通の指定席にしていますし。(もちろん、グリーンの方が、席はゆったりしていて、足を置けるオットマンの様な物もついてますが)

 さて、私はそわそわと、どうしようかと迷いました。声をかけさせて頂いて良いものか、しかしほぼ間違いないとは思っていても、もし間違っていたらどうしようか。旦那は隣で、声をかけてみたら?と言っています。プライベートですし、お母様らしき方とご一緒だし・・・と、迷っていたら、そのお母様らしき方がお手洗いに立ちました。あ!今だ!と思い、思い切って立って近寄って腰をかがめ、「失礼します。もし間違っていたらすみません。もしかして、もと宝塚の剣さんでは・・・」と、声をかけさせて頂きました。最初、とまどったようなお顔をされていましたが、私がお名前を出すと、「はい、そうです」と答えてくださいました。その瞬間、パララララ~ララララララ~、ラララ~と言う感じに、私の中で嬉しさと楽しさと幸せと、その他様々な感情が入り交じり、スコ~ンと頭の頂上を突き抜けていきました。

 それからはほんの5分もなかったと思うのですが、お話を手短にさせて頂きました。元宝塚男役トップスターの、「剣幸」さんでした。この方は、確か富山県出身だと、何かで読んだことがあったので、余計に確信があったのです。やはり富山出身で、お母様とご一緒でした。私は剣さんが宝塚でトップの時に、何度も東京の劇場に足を運びました。誰が好きというより、宝塚が好きだったので、3ヶ月に一度は行っていました。退団されてからは、舞台やテレビに出演されていて、去年の夏にお昼のドラマ「金色の翼」に出演されていたときは、毎日見ていました。その事を剣さんにもお話しして、テレビで見ていたときよりも、体格があまりに細くて驚いたので、「少しお痩せになったのではないですか?」とお聞きすると、「いえ、今が一番太っていますよ~」と笑って答えてくださいました。ということは、テレビに映ると少し太めに見えるというのは、本当のようです。しかも男役の方にしては小柄で、びっくりしました。本当なら色紙でもあればサインを頂きたいところなのですが、メモや他の代用品でボールペンで頂くのも失礼かと思い、その旨をお伝えして、握手をして頂きました。プライベートの時に失礼しましたと、謝りました。本当に感激しました。

 席に戻って、旦那に剣さんとの会話を話し、嬉しくて涙が出てきました。自分が好きで見に行っていた舞台のスターの方との、思いもかけない遭遇。しかもノーメークでも分かってしまった自分の目の確かさ、すごいなあと自分をほめました!さらに、プライベートな時なのに、気軽にお話ししてくださって、「ご出身は?」なんて聞いても下さいました。旦那曰く「スターのオーラが感じられない」と、最初確認するまでは言っていたのですが、私が思うに、芸能人の方にもいろいろな人がいるのだと感じました。派手な感じで全身スターオーラが出ている方、帽子一つかぶると普通の人と同じに見える方、そのときに応じてオーラが出る方、多分いろいろ。以前、富山駅で、作家の家田荘子さんをお見かけしたときは、ものすごいお派手なお姿で、お声をかけられる状態ではありませんでした。お仕事帰りそのままだったのかもしれません。

 剣さんは多分、プライベートでお母様とご一緒だったので、普通の感じだったのでしょう。ファンだからこそ、分かりました。しかしあの方は、小柄でも、舞台で見たときの男役トップスターの輝きは、すばらしいものでした。まさか私と、ほぼ背の高さが同じだとはびっくりでした。それこそ、小柄なのを感じさせない、舞台の上では大きく見える迫力です。テレビで見ていても、あんなに痩せているとは。本当にお会いできて嬉しかった。感激でした。ただ、特急の中は比較的空いていたのでお声をかけさせて頂きましたが、本来ならプライベートなお時間でしたので、申し訳なかったと思います。気さくにお話ししてくれて、この場を借りて、再度お礼します。ありがとうございました。

母ちゃん、保険やめないで~

 東京の実家で、母ちゃんともめました。ほんと、お金のことではもめたくないし、母ちゃんも頑張ってやりくりしてるのは分かっているので、あんまりガミガミ言いたくないのですが、さすがに今日は、おもいきり母ちゃんに言いまくってしまいました。少し強く言いすぎたと、いつも反省するのですが、今日はこれで良い、ただ、いつまでも引きずるのはよそうと、思いました。

 去年の2月に母ちゃんは、胆石の手術をしました。その際、民間会社の入院保険はかけていたのですが、元々保険に入った時点で、胆石はあってまだ主治医から手術は勧められていない、とのことだったので、それをちゃんと保険の担当者に言って告知というのをしてから、入りました。すると母ちゃんの場合は、2年間何もなく経過すれば、その後、胆石の症状が悪化して手術ということになっても、入院費も手術費もでます、ということでした。が、その2年を経過する前に症状が悪化して、入院・手術となったわけです。ですから、入院保険を請求することが出来ませんでした。要するに、3割の健康保険適用の金額を、病院に払ったわけです。

 さて、母ちゃんは今日突然、入院保険を解約しようか考えていると、私にうち明けました。これにはびっくらこいて、「何言ってるんだ」と猛反発。母ちゃんいわく、胆石はもうとってしまったから、私はこれ以上病気にはならない、いざというときはやはり現金だから、入院保険をかけている分は、自分で貯金したい、なんて言い出しました。これにも、私は猛反発!胆石をとったからと言って、これから病気にならないなんて、誰が保証してるんだ!万が一、手術が必要な病気をしたら、その分の費用はどうするのだ、万が一、骨折でもして1ヶ月とか入院したら、その分の入院費はどうするのだ、と、とにかく思いつく事を並べ立てて、何とか入院保険を続けさせる方向へ説得しました。

 月々、だいたい5500円の入院保険の支払いです。貯金したい気持ちも分かりますが、本当に万が一、と言うときのことを考えたら、私たち姉弟ではカバーしきれない費用になってしまう可能性があります。母ちゃんにはきつい言い方をしてしまったと思いますが、申し訳ない、そこまで私たちには多分、経済的な余裕がないと思うのです。こんなことを言っていて、本当に病気にでもなったら、なんて思って、イヤな気持ちになる方もいるでしょう。しかし、保険は保険だと思ってかけていてほしいのです。私のように、入院保険に入って約2年したら、難病を発症して、もうどの保険にも入ることが出来なくなってしまった、という人間もいるのです。入退院を何度もして、もし入院保険に入っていなかったら、看病の他に、思い切り経済的にも親に迷惑をかけていたでしょう。私たち子供は、何かあれば親を助けたい、と思っています。しかし、お金がなければ出来ないこともあります。もし、入院保険をかける分を貯金したいなら、私と弟で保険代を支払うから、と言ったら、母ちゃんは怒って「あんた達にそんなことさせない」なんて言っていましたが、そう思ってくれるなら、そのまま継続して保険に入っていて下さい。強い言い方して母ちゃんゴメン。

GWは東京に帰省

 明日からGW。今年はカレンダー通りのお仕事の方は、前半・後半、どちらで休みを長めにとるか、と考えていたことでしょう。後半の5月の連休がやはりGW本番かと思います。うちの旦那も後半で帰省、の予定でした。

 旦那の予定に合わせて、私も5月の連休に一緒に帰って、連休明けに一週間ほど残って、病院での検査などに行こう、と予定していたところ、旦那が4月28日に東京出張となりました。そこで、明日の26日から一緒に東京に行ってしまおう!ということになりました。ちなみに旦那は、カレンダー通りの出勤なので、29日の祝日に富山に戻り、それから三日間は仕事をして、また連休に東京に帰省する、という忙しいスケジュール。私は、明日帰省したら、そのままGWは実家にいることになりました。その間に病院へ行ったり、用事を済ませることにしました。

 さて、GWのお休みの間の予定としては、旦那の実家へ行って、家族皆で久しぶりの顔合わせをしたり、2年ぶりに大学の親友に会ったり、美容院へ行ったり、私の祖父母の家へ行ったり、などなど、病院以外にも結構もりだくさん。あっという間に過ぎそうです。だからと言って、連日予定を入れてしまうと、体調を崩してダウンしてしまうので、一日おきくらいに外出をするつもりでいます。天気が良かったりすると、思わず出かけたくなる気持ちを、ぐっと押さえ込んで、実家でゆっくり休む時間も作って体を休めながら、GWの東京帰省を楽しんで、リフレッシュしてきたいと思います。

細かい掃除をしてみる

 私は掃除が好きではありません。しかし、自宅が汚れているのは嫌いなので、週に2回は、はたきでパタパタしてから、掃除機をかけます。その間の日は、床のホコリが気になればクイックルワイパーをつかって、ホコリなどをとるようにしています。お子さんのいるおうちでは、毎日お掃除しているご家庭もあると思いますが、私は手抜きをしてしまっています。あまり神経質に掃除を毎日していたりすると、しなくちゃいけないような気になってしまって、以前、体調を崩した覚えがありました。それからは、二人家族だし、週に2回だけ掃除機を使って、あとは気になったらちょちょっとワイパーでホコリとり、という感じにしてからは、体にかかる負担も少なくなりました。旦那は「ホコリでは死なない!週に一回で充分だ」と言ってくれるので、それはとても嬉しい心遣いです。

 しかし、何といっても私が嫌いな掃除は、「水回り」。トイレ・洗面台・お風呂・台所のシンク部分。ああ~、もう、あの水あかがイヤ!!これ、好きな人はいないと思います。皆、きっとイヤでしょう。でもきれいにしている主婦(主夫)の方は、本当に素晴らしい。うちは、土日だけ、お風呂の掃除を旦那がしてくれます。それ以外は、お風呂は、とりあえず風呂釜は毎日洗うのですが、気になるのは、お風呂の壁や床、ドア(?)などに目立ち始めるカビ。もうこれだけは、仕方なく、数ヶ月に一度の割合で、シュッシュッとカビキラーのようなものを使います。結構、指が疲れますよねえ。仕方ない、カビをほっておくと、もっともっとカビますから。

 昨日、タレントの松居一代さんがテレビ番組で、依頼のあった方のお宅に伺って掃除を指南する、みたいなコーナーがありました。そこで、まだ完全に治癒していないお鼻の状態なのに、一生懸命、他のうちの「トイレ」を掃除していました。しかも、便器に顔を突っ込んだような状況もあり、これはたいしたものだ、と感心してしまいました。トイレを綺麗にすることは、良い運気をもたらす、ようなことも聞いたことがありますし、先日、高岡の瑞龍寺で、便所の神様のお札を買ってきて、トイレに飾ったばかりでした。松居さんまではいきませんが、今日、何となく体調も良かったので、日ごろ出来ていない「水回り」の掃除をしてみました。

 トイレは、普通に掃除してから、水を流して上から水が出てきますよね。あの上の水を受ける部分が水あかで気になっていたので、歯ブラシの使い古しの物で、ゴシゴシ。それから、洗面台の蛇口台の水あかも気になっていたので、歯ブラシでゴシゴシ。台所の洗い物をおくスペースが気になっていたので、それもきれいに洗って、最後に、歯ブラシ立てを、もう中を見るのも恐ろしくなっていたのですが、思い切って中を開けて水あかをゴシゴシ。綺麗になりました。ものすごく満足です。昨日の松居さんに感化されて、たまたま体調も気分ものって、今日、細かい部分の掃除が出来て、とても良かったです。

 細かいところの掃除は、気が向いたとき、もしくは、月に何回とか決めて実行するのがいいですよね。そのときは、古い歯ブラシを使って、丹念に掃除する。そのほかのときは、大ざっぱにとりあえず掃除しておく。そのくらいの気持ちでやっていないと、本当に主婦(主夫)って、することが限りなくありますから。今日は、細かい掃除ができて、気分がいいです。

ひさしぶりに口内炎

 久しぶりに口内炎が、出来てしまいました。ベーチェット病で、口内炎(正式には、口腔粘膜のアフタ性潰瘍といいますが)は、当たり前の症状で、私は学生の頃から、よく口内炎は出来ていたので、皆よく出来るものだと思っていました。が、普通の方は、年に2・3回だと、私の主治医から聞いて驚いたのが、随分前のこと。ベーチェット病ではないかと診断されてから、ずっと飲み続けているプレドニン(ステロイド)以外の薬も、随分と症状を抑えてくれているのか、発病して2年くらいしてから、気付いたら口内炎が出来る回数が減ってきていました。ただ、どうしても、口腔内のどこかが炎症をおこし、歯茎がただれ気味だったり、びらんのような状態であることは、時々ありました。ここ半年くらいはびっくりするくらい、口の中の症状は良くなってきていました。

 ベーチェット病は口内炎が出来ることが、第一症状の基準のようにもなっていて、発症したのだと診断される前には、月に2回は口内炎が出来ていた、というより、口の中に治ってはでき、治ってはできていたので、当たり前のようになっていました。それが、薬を飲むようになって、だんだんできなくなって、ここ半年の間は、多分、2・3回くらいしか出来ていませんでした。しかし、昨日、発見!1・2ヶ月ぶりの口内炎。これ、久しぶりに出来ると、ほんと痛い。忘れていた痛さです。

 皆さんそうかもしれませんが、私の場合、口内炎は口内のあらゆるところに出来ます。歯茎はあたりまえ、おきまりの頬の内側、舌、扁桃腺、まったくどこにあるのか、見つけることがまず大変。私は必ず外出から戻った時や、掃除の後、気付いたときに、イソジンでうがいをするのですが、その時に口の中で痛みを感じると、どこかに出来ている証拠。しかも、口内炎ができると、できた側の首のリンパから肩・背中あたりまで痛く、凝っているような腫れているような感じになるので、ちょっと辛い。昨日はどこにできたのか、一所懸命、鏡を見て調べて、ふとした時に舌をくるっとめくったら、なんと今回は舌の下、右側の方にちょっと離れて2個見つけました。「これだ~」と思わず嬉しくなって、口内炎用の軟膏をぬりぬり、早く治ってください、と願いをこめながら塗りました。

 右側の首と肩がもう辛いので、痛み止めのロキソニンを飲んでしまいました。口内炎て、それくらい辛いときがありますよね。一般的には、口内炎は疲れやストレスから免疫力低下になり、ビタミン不足が原因の場合があるようです。一応、私もビタミン不足にならないように、野菜を多く取り、サプリメントもマルチビタミンをとってます。久しぶりに口内炎になると、こんなに痛かったんだなあ、と実感。それくらい、できる期間が延びてきたこと、嬉しくは思っていますが。治るまで多分あと数日、頑張ります。

無神経よ!絶対!

 日曜のことでした。前日の土曜日に富山県内ちょこっと観光をした私と旦那は、仲良い感じだったのですが、夜になって、旦那の無神経な態度に腹をたて、そこからムカつき始めて、前日のラブラブムードも壊れました。

 誰だって、くせや悪いところ、あります。私だって、神経質で、怒りっぽく、八つ当たりもするし(これはみんな家族に対してだけです。内弁慶です、私は)、病気持ってて、わがままです。しかーし、うちの旦那の許せないくせ、これ絶対許せない!

 日曜、夕食を近くのファミレスで大人食い(?)をして、幸せな気分で帰ってきた私たちは、居間のコタツに入ってテレビを見たり、雑誌を見ていました。旦那は座椅子に座って、私は旦那の横に、寝転ぶ形で横になりながら、本を読んでいました。そうしたら、なんと、わずか30センチ横に私がいるのに、座椅子からお尻を片方浮かせて、「ぷっ」とオナラをしたではありませんか!!しかも、私の頭が旦那のお尻の横にありましたので、もろ私の横顔に向かってお尻を浮かせてしたのです!!これ、マジ頭にきました!ものすごい怒って、それから口をききたくありませんでした。旦那は何度も謝っていました。だから、途中からはちょっと許したふりをしていました。

 しかし心の中はもう怒りでいっぱいです。「私はいつかこいつと絶対離婚してやるー!」と激しく怒っていました。オナラをすること事態は、仕方ないことです。それは別に良いです。でもいくらなんでも、自分のお尻の横に、妻が寝転がっていて、妻の顔があって、その横顔に向かってお尻を片方上げて「へ」をしなくても良いではありませんか。左ではなく、右にお尻を上げてすれば、それでよかったのです。「いやねえ~」くらいですんだのに。何も考えずに、したのでしょう。その無神経さに腹が立って、実は昨日、実家の母親にものすごい勢いでグチりました。母親は笑っていました。「私、もう絶対離婚だよー!」と言ったら、それくらいでいちいち離婚するな、と言われました。私が「へ」が原因で離婚すると騒いでいると、母親が私の弟に話したら、「バカらしい」と一蹴したらしいです。

 まあ、母親に愚痴ったら、怒りは収まりましたので、離婚は今のところしないつもりになりました。でも本当にムカついたのです。あまりの無神経さに。こんなことを繰り返しながら、結婚生活、何十年になるのでしょう、きっと。多分、おそらく・・・。

ちょこっと富山観光

 一昨日の土曜日に、富山県ちょこっと観光を、旦那としてきました。まずは、知人に美味しいと聞いていた砺波市にあるホテルのランチバイキングを、二人ともお腹が破裂するくらい食べてから、スタートです。

 高岡市にある、国宝のお寺、瑞龍寺。ここは長野に住んでいた頃お世話になったお坊さんが、去年このお寺で講演会のようなものをされたと聞いていたので、ぜひ一度行きたいと思っていました。土曜日はとても良いお天気で、本当にさわやかな日でした。そんな春らしい陽気の時に行くことができて、とても良かったです。瑞龍寺は、加賀藩・前田利長公の菩提寺だそうで、総門から一直線に、山門、仏殿と見えます。まずその総門に立ったとき、見事な眺めに、感動しました。青空と、総門から先の景色とが本当に素晴らしかったのです。京都や日光のような派手さはありませんが、落ち着いた風景画のような、心ゆったりと歩いて、中に入って、旦那と二人で「素敵だね、良いね」を連発していました。観光バスから降りてきたと思われる人達にまぎれて、お坊さんのお話を聞いて、ゆっくりと見学して次の場所へと移動しました。

 次に行ったのは、瑞龍寺から車で10分くらい。あ、っと思ったら見過ごしてしまうかもしれないところにある、日本三大仏と呼ばれているひとつ、高岡大仏です。日本三大仏を全て見られた人は、富山県出身者と、うちのように転勤で富山に住んだことがあるとか、富山に永住してしまったとか、大仏好きな方とか、でない限り、中々ないことだと思います。鎌倉・奈良・高岡の大仏ですもの。この距離間では、全て見るのは難しいですよね。高岡大仏は、「え?ここ?あら、本当だ、大仏様がいる」と言う感じの、通りに面したところにありました。通りからはもちろん、ちょっと入ったところ一直線の先に大仏様が座っているのですが、よ~く見ていないと、見過ごします。しかし私たちは一発で見つけました。大仏様の近くまで行くと、うっすらと目を明けていらっしゃいます。不思議と、どこから見ても、私たちを見ているような気がするのですよね。観光客の方はほとんどいなくて、いい時に行きました。ゆっくり見ることが出来ました。

 富山には、まだまだたくさん見るところはあるのですが、こうして少しずつ、体の調子が良いときに、観光していきたいと思っています。今回のちょこっと観光は、本当に良い天気に恵まれて幸せでした。春を思い切り感じながら、見て回ることが出来ました。

気楽に生きましょう。

 今日はフラメンコの練習日でした。担当の先生がお休みで、そういう時には、もう一人の先生が来て下さいます。今日の臨時の先生は、別の曜日の担当で、私の練習日の先生より、年上でまさにフラメンコも大人の色気漂う踊りとなります。(ってほどの差はないのですが、やはりそれぞれの先生で個性が違いますからね)

 練習もいつもの先生とはちょっと違っていまして、ひとつひとつをじっくりと教えてくださるタイプ。だから、大きな動きはなくても、終わってしばらくしてから、体のあちらこちら、いつもは使わないところが筋肉痛になってきます。どちらの先生でも私は良いので、時々こうして臨時で来てくださったりすると、また違った練習ができるのも励みになるかと、自分で思っています。

 実はフラメンコも、あと二ヶ月すると一年習ったことになります。本当に時がたつのは早いもので、それだけの成果があがっているのか分かりませんが、とりあえず一曲の踊りはなんとか覚えました。私が習っているのは、クラシックバレエの要素が入ったフラメンコらしく、大きな舞台で踊るようなフラメンコです。ですから、舞台の端から登場して、中央に何列かで大きな動作を交えて、しかも今の曲は日本で言う「扇子」、フラメンコ用語だと「アバニコ」と言うのですが、それを使って踊ります。旦那や家族に「踊ってみろ」と言われるのですが、とても家では踊れません。それをなんとか一曲だけ、振り付けを覚えた、と言う状態。まだまだフラメンコの基礎の踊りを覚えてませんし、毎回、悪戦苦闘です。しかし、楽しいです。多分、踊るのが好きなのでしょう。

 今日は先生に、その悪戦苦闘ぶりが分かってしまったのか、あまり真剣にやりすぎずに、分からなくなったらまた来週聞こう、また来週やるだろう、程度の気持ちで取り組むくらいで良いよ、といったニュアンスのアドバイスを受けました。要するにもう少し「気楽に」と言うことでしょう。もちろんプロになるとかなら別だけど、あくまでも趣味、カルチャーとして練習しているのだから、それがあまりにストレスになってはいけない、ということですね。確かに、自分では結構気楽にやっているつもりですが、先生から見ると、ものすごい形相でカウントを数えながら、イッチニサンシ、とてきぱき確実に、みたいな踊りに見えたのでしょう。私の性格ですね。

 多分、もっと力を抜いて、余裕をもって踊ると、フラメンコですからそれなりに色気なんかも出るのかもしれません。今の状態だと、器械体操みたいです。これって、生き方にも通じるところがあると思いました。もちろん真剣に取り組むべき時もあります。しかし、そういう時ばかりでなく、気を抜くところは気を抜いて、心に余裕を持たせて生きていく。もっと気楽に生きましょう、と、今日はフラメンコの練習で先生から教わった気がしました。私も早くもっと色気のあるフラメンコが踊れるように、なりたいな。もう少し「気楽に」「余裕」を覚えて。

アドバイザーが欲しい!

 ゴールデンウィークに、東京に帰省することになりました。旦那の会社はカレンダー通りの出社ですが、4月下旬にちょうど東京への出張が入ったので、土日にかけて帰ってしまうことにしたのです。いつも帰省する際に悩むのが、持ち帰る洋服です。

 東京に帰るのは、第一に病院へ行くのが目的ですが、それと同時に、毎回いろいろな予定が入ります。お世話になった先輩に会ったり、友人と会ったり、義理の両親の家へ行ったり、などなど。今回は、2年ぶりに大学時代からの親友に会うのと、義母の母の日の食事会の予定が入りそうです。そこで悩みが、モコモコと頭に浮かびます。その頃の東京の気候はどうだろう、持っていく洋服はどうしよう、と。

 私はファッション・アクセサリー・お化粧など、女の子が興味があることに関して、目覚めるのが遅かったと思います。まあ、そんな経済的余裕がなかったときもあるのですが、本格的に考えるようになったのは、一回目の結婚生活が破綻して離婚した後。お金はなかったけど、急に興味が沸いてきて研究しました。しかし、ファッションに関しては、あれはもう才能と言うか、ひらめきと言うか。私にはその、洋服に関する「ひらめき」とか、センスがありません。一応、このシーズンの流行はどんな感じか、とか、雑誌やテレビでチェックはしますが、それを自分に応用できないのです。はやりの洋服を買っても、どうやってコーディネイトして良いかが分からない。一つの着方しか出来ない。それなりに服は持っているつもりですが、それをどうやって、他に持っている服と合わせて着こなせば良いのか分からないので、ああ、アドバイザーが欲しいです。

 義母は大変おしゃれな方で、会うときにちょっと緊張です。今でもお綺麗で、すらっと背が高くスタイルも良く、ファッションセンスも良いので、チェックされます。反対にチェックされないときは、私が着ている服が今一歩なのでしょう。去年の秋頃に気付いたのですが、義母は多分、毎シーズン、一着は流行を取り入れた服を買っていると思います。50代ですが、かなり若く見えるので、今時のはやりを買ってみて、自分に似合わないとなると、私にくれます。ラッキーです!去年の秋には、ローライズのジーンズと、カットソーを頂きました。とりあえず流行をチェックして、挑戦してみるという、そのおしゃれ心がすごい。これは私も真似させていただこうと思いました。それにしても、毎回帰省の時には、寝られなくなるくらい悩んでしまうので、もう少し気楽におしゃれを楽しみながら、考えていきたいと思います。

瞬間的に甦る記憶

 時々あるのですが、過去の記憶が瞬間的に甦ってくることが、最近何度かありました。瞬間的に思い出しては、忘れてしまうこともあるし、こうして一週間くらい忘れられない場合もあります。何か暗示的なことでもあるのかしら、と思ってしまいます。

 一週間くらい前に、車を運転中に、信号機の赤で止まった時でした。ふと左横を見ると、コンビニエンスストアといっても、24時間営業のではなく、地元のスーパーの小さいお店、みたいな雰囲気のコンビニを見つけて、瞬間的に頭の中がグルグルと過去に戻りました。あれ?こんなお店を見たことがある、いや違う、よく行っていた、どこだっけ?自宅の近くだった、歩いても行ってたよね。地元の野菜とかお花とか売ってた。心の中で自問自答。そして信号が青になって車を走りだしてから、思い出しました。そうだ、長野での一回目の結婚生活の時、自宅アパートの近くにあったお店だ。そう思いついた時から、次々にもっと思い出します。そのお店に関係ないことも連鎖して。暑い夏、まだ車の免許を取ってなかったとき、自転車で田んぼ道を走っていた。ものすごく暑いのに、チェーンが外れちゃって、途中から自転車を押して帰ったっけ。車に乗るようになってから、仕事帰りに、今日月曜はあの自宅近くの小さなコンビニで、地元野菜がお安く販売しているから買って帰ろう。長野でも私の住んでいた地域は、天気が晴れの日数が多くて、春とか秋とかには、散歩がてらに田んぼ道を歩いていた、時には午前中の涼しいうちに、マラソンなんかしていた。仕事が休みの時には、小さなコンビニまで、散歩をかねて歩いて買い物にも出かけていた。そんな思い出が、ものすごい勢いで甦ってきます。なぜでしょう。

 何度かそういう、一回目の結婚生活と、今の結婚生活が、混ざってしまって、いつだったけ?そうだ、一回目の時だ、なんてことがあります。そんな時は、たいていちょっぴり寂しい気持ちになります。あんなこともあった、と思い出すと、随分前の出来事になってしまった、と過去を振り返る時間とでもいうのでしょうか。決して辛いことだけでなく、良いことも楽しいこともあった一回目の結婚でしたが、結果的に離婚に至ってしまったので、どうしても思い出すと、「ああ、そんなこともあったのに・・・」と気持ち的にまだ落ち込みます。だいぶそういうこともなくなりましたが、やはり何年たっても、瞬間的にこうして思い出しては、振り返るのかもしれません。

 でもそういうことがあると、「私も人生重ねてきてるなあ」なんて、感じてしまいます。まだまだたくさんの人生の先輩方にはかないませんが、ふと思い出しては、悲しい気持ちになったり、寂しい気持ちになったりする、忘れられないような出来事が多くなってくると、もしかして大人になってきてるのかしら、なんて思っちゃいます。年だけは、とっくの昔に大人なんですけど。

春の散歩

 何日かぶりに、富山は快晴の今日。午前中はちょっと曇り空でしたが、お昼に近づくにつれ晴れ間が広がり、車で外出しようか、歩いて行こうか迷っていましたが、歩いて出かけることにしました。先々週あたりから、何となく間接が痛み、膝から下がしくしくというか、だるいというか、そんな状態でしたが、今日は少し調子がよく、思い切って、歩いて10分くらいの富山駅前まで行くことにしました。

 さて、まずは何を着ていこうか迷って、ドアから外の空気を感じてみると、すっきりとした暖かさで、あくまでもモアっとした感じではありません。でも日差しは大変よく降り注いでいたので、これは歩いているうちに暑くなる可能性あり、と思い、ブラウスに綿のマフラーを首に巻いて、上着は白のフリース、それにジーンズと、日焼け予防のために帽子をかぶって外に出ました。とってもさわやかな空気です。歩き始めてすぐに、「車でなくて良かった」と思いました。日差しも夏のような強さではないですし、汗をかくほどの暑さでもなく、風もほとんどなく、とっても心地良かったのです。何度も歩いている道ですが、キョロキョロと何か新しい発見はないかと、あたりを見回しながら歩きました。桜の名所のひとつである「松川」沿いは、もう桜が散り始めています。ちょうどお昼の時間で、ランチを食べに、または買いに会社から出てくる人達が、たくさんいました。自分も東京ではこのうちの一人だったな、なんて遠い記憶も甦ったりしました。

 駅前までゆっくり歩きました。急げば多分10分。でも15分くらいかけて、ゆっくり。春の空気を感じながら、散歩のようにあたりを見ながら。楽しかったです。駅前で用事を済ませて、歩いて持ち帰ることが出来る程度の買い物をして、今月から富山県ではスーパーのレジ袋が有料化したところが多いので、マイバックに買った食品などをつめて、さらに、通りかかったお花屋さんで、お花まで買ってしまいました。自分で花を買うのは、心に余裕が出始めた証拠だと、自分では思っています。多分、富山に引っ越してきて一年以上。富山で自分から花を買ったのは始めてです。でも小菊を少しなんですけどね。何だか、お彼岸でもないのに、可愛い小菊を見ると惹かれるんです。

 約一時間くらいので用事を済ませて帰途に着きました。帰りはもう、春を感じる余裕はなく、ひたすら歩いて帰る。そうなんです、行きは余裕があっていいのですが、帰りが用事を済ませて、休まないで帰ってくるので、疲れてしまうのですよね。これがいけないと自分で思うのですが、ついついお茶をするなら自宅で・・・なんて、思ってしまう。ちょっと休めば体も楽になるのですが。でも今日は快晴で、本当に春の陽気で、こんなときに散歩を兼ねて外に出かけることが出来て、本当に良かったです。ちょっと嬉しい出来事でした。

家族の負担になってるの?

 きっと、持病のある方、または病気の方は、一度は考えるのではないかなあ、と思うのが「私は家族の負担になってるかもしれない」ということ。特に収入がなくて、入退院を繰り返した経験がある方は、感じたことがあると思っています。この感情は、看病している家族にとっては、「そんなことを思う必要はない。あなたがいるだけで良いのだ。病気でもなんでも、また元気になって、いつか皆で家で楽しく生活できるようになるはずだ。」と反論したくなる方がほとんどでしょう。私が看病する側の家族だったら、そう言うと思いますし、怒るかもしれません。しかし、病気を持って家族に迷惑をかけている本人にとっては辛いのです。そりゃあ、年中そんなこと考えていたら、「うつ」になります。ふとした時に、そう思ってしまうことが、私はあります。

 うちの旦那は車好き。前のブログにも書きましたが、どうやら年内に新車を購入したいようです。しかし、ここ半年くらい、急に「お金がない、お金がない」と言い始めました。うちの家計は旦那がやりくりしています。私は食費他雑費用に一ヶ月いくら、と言う形で頂いています。一般的には奥さんが家計を握っていると思いますが、うちは反対。旦那が自分でするから、と最初に言ったので、いろいろと使うこともあるだろうと思い、任せることにしました。だから、私は頂いたお金で一ヶ月やりくりしていて、経済的に苦しいことはほぼありません。(夏冬のまとまったクリーニング代やら、自分のフラメンコの練習代を除いては)旦那の通帳から、ガス水道電気・電話代・携帯代・他いろいろ引かれて、多分、いくらくらい残るかは見当がついていました。でもそれにしては、「ない、ない」と言うので、きっと貯金か何かをし始めたな、と思っていたら、どうやらそのようです。でも突然の出費(懇親会やら何やら)で、そう思うようにお金は動きません。自分で頑張っていたようですが、お金が苦しいときって、どうしても口に出てしまうし、機嫌にも影響しますよね。何度か話し合ったりしました。

 昨日もお金関係の話をしていて、貯金するのは将来に向かってのものだから、と言う夫に対して、あまりにも苦しい状態では良くないから、今はそれはボーナスで貯めていこうと、私が反論するいつも通りの展開。しかし、昨日は新車購入も諦めるかもしれない、みたいなことを言い始めました。実は私は前から、新車を購入後どうやって月々のローンを返済してゆくのか、不思議でなりませんでした。そこまでのお金は今のお給料からじゃ、出ないだろうと予想していたのです。でも車は旦那の唯一の趣味。なんだか、話しているうちに可哀想になってくるのです。私が働かないでいるから、旦那のお給料に頼りきって、旦那は買いたい物も買えない。もし、二人で前のように働いていたら、結構経済的に余裕があって、食費はきっと私のお給料から出せたでしょう。旦那は好きな車を買うことも出来るでしょう。しかし、私は共働きをしていた時期に病気を発症し、その年は働きながら、短い期間の入退院を3回繰り返しました。フルタイムの仕事と家事の両立は無理でした。じゃあ、パートで週に何日かの仕事をすればいいのかもしれませんが、実は自信がありません。風邪を引けば1週間寝込んだり、二ヶ月に一度は10日間くらい東京の病院へ行くために帰省したり、病状は検査をすればいつも数値的に高値安定の数値。発症してから主に、5年くらいで重症化するかどうか一つの目安だと、主治医は言っていました。入院はしたくない、できれば自分の体調が安定するまで無理したくない、そんな自分を肯定するのに必死です。

 もし、旦那は私がいなければ、経済的にもっと楽でしょう。もし、私でなく、健康で働き者のお嫁さんだったら、こんな事態にはならないでしょう。それらはすべて、「もし」であり、誰でも病気になる可能性があることは充分わかっています。でも考えるのです。私は旦那の負担になっているのだろうな、って。このまま病気が重症化せずに、入院もせずに毎日を過ごしていければ、それが一番旦那や両親にも迷惑や心配をかけないで済むことも、良く分かっています。でも考えちゃいます。私がいなければ、旦那は楽だろうな、って。

 あんまり考えていると「うつ」っぽくなるので、やめます。旦那にはいつも自分の気持ちを言っています。本当に私が負担になっていれば、そういう態度もとるでしょうし、何らかの意思表示をするでしょう。だから、考えてしまう時もありますが、立ち直りも早めにして、明るく二人で生活できるようにしたいです。だって、本来なら、贅沢をしなければ充分な経済的状態ですから。ただ、私がいなければ旦那はもっと好きなことが出来るだろうな、という感じなのです。もしくは私が健康で働いていれば。もっと、開き直ってしまえばいいと、いつも義母から言われます。本当に、私って、クヨクヨしてます。一見下町生まれの下町育ちのチャキチャキに見えるんですけどね。

「マカ」ってどうなのかしら。

 よく考えてみたら、ベーチェット病を発症してから、病院で処方される薬のほか、いろいろな民間療法的なものに挑戦しています。同じ病気の方にお聞きしたら、やはり最初は多くの人が、いろいろな民間療法的なことや東洋医学も試すようです。まさしく「わらをもつかむ思い」とでも言うのでしょう。何をかくそう、私もその一人、だと最近気付きました。

 旦那も病気に関しては、副作用がないのなら試してみなさい、という意見を持っていますので、考えてみたら、結構挑戦していました。まずは、鍼灸師の先生から勧められた「ビオチン」。これはいわゆる「ビタミンH」です。アトピーの方や、掌せき膿庖症の方が、ビオチンを飲んで回復したということをお聞きして、ビオチンは免疫的な病気にも効果があるらしいというご意見から、多分半年くらい飲んでいました。しかし、特に大きな体調の変化がみられず、いつのまにかやめてしまいました。

 それから、ある飲料会社から出ているサプリメントも試しましたが、私はこれを飲むとゲプっとなってしまって、やめました。ちなみに旦那はこれを飲み続けて、アトピーが少し改善されてきました。市販されているビタミンCも、タブレットの物をしばらく飲んでいました。ビタミン関係は、今はマルチビタミンのサプリを一日1個飲んでいます。黒酢も飲みました。ビンに入っている物を薄めて飲むタイプで、ここの会社の物が良い、とどこかで調べて、売っている店まで何度か買いに行きましたので、半年くらい続けたでしょうか。さらに、「ノニ」も飲みました。義理の母から頂いたのですが、母はお腹の調子が良くなる、と言っていましたが、私は特に変化がありませんでした。それでもノニのジュースがなくなるまで飲んでいました。

 結局、何が効くのか分かりません。しかも、長く飲んでいて気付いたら「そういえば体調が改善されていたわ」みたいな、そういうものばかりに挑戦して、特に体に気になる変化がなければ、3ヶ月から半年は続けていたと思いますが、やはり効果があったのかどうか分かりませんでした。考えてみたら、この病気は基本的に治らないから難病なのであって、しかも私は今のところ、疲れやストレスをたくさんためなければ、症状が悪化することはありません。規則正しい無理のない生活と、精神的にストレスを自分で溜め込まないこと、落ち込まないように工夫すること。そして自分的には、どうしてもプレドニン(ステロイドの薬)の影響か、コレステロールが高いので、食事の内容に気をつけること。これらを注意して生活していくことが、病気を悪化させない一番の方法なのかな、と思っています。それでももう少し、体力的に疲れがたまらないようになりたい、とか、生理痛をなんとかしたい、とか考えていますので、最近「マカ」に興味を持っています。どうなのかしら、「マカ」。

キュートな女性

 私には、悩んだ時に話を聞いてくれたり、相談にのってくれたり、アドバイスをくれたり、一緒に食事をしたり遊んだりする、大切な同性の友人・先輩方が何人かいます。親友に関しては、今のところ一生付き合うだろうと思っている友人が3人。そして、先輩方については、何人かいらっしゃいます。

 私より年上のお姉さまでお世話になっている方々は、東京に数人、あとは長野や、現在住んでいる富山にもいらっしゃいます。前に勤めていた会社の先輩だったり、同僚だったり、旦那の仕事関係で知り合うことが出来た方など、どうやら私は年上の女性に、特に恵まれているような気がします。その時々に、メールや電話、東京の実家に帰った際に会って食事会をしたり、ランチをご一緒したりして、楽しい時間を過ごしながら、悩みを聞いて下さったり、アドバイスなどをして下さります。その皆さんに共通しているのが、「可愛い女性」だということ。

 ふと、「キュートな女性だ」と感じたのですが(年上の方に失礼かもしれませんが、すみません)、それは昨日ランチをご一緒して頂いたお姉さまを思った際のことでした。昨日も様々な話をして、聞いてくださり、アドバイスをして頂いて、本当に楽しく、良い時間を過ごさせて頂いたのですが、ともすると内容によっては、その場がどんよりとしてしまうだろう真剣な話の時でも、お姉さまの「ほんわか」した雰囲気で和みながら、肩の力を抜いて自分の気持ちを話すことが出来るのです。さらに、一つの話題だけでなく、様々な分野の話題が飛び出し、話がつきません。ランチの最中は、会話が多岐に渡り、真剣な話から笑ってしまう内容まで、最終的には楽しい時間を過ごさせてた頂いて終わったのです。家に帰ってきてから、考えました。私は本当に年上のお姉さま方に恵まれていて、幸せだ、と。そして気付いたのが、その年上のお姉さま方に共通しているのが「可愛い」「キュート」女性だと言うことでした。

 私は、30代後半になり、持病があり、いつも体のとこかが痛くて、イライラしていることが多くて、旦那に八つ当たりしたり、自分が落ち込みやすくなり、自分の性格も嫌になり、加えて肌にはシミやしわも多くなり、体は重力に逆らえず下半身にお肉がついて、上半身が寂しい状況になり、と、本当に年を重ねるということが、体にも出始めていると実感しています。これをどうにかしたい、と思えば思うほど、どうにもならなくてイライラするのです。しかし、私が憧れている、お世話になっているお姉さま方は、皆さん、何かしていて(仕事でも、趣味でも)、生き生きと明るく、それでいて無理をしていない。もちろんたくさんの悩みもあると思います。仕事がお忙しい方もいらっしゃいます。それでも、それを表面には出さずに、楽しいこと好きなことをしながら、自分の心に素直に生きている、と感じるのです。また、自分を追い詰めていない、そんな感じも受けます。だから雰囲気が「ほんわか」としていて、そして皆さん共通しているのが、どこかいわゆる「天然」な部分があるということ。だから話していても楽しくて、話題もつきない。同性としても一緒にいて楽しいのですから、これは男性にもモテモテでしょう。しかもそういう方は、外見的にも、おしゃれ。本当に憧れてしまいます。

 まだまだお姉さま方のようにはなれないでしょうし、私は「ほんわか」なんて素敵な雰囲気をかもし出すことは出来ないかもしれません。でも憧れです。私もいつかお姉さま方のように、いろいろな悩みや辛いことがあっても、それを表面に出したりしないで、自分なりに落ち込みすぎない程度に考え、人と一緒の場では楽しい時間を過ごせるような、明るさとその場を読む力を備えて、そしておしゃれでいたい。そんな「キュート」な「可愛い女性」になりたいな、と思いました。

新車購入予定?

 うちの旦那の趣味は「車」です。多分、今のところ、これが唯一の趣味と言えることでしょう。洗車はもちろん、車内の内装の変更やら、自分でつけた足元を照らすランプやら、車外のアンテナやら、ゴールドなマークやら。独身だった頃は、随分とお金をかけて、いろいろと工夫していたので、結婚してから経済面でそこまで車にお金をかけられなくて、ちょっと申し訳ないな、なんて思ってしまったりもします。とにかく良く働くし、タバコもやめましたし、会社関係の懇親会以外では、夜に飲みに行くなんてこともありませんので、せめて車は好きなようにさせてあげたいとは思うのですが、やはり中々・・・。

 今年、その車を、買い換えようとしているようです。ちょうど丸6年、今の車に乗りました。まだまだ新車のように綺麗だと、私は思っています(ちょっとほめすぎかしら)。というか、旦那もそうですが、私も今の車をとても気に入っています。平日の昼間は私が乗っているのですが、セダンの大変乗り心地の良い車で、バックモニターもついていて運転しやすいし、色も気に入っています。しかし、旦那いわく、東京の実家に帰るときに、もう少し大きい車の方が運転しやすいそうなのです(排気量が多いと言うのでしょうか)。長い距離を走るには、ちょっと力不足だと言うのです。大切に乗っていますが、6年乗ったのは、彼の車歴の中では始めて。きっと我慢していたのかもしれません。

 さらに、旦那が言うには、多分来年には「消費税が10%になるのではないか」、とのこと。衆院解散が、洞爺湖サミット前だとか後だとか、冬だとか、いろいろな説が流れていますが、とにかく解散後、選挙が終わるまでは消費税は上げないだろうから、今年中に車を買い替えたいらしいのです。なるほど、そういう予測があるならば、車の値段に10%は、かなり良いお値段になるでしょうから、納得。ということで、去年末あたりから、ぼちぼち車のディーラーさんに、気になる車種を見に行っています。試乗なんかもしてしまいました。でもいくつか候補の車があるようなので、それらを考えて試乗して、さらにモデルチェンジするものもあるらしいので、それも見てから、最終的には、そうです、「私が運転できるか」にかかっています!まあ、旦那が気に入ったら、結局はそれを乗れるようにするしかないのですが、普段は私が買い物などで運転するので、私が乗りこなせなければダメなのです。しかし、これまで軽自動車を運転していて、今のセダンの車も何とか運転できるようになったので、今度も頑張れるか!とも思うのですが、さすがにバックモニターが付いていなければ、もう私には後ろ向きで駐車場には入れられません。とりあえず、バックモニター完備は絶対条件で、あとは何とか頑張ろうかと、思います。ちなみに車体の色は、できればワインレッドが良いな、と二人で探しています。中々ありませんが。

「眉山」で涙。

 先週の金曜の話なのですが、夜のテレビドラマで「眉山」が放送されていました。映画とも原作とも違うラスト!と新聞には載っていたのですが、映画も本も見ていなかったので、始めて眉山を見たのです。旦那は仕事が忙しいので、もう今夜は一緒に夕飯を食べられないと分かり、夜の9時過ぎにはパパッと食べて片付けて、最初の20分くらいは見逃しましたが、「眉山」をコタツの中でゆっくりと見てしまいました。

 夜の二時間ドラマをゆっくり見られるなんて、中々ありません。旦那はだいたい平日の帰宅が9時過ぎ。それから一緒に食べるときは一緒に夕飯を食べて、片付け。先に自分が食べてしまっていても、旦那の分を用意して、片付けて。とりあえず、夜9時過ぎが一日の中で一番忙しい時間帯です。それが先週の金曜は、旦那には申し訳ありませんが、思いもよらず、夜の時間が空き、「眉山」を見始めたのです。最初は期待していませんでした。ただ、その前の週に、みのさんの「ミリオネア」にゲストで、富司純子さんと常盤貴子さんが出演していて、「ああ、この二人が眉山のドラマをやるんだ~」なんて覚えていたので、見始めたのです。常盤貴子さんは綺麗で、実家の母ちゃんが大好きなので、これは間違いなく母ちゃんも見ているだろうと、思いました。

 さて、ドラマを見ていくと、途中からだったのですが、もう母役の富司純子さんが入院しているシーン。そこへ娘役の常盤貴子さんが、実家の徳島の母のもとへ帰ってきたところ。自分の父親が誰だか分からないことを、ずっと心の底に秘めて、母とも打ち解けられない娘。しかし、実家で母親の入院支度をしているときに、昔の写真や、男性から母に宛てた手紙を見つけます。そして、入院している母親から、自分の父親について始めて聞くことになります。常盤貴子さんは、母親の若い頃と二役でした。回想シーンで、母の恋人役には、山本耕史さん。母は元々東京で生まれ育った芸者さん。山本さん演じる男性は、徳島から東京に出て来ていたお医者さん。実家の医院を継ぐために、徳島へ帰る数日前に、二人は出会ったのです。たった数日間で二人は恋に落ち、母は男性の実家である徳島へ、とりあえずの旅行のつもりで一緒に帰ることになります。しかし徳島では、実家の両親が進めたお見合いの相手の女性が、すでに両親と待っていたのでした。

 特に難しくもなく、分かりやすく、それでいてストレートな純恋愛物語だと、思いました。ドラマに関しては、ラストが大変素敵なお話になっていて、本当にもう号泣状態でした。こんなに素直な恋愛ドラマで、こんなに泣いたのは久しぶりだと、実感しました。母親役の富司純子さんが、ほとんどノーメークの状態で、病人の役を体当たりの演技。これはいつもドラマを見ていて思うのですが、病人がきれいに、薄化粧しているのはおかしいですよね。富司さんはよくお分かりだったのでしょう。本当に真に迫った、それでいて、人生をかけて愛した人をしっかりと心に秘めて、その人との大切な娘を育てた母役を演じていました。感動しました。見終わってからもう、涙が流れて流れて。あまりに泣けたので、、まだ帰ってこない旦那のところに電話をして、「今、眉山(びざん)がドラマでやっていて、すごい良くて、泣けて泣けて大変だよ~。ところで、あなたは大丈夫?忙しくて大変なの~?」と言うと、「あ~!?眉山がよくて泣けたの~?こっちはまだ終わらなくて「悲惨」だよー!」と返ってきました。あまりに上手い冗談に、泣きから笑いに転換しました。かわいそうに、その日に帰宅したのは、午前0時半でした。

 良いドラマ、良い映画を見るって、本当に心の洗濯になりますね。その一時、日常を忘れて、その物語に入り込む。そして泣いたり、笑ったり。これは精神的にも、良い作用があるそうです。うちの実家の母ちゃんも「眉山」を見ていたそうです。良かった良かった、と二人で感動を分かち合いました。

間接、痛みます~

 ベーチェット病の症状の一つに、間接の痛みがあります。リウマチの方とは違うようで、指などが変形してしまうことは、ないようなのです。私の場合は、間接の炎症の度合いを計る検査数値が、通常の基準値より、いつも2倍から3倍あります。先月の数値は3倍近くありました。しかし、症状的に、我慢できないような痛みですとか、そういう状態ではないので、日常生活には支障がありません。痛くなったら、とりあえず「ロキソニン」という鎮痛剤を飲んでしばらくすると痛みが緩和されてきます。

 ここ数ヶ月は間接の痛みがありませんでした。数値だけが高かったのですが、先週あたりから何となく膝がしくしく痛み出し、金曜には新年度になって始めての、そして久しぶりのフラメンコの練習に行き、その日はそうでもなかったのですが、翌日の土曜から完全に膝、肩など痛み始めました。それでも我慢できないほどではなく、とりあえず「ロキソニン」を飲む。そうすると痛みが治まってきます。もちろん飲まないと痛いので飲むのですが、痛みが治まれば、それ以上は薬は飲まないようにしています。

 どの病気にも共通しているような気がしますが、季節の変わり目って、症状が悪くなりやすいような感じがします。さらに猛暑や厳冬も。じゃあ、一年中か、と言われるとそうなってしまいますが。 うちの旦那はアトピー性皮膚炎の症状が弱く出ていますが、やはりここ数日、仕事も忙しく疲れとストレスもあるせいか、いつもの場所にアトピーの症状がちょっと大きめに出ています。私の場合は、最近間接の痛みがなかったので、久しぶりの症状。真冬も大丈夫で、今年はコタツに良く入っていたので、きっと冷えも改善されて症状が出ていなかったのだと思っていのですが、今でもコタツに入っていても、間接が痛みます。本来ならフラメンコなんて、足をとても使うダンスなのでダメかと思いきや、そうでもありません。実際にリウマチの方も自分の体調に合わせて練習しています。私もそれを見学して、入ることを決めましたから。

 膝の間接が痛いかと思っていたら、昨日の日曜は右肩の間接、今日はまた膝です。でも今日はロキソニンを飲むほどではないので、大丈夫。薬を飲まないで良い時は飲みません。でも痛いのを我慢しすぎると、家事もする気になれないし、気分もするので、無理に我慢もしません。自分の体と心の具合をよく考えて、正しく薬を使えるようになってきたな、と自分で思いました。後はあまり「痛い痛い」と思い込まないこと。やりたいことをやってみて、やっぱり痛かったら、ちょっと加減するとか、次は同じことをしないとか、とりあえず、前向きな考えで毎日過ごしていくことが大事だと、今日はそんな前向きな考えができる一日でした。

桜満開!!

 富山では、昨日今日が桜満開!昨日は、富山城址公園とその近くを流れている桜の名所・松川沿いの桜を見てきました。本当に綺麗で、たくさんの人でにぎわっていました。されに全国ニュースでも放送されたらしいのですが、「全日本チンドンコンクール」という催しも近くで行われていて、さらに人出が多かったのではないかと思います。

 富山の城址公園は、歩いていける場所にあるにも関わらず、私達夫婦は「いつでも行ける」という考えから、夜に一度だけ散歩したことがあるだけでした。昨日は良いお天気で、気温も上がり、桜も満開になっている様子でしたので、ではこの機会にぜひ行こう!と歩いて行ったのでした。公園内は人でにぎわっていて、屋台がたくさん並び、お花見のシートで宴会をしている方々、家族でカップルで友人同士で、またペットを連れてお花見を楽しんでいる人達がたくさん。公園内をチンドンコンクールに出る方でしょうか、チンドンマンの方が、あの独特な音楽を奏でながら歩いていきます。なんとも情緒ある日本ぽい風景。そして歩いているうちに、松川沿いに出て(私達夫婦はまだ、いまいち、松川がどこをどう流れているのか、よく分かっていませんでした)、橋の上で川沿いに咲く満開の桜を眺めていると、川の向こうからは遊覧船にたくさんの人が乗って、松川の桜を眺めながら通り過ぎていきました。一度乗ってみたいとは思っていたのですが、船の中は人がいっぱいで、さらにどうやら船に乗るために待っている人もたくさんいるようでしたので、断念。二人で松川沿いを桜を見ながら歩いて行きました。

 さて、昨日はお花見のほかにもう一つ、目的がありました。それは、先ほどもふれた「チンドンマン」を見る事。私たちの世代くらいまでは、「チンドン屋さん」というと、どんな風だか分かります。あの見事に派手な時代劇風の衣装をアレンジした服を着て、かつらをかぶり、打楽器などを演奏しながら、新装開店した店などの宣伝のために町を練り歩く、という「チンドン屋さん」。今では町で見ることはほとんどありません。なんと、8歳年下のうちの旦那は全く知らないと言うのです。ぜひ、見てみたい、ということで、東京のチンドンマン(今はチンドン屋さんではなく「チンドンマン」と言うのですね)が、ステージでパフォーマンスを披露するという会場に、お花見の後、向かいました。実は偶然にも、東京の私の実家のマンションに、チンドンマンの方が住んでいらして、富山のコンクールにも出ると、以前聞いた事があったのです。まあ、かつらをかぶって化粧をして衣装を着たら、分からないだろうと思っていましたが、やっぱり分かりませんでした。

 すでに城址公園内で始めてチンドンを見た旦那は、びっくりして子供のような目で見ていましたが、東京のチンドンマンのパフォーマンスを会場で見て、やはりじっと見入っていました。私が子供の頃にみたチンドン屋さんとは随分と違っている方々も多く、中にはセーラー服を着たチンドンマン、喫茶店のウェイトレスさん風の方、現代的な時代劇風にアレンジした衣装を着た方、そして昔ながらの衣装のチンドンマンと、それはそれは華やかで不思議な舞台でした。一斉にオープニングで演奏した曲は、チンドン屋さんならこれを必ず演奏する、というあの曲。そして次には懐かしい、東京音頭。私は何だか嬉しくなって涙ぐんでしまいました。

 富山では「チンドンマン育成講座」みたいなものがありまして、一般の方が趣味でチンドンの練習をして、チンドンマンの技術を学び、いろいろな行事に参加したりしているようです。きっと、普段の自分とは違う自分になるのでしょう。またそれを見て、喜んでくれる人々の顔を見ているのも活力になるのでしょう。それにしても、富山にはいろいろな催しがあるように感じます。地域の活性化のために頑張っているのが、よく分かります。富山にいる間に、いろいろな行事を見て回れたらいいな、と思います。

おじいちゃん・おばあちゃんになったら

 前にも私の祖父母の話をどこかで書いた覚えがあるのですが、先日、東京の実家に戻った際に、お祖父ちゃんが、足だか腰だかを痛めたことをきっかけに、往診の先生が来てくれるので、あまり歩かなくなり、「うつ」状態に入ってしまったと、聞きました。以前から、祖父も祖母も「うつ」っぽく、特に祖父の方は、うつ症状の薬を飲んでいるようです。祖母のそうは、そんな祖父を看病していたり、一緒にいるとどうもイライラしてくるのか、感情的に不安定になるようで、私達(私や母)が時々顔を出すと、泣き出します。そして必ず言うのは「長く生きすぎた」ということ。体もあちらこちら痛くなり、思うように動かず、周りの友人は亡くなったりと、いろいろな要因があるのでしょう。本当に50代、60代、の頃には、祖父母とも、別々に好きなことをしていた二人。世界中を旅行していたし、趣味も祖母は三味線、長唄、芝居見学(これは今でも)他。祖父は様々な会合に出席、社交ダンスもしていました。今、二人は87歳、88歳です。

 私の祖父母の事を電話などで聞くと、どうして良いのか、本当に分からなくなります。そして私達はその年になったらどうしよう、と考えます。祖父母は高度成長期の日本で、本当にがむしゃらに働いて、頑張ってきたのでしょう。その分、趣味などもたくさんして、それはそれで良かったと思います。しかし、今、「長く生きすぎた」なんて言葉を祖母から聞くと、悲しくなります。時には「死にたい」なんて言葉も言うそうです。「うつ」に入ってしまっているのは分かりますが、たくさん頑張ってきて、長い人生を生きてきた先輩に、何も言うことは出来ません。ただ、孫としては(父親も同じ気持ちだとは思いますが)、いつまでも生きていて欲しい人なのに。

 旦那と祖父母の話をしながら、私達はその年代まで一緒に生きていられたら、どうしようかと話しました。お互いに趣味を持って、それが年をとっても出来る事なら続けて、後は仲良く毎日過ごそう、という漠然としたことしか思い浮かびませんでした。きっと体のあちこちは痛くなるでしょうし(今でも私は時々痛みますけど)、思うように動けなくもなるでしょう。そういう状態になったときに、お互いをいたわり合いながら、前向きに生きていくことが出来るのか。これから医療ももっともっと発達し、長寿高齢の方々が多くなるでしょう。年をとっても生き生きと楽しんで暮らしていけるように、社会的にもいろいろな方法を考えなくてはいけないだろうし、自分達もどう生きていこうかと、少しでも先を考えながら、暮らしていこうかと思いました。あまり考えすぎると、自分が「うつ」になるので、適度に。

夕飯、困っちゃうのよ~

 専業主婦ですから、家事を担当していて、夕飯を基本的に平日、毎日作っているわけです。でも本当にメニューに困っちゃうんです~。

 昨日は久しぶりにミートソーススパゲティに挑戦しまして、これは煮込む時間を考えると、1時間以上はかかりますし、他のスープなどを作る時間も考えると、昼間からミートソースは作っちゃえ!っという感じで、頑張って作りました。(昨日のブログのギャルソン風エプロンをつけて、ルンルンで)私は1時間以上キッチンに立っていると疲れてしまうので、出来るだけ一時間くらいで夕飯を作れるように工夫します。ですから昨日も昼間と、夜と分けて夕飯を作りまして、出来上がった物はとっても美味しく(自分で言うのは何ですが)満足しました。まあ、その後、旦那が帰ってきて、美味しい美味しいと言いながらもテレビを見ながら食べていて、ミートソースを見ていないので、腹がたちましたが。(だって、テレビを見ていて手元を見ていないので、食べ方が汚い!)

 食事作りを担当している方にとっては、三食作る方もいると思いますので、本当にすごいなあ、と感心してしまいます。私なんか、平日5日間、毎日夕飯作るだけでメニューに困って、イライラしてしまうのに。お昼に関しては、意外と自分ひとりなので、好きな物を食べたり、夕飯の残りを工夫して食べているので、こちらはあまり困りません。しかもお昼までは、あまりカロリーも気にしていませんし・・。

 自分が病気になって、飲んでいる薬の影響から、コレステロールが基準値を超えています。それから入院していた頃は、入院食を食べているときには、お通じがきちんとあるのに、退院して自宅で食事をすると便秘気味になることから、食事の内容に関しても気を配るようになりました。そのため、夕飯のメニューも、ちょっと考えてしまうのです。

 夜、旦那が帰ってきて食べる時間は、主に9時半過ぎです。この時間ですと、あまり油っこい物も困るし、その時間に揚げ物して片付ける体力が、私にはありません。そうすると、メニューも決まってきてしまい、いつも簡単に出来る、野菜ときのこたっぷりで油少な目・肉少な目の炒め物のメイン、が多くなってしまうのです。バランスも考えて、旦那は納豆好きなので、納豆や豆腐や味噌汁、サラダも出すことが多いです。ああ、困った~。平日5日間の5回だけのメニューなのに~。今晩は決まっています。とりあえず、豚肉と玉ねぎの炒め物、小松菜と油揚げの煮物、ですかね。明日はどうしようか・・・。どうしようもないと、もうお手上げで、近所の「サイゼリ○」で二人で食べちゃうんですけどね。

エプロン!

 先週・先々週と東京の実家に戻っていた際、いろいろな方にお会いして、頂き物をしてしまいました。私は、お会いする方々に、お土産を持参する気力もなく、正確に言うと、お土産を考える余裕がなかった、と言うのでしょうか。人と言うのは、誰かに何かをしたいとか、誰かのことを考えるには、自分の心に余裕がないと出来ないのだと、実感しました。本当ならお世話になっている方々に、お土産を買っていかなければならないのに、それすら考えることが出来ずに、精神的に追い詰められたように東京に戻ったのでした。その理由にはいろいろとあり、東京で様々な方にお会いして話しているうちに、自分の中で決着がついたこと、何となく疲れていた心と体に余裕が出来たことで、元気に富山に帰ることが出来たわけです。

 さて、タイトルにした「エプロン」。私は昔は使っていたのですが、このところ二度目の結婚では、エプロンは使用していませんでした。外出する際は洋服を着替えていくので、掃除やら料理やらで汚れた服で、出かけることがないからです。家用の洋服で、さらに冬なんかにはモコモコと重ねて着ているので、その上からエプロンじゃあ、なんか格好がつかないからと、余計に着ませんでした。ところが、東京に戻っているときにお会いした先輩から、カッコいい「エプロン」を頂きました!それが料理家の栗原さんのブランドの物で、とっても素敵なのです。いわゆるギャルソンエプロンと言うのでしょうか。胸のところがなくて、腰から下、もしくは自分しだいで、胸下辺りからくるっと巻いて着るタイプのエプロンです。そこで、久しぶりにそれをつけて、今週から料理をしています。なんとなく、気分もな感じで、ルンルンしています。嬉しいです。その「エプロン」が私に素敵な気分と料理の気力をくれました。

 私は主婦業は嫌い、と言っていますが、大ざっぱに一般的なことは出来ます。掃除洗濯料理のほかに、縫い物・編み物なども。編み物はセーターを一着作りました。ほとんどショールや帽子やマフラーです。好きなのは、レース編み。コースターやら直径30センチくらいの円形のテーブルクロスは、何枚作ったか覚えていませんが、ほとんど人にあげてしまって、残っていません。縫い物は、ミシンを持っていますので、スカートまでなら出来るかも。そこで、エプロン、です。エプロンを頂いたら、何だか無性にエプロンを自分で作りたくなりました。今までにも何枚か作って母親にあげたことがありましたが、マイブーム再来です。先輩に頂いた、ギャルソン風エプロンを作ってみたい、という思いに駆られています。私は型紙がないとダメなので、持っていたソーイング用の本を棚の奥のほうから引っ張り出してきて、エプロンの型紙がないか見てみました。ギャルソン風はなかったのですが、それに似たのはありましたので、ぜひとも挑戦してみたい!ただ、実家に帰ると、私の生まれ育った町が布地の町として有名で、商店街がずっと生地屋さんなので、本来ならその商店街で布地を買いたいのですよねえ。そこまでマイブームの火が消えずに、もってくれるといいのですが。

 してみたいこと、やりたいことが出来たら、挑戦しようと心に決めました。今読んでいる、遠藤周作さんの「生き上手 死に上手」と言う本の中に、「マイナスのなかにプラスがある」と言う章で、「病気の時でも不幸な時でも、これを「利用して何とかトクすることはあるまいか」と考えることである。」という節があります。これを読んだ時に、私は今、病気療養中で、あまり外出が出来なかったり、心がふさぎこんでしまうこともあるけれど、この時間を利用して、家でやれること、時には負担にならに程度に外で出来ることも、どんどん挑戦してみようと、改めて思いました。今だからこそ出来ることをする、こういう気持ちを持つ事で、前向きに考えていければと思います。で、エプロン作りに挑戦したいです!

太王四神記・いよいよ地上波

 うちのように衛星放送もBSも見られないご家庭で、ヨン様ファンの方、お待ちかねでしたでしょう。ペ・ヨンジュンさんのドラマ最新作「太王四神記」が、4月5日土曜からNHK地上波で放送開始となります。(ちなみに読み方は「たいおうしじんき」だそうです。)韓国在住の私の親友に聞いたところ、彼女は忙しくて見られなかったらしいのですが、24話完結でしたので、韓国では週に二回の放送で、あっという間に終わってしまった、とのこと。評判は中々良かったそうですが、日本で言う「時代劇」になるそうで、韓国語でもセリフの語尾が例えば「~でござる」みたいなセリフがあったようで、難しかったと言う噂も聞きました。

 さて、私のうちでは、実はヨン様大ファンのおばあちゃまから、BSハイビジョンで放送中の「太王四神記」を、わざわざビデオに録画して送ってくれているのです。一度DVDに録画したものを送っていただいたら、うちのDVDプレーヤーでは見る事が出来ませんでした。申し訳ないので、その旨お伝えしたところ、わざわざビデオに取り直して再度送ってくれたのです。地上波のほうは日本語吹き替えになり、どうやらヨン様の担当は「冬のソナタ」同様、萩原聖人さんのようですね。BSでは字幕なので、ヨン様のやさしい声が聞くことが出来ますので、私としてはその方が良いような気もします。(私はおばあちゃまほど、熱烈なヨン様ファンではないのですが)今のところ、6話まで見ています。ビデオは14話まで届いていますので、それ以降は地上波で見ようと、旦那と言っています。

 「太王四神記」のストーリーは、本当に複雑。おばあちゃまから3枚ほど、ナビゲーターのDVDを借りて見ていましたが、それでも実際に物語を見始めると、難解です・・・。国の設定から、神話的な伝説から、名前から、年代から、全てが日本人には馴染みがあまりないので余計ですね。はるか昔の伝説から始まり、王の座を狙った策略や、それに関わる周囲の人々の関係、そして恋愛と、様々な要素が絡んできて、さらに今までにはない韓国の時代劇風な設定・衣装やら激しいアクションが見所になっていると、私は思っています。ヨン様ファンにはたまらない、あの「フッ」と笑った笑顔で斜め下に向く表情も、たっぷりと出てきます。それに、自ら挑戦したと言うアクションも、結構すごいです。きっと怪我もしたでしょう。(実際に撮影中にヨン様は怪我をされてますものね)日本でまた、ヨン様ブームが復活でしょうか。

 それにしてもどんなに韓流ブームになっても、ヨン様の人気は日本では不動らしいですね。いろいろな韓国俳優がいますが、ペ・ヨンジュンさんはどうも別、らしいです。彼の何かが、日本の女性達の心の隙間に、すっと入って癒してくれているのでしょう。画面を見ていると、何となく分かる気もします。女性は「やさしい」男性を好む傾向があるとは思いますが、優柔不断ではなく、それなりに男気があって、さらに「やさしい」。そんな男性、実際にはいないから、ヨン様にその姿を投影しているのかもしれません。

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