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食料品上がり、ガソリン下がる?

 何だか、本当に食料品などいろいろと値上がりし、そしてガソリンは一時的にも下がるのでしょうか。国民は翻弄されますね。そして、富山県内では、明日から主なスーパーのレジ袋が全国に先駆けて有料化となります。

 牛乳・ビール・しょうゆ・食用油・パン・麺類、値上がりするとなっていますが、今まではたいして感じていなかったのですが、今回はちょっと心配です。すでに去年内に値上がりをして、今さらながらにそれを実感し始めていたからで、それがまた値上がりするということは、どうなるのだろう、という漠然とした不安です。さらに、ガソリンの値下げ、は本当にあるのかしら。それぞれの県、都市、スタンドによっても違うらしいですね。車を利用している仕事の方にとっては、本当に直撃の問題ですから、値下がりならそれまで待ってから満タンに入れたいでしょうし、私たちのように車が生活の移動の一部になっている人間にとっても、もちろん問題です。やっと季節的に少しずつ暖かくなってきたので、灯油については問題にはあまりなっていませんが、ガソリンは生活に影響しますよね。

 経済的に個人個人に影響があると言う点と、実際にガソリンを値下げしたスタンドが騒然となるのではないか、という状況。これって、ちょっと普通じゃないですよね。経済大国だ、なんていわれている今の日本で、国内でこんな混乱が生じるなんて、何か変。国会でも、お願いだから、国民の間で混乱が起こらないように、一つ一つの事を決めていって欲しい。ただ反対するだけじゃ、子供だって出来るし、結構最近の子供達は学校で、自分の意見を言うときに、反対意見を言うならその代替案を出すように、多分習ったりしているはず。私ですら大学に入って、まず最初に学長にそう教わった。意見を出すのは、どんどん出しなさい。しかしただ意見するだけでなく、そのほかの考え(代替案)を必ず出すように。(反対するだけなら、誰でもできる)まあ、そういったことを教わりました。

 富山県内では、明日から大手スーパーなどのレジ袋が有料化されます。マイバッグを持っていけばいいのですが、私はあのスーパーの袋をゴミ箱の内側にセットしています。きっとお年寄りの家庭などでは、ごみがほとんど出なければ、レジ袋をゴミ袋にしている家庭もあるのではないでしょうか。有料化に関しては、地球温暖化対策とのことなので反対ではありませんが、結局、各家庭個人に負担が加わるのだなあ、と思ってしまいました。

 こんなに様々な変化が経済的に起こる年度も、めずらしいような気がします。さて、私たちの生活に、どのくらい影響が出てくるのでしょう。うちはまだ夫婦二人ですから、影響を感じるのに時間がかかるかもしれませんが、4人家族6人家族などの家庭には、多分明日から直撃ですよね。これはいわゆる、日本国内が混乱している証拠になるのではないか、なんて思ってしまいます。

私はおしゃべり!?

 富山の自宅に帰ってきました。私が帰って来たとたん、天気が悪くなり、気温も下がって、東京の実家に戻った2週間前と同じ気候になっていました。この分だと、富山の桜の開花は今週末に天気が回復し、気温が上がった頃になるでしょう。東京から帰ってくる時に桜を見たので、また富山で二度目の桜が見られるのは嬉しいです。

 今回は帰省がいつもより少し長く、その分、用事もいろいろとありましたが、普段は会えない人にも会うことが出来ました。そして、たくさんの事に気付いた期間でもありました。この帰省を私の心の中では「心の旅」なんて思っておりましたので、本当にそのようになった気がします。

 まず第一に気付いたことは、「私はおしゃべりなんだ」ということ。これは実は誰に言われなくても、私の周囲の人達なら皆知っていることだと思います。子供の頃から「お前は口から先に生まれたんだ」と言われたくらいにおしゃべりで、私の前で話すと、その事柄がみんなペラペラと他の人にまで私がしゃべってしまう、という昔話を親から何度聞かされたことか。しかし大人になって、社会人として会社で働くようになって、立場的にも余計なことは言ってはいけない立場になりました。その時の上司が非常に厳しかったからか、私の中では決して「おしゃべり」ではない、と感じるようになっていました。でもこれはあくまで、働いている上での、仕事上の顔なのですよね。

 その後、一回目の結婚で長野県に住みましたが、その際も自分は誰も知らない土地に行く怖さなんて、ちっともありませんでした。その頃は若かったことと、相手に全幅の信頼を寄せていたこともあって、彼がいるのだから大丈夫、と思い込んでいたのです。実際は半年が過ぎた頃から、さすがに平日誰も知り合いのいない土地での生活は、つまらなくなって、さらに経済的にも困っていたのでアルバイトを始めました。それでも自分は、一人が寂しい、話し相手が欲しいのだ、なんてこれっぽちも感じていませんでした。そのうちにそのアルバイトをやめて、次に仕事をしたのが、その土地に新しく出来たコミュニティFMラジオのアナウンサーだったのです。その職場では、話すことが仕事でしたし、仲間は同年代から年下、年上の方までいましたので、寂しい気持ちがなくなり、仕事がとてもおもしろくなりました。逆にその当時の夫とはダメになりましたが。

 さて、離婚して東京に戻って最初のアルバイトが結婚式場での照明係り、次が選挙のうぐいす嬢、そして念願の東京のコミュニティFMでのアナウンサー、それらを経て、大学を卒業後に就職した始めての職場で厳しく教えられた秘書の仕事に就くことができました。考えてみると、みんな「話す」ことが必要な仕事です。話すことが必要ない仕事もあるとは思いますが、私の経験してきた仕事は、みんな人とのコミュニケーションが必要な仕事でした。私はきっと人と接する仕事が好きなのでしょう。そこまでは分かってました。ところが・・・。

 今回の帰省で、実家での生活二日目くらいにうちの母ちゃんが私に言ったのは、「あんた、そんなにおしゃべりなのに、家にいたら話す相手がいなくて、つまんないでしょ~」と言う言葉。そこで、はた、と気付きました。そうか、私はおしゃべりなんだ。富山の自宅にいるときは、うちの母親が一日に電話を2回くれます。これはきっと私の性格を良く知ってのことなのでしょう。確かに言われてみれば、話す相手がいる実家にいると、よくしゃべっています。もちろん体調が悪いときは別ですが、もしかして私は、人とのおしゃべりがストレス発散でもあるのだと、いまさら気付きました。それなのに富山にいるときは、平日は基本的に一人で、夜に旦那が帰ってきても、旦那も疲れているし、そんなに話している時間もありません。土日にしても、うちの旦那は疲れているのか、よく寝ています。もしくはパソコンをしたり本を読んだり、テレビは必ずついています。二人での会話はありますから、夫婦の会話としては問題ないと思うのです。問題なのは、平日の私一人の時間ですね。ああ、北陸にきて2年。やっと自分の性格に気付くなんて、恥ずかしい さて、明日からの毎日、どうするか。富山での生活をもっともっとエンジョイするために、おしゃべりな私はこの性格をいかして行動していきたいと、ちょっと考えてみたいと思います。

ジョナサンで ランチ!

 東京での帰省生活最終日。旦那様の仕事の都合で韓国に住んでいる、25年付き合っている親友が、たまたま帰国していることが分かって、今日のお昼にお互いの実家の中間地点にある「ジョナサン」でランチをしてきました。

 彼女とは去年の8月以来の再会。その間に電話やメールで連絡は取っていましたが、やはり実際に会うのとは違いますよね。しかも今年中には旦那様の仕事の関係で、日本に完全帰国する、と言う話が、本格的に決まったそうなのです。私も富山にいるのですから、東京~富山は遠いのですが、でも海外と日本内とでは、気持ちが違います。私が実家に帰省すれば、もういつでも会えるようになるのですから。

 つもる話がいろいろとあり、約2時間半、話しに話してから帰ってきました。彼女は結婚して約10年、子供も2人いるママです。私は×1、再婚生活2年目。やっぱり結婚生活の先輩であり、子供もいるお母さんですから、様々な生活での悩みなど、相談したら見事な答えが返ってきました。もやもやしていた悩みも、スパッと気持ちが晴れました。こうやって話を聞いてもらえて、アドバイスをもらえて、本当に感謝です。

 明日、富山に戻って、また夫婦二人きりの生活が始まります。こうしてリフレッシュした気持ちがいつまでもつか(?)分かりませんが、二人で出来るだけ仲良く楽しく、富山ライフを過ごしていきたいと思います。

カウンセラーみたいな存在!?

 私には鍼灸師をしている従兄弟がいます。昔から「お兄ちゃん」と呼んでいます。兄弟は弟が一人なのですが、従兄弟のお兄ちゃんとその妹の、私たち4人は、子供の頃から家族一緒に旅行へ行ったりして、4人兄弟に間違えられるような感じでした。不思議なもので従兄弟は他にいても、子供の頃からのこの4人は、大人になっても何かと連絡を取ったり、お兄ちゃんの妹からもお中元お歳暮・バレンタインデーのチョコが届いたりと、行き来があります。お兄ちゃんに関しては、東京の実家に帰ってくると、実家から歩いて10分くらいの所にある祖母のビルの2階で鍼灸院を開いているので、時間があると顔を出します。

 昨日も、お兄ちゃんの所に行って来ました。年明け始めての訪問でしたが、電話で話したりはしているので、まあ、いつも身近な感じですね。お兄ちゃんは、いわゆる温厚で静かな印象で、しかし、厳しかったり、面白かったり、親戚間では一番頭が良いと、うちの家族はいつも話しています。本人は多分、自分の好きなようにしているのでしょうが、親戚間では「あれは何か考えがあっての行動だろう」なんて、思われてしまうほど、思慮深いという印象なのです。私にとっては、まるで「カウンセラーのような存在」ですね。

 お兄ちゃんの所に行くときは、実際に、肩こりやどこかが痛いときなどの相談と治療をしてもらう時と、話を聞いてもらいたいときと両方あります。私にとってはお兄ちゃんの鍼灸は、大変効果があります。肩こりなど、治療してもらうと治ります。もっと勉強して、私のベーチェット病も治してくれ、とお願いしているのですが・・・・。まあ、実際の治療も非常に嬉しいのですが、やはり話を聞いてくれる相手がいると言うことが、何より嬉しい。私は本当に家族や周囲の人達に恵まれていて、実家に帰ってくれば、家族も友人も温かく(?)迎えてくれます。(富山に戻っても、良くしてくださる旦那の知人の方々もいらっしゃいます。)お兄ちゃんは、笑いながら、「ふ~ん」とか相づちとか、ちょっとした意見とか、入れながらも、基本的に私の話を根気よく聞いてくれるのです。多分、疲れるでしょうねえ。去年、「うつ」になった時も話を聞いてもらって、いろいろとアドバイスをもらいました。こうしてブログを書くようになったのも、お兄ちゃんのアドバイスがきっかけでしたから。

 家族や親戚、友人などに、話をして聞いてくれる存在の人がいて、自分も話すことが出来る状態だと、たとえ「うつ」状態になったとしても、軽減する確率が高いと思います。第三者であるカウンセラーにお願いすることも必要なときもあるかもしれませんが、身近な存在の人が、話し相手になってくれることが一番なのではないかと、私は思います。もちろん自分から心を開かないと、ダメですが。そういう意味で、私は恵まれているなあ、といつも周囲の人々には感謝しています。明後日には、富山の自宅に帰宅します。あとは明日、たまたま韓国に住んでいる親友が帰国しているのが分かったので、近くのファミレスで会うことになっています。それで今回の帰省は終了。ストレス発散・気分転換・思い切りしゃべりまくって、今度は5月のゴールデンウィークまで富山で夫婦二人で頑張りまっす。

「安宅家の人々」を見て真剣に語り合う母と友人

 お昼のドラマは、はまると本当にはまって見てしまいますよね。今、私は、年明けから見ていた「京都へおこしやす!」が2月で終わってしまったので、その後、「安宅家の人々」を途中から見ています。

 途中からなので、ストーリー的には分からない部分もあるかと思いきや、結構、昼ドラは途中からでもOK。あまりに二転三転ドロドロしすぎていて、話があまり 進まないことが多く、見ているうちに分かってきました。主人公を演じている遠藤久美子さんは、頑張ってますねえ、熱演です。もう物語は終盤で、今週の金曜で最終回のようです。あ・・・今気付きました。私、富山に帰る電車の中だ・・・どうしよう。見られない・・・。と言うときのために、うちの母ちゃん。ドラマの話をさせたら、すごいです。細かく語ってくれるので、多分、大丈夫。富山の自宅に付いたら母ちゃんに電話で最終回の様子を聞きましょう。

 今日は「安宅家の人々」の放送時間に、うちの実家に、母親の大変仲の良い友人がいらしていました。私も仲間に入って一緒になって見ながら、あれやこれやと話していました。分かってはいたのですが、なんと、まあ、母ちゃんと友人さんの「安宅家・・・」についての話し合いが、マジなんですね。「これはさあ、この子が(遠藤久美子さん演じる主人公のこと)、かき回してるのよねえ」「宗一さんは、どういう考えなのかしら」「譲二の母親がまた悪いのよねえ」などなど。おかしいですよ~、聞いてると。「これはドラマなんだから~」と、最初は私も言っていましたが、そのうちだんだん母ちゃんと友人さんのペースにはまり、というか、自らはまってみると、これがなかなか面白い。本気になってドラマについて語っていると、何だか本当にその気になってきて、身近な問題について話しているような錯覚に陥り、私もついついマジに話し合いに加わっていたのでした。

 ドラマなんだから、というのはよーく分かっているのです。でも、それでもはまってみる。なんでしょうねえ、あの高揚感。あまりに現実離れしているからこそ、真剣にそれについて話していると、自分も現実から一時離れられるからでしょうか。若いときは一歩引いた感覚でドラマを見て、それでも面白いから見るのですが、年を重ねると、だんだんとドラマに自分がはまりこんで見るようになるのでしょうか。だからこそ余計に、ドラマを真剣に見て、語り合い、そしてもちろん面白いから見続ける。でもこれって、結構素敵なことですよね。ドラマを見るのが楽しみで、家事や仕事を頑張れる、という女性もたくさんいると思いますから。

 さて、私がこのブログを書いている今も、別室で、母ちゃんと友人さんは、今度は「ごくせん」の再放送を見ながら、それぞれの家族の事を話し合ってます。そうです、お彼岸でしたから、それぞれ話題があるのですねえ。話し合いとテレビドラマは、多分あと1時間くらい続くでしょう。

検査結果はグ~!でした。

 一週間前に検査した結果が出ました。第一目的のベーチェット病の検査ですが、特に悪い数値はなく、いつも通り間接痛に関する数値が高いくらいで、これは症状として表れてはいないので、とりあえずこのまま体調を維持できるようにやっていきましょう。ということになりました。そして、第二目的として今回、注目していたアレルギーに関する検査結果ですが、なんと、このアレルギーの方々の多いご時世で、花粉もダニも猫も犬も、とにかくアレルギーに関しては反応なし、大丈夫、とのことで、結果はグ~でした。じゃあ、目が痒く感じていたのは何か、主治医に聞いたところ、ドライアイだからではないか、との答え。やはり今まで通り、目の乾きに気を付けて、ドライアイ用の目薬を付けることにしました。眼科でも特に問題が無く、ドライアイだ、とは言われたのできっと、そうなのでしょう。

 それにしても、本当にアレルギーの方がたくさんいらっしゃるのに、私は何もないなんて、大変嬉しい限りです。後はあまり自分で気にしないとこでしょう。確かに何か症状があると、気になり大きく感じてしまうのですが、こうして検査をして何でも無ければ安心できるのですから、しばらく様子をみて気になるようなら、あまり周囲の家族などに迷惑をかけずに(あっちが痛い、こっちが痒いと騒がずに)、早めに検査をしたり、主治医に診てもらうことですね。

 さて、東京の実家に戻って、一週間以上たちました。そろそろ、富山の自宅に帰る準備です。金曜に帰る予定ですが、今回はいつもより長く実家に戻っています。検査の関係や、いろいろと用事があったのですが、やはりいつもより長いので、なんとなくおかしな感じがしてきました。実家で自分の家のはずなのに、違うような、不思議な感じですね。私がいることでもちろん、母親にも負担がかかるでしょうし、自分もあまり長くいると、それに甘えてしまう。家事の他にも、いつも周囲に人がいることに慣れてしまうと、富山の自宅に戻ったときの、平日昼間基本的にひとりぽっち状態が、余計に寂しく感じてしまう気がします。まあ今回はあともう少し、と言っても2・3日ですが、ゆっくりして帰ります。

土日の三越・・・

 東京の日本橋三越に、行って来ました。いつもは平日に帰省した際に行くのですが、今日は実は、嫁ぎ先の母(義理ママ)の誕生日会を、昼間実家にお邪魔して、ママには内緒にしていてサプライズで行う予定で、義理の弟にも連絡を取って集まることになっていたのです。(なぜか息子である私の旦那は富山の自宅にいるので、旦那抜きで嫁だけが参加という、へんてこな事になっていましたが)

 土日のデパ地下は混むのが分かっていました。ポイントは行く時間です。一番良いのは午前中。しかし実家(旦那の)に集合するのが午後3時でしたので、私の実家の母親に付き合ってもらって、午後12時半頃に家を出て、三越に1時頃に着きました。この時間だと、やっとデパ地下は混み始めたところ、と言う感じ。すぐに誕生日ケーキを見つけて、それをその場で買って預かってもらって置いてから、その他、三越に来たついでに、明日お邪魔する予定の親友の家へのお土産や、母親が食べたいと言ったお菓子を買って、それをまた預かってもらっておいてから、3Fにある三越友の会のカウンターへ。その後、2Fや1Fでちょっと見て回ってから、午後2時過ぎに再度、地下へ。その頃にはもう、デパ地下は人人人・・・。人がいっぱ~い。とりあえず、人をかき分け、すり抜け、母親が買いたいと言ったお味噌・佃煮を買って、預かって置いてもらったケーキやお菓子を取りに行って、三越での買い物が終了したのでした。

 デパ地下は本当に混みますねえ、しかも土日は特に。平日はそれでも午後5時過ぎくらいまでは、余裕で買い物ができる印象があります。土日は午後1時過ぎからは、よほど頑張って行かないと、ヘロヘロになりそう。今回はもう混むのが分かっていたので、最初に三越に着いた時点で、第一目標の誕生日ケーキと、第二目標のお菓子を買って預かってもらっていたのが正解でした。そうしていなければ、ケーキも売り切れの場合がありますし、混んでいて買うのに時間がかかってしまうこともあります。しかもケーキを持ったまま、人だかりの混んでいる中をウロウロしていたら、形が崩れてしまいますから。我ながら、うまくいったと自画自賛でした。

 その誕生日ケーキも、義理ママに喜んでもらえたようなので、大変嬉しい一日でした。まあ、息子本人がいなかったのは寂しかったと思いますが、弟もいたことですし、ちょっと我慢して頂いて、来年は家族みんなでお祝いできるといいなあ、と思いました。無事にママの誕生日会が終わって、ほっと一息です。

「鹿男」も「だいすき!!」も良かった

 今週は連ドラ最終回ラッシュ。来週もそうでしょうか。とにかく、クールが変わる時期で、楽しみにしていたドラマが終わってしまうのは残念ですが、ハッピーエンドでの最終回は、見ていて本当に楽しかった~、良かった~、という印象が残りますよね。

 昨日の最終回は「鹿男あをによし」と「だいすき!!」。「鹿男・・・」については、毎週基本的に見ていたのですが、「だいすき!!」は実家の母親が見ていて、とても良いと聞いてから、最終回の3回前くらいから見てました(すみません、にわかファンで)。ただ、放送時間がかぶっていたので、ビデオに撮るとかではなく、あっち見たりこっち見たりして、結局良い場面を見逃していたりしたので、こういう見方はいけませんなあ、と自分で思いました。

 「鹿男・・」は本当におとぎ話しのようで、見ていて笑っちゃうのですが、それがまたおかしくて、ついつい次回も見てしまう、と言う感じでした。以前のブログでも書きましたが、エンディングで鹿の大群が走ってくる姿のスローな映像が、見ていて「ゾクゾク」するほど格好良かった。ドラマの中では、鹿が人間の言葉を話していて、これ本当にこんなことがもしかしてあるかもしれない、なんて夢のような想像もしちゃいます。今度、奈良に行って鹿達に会ったら多分、私たち夫婦は鹿に話しかけてみることでしょう。

 「だいすき!!」に関しては、ラスト3回くらいしか、しかも飛び飛びで見ていたにもかかわらず、主人公を周りで支えている人達の優しさに、本当に癒される思いでした。現実はそんなドラマのようにはいかない、と思う方もいるかもしれませんが、でも現実だってきっとすてたもんじゃない!と思いたくなるハッピーエンドでした。

 ハッピーエンドのドラマは、見ていて本当に最後、嬉しくなり、心がほっとしますよね。時には哀しくて寂しいドラマも見ても良いのですが、年を重ねてくると、哀しみとか寂しさとかそういう感情は、見ているうちに自分も一緒になってしまって、涙が止まらなくなったり、見た後もその感情を引きずってしまうのです。(そういう感覚に、どっと浸りたい、と言うときには良いのでしょうが。)さて、今度の日曜には「佐々木夫妻・・・」も最終回だし、次のクールのドラマも楽しみだし、テレビドラマは結構、私たちの生活に、気分転換や元気な気持ちをもたらせてくれるものですね。

髪型どうしよ~

 髪型に、もうずいぶんと悩んでいます。自分が好きな髪形と、似合う髪形というのは、どうやら違うようなのですね。

 私は基本的にロングヘアーが大好き!しかし病気をして入退院を繰り返した結果、髪の毛を長くしていると、ちょっと対処に困ってしまうことがわかりました。もちろん、入院中にロングヘアーをきれいに束ねて、頭の上にキュッと丸めてまとめている、粋な女性もいらっしゃいましたが、ショートヘアが何年も続いている私には、そんな技術はすでにありません。そんなこんなでここ5年ほどショートヘアでした。

 私の学生時代は、いわゆるソバージュが流行で、私もロングにしてソバージュよりもすこし大き目のパーマを、頭のてっぺんからかけていました。しかし、その頃の写真をうちの旦那とその同僚に見せたら、大不評。しかもふけて見えると言うのです。ショートへアのほうが断然若く見えるというではありませんか。しかもロングよりもショートのほうが似合うと。心で葛藤です。若く見えたい、でも大好きな長い髪の毛でふんわりパーマをかけて、エレガントな感じにしたい。あああ~、どうしよう。明日、美容院へ行く予定です。本当はカラーも変えたい。

 多分、結局、ショートなのでしょう。ロングにするにはもう少しがんばらないと、今、ちょうど中途半端な長さです。これを乗り切る気力と、ロングを維持できるのか、自問自答です。だから、ちょっとボブ風のショートにして、次に美容院へ行く時に、思い切ってカラーを変えようと思います。今年の春は、ピンク系の茶色が流行ってますよね。透けて見えると、赤っぽく見える茶髪です。これがしばらく流行しているようなら、挑戦してみようかなと。やはり若くは見えたい。でも年相応なエレガントさも出したい。しかし似合っている髪形のほうが良い。なら、髪型は自分の中で100歩譲ってショートでも、せめて色を変えてみて、少し遊んでみよう、今、そう思いました。それにしても、はっきりと、ショートのほうが似合う、といわれると、ロング好きな私はガックリ。でも似合ってるほうが、やっぱ良いもんね。自分の髪型なのだから自分の好きなようにすれば良いのでしょうが、人の意見も時には聞いて参考にしなければ、本当に自分に似合っているものを、見つけることはできないですよね、多分。

スマスマを見る父

 実家の父親が「スマスマ(SMAP×SMAP)」をテレビで見て楽しんでいる。この事実にびっくりしました。

 うちの父親は、私が小さな頃は、父の両親(私の祖父母)が経営している米屋で、一緒に働いていました。ところが、私が小学5年生の頃、嫁姑騒動(?)が発端だったのか、おばあちゃんに「出ていけー」と言われて、一家4人(父・母・私・弟)で、祖父母と同居していた家から出ていきました。それまでの父のイメージは、「夜になると家にいない」という感じでした。お付き合いなどで、夜になると飲みに出かけていたわけです。その上、年に2・3回はフィリピンなど海外旅行にも行っていて、父親との距離は自然に離れていました。しかも非常に神経質で、ご飯中にグラスやお椀をぶつけた音がすると、無言で頭をぶたれたり、父が昼寝をしているそばを通って音でも立てようものなら、ガバッと起きあがってこれまた無言でばっしーん、とぶたれたものです。本当に怖くて厳しい父親でした。

 祖父母の家から出て、家族4人で暮らすようになってから、少し父親のイメージが変わってきました。それでもまだまだ厳しい人でしたが、朝晩と父・母は働いていたので、テレビをゆっくりと一緒に見たりしたことは、あまり記憶にありません。年末年始くらいでしょうか。でも父親が時代劇が好きなのは知っていました。時代小説を米屋の頃にたくさん読んでいたからです。4人で暮らすようになってからは、小説も読む余裕がないほど、働いていました。厳しいとはいえ、ありがたいことでした。しかし、私たち姉弟は、お父さんは怖い人だ、というイメージがずっとありました。

 さて、両親が朝晩働きづめの状態が、約10年近く続いてから、私たち一家は現在のマンションに引っ越してきました。母親はそれを機に専業主婦になり、父親の運送業でみんなで暮らしていました。その頃から、家族でテレビを見ながらゆっくりと夕食をとる、という家庭になってきたのですが、父親はもっぱらニュースか時代劇。もしくは時々硬派のドラマ。漫才やら、ワイドショーやら、トーク番組なんて、まず見なかったと思います。しかし人は年と共に変わるのですねえ。

 私の母親(お母ちゃん)は大のスマップファン。ジャニーズ大好き!さらにドラマ大好き。二時間サスペンスは、ほとんど見ている、というくらいドラマ好きでもあります。私が嫁に行ったり帰ってきたり(?)、弟が嫁をもらって出ていったり帰ってきたり(?)しているうちに、両親二人の時間が多くなり、やはり相手の影響もあったのでしょうか。なんとあの厳しい父親が、どちらかというとズボラ型のお母ちゃんが、ご飯中にガチャガチャ食器を当てたりする音や、食べこぼしたりする姿を見ても、何も言わなくなったではありませんか。苦々しい顔をしているものの、怒ったり不機嫌になったりする確率が、圧倒的に少なくなりました。お母ちゃんも年と共におおらかになりすぎ(?)、若いときには口答えしたのを聞いたこともありませんでしたが、時々父親に口答えしたり、怒ったりしています。夫婦逆転の図。今は、若い頃に耐えてきた母親の勝ち(?)。しかもテレビも母親が見ているものを一緒に見ているのです。そう、「スマスマ」を見て、喜んで楽しんで笑いながら母親と話している父を昨日見て、「ああ、人間って変わるんだなあ」と本当に実感しました。もちろん、連ドラ、サスペンス物も今では一緒に見ていますし、なんと「お笑い」も時々見ています。

 年を重ねて、性格が頑固になる人と、柔らかくなる人(丸くなる)と、いろいろな方がいるとは思いますが、父親は柔らかく丸くなりました。本当にびっくりするくらい。私は実は、父親似です。父の今の姿を見ていて、私も年を重ねる事に、何とか神経質な性格も、おおらかにならないものかと、願っています。

眼科・2時間

 今日は病院デー。午前中に眼科、午後に膠原病の内科。天気が晴れていて、暖かくて良かったです。

 まずは、約一年ぶりの眼科での検診。駅からちょっと歩いて眼科へ入ったのが、午前11時半頃、その眼科は午前の診療が12時半まででしたので、11時半頃に行けば、ちょうど患者さんも少し減っているかと思っていたら、なんとなんと待合室はたくさんの人。ああ、しまった、花粉症の季節だった、とそこで気付きました。しかし、来てしまった以上は受診して帰らなくては・・・。診察券を出して、ベーチェット病の目の症状が出ているかいないかの検査と、コンタクトレンズの処方をお願いしてから、空いている席を探して座ってから、まず一時間。ぼーっとしたり、携帯でメールしたり、お年寄りや子供さんは長い時間待っていると大変だ、なんて思いながら、やっと呼ばれて、まずは視力の検査や眼圧他と、コンタクトレンズの相談をして、お試しに2週間使い捨てのレンズを装着。今までワンデータイプのコンタクトだったのですが、今回は2週間用も使ってみることにしました。なかなか良さそうで、試したレンズで決めてから、また待合室へ戻って、待って待って・・・。気が付けば午後1時過ぎ。やっと患者さんが減って来て、そろそろか、と思ってからまた15分くらい。週刊誌を読んだり、壁のポスターに目をやっているうちに、やっと先生に呼ばれました。診察室に入って、ちょっとドキドキ。以前もベーチェットの検査を同じ先生にして頂いてるし、カルテもあるので、「どうですか?最近何か気になる症状ありますか?」と聞かれて、「ゴロゴロ感と、かゆいときがあります」と答えると、かゆみは、ベーチェットの炎症とは関係ないとのこと。早速、機器で目を見て頂いて、ドライアイと言われて、それから、炎症も見られないし、大丈夫です、と言われました。心の中の安堵感が声に出て、「そうですか~、良かった~。ありがとうございます。」とお礼を言って、かゆいとき用の目薬と、ドライアイ用の目薬を処方して頂きました。

 正直、本当にほっと一安心でした。去年も4月頃に来ていて、やはり特に自覚症状は無かったのですが、やはりドキドキするものです。少しでも症状が出ていたら・・、と。ベーチェットで眼の症状を抱えている方も、たくさんいらっしゃると思います。いつどんな風に症状が出るのか検討も付きませんし、分からないです。ですから余計に怖いのです(ただ、炎症なので痛みを伴うとは聞いていますが)。しかし早く発見する方が良いのは分かっているので、最低でも1年に1回は検査しようと思っています。で、やっと眼科で会計も済ませたのが、午後1時40分くらい。それから調剤薬局、コンタクトレンズのお店と、結局、目の関係で二時間半かかりました。

 それから少し歩いて、バスに乗って3つ目の停留所で降りて、いつもの病院へ。午後2時20分くらい。病院では待ち時間15分くらいで診察。2月に引いた風邪のこと、最近目がかゆいこと、他いろいろとお話しして、今回はアレルギーの検査もかねて血液検査。次は5月の連休明けに来まーす。と主治医の先生に告げて、血液検査の部屋へ行って、今日はなぜか血液の循環が良かったのか、針を抜いたらタラタラタラと流血。針の後をしっかりと押さえて会計を待っていて、名前が呼ばれて金額聞いて、びっくり!!いつものほぼ倍の金額でした。ああ、アレルギー検査ってお高いのね。

 処方された薬を調剤薬局でもらって、時計を見たら、3時半。どーっと、疲れとお腹空いたのと、やっと終わった、という安心感とで、トボトボとバス停へ向かって歩いて行ったのでした。

 あっという間の一日。病院デー。今回の第一の目的である眼科と病院での検査が、終わりました。明日はゆっくり一日するつもりです。そうしないと、なんだか疲れが出そう。それにしても眼科の患者さんの多いのは、毎回驚きますが、今回は今までで一番長い待ち時間でした。それだけ、花粉症の方やその他、目の症状の方が多いのですね。でも待ってるというのも疲れるものです。それでも、今日、病気関係の検査が全て終わったことが、何より良かったので、安心しました。これが終わらないと、その後の友人との食事会など、安心して行けませんから。ね。

新幹線での出会い

 病院での検査のために、今日、東京の実家に帰省しました。私は富山から一人で帰省する場合は、電車を利用しています。特急「はくたか」で約2時間、越後湯沢まで行って、そこからは上越新幹線で東京方面へ帰ってくるのですが、今日は、いつも帰ってくるときと違って、日曜だったので、特急も新幹線も、お客さんが多かった気がします。平日でも、お客さんが多い時はあります。特に「はくたか」の場合は、観光シーズン、例えば紅葉の時期などは登山の姿をした方々が、黒部から大勢乗ってきますし、時には修学旅行の学生達一団体と一緒になる時もありました。また新幹線に関しては、時期的には冬はスキーのお客さん、平日の夜なんかはビジネスマンの方々が多いです。

 私は約2時間の特急列車に乗ると、だいたい窓際で一人の事が多く、今日もそうでした(お客さんは多くても一人の方はそんなにいないので、余程混んでいないと、隣に人が座ることはないです)。やっと暖かくなってきた気候に、今日はお天気も良かったので、日本海はすばらしい深い青色をして、穏やかな海でした。ぼーっとしていたり、考え事をしたり、本を読んだりしていると、結構早く2時間は過ぎるものです。さて、新幹線に乗り換えると、人がいっぱい。もちろん、隣の席にも人がいました。女性です。私よりもずっと若い。ふと彼女が読んでいる本に目を向けると、英字。閉じた本を横目でちらっと見ると、ハリーポッターです。多分、最新作の英語版です。きっと学生さんだと、察しがつきました。

 新幹線に乗って約一時間で駅に着きますが、その10分くらい前でしょうか。何かのきっかけで、私から隣の女性に話しかけました。私は隣に座った方に声をかけることは、あまりありません。何かきっかけがあれば話しますが、迷惑になってもいけませんので、隣の方の雰囲気を感じ取って、話しかけて大丈夫そうな感じでしたら、そうすることもあります。彼女はやはり、学生さんでした。実家が新潟にあり、東京の大学の3年生で、就職活動に新潟に戻っていたそうです。東京で就職しないの?という私の問いに、「実家には両親しかいないので」と答えました。両親思いの子だなあ、と感心しました。英語を使う職種に就きたいと、でも総合職入社になるので転勤があるから、と、ちょっと困った感じでした。仕事の話などしている間に、駅に到着するアナウンスが流れ、ホームへ降りる準備をしながらも話を続けているうちに、彼女の左の薬指にダイヤの指輪が光っているのに気付きました。「彼氏がいるんじゃないの?」と聞いてみると、「はい。」「遠距離になっちゃうね。」←私。「アメリカにいるんですけど・・」「ええ~!」「だから、超遠距離なんです。でも卒業したら、帰ってくるって」ほほ~、ちょうど彼氏が転勤で日本に戻るのか、と勝手に自分で思いこんでいたら、最後の改札口に一番近いエスカレーターを登っているうちに、なんとその彼氏はアメリカ人で、日本が好きだから、新潟に来てくれるという約束になっているらしいことを、彼女から聞きました。これまたびっくり!あらまあ!本当に世の中には様々な人生と出会いがあるものだ、と本当に驚きました。

 彼女が私に聞いてきたことが一つありました。「結婚されて長いんですか?」。で、私は「あたしね、二回目なの。今がもうすぐ2年目で、一回目が6年だから、長いと言ったら長いかなあ」。すると「え!そうなんですか。うちの父もそうなんですよ。結婚って良いですか?」そう聞かれてとっさに「何度しても同じねえ。お父さんに聞いてみなよ~。二度しても同じだわ~」と思わず冗談っぽく言ったのですが、その後に付け加えました。「でも楽しいよ。結婚って二人がしたいと思ったときと、タイミングだから、23歳でも24歳でも、結婚したいと二人が思って、タイミングが合ったときにした方が良いよ。」と言ってみました。「そうですよね、タイミングですよね。」彼女が噛みしめるように答えました。その後、改札口で彼女とは別れました。

 今日の新幹線での出会いは新鮮でした。人には本当にそれぞれの人生があって、若い時には、特に不安もいっぱい。自分の学生の頃をふと思い出しました。今、一般的に十分な大人の年齢に達したかもしれませんが、まだ不安はもちろんたくさんあります。それでも学生の頃の将来の不安や、恋人とのこれからのことなどに比べると、「あきらめ」とか「開き直り」とか「なんとかなるさ」とか、良いのか悪いのか分からない選択肢があることも知ってしまいました。ただ、これから自分で分かっていけば良いことに関して、新幹線で知り合っただけの変な大人に「結婚生活は夢も希望もないし」みたいなことを言われてしまった、という思いだけは彼女に残したくなかったです。好きな人がいるなら、その好きな人と結婚して、彼女なりの結婚生活の意味を知ればいいのですから。大人として、若い人達に、出来れば明るい未来を予想させてあげたい。辛いことはそのときになって経験すれば良いと思うのは、甘いのかしら。なんて、思っちゃいました。

久しぶりの帰省

 明後日から、久しぶりに帰省します。と言っても、お正月以来なので、普通なら約2ヶ月半なら久しぶりでも何でもないじゃん、と言うところなのですが、私にとっては久しぶり!しかもよく、頑張った!と自分で言いたいです。

 去年一年間、何とか入院せずに過ごせて、お正月明けに主治医とも「今年もこの調子でいこう!」と言っていた矢先に、2月の3連休明けに体調を崩して、東京に帰るか帰らないか、というところまで症状が出て、主治医にも電話で指示を受け、そして何とか乗り越えました。たぶん風邪だったのでしょう。治るのに約2週間かかりました。大好きなフラメンコも仕方なく二回も練習を休みました。今日は今年度最後のフラメンコの練習。通常の先生とは別の先生が急遽いらして、レッスンしてくださり、ヘロヘロに疲れて帰ってきました。ここまで体力的にも回復して、ほんとよくやりました!と自分に頭の中で言っています。

 一昨年は7月と11月に入院していましたし、その他は月に一回検査をしに帰っていました。去年も確か、8月くらいまでは月に一回帰っていたのですが、やっと症状も気持ちも落ち着いてきたので、自分で2ヶ月に一度の検査にしようと、考えました。主治医には具合が悪くなったら、すぐに電話するし、帰省して病院に行くことを言っていました。何とか2ヶ月に一回の検査で数回こなし、これならなんとか頑張れそうだと、今、思っています。今回のように2ヶ月半ぶりに帰ることにもなるでしょうが、この調子で生活していけたらいいなあと考えています。時には風邪も引くでしょうが、私の場合は風邪からベーチェットの症状になってしまうことがあります。もしかして、最初からベーチェットの症状かもしれません。その見極めが難しいのですが、これからも長い付き合いなので、ゆっくりと付き合っていきます。

 そういう意味で、久しぶりの帰省。旦那には申し訳ないのですが、母親(お母ちゃん)に全てをまかせ(?)た実家での生活を、約2週間過ごしてきます。東京ではまず検査で病院へ行って、その結果しだいでもう一度行くか行かないか。その他は無理なく、一日おきくらいで、美容院へ行ったり、友人との食事会を入れたり、嫁ぎ先の実家へ行ったり、祖母の家へ行ったり、って結構予定が入ってるかも。でも一日おきなので、ゆっくりとあとはお母ちゃんとお話をしたりして過ごしたいと思っています。ブログは東京の実家から書きまーす。

離婚・結婚

 今日のブログは、実は最近大ブレイク中の「エド・はるみ」さんのことを書こうと思っていました。今日か昨日のワイドショーで、はるみさんが、×1(本人は一婚と言ってます)で、元々は劇団員として女優を目指して(していた?)いた。その後、マナー講師などを経て、40歳頃に吉本興業さんの育成学校に通って、一応年齢非公開とのことですが、現在43歳と言う情報を放送していました。20歳代中ごろに結婚して、1年で旦那様と大ケンカをして別居、その後1年で離婚ということも、そのワイドショーでは言っていました。成人式を二度する年齢になって、やはり「笑い」であると気付いた、と言うようなことを、はるみさん本人がどこかの番組で話しているのを見たことがあります。それは素晴らしい事ですよね。「笑い」は本当に、人生にとって必要。気持ちが落ち込んでいても、イライラしていても、あのエド・はるみさんの「グーッ!」を見ると、おかしくておかしくて。個人的には×1経験者の女性が頑張って仕事している姿をみると、応援したくなるのですが、はるみさんの場合は、そういうことまで忘れさせてくれるような「笑い」の力が働いています。

 さて、ブログを書く前にニュースチェックをしていたら、芸能で広末涼子さんが離婚、という記事がありました。いろいろと噂が前からありましたが、やはり離婚してしまったのですね。お互いに仕事が忙しいし、本人同士しか分からない何かがあったでしょう。私も×1ですから、よく分かりますが、それにしても本当に離婚率が上がっているような気がします。特に芸能人の方々。夫婦で人気者で活躍していると、どうしても生活のすれ違いが多くなってしまって、だんだんと亀裂が入ってきてしまうのかもしれません。でもでも、何とか離婚せずにすむように出来たら、それが一番ですよね。

 私は現在再婚して、二度目の結婚生活中。旦那とケンカすると、すぐに「りこんだー!」と騒ぎますが、二度目で本当に分かったのは、本当に結婚生活は大変だ、ということ。これを何十年も続けている、人生の諸先輩方は、すごい!しかも年を重ねても、ますます仲良く暮らしているご夫婦は素晴らしい!何十年の生活の中で、様々な出来事を乗り越えて、そしてやっと得られる年を重ねてからの、やわらかな夫婦の幸せ。これは本当に素敵な人生ですね。自分の人生ですし、1度しかありませんから、後悔のないように過ごして生きたいものですが、結婚・離婚は人生の最大の課題であり、最大の困難。どちらでも、大変なことに変りありませんが、自分が幸せになれるように、努力していきたいものです。

弟・ぶっ倒れる!

 一昨日の話なのですが、母親が昨日電話で「あの子、倒れたのよ~」と私に報告しました。あの子とは、私の4歳年下の弟のことです。私と一緒で×1、今は実家で暮らしています。仕事が飲食関係で、時間的にも内容的にもハード。立場もちょうど、上司と部下に挟まれるような立場で、本人はあまりグチらないようですが、きっと精神的にもいろいろと大変なのでしょう。ただ、基本的には明るく、お酒が大好きで、よく飲んで帰ってきますし、仕事が終わって自宅に帰ってきても、ウィスキーのお湯割りを何杯か飲んで寝るそうです。そんな弟が、自宅でぶっ倒れたそうです。

 一昨日、いつもと違って変則的な時間で出社して、夜8時過ぎには帰ってきていたようです。父親が9時頃帰ってきて、弟はその前に、夕飯を食べて、すでにお酒を飲んでいたようなのです。10時半頃になって、父親と母親は自分達の部屋へ、弟も自分の部屋にいて、トイレに立ったようです。トイレから出てきて、そこでどうやら倒れたようです。うちの実家は築30年のマンション。居間と両親の部屋、もう一部屋はふすまを開ければ見れる作りで、廊下は玄関から居間までの少しだけで、その廊下沿いに弟の部屋があります。ほとんどの部屋がくっついている感じとでも言うのでしょうか。お風呂場は今のマンションのように独立していなくて、居間とアコーディオンカーテンで仕切られていて、トイレはその奥です。弟は、トイレから出て、風呂場の手前で倒れていたようで、ものすごい音がしたそうです。びっくりして両親が飛び出してきてみたら、弟が風呂場前でぶっ倒れていた、ということでした。

 私は身長161センチくらい。実家の親戚合わせても、女性陣の中で一番背が高く、体格も良いです(ぽちゃぽちゃ)。男性陣も決して、皆さん大きい方ではなくて、弟も身長170センチありません。しかも体重は56キロとかで、痩せています。どうも忙しすぎて、食べても太らないようです。洋服も男性用で一番サイズの小さい物でも、パンツなんかはベルトで絞ってます。しかし、やはり人間が一人、意識を失って倒れる音と言うのは、すごい音です。意識が完全になかったそうで、母親は私が常に言っていたように、まずは弟の名前を呼んでみたそうです。そうしたら、ふっと意識が戻って起き上がろうとしたのをとめて、その場で少し寝かせていたようです。すぐに子供の時からかかり付けのお医者様に電話して、様子を言って指示をうけたそうで、どこか痛くないか、しびれなどないか、吐き気はないか、など確認して全て大丈夫だったので、様子を見ることにしたそうです。

 それにしても、驚きますよね~。大人の男が、いきなりぶっ倒れてしまったら。しかも今までご飯を食べてお酒を飲んで、一段落したのを見ていたのですから。それまでは何の兆候もなくていきなり、ですから。私は救急法を少し勉強していて、母親には常に、誰か倒れたら、まずは名前とか声をかけて意識があるかどうか確認して、意識が戻らなければ、すぐに救急車を呼んだほうが良い、と言ってきました。30歳代とはいえ、脳梗塞や心筋梗塞、その他の病気の可能性もあります。弟はその後、自分の部屋にもどり少し横になってから、全く大丈夫になったそうです。しかし、今日になって、「首とか肩がなんか変だ」と言い出したようなので、やっぱり一度、お医者さんに行った方が良いよ、と母親が言ったそうです。その通り、やはり行ったほうがいい。倒れたときにどこかを打っていたのかもしれないし、もしや何か病気の兆候だったら、大変なことですから。男女とも30歳を境にして、体も心も変化してくるのだなあ、とつくづく感じました。

ひとりランチ

 今日の富山市内は春のような陽気。気温も17度位まで上がって、4月中旬並みの暖かさだったそうで、天気も良く、散歩には絶好の気候でした。

 暖かくなったら、少し外を歩くようにしようと思っていました。週に1回のフラメンコで、そこそこ運動しているけれど、その他、買い物など外出はほとんど車。足が弱って(?)きてしまって、ちょっと歩いただけで、間接が痛くなったり、ふくらはぎがだるくなったりと、体力のなさを感じています。だからフラメンコも、すぐに一人で「はあはあ」と荒い息と大汗で、先生が私に「大丈夫ですか?」と声をかけてくださる始末。春になったらちょっとした買い物や、お昼を食べに、散歩がてら歩こうと決めていました。

 今日はちょっと風が強く感じましたが、一応、まだまだ気を許してはいけないと、ダウンのハーフコートを着て外を歩き始めたら、5分たたないうちに汗が・・・。しかし風が強くてコートを脱ぐと、またすぐに肌寒くなる。きっとこういう陽気の繰り返しで、本格的に春がくるのでしょうね。富山の駅まで行って、今度の日曜に帰省を考えていますので、電車のチケットを予約して、それから駅前のホテル15階にある、イタリアンへランチを食べに行きました。

 一人でランチは、久しぶりです。旦那の同僚の奥さんと、時々二人でランチに行ったり、夕食を食べたりしていましたが、このホテルの15階にランチを食べに来たことも2度ありました。美味しいことが分かっていましたので、迷わずお店に入って、案内されたのが、一人なのに4人掛けのテーブルで、窓の外は見事な景色。今日は遠くが霞がかっていて、素晴らしい山々が見えなかったのは残念でしたが、本当に良い風景と落ち着いた雰囲気で、ちょっと贅沢な気分になりました。注文したのは、本日のパスタで、パスタの他にサラダとパンとコーヒーがついて980円。サラダは、何度も食べてもOKでしたが、2度が限度でした。まずはサラダを食べながら、窓の外を眺めていると、旦那の同僚の奥さんと来たことが思い出され、寂しくなりました。一人でランチを取れるようになったのは、いつごろからかな、なんて考えてしまいました。

 「一人でお店でご飯を食べられない」、という女性もいるようですね。私は以前の仕事柄、一人で食べなければならないことも多かったので、全く大丈夫。でも、こうして、ちょっと素敵なランチを、お店でゆっくりと食べられるようになったのは、多分、富山に来てからかもしれません。これは今の旦那に感謝なのですが、経済的にプチセレブ、とかではないですが、月に2回くらいは外食で1000円前後のランチを食べられる状況にはあります。旦那も、私が外でランチするのを嫌がりません。家の中にばかりいて、悶々としているより、ちょっと素敵なお店で美味しい物を食べて、気持ちの切り替えをした方が良いと考えているのでしょう。しかし、専業主婦としては中々申し訳なくて、そうしょっちゅうは出来ませんけど。

 一回目、二回目の結婚生活を考えると、働きながらの家事や、年に数回の入院など、何だか心に余裕がない状態が続きました。去年は何とか一度も入院せずにすみ、少しずつ、この余裕のある状態を楽しまなければ、と考えるようになってきました。忙しい状態に慣れていると、いつも忙しくなければいけないような気持ちになっちゃうのですよね。そうではなくて、今は、一人でランチも、お昼の時間をずらして、店内にお客様が少なくなった頃に入り、ゆっくりと一人で食べながら外の景色を見たり、何か思い返したり、コーヒーを飲みながら本を読んだりと、「ひとりランチ」を富山で満喫したいと思います。

なじみの○○を作る

 一昨日の土曜に、旦那の誕生日ディナーのため、近くのフレンチレストランに行ってきました。そこは前にも書いた覚えがありますが、フレンチなのにお手ごろなお値段で、とっても美味しいお店。富山駅から出ている、南富山行き方面の市電通り沿いにあります(荒町よりもっと手前にあります)。小さめのお店なので、見逃してしまうかもしれませんし、ちょっと入りずらい感じがするかもしれませんが、入ってみると、カウンター席と二人掛けテーブルと4人掛けテーブルという店内に、シェフの男性とアシスタントの若い男の子の、二人で経営しています。ランチも大変リーズナブルなお値段でしかも美味しく、量もそこそこありますので、男性客が一人で静かに食べているシーンを、何度も目撃しています。もちろん女性客もいました。夜に関しては、男女4人組みですとか、やはり男性一人で静かにワインを飲んでいる方などいらっしゃいます。ちなみに私は一人でランチを食べに、夫婦で夜に食事をしに行くことが多いですね。と言うほど、実は年中通っているわけではないのに、シェフやアシスタントの男の子は、私達のことを覚えていてくれて、今ではメニューにないニョッキなんかも作ってくれます。去年はクリスマスディナーに行ったのが最後で、今年始めて行きました。

 よく「なじみの店」なんて言い方がありますが、それほどまで通ってはいなくても、こちらのことを覚えていてくれて、気軽に話してくれるのは、私達、転勤者としては本当に嬉しい限りです。中々「なじみの・・・」と言えるまでには、通う回数と年数が必要かもしれませんが、こちらが勝手にそう思ってたりして。 いずれにしても、「なじみの店」「なじみの店員さん」「なじみの場所」など「なじみの○○」を作るには、最初にこちらから話しかけることが重要だと、思っています。

 私は東京生まれ東京育ち。一回目の結婚で長野県のある市に住んで、びっくりしました。知り合いになる方はだいたい私に「東京の人?」と、聞いてきました。雰囲気や話すイントネーションが違うので、すぐに分かったそうです。最初は全く気にしなかったのですが、だんだんとその土地に慣れてきた頃に気付いたのは、その土地出身じゃないと「よそ者」的な目で見られてしまう、ということ。ちょっと落ち込みました。しかし私は一生そこで暮らすつもりでいましたし、それよりも、とにかく働かなくては経済的に成り立たなかったので、働き始めて地元の方といろいろと知り合いになって、住み始めてから3年くらいたったあたりから、気付いたら地元の方が本当に良くしてくれるようになっていました。それは多分、私が自分からその土地の人に溶け込んでいく気持ちを持って、心を開いたからではないかと、今でも思っています。6年経って、離婚するときには、何が悲しかったかと言うと、もちろん結婚生活の破綻も悲しかったのですが、たくさん出来た友人や知人、そして仕事との別れが何よりも悲しく、寂しかったです。

 その後、東京に戻り、今の旦那と知りあい、再婚して金沢に行き、約1年前に富山に来ました。富山の方は、特に私のことを「東京もん」みたいには思わないようです。それは知り合いになった方の感じや言葉で分かります。土地柄もあるのかもしれませんが、誰でも自分の生まれ育った場所は大切に思うものです。そこに他の所から来た人が、いつまでも慣れずに、つっけんどんな態度を取っていたら、そりゃあやっぱり「よそもんが~」みたいになってしまうかもしれません。富山市は大きな都市ですから、特にそんなことは考えずに、淡々と暮らしていても充分に暮らしていけますが、せっかく住んでいるのに、知り合いの一人もいない、なじみの店の一軒もないのでは、寂しいです。自分から話しかける、自分から心を開いてみる、そうすると、「なじみの○○」が出来るのだと、私は思っています。

 まだまだ、なじみの店も少なく(ほとんどなく?)、なじみの店員さんもいませんが、それでも時々行く、果物屋さんの方に話しかけたり、ショップの店員さんに話しかけたり、自分からできるだけ話しかけるようにしています(ただ寂しいだけかしら?)。もう少ししたら、なじみの○○が増えてくるかもしれない、なんて考えなら。

「007」シリーズ

 今朝の新聞の下のほうに、WOWOWで「6人のジェームズ・ボンド本日一挙オンエア」という広告が載っていました。実は一ヶ月以上前になるとは思いますが、「007」最新作のDVD「カジノ・ロワイヤル」を借りて見て、新ジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグさんがとっても良くて、いつかブログに書こうと思っていました。

 ジェームズ・ボンド役というと、まずは初代のショーン・コネリーが一番印象深いから出演作数も多いのかと思っていたら合計6作、、2代目がジョージ・レーゼンビーで1作、3代目ロジャー・ムーアが一番多くて7作、4代目ティモシー・ダルトンが2作、5代目ピアース・ブロスナンが4作、そして6代目のダニエル・クレイグが今のところ1作で、「007」シリーズは全部で今まで21作品。世代によって、ボンドのイメージがあるとは思いますが、私はなんと言っても、ピアース・ブロスナンがセクシーで格好良くて大好きでした。何でやめちゃうの~、と思っていましたが、どこかで読んだ記事かテレビのワイドショーかの情報で、007の撮影は本当に体力的に大変ということと、どうしても007のイメージから抜け出せなくなってしまう、ということもあったのかもしれません。初代のショーン・コネリーも、ボンドのイメージから脱却しようと大変だった、というのをどこかの記事か何かで見たことがあります。いずれにしても、大ヒット作でしかもシリーズ化されるような作品に主演してしまうと、売れることに反して、イメージ脱却が難しくなり、その後の俳優人生に大きく影響することは間違いないのでしょう。

 さて、最新作「カジノ・ロワイヤル」で6代目ボンド役に就任(?)した、ダニエル・クレイグ。初の金髪ボンドということらしいのですが、噂では「若すぎる」という意見もあったそうですね。40歳です。若いですよね~。自分に年が近いので、何だか嬉しくなっちゃって興味津々、と言う部分もあったのですが、今回の映画は大ヒット。私もとても面白かったと思います。なぜ、40歳でよかったか、それは、この映画の内容が、まだ若いボンドの頃のお話だったからなんですねえ。「00」のコードネームをもらって、まだ感情的に若々しく、割り切れない部分を持ち合わせていた頃のボンド。一人の女性との出会いで、「007」の職を捨てようとまで思うが・・・。という感じですので、もしまだ見ていない方は、どうぞご覧下さい。今までのシリーズとは、また違った雰囲気の内容で、これからのボンドがどんな風になっていくのか、楽しみです。「007」シリーズは、だいたい2・3年に1作ですので、このペースですと、次の作品の時にはクレイグさんも42・3歳。男性としては魅力的なお年頃ですよね。

 「007」はテーマ曲も、私はとても好きです。以前、ラジオ局で働いていたときには、テーマ曲を一挙放送したラジオ番組を録音して毎日聞いていました。映画情報番組を担当していたので、勉強しなければ、と思って録音したのですが、個人的に好きになってしまいました。なお、映画作品は多分、半分くらいしか見ていないと思いますし、ストーリーがこんがらがってしまって、どれがどれだったのか思い出すのが大変です。それにしても、いつもボンドは本当にものすごいアクションで、「こんなのありえねー」という事も、お手のもの。それを、すらっと紳士的にこなしてしまうところが素敵!走り方もボンド。スマートに紳士的に。ボンドガールも毎回素敵な女性。いろいろと書きたいこともありますが、この辺で。娯楽に徹した「007」シリーズ。ありえないことをスラスラ(時には必死に)とこなし、必ず生き残るジェームズ・ボンドを、これからもずっと見続けたいと思います。

「なりたい自分」になりたい。

 イラストレーターでありエッセイストでもある、中山庸子さんの本に、しばらく前、はまっていました。先月の三連休明けに体調を崩して寝込んでから、今は読むのをお休み中。中山さんの著作の中に「夢ノートのつくりかた」「なりたい自分になる100の方法」と言うのがあって、その二冊に書いてある事を、自分で実行してみたいと思っていましたが、体の具合が悪いと、それどころではないのですね。

「夢ノート」のつくりかた―あなたの願いが、きっとかなう (PHP文庫) Book 「夢ノート」のつくりかた―あなたの願いが、きっとかなう (PHP文庫)

著者:中山 庸子
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今日からできるなりたい自分になる100の方法 (幻冬舎文庫) Book 今日からできるなりたい自分になる100の方法 (幻冬舎文庫)

著者:中山 庸子
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 「健康第一」とは本当にその通りで、体調が良いからこそ、理想の自分に近づきたい!という願いも強まるわけで、まずは健康維持が大切だと、いつも思っていますが、時々体調を崩すと、つくづくそう実感します。でも私のように(私よりももちろん重病の方がいらっしゃいます)持病をもっていて、病気を重くしないために健康維持にばかり気をつけていると、何だか頭の中が変になってくるときがあります。まあそれが「うつ」状態なのでしょう。まず近くにいる家族に、当り散らしてしまいます。自分の体が思うようにいかない状態にイライラして、そのうち落ち込んできて、「どうせ自分は何も出来ない。誰の役にも立たない。二人分の家事すら、満足に出来ない」と、「うつ」に入っていくのですね~。本当はこんな風に思う自分が嫌いです。分かっているのです。私の周りの家族は、私が健康で明るくいることが一番で、家事をしてほしいとか、役に立ってほしいとかを望んでいるわけではないのだ、と。だけど、あと少し、自分の病気と心の関係のバランスを取るのに、時間がかかりそうです。

 昨日、旦那が会社から帰宅して、元気ありませんでした。私の態度や言い方もいけなかったのかもしれませんが、どうもおかしいのです。「今、考え事してるから」と本人は言っていましたが、うちの旦那がおとなしくて、ニコニコしてなくて、さらに逆ギレもせずに、どんより黙っているのは、おかしいのです。体調が悪いか、まさに心配事があるのか。心配事があったとしても、旦那は即座に私には話しません。しばらく時がたって、落ち着いてから話すことが、しばしばあります。だからこそ、こちらも心配してしまいました。きっと仕事上のことかもしれません。でも話さないので、分かりません。こんなとき、私は出来れば、普通通りか、明るく元気な奥さんでいたいのです。旦那は、私が具合が良くて、好きなフラメンコをしたり、勉強したり、友人とメールや電話したりして、明るく話すのをとても喜びます。それなのに、私は、「もっともっと」をいつも望んでしまいます。もっと何かできるかも、もっと何かやりたいのに、と。その結果、イライラして、旦那に八つ当たりするのです。

 人間には、その時その時に、するべきことがあるのだと、私は考えています。私にも一生懸命働かなければいけないときがありました。しかし今はきっと、体調を維持していくのが、私のやるべきことなのでしょう。そして、それを素直に受け入れて、できれば元気で明るく、おおらかに毎日を暮らしたい。旦那にも、いろいろな悩みがあるでしょうが、そんな時に家に帰ってきたら、普通に明るい私がいた、という状態にしたい。たったそれだけのことが、中々出来ません。私の「なりたい自分」は、「おおらかに元気で明るく」だと、昨日も今日も思いました。

ミーハー??

 私は、決して、ミーハーではないと、ずっと思っていました。「ミーハー」とは、流行に熱中しやすい人達。程度の低いことに夢中になっている女の子を軽蔑して言う言葉。という意味だそうです(調べてみました)。程度の低いこと、とは、どこまでのことを言うのか、それは個人の判断だと思いますので、私はあまり、「ミーハー」という言葉を、軽蔑をこめた意味でとらえたくはないのですが、一般的に使う場合はやはりそうなのでしょうか。

 ここ数年、自分はもしかしてミーハーではないかと、気付きました。過去に約5年ほど、コミュニティFMラジオでアナウンサーをしていた時に、朝のワイドショー、昼のワイドショーでの芸能情報チェックや、流行事のチェックは毎日していました。ニュースで時事関係の情報も頭には入れていましたが、地域のコミュニティなので、政治関係や経済関係の事に自分から触れることはほとんどありませんでしたし、放送にはニュースの時間もありましたから、ワイドショーの芸能・流行事に関しては、自分の持ち時間のネタとしての情報として、必ずチェックしていたのです。その癖が抜けないのか、いまだに毎日のように情報チェックをしてるというか、しちゃうというか。芸能ネタに関しては、旦那がびっくりするくらい最新情報を結構ワイドショーでゲットしていますし、今、流行の物や事に関しても、結構知っています。中でも、自分を改めて見直し、もしや私はミーハーか、と分かった流行り物は、「キャラクター」でした。

 はっと、気付いたときには「愛・地球博」のキャラクター、モリゾーとキッコロが大好きでした。まだ結婚前に旦那と名古屋に旅行に行った際、泊まったホテルに大きなモリゾーとキッコロのぬいぐるみが飾ってあり、「これはなんですか?」と聞いたら、ホテルの方が優しく笑顔で「モリゾーとキッコロ」です。と教えてくれたのです。そのときにはまだ、「愛・地球博」一年前だったと記憶しています。第一印象は「なんじゃこりゃ」だったのですが、だんだんと何だか可愛く見えてくるのですね。そのうちに、仕事で名古屋に旦那が行ったときには、手の平の2倍くらいの大きさのぬいぐるみを買ってきてくれて、さらにハンドタオル数枚、私が入院したときにはベッドで一緒に寝られるように手の平サイズのモリゾーとキッコロののぬいぐるみを買ってきてくれました。考えてみたら、これが私のキャラクター好きの始まりだったかもしれません。

 「トトロ」のぬいぐるみは、旦那が好きだったのか、昔の彼女が好きだったのか、うちに今、2匹(?)います。「アンパンマンとチーズ」のぬいぐるみは、アンパンマンの身長(?)が約20数センチ位ある中々の大きさで、旦那の誕生日に電報で贈りました。これも飾ってあります。「スパイダーマン」は映画が大好きで、親友がロスのユニバーサルスタジオに行ったときのお土産でマグカップを(アメリカの絵柄はちょっとグロいです)、自分の新婚旅行で大阪のユニバーサルスタジオに行ったときにマグカップやキーホルダー、メモクリップ、旦那の友人から小さいスパーダーマンのゴム製の置物などなどあります。「ご当地キューピー」に関しては、富山のキューピーを、義理のママや、友人に配りまくり、自分は11月に琵琶湖へ旅行に行った際、途中で立ち寄ったSAにあった「織田信長キューピー」を携帯電話につけています。ついでに、彦根城のキャラクターで有名になった「ひこにゃん」のぬいぐるみも、その旅行の際に買ってきました。

 実は私達夫婦は「おしりかじり虫」も大好き!!かじり虫のクッキーやらパイやらパンやら、見つけるとついつい買ってしまって、箱の場合はそれを切り取って壁に貼っています。歌は二人で歌いながら、お尻をぶつけ合っています(?)。そして、今日、あるドラッグストアで買い物をしていて、なんと「おでんくん」のおせんべを見つけてしまいました。「おでんくん」はNHK教育のテレビで知りました。おでんの具がそれぞれキャラクターになっていて、最初はなんとも変なキャラクターで驚きましたが、見ているうちにはまってしまいました。旦那に説明しても、分かってくれません。しかしこれはなんと、あのリリー・フランキーさん原作の絵本が元というではありませんか。しかもしかも声優は、主人公のおでんくんに本上まなみさん。とても想像つかなかった。今日見つけた「おでんくん」のおせんべは、子供用なのか小袋が4つ続いて売っていました。買ってしまいました。

 私は今日、はっきりと再度気付きました。ミーハーです。しかもキャラクターに弱い傾向。家の中は子供もいないのに、子供の部屋のようになりつつあります。

捨てる!

 今日は、掃除の日。体調が良いときは、掃除の日に合わせて、ちょこちょこと押入れの中を整理したり、洗濯機の置いてある周辺の汚れを拭いたり、普段していない細かい部分の掃除をしたりしています。今日は何となく、靴を整理しようと、思い立ちました。

 私は、なぜか靴を結構な数、持っていました。と言っても、お出かけ用パンプスやブーツなど約15足、普段履いてもいいようなスニーカー・ウォーキングシューズ約5足、そのほかサンダルや頂いた靴2・3足くらいでしょうか。旦那にはこんなに持っていたことを言っていませんでした。結構持っているな、とは気付いていたようでしたが、捨てられなかったのです。靴箱にはもちろん収まらずに、靴箱の上にも、箱に収まった靴がいくつか乗っていました。それをいつの頃からか、整理し始め、今日の大整理となりました。

 なんとなく、靴を捨てられなかったのです。洋服もそうですが、靴の方が数が少ない分、買ったときの状況が思い出せるので、まだ履ける、と思うとますます捨てられない。そんな感じで、一回目の結婚生活で買ったスニーカーや、離婚して帰省してから始めたバイトで履いていた黒い革の靴など、もう数年以上履いていなくても捨てられなかったのです。でもここのところ、少しずつ、そういう思い出や思い残り、のような感覚を捨てる時期にきていると、感じました。心の整理と一緒に、靴の整理もしようと思ったわけですね。

 私はお世話になった靴や服を捨てるときには、お塩でお清めして、「ありがとう」と言いながら袋に入れて捨てます。今日捨てた靴は、5・6年履いていなかった合皮スニーカーで、すでに表面がひび割れていました。お金がなくて、頑張ってカッコいいスニーカーを、手ごろな値段で買おうと買った品物でした。もう一つの黒の革靴は、ゴムの部分が少しだけあって、そこがすでにブヨブヨに伸びていました。離婚後の始めてのバイトで、結婚式場の照明係をしていた時に、パンツスーツに合わせて履いていた革靴でした。その他もう一足、パンプスも捨てました。それでも3足しか捨てませんでしたが、今まで捨てられなかった物が捨てられたのは、私としては心の整理もしたようなものです。3足でも、大整理でした。

 捨てるばかりが良いとは思いませんが、取っておくばかりも良いとは限りませんよね。こういった「思い出」が詰まっている物もあるし、簡単には捨てられない物があります。しかし、文書関係のファイリングを勉強した(大学で勉強して、秘書として実践していました)私としては、契約書や重要書類など保管しておく年数が決まっておく文書以外は、1年目を通さなかったら、ほとんど必要のない書類です。半年毎にキャビネットの保管場所を移動して、それでも約1年半は保管してから、破棄してしていました。そう考えると、洋服や靴などは、流行もありますから、1年使わなければ、多分、履かない着ない可能性が高いですよね、よほど高価な物は別ですが。後は、その物に対しての「思い」が、物を捨てられない状況を作っていることが、なきにしもあらず。というか、ほとんどかもしれないな、と思いました。物を捨てることは、思いとの決別でもあるような気がします。

夢中になれる事を持つ

 今日、キッチン他の水回り関係の修理に、ある業者の方に来てもらいました。その方は一年前に来ていただいた方と同じで、私の1歳年下の男の人。私のことも少々、覚えていてくれました。

 一年前と同じ修理だったので、一年くらいでまたこんな風になっちゃうの?という話から始まって、いろいろと詳しく話しをしてくれて、ちょっとイライラしていた気持ちもおさまりました。なぜかと言うと、午前9時に不動産会社に電話して修理をお願いしたのに、「今日はご予定大丈夫ですか」と言われて、「はい」と答えてしまったためか、11時半を過ぎても、今日修理に来てくれるのか、それともダメなのかの連絡すら入りません。本当は今日は、ランチでもしようか、なんて外出の予定を考えていたので、ガックリ。 仕方なく、また不動産会社に電話して、やっと状況がつかめて、その後すぐに、前述の修理業者の男性(私は「お兄さん」)と呼んでいました)から電話がきて、午後1時頃に来てくれることになりました。結局は修理のお兄さんのせいではなく、連絡がうまくつかなかったということなのですが、こちらはどうなっているのかイライラしますよね。そんなときに来てくれたお兄さんは、私のイライラ話しも聞いてくれて、修理もしてくれて感謝でした。

 さて、そのお兄さんは、水回りなどの修理を仕事に持ち、趣味として「サーフィン」をしているとの事。しかも、よくよく話を聞くと、天気図などを見ながら、明日の波の状態などをチェックして、冬の寒いときでも朝の日の出すぎから海に出て、波に乗るそうです。一時間でも出来るときは波に乗って、それから仕事へ向かうこともあるそうです。サーファーを自分で名乗っている方の中には、夏の時期にチョロチョロっとサーフィンをしているだけの人やら、マナー違反をしてしまう方やら、いろいろといるようですが、お兄さんはかなりのサーファー。外国でもサーフィンをすることがあるようで、そのために一生懸命働いてお金を貯めることもあるそうです。一年前も修理に来ていただいたときに、まだ富山に引っ越してきたばかりの私は、話す人もいない中で、随分と気楽に話をしたり聞いたりしてくれました。お兄さんの性格的なものなのか、にじみ出てくる雰囲気から、本当に話しやすくて、楽しくて明るい感じで、良い印象の方でした。今日改めて会ってみて話してみて、性格的なこともあるのかもしれないけど、もしかして、夢中になれる事、趣味があるからこその彼なのかな、と感じました。

 顔が二枚目だとか、キムタクみたい、とかそういうのではなくて、目が笑うとニーっと可愛らしく下がって、顔いっぱいに広がってとっても愛嬌があるお兄さん。年は私の1歳下なので、私もそうですが、おじさん・おばさんの年齢です。もしかすると、男性も女性も、仕事や家事に疲れて、疲労感漂う風貌になっていてもおかしくありません。しかし、お兄さんが元気いっぱいで若々しく見えるのは、サーフィンという夢中になれる事、夢中になれる趣味を持っているからかもしれないと、思いました。「一度だけの人生ですから」なんてことも、お兄さんは言っていましたが、本当にその通り。好きなことを見つけて、仕事のほかにも夢中になれる趣味をもってこそ、仕事も頑張れる。だからこそ、キラキラ輝いて、元気でいられる、今日はお兄さんを見て、そう思いました。

 私も今はフラメンコが楽しみです。2月の3連休後に体調を崩してから、気分もダウン気味ですが、先日、久しぶりにフラメンコに行って、本当に元気になりました。今は体調を整えることに専念しながら家事をしていますが、そういう平日も、気分を自分でコントロールできるように早くなって、さらに何か夢中になれることも持てるといいな、なんて思いました。いつまでも若々しく輝いていたいですから。

「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見て

 毎週日曜日に、旦那と一緒に、大河ドラマ「篤姫」を見た後、そのまま「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見ています。最初は見る予定ではなかったのですが、何となくチャンネルを合わせて見ているうちに、中々面白くて、そのまま毎週見るようになりました。

 昨日の放送は、見ていて、結構胸にぐぐっときました。私自身、離婚を経験していますので、今までの回はそうでもなかったのですが、昨日の回は、ちょっと佐々木夫妻が離婚の本格的危機を迎えている感があり、自分のことまで思い出してしまったのです。

 私の時はいたって簡単で、元夫に好きな人が出来てしまったので、私が実家に帰ることで収まりました。それまでに元夫には、いろいろと私に対する不満もあったようですが、無口というか、あまり言う人ではなかったので気付かなかったのです。ですから別れた理由は、彼いわく、あくまでも性格の不一致、ということだそうです。(周囲の知人にそう説明していたんですって)でも、直接の原因は、彼に恋人が出来たことなので、実家に一時帰っていたときに、区役所内で行っている無料の弁護士相談で、相談にのっていただいたときには、そういう夫の不貞という原因であれば、慰謝料として結婚生活1年100万、私は6年でしたから600万円くらい請求してもいいのではないか、と言われました。とりあえず、それを元夫に言ったのですが、彼がお金がないことは私が一番知っていたので、とりあえず言ってみただけで、慰謝料はいらない、と最終的には私から言いました。そうしたら、びっくりしたことに、普段は自分の両親とあまり話もしないくせに、彼の母親から翌日、突然携帯に電話が来て、「うちにそんなにお金がないこと知っているのに、どうしてそんな値段を言うの!」と怒ってきました。本当にそのときはあきれてしまいましたが、彼は私の慰謝料請求についての最後の話まで、両親に言ってなかったのです。私は「いらない」と彼の母親にも言いました。困ったものでした。一応、結婚生活をやりなおそうと、何度も私からお願いしましたが、どうも彼はその恋人のことで頭がいっぱいで、何度言ってもダメでしたから、約2ヶ月の別居で離婚しました。実家の東京に戻って数ヶ月後、30万だか50万円だか忘れましたが、彼から送られてきました。まあ、それも、自分の父親が自分のためにかけてくれていた生命保険を解約したお金だったらしく、ちゃっかり自分が使う分は残して、彼女と外国に行ったらしいのですが。頂いたお金は、パーッとあっという間に飲食関係に使ってしまいました。私はこれだからいけないなあ、と思います。そういう降って沸いたようなお金は、使ってしまえー、と思っちゃうのです。今考えたら、ちゃんと貯めておけば良かったのだし、慰謝料だって分割と言う方法もあるのですから、分割で頂いても良かったのですよねー。ただ、私の中で、どうしてもその後も、子供がいるわけでもないのに、元夫といつまでもつながっているのがイヤで、思い切って「いらない」と言ったのと、まあまだ彼のことが好きだったのですね。負担をかけるのが嫌だったのだと思います。でも彼の方は半年くらいで、彼女と同棲していました。私の方は、立ち直るのに随分とかかりましたが、降って沸いたお金は使ってしまえー、で使った結果、お金がなくなってアルバイトをしなくてはならなくなり、そのバイト先で、今の旦那と知り合ったのでした。

 さて、「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見ていると、本当に飾らない主人公・律子の様子に、毎回大笑いしながらも、「いいなあ」と羨ましくなったりしてます。あれだけ自分の苦手なことをせずに、仕事をして頑張って、飲み歩いてはどこででも寝てしまう姿。本当に羨ましい。ドラマとはいえ、あれほどでなくても、少しでも律子のように自分に正直に行動できれば、内向的な自分に対するストレスも減るかもしれない、なんて思ってしまいます。あとは毎回毎回、本当に律子を演じる小雪さんの衣装に、釘付け。素晴らしいスタイルと洋服で、これも見ていて輝かしい!

 昨日の回では、律子が妊娠して、最後には二人は仲直りするのかと思いきや、どうもそうではない状態で、来週へ続く、で、もう、イライラしちゃいます!早く見たい!でもきっと、二人は仲直りして、子供を育てていくのだと、本当は信じたいのですが、どうなるのでしょう。夫婦はいろいろな形がありますからね。

映画「タイタニック」

 久しぶりに、映画「タイタニック」を、ビデオで見ました。これは旦那の転勤する同僚の奥さんから借りていた物で、近くにいるといつでも返せると思って見ていなかったのですが、転勤と決まり、あわてて旦那と見たのです。しかも「タイタニック」は長いので、先週と昨日と二回に分けて見ました。というのも、借りていたのがビデオ、だったからです。時代を感じますねえ。あの頃はまだビデオ全盛で、タイタニックは長編で一本に収まらず、二本組みで発売されたのも、今となっては伝説のようなものですね、ちなみに、私のある友人は映画がペラペラだったので、日本よりも早くビデオ発売されたアメリカから取り寄せていた覚えもあります。それを借りようにも英語が分からないので、借りられませんでしたから。

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販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日:2008/04/16
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 タイタニックは何度か映画化されていて、私達が一般的によく知っているのは、上記にある1997年のジェームズ・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット出演で、アカデミー賞11部門を受賞している「タイタニック」ですよね。これは本当に良い作品だと、ビデオで見て改めて思いました。もちろん、私はほとんど号泣状態でした。

 映画と言うのは不思議なもので(音楽やお芝居もそうかもしれませんが)、公開当時見て心に残っている作品は、それをまたテレビやDVDで見たときに、その公開当時の自分の事なども合わせて、思い出が甦ってくるんですよね。1998年頃、「タイタニック」が公開されていた当時、私は一回目の結婚生活で、生活費のために働かなければならない状態で、ご縁があって地元のコミュニティFMラジオ局の立ち上げから参加して、アナウンサーとして歩き始めたときでした。昼や夜の番組を担当するかたわら、シネマ情報の30分番組を持っていて、その時の第一回目の放送で紹介したのが、確か「タイタニック」でした。それは、前年から映画館でロングラン上映をしていて、これはやはりまず「タイタニック」からでしょう、と思って一回目の記念すべき放送で紹介したのですが、その時すでに、ロングラン7・8ヶ月目に入っていたと思います。それでもまだ映画館に見に来る人が結構いて、長い上映時間なので、おにぎりやお弁当を持って見に来る女性もいる、と館長さんが言っていました。しかもリピーターが多い映画だったそうです。結局その映画館で、1年近く上映していて、最後の日には満員状態だったと、聞いた覚えがあります。これは、近年、その映画館での上映で、アニメ以外でのお客さんで、入場者数が最高だったのではないかと、確か話されていました。(アニメはとにかくお客様が多いそうですよ。なんせ、子供さんと親と両方入るからだそうです)

 公開当時は、歴史的なタイタニック沈没と言う事実に、ラブストーリーを重ねるとは何事か、とか、主演のレオナルド・ディカプリオはどうなのか、とか、ケイト・ウィンスレットはぽっちゃりしすぎ、とか、賛否両論いろいろありましたが、今見ても、本当に素晴らしい映画です。それこそ、よくぞあの歴史的事故に、大胆にもラブストーリーを絡めて、見事に物語として仕上げたものだと、感心してしまいます。一緒に見ていた旦那が「これ本当にあった話なの?」と聞いてきましたが、そんなわけないでしょ、と答えました(ラブストーリーに関しては、です)。それほど、真にせまって見えるのですね。そしてまあ、レオナルド・ディカプリオの格好いいこと。なんて素敵なのでしょう。あの当時はまだ23歳。あんな素敵な人に守られていたら、財産や階級なんて捨てて、彼に走っていってしまいそうだ、なんて今だから思います。日本でよくレオ様と呼ばれていますが、彼は実は演技派。93年に出演した「ギルバート・グレイプ」と言う映画では障害者の役を演じて、19歳でアカデミー助演男優賞にノミネートされています。「タイタニック」では、主演男優賞にノミネートすらされていませんでしたが、ノミネートされるような役ではないと思うのです。でも私はあの役はレオ様だからこそ、良かったのだと、強く信じています。特にファンではありませんが、若手二枚目俳優として注目され始め、人気が上がっていたときの「タイタニック」出演で、彼の人気は最高潮に達しました。身分の差の恋と、タイタニック沈没の悲運を織り交ぜたストーリーを、二枚目で精悍な彼が演じたからこそ、歴史に残るほどの大作になったのだと、私は思っています。その後もレオ様は、いろいろな作品に出演していますが、人気が急上昇して周囲の期待が先走りしたのでしょうか。本人も焦ったのか分かりませんが、出演する作品の人気はいまいちのものが多いですが、見るといい作品だと思うものもあります。「仮面の男」なんて作品も良かったですねえ。

 長くなってしまいましたが、「タイタニック」公開から約10年。また見返してみるのを、お勧めします。たまたま借りていたビデオを返すために慌ててみた「タイタニック」で、改めて映画の素晴らしさを感じました。良い作品は何度見てもいいですね。

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