なりたくない自分
私は内弁慶です。家族に対しては強気に話せても、外の他人に対しては、自分の意見は言いますが、出来る限り他人と衝突をせずにお付き合いしたいと、物心ついたころから身についていたことでした。
どなたでも家族には思わず、八つ当たりをしてしまったり、喧嘩をしてしまったりすることがあるでしょう。しかし私の言い方は、きつくなってしまいます。特に母親に対しては。それはなぜかと言うと、一回目の結婚が6年間で、離婚して実家に帰ってきたら、母親が随分と変っていたのです。一時悩んで会社の先輩に相談したこともありました。私の話したことをすぐ忘れてしまう、話を真剣に聞いてない?みたいな状態で、「この間、話したじゃない!忘れちゃったの!?」ということが、何度もあったからです。しかし会社の先輩は、お母さんはそれだけ年を重ねてしまって、だんだん忘れっぽくなっている、自分も母親に随分ときつい言い方で怒ったりしたけれど、それは年齢とともに起こること、やさしくしてあげてね、とアドバイスを受けました。大変感動して、それから考え方も変ったものです。もちろんあまりに物忘れがひどい場合は、認知症の可能性もあるのでしっかりと判断しなければいけないのですが、私の母親に関しては、ただの年齢による物忘れ程度。だんだん年を取ってくると、若い頃のように、あれもこれも覚えておくことが出来ないし、そんなことをしていられないようです。必要なことだけしっかりと頭にインプットして、あとの事は除外して、必要以上の神経を使わないようにしないと、多分、心と体のバランスもとるのが難しいのでしょう。皆、通る道なのだと思うのです。
そういう母親に対して、私はどうしても言い方がきつくなってしまう。本当にいつもいつも反省です。だいたい体の調子が今一歩だったり、寝不足だったりするときに、八つ当たりのように、きつくなってしまいます。しかも絶対に自分は嫌だ、という言い方もしてしまいます。それは何年か前に自分が言われていて、本当にムカッときた言い方。「私の言ってること分かる?」と言う確認の仕方です。これを今の旦那に始めて言われたときには、なんてバカにした言い方なのだろうと本当に頭にきたものです。いつもいつもそう言われていると慣れてしまうのですが、これを始めて聞いたときには頭に血が上り、怒った覚えがあります。最近では旦那からは言われなくなりました。しかし、自分が母親に言ってしまうようになってしまったのです。本当に自分が情けない。自分が言われて嫌なことを、母親に言ってしまうなんて。
自分が少し知っていることや伝えたいことを、人に説明するときに、バカにしているつもりはないけれども言い方の癖のようなもの、確認のつもりで「私の言ってること分かる?」という聞き方をしてしまう。これは自分では使いたくない。いかにも、「私は知っている」という印象。私はそう感じてしまうのです。(例えば本当に、話す内容に関しての教授だの専門家だの、知っている人が言うに関してはイヤなイメージはないかもしれません)私のような無知で若輩者が使うべきフレーズではない。それに、何かを少し知っているだけで、たとえ内弁慶でも、家族に対してでも、天狗になって話す自分は嫌だ。もっとも自分がなりたくない自分像だと、今日改めて思いました。反省の日です。
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