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天璋院篤姫

 来年のNHK大河ドラマに決まっている「篤姫」の原作、宮尾登美子さんの「天璋院篤姫」を、やっと読み終わりました。上下巻の文庫でそんなに厚みもないので、すぐに読み終わるかと思っていましたが、中味がなかなか、難しい言葉使いや、大奥のややこしい内容など、理解しながら読むのに結構大変でした。(本をまだまだ読みなれていない私だからかもしれません)しかし、非常に感動しました。

 物語は、薩摩の分家に生まれた篤姫が、第13代将軍・家定の正室として嫁ぎ、大奥約3千人を取り仕切る御台所として成長してく過程を、その激動の時代背景とともに描いています。私は実は、父親が鹿児島出身ということもあり(しかし父の母、いわゆる祖母の時代から東京に出ていましたので、父親は一度も鹿児島にいったことはないそうです。私もです)、大変親近感が沸き、楽しみに読んでいたのですが、主人公・篤姫の人柄に、本当に感心し、半分鹿児島人の血が流れている者として、とても嬉しく思いました。篤姫のように立派な女性にはなれなくても、その人と同郷の血が半分入っているなんて、なんて嬉しいことだろうと、思ったのです。

 そう言えば数年前、前の会社に勤め始めてまもなくの懇親会で、上司に出身地を聞かれて「私は東京ですが、父方が鹿児島なんです」と答えたら、その上司が「ああ、鹿児島の女性は忍耐強くて、男性を立てるんだよね。」と言ったことがとても印象的でした。初めて聞いたことでしたが、もし本当にそう言われているのでしたら、これはきっと篤姫の影響だろうと、今回本を読んで思いました。活発で快活で勉強好きな篤姫が、薩摩から江戸へ嫁いできて、体の弱い将軍を支えながら、大奥という女人の組織をまとめる苦労は、並大抵のことではなかったのでしょう。さらに嫁いだ将軍は一年九ヶ月で亡くなり、その後は天璋院として年若い14代将軍の母親役となり、また姑としての立場や、お世継ぎ問題など、とにかく陰でしっかりと大きな役割を担っていた一生でした。その篤姫の人柄から、鹿児島の女性は・・・と良い印象があるのだとしたら、それはとても名誉なことですよね。私も半分だけとはいえ、嬉しいです。

 来年の大河ドラマが楽しみです。原作とドラマはちょっと違いますから、どのように描かれていくのか。主演の篤姫役には、宮崎あおいさんが抜擢されていますが、私の印象では若いときの篤姫はOKですが、その後、20代30代はどうするのだろうと思います。もしかして、若き篤姫を中心に描かれるのでしょうか。とにかく楽しみ。さて、次は再来年の大河ドラマの原作を読まなくては。

スピリチュアル

 昨夜のテレビで、SMAPの稲垣さん司会の「ほんとにあった怖い話特別編」。中川翔子さんのコーナーはちょっと怖かった。昔からいわゆる霊に関するテレビや話はいろいろとありまして、私達世代では、宜保愛子さんが霊能者として大変話題になったことを覚えています。最近では、本当に様々な方がいらして、透視ができるとか、オーラが見えるとか、スピリチュアルブームですよね。信じている方、信じていない方、いらっしゃるとは思います。私は結構信じるタイプで、「オーラの泉」は好きな番組でしたが、富山ではテレビ朝日系列のテレビ局がないので、「オーラの泉」がゴールデンタイムに移動する前は、富山でも他局で他の曜日の昼間に放送していたのですが、今はゴールデンになってしまってお値段がお高いのか、放送されていません。残念。

 スピリチュアルといえば、江原さん。江原さんの番組は、つい先日も夜に放送されていましたね。本当に泣いてしまいます。彼が本当に見えるのか見えないのかは、彼自身にしか分からないのですが、江原さんが発する言葉に、多くの人が救われていることは確かなのでしょう。

 私自身は、見えません。ただ、感じたり、夢に見たりすることがあるのです。本当にそうなのか、と問われれば絶対にそうだ!とは言えないので、ただ自分で信じているだけ。たとえば、中学の頃、毎朝拝んでいたうちの神棚に、高校入試がうまくいくようにいつものように祈っていたら、突然玄関に、希望する高校の制服を着ている自分が立っているのが頭に浮かんできた、とか。(その高校には受かりまして入学しました。)さらに、大学生の頃、当時付き合っていた彼がバイクでツーリングをするのが趣味で、東京から徳島へ向けてツーリングに出かける前日、いつもなら元気に、にこやかに「行ってらっしゃい」と言うのに、その日に限って彼の顔を見ていると、どうしても涙が出てくる。次々と涙が出てきて、自分でもわけが分からなかったのですが、翌日彼は出発し、二日目でしたか、三重のあたりで事故にあい、幸い怪我も軽く深夜バスで帰ってきました。あの時、何となく自分でもどこかで察知していたのかもしれませんが、それが分かるほどの能力はないのです。

 他にも、ある人を見て覇気や気力が感じられないとか、この人は非常に強い運がありそうだとか、その程度のことは分かるのですが、いわゆるオーラといわれるようなものは見えない。ただ、自分に近い大切な人の緊急時に、何かを感じて電話をしたり、夢を見たり、そういうのはある。これはでも「虫の知らせ」というのでしょうか。

 うちの旦那は信じないタイプですが、私に関してだけは例外のようで、怖がります。何度か言った事が当たっていたからかしら。

新しい色に挑戦!

 私の住んでいる富山市内で唯一のデパートが、9月にリニューアルオープンのため、今、大セール中。今日の午前中に行ってきました。

 正面玄関から入ったら、いきなり本当に大セール中の様子。アクセサリーも帽子も傘も二階以上の洋服も大セール。7月に東京に帰った際にデパートで買った、あるブランドの洋服ももちろん大セール。70%オフの物もあり。その中に、東京で買った同じ形のサマーセーターの色違いを見つけました。私が持っているのは金色のラメ。今日見つけたのは、真っ赤。それが70%オフになっていたので、即、買うことを決意。さらに従姉妹からお中元を頂いていて、そのお返しもまだだったので、同じブランドで、綺麗なレモンイエローのサマーセーターのようなカットソーのような物を選んで、二つ買いました。両方ともびっくりするくらいのお安いお値段。まだまだ暑いですし、上着のインナーとしても着られるので、良い買い物をしたと満足でした。

 私にしても、従姉妹にしても、洋服や小物など、あまり明るい色は選ばないほうでした。従姉妹とは1歳違いで、小さな頃から姉妹のように育ちましたが、表面的な印象は全く違うように見えるみたいです。私は下町系のおしゃべり、従姉妹はおとなしめ。ところが、内面的には結構二人とも神経質のような、私のほうが精神的に弱いような。おとなしく見えて、従姉妹はXジャパン好きだったり、うるさく見える私は、意外とクラシックなんか聞いたりして。しかし二人とも着る洋服などは、ダークな色や寒色系などが多いかも、と言う感じでした。私は30代半ばになり、義理の母親の影響もあるのか、いろいろな洋服の色や形に挑戦する気持ちが沸いてきました。ですから、今年の夏に買った洋服は、金ラメや真っ赤。もちろん黒で袖がふんわりとした、今年の流行の形にも挑戦しました。いろいろなことに挑戦しないと、もったいないような気持ちになったのです。自分でも知らなかった、自分にも似合うものも、あることを知りました。

 従姉妹に送るために買った服は、気に入ってくれるか分かりません。彼女も明るい色はあまり着ないでしょう。でも自分では買わなくても、プレゼントで届けば、挑戦するかもしれない、そんな風に思って選んでみました。さて、結果はどうなるとこか。

内閣改造

 今日、新内閣が発表されます。今、午後二時半を過ぎて、ぽろぽろ決まりだしました。いろいろなワイドショーなどで、いろいろな方がコメントされていますが、その中に、「国民が納得する方を大臣に」というようなコメントがあった気がします。

 さて、国民である私たちが納得する方って、どんな方でしょう。私が知らないだけかもしれませんが、どの国会議員がどんな活動をされていて、どんな仕事をどれだけしているかなんて、皆さんご存知なのでしょうか。私は知りません。マスコミが取り上げている議員の方々は、ごく一部の方ですから、もっとたくさんの議員の方々はどんな仕事をしてきたのでしょう。それが分からないのですから、誰が大臣になってもどういう風に政治が変わってくるのか、私達には分からないような気がします。だから結局、誰がなっても関係ないような感じに思うのは私だけでしょうか。(でも誰がなるのか興味があるから、ワイドショーを見てるのですけど)

 先の参議院選挙、東京選挙区で落選した前議員の方は、地元では様々な活動をしていたと聞いたことがあります。副大臣も経験されていました。それをどれだけの方が知っていたのか。その方が落選したことで、今までの活動の成果は何だったのか。築いてきたものが、切れてしまったように思えます。新人の丸川さんに多くの期待が寄せられたことは良く分かります。しかし、丸川さんは、何もないところからのスタート、あるのは知名度だけ。二人擁立した自民党の結果だったのですから、仕方ないのですが。

 あまり知識のない私が勝手なことを言ってますが、もっと議員の皆さんがどんな仕事をしているのか、知る機会が国民には必要な気がします。知ったところで、国民には大臣の任命権はないのですけどね。

面白かったDVD

 先週一週間の間に、2つの映画のDVDを借りてきて見ました。これ、2つとも全く違うジャンルでしたが、とても良かったです。

 まず一つ目は、「ナチョ・リブレ 覆面の神様」。タイトルで察すると思いますが、コメディ映画です。主演のジャック・ブラックの映画は、「スクール・オブ・ロック」と言う映画を、公開の時に見に行きましたので、その方が主演している映画といことで、気になっていました。ストーリーは、修道院で小さな頃から孤児として育ったナチョ。成長してからは修道院の料理人として、毎日おいしくない料理を、子供たちや修道士達に作っていました。修道院にはお金がないために、満足な食材が買えないというのが、ナチョの言い分。そんな時、修道院に美しいシスターが赴任してきます。やる気の出たナチョは、子供の頃からあこがれていたレスラーとして、覆面をかぶり、街で出会ったヤセと一緒にタッグを組んで、プロレスの大会に出ることを決意します。と言う感じなのですが、この先は、お楽しみですね。まあ、もしかして「くだらない」と思う方もいるかもしれません。B級映画だと言う方もいるかもしれません。でも私としては、何も考えずに、ただ楽しくちょっとアホらしく、それでいて最後はハッピーエンドが気に入りました。コメディ映画ってそれで良いと思うのです。

 さて、もう一つの映画は、今年のアカデミー賞で作品賞など合計4部門を受賞した、「ディパーテッド」。これは香港映画の「インファナル・アフェア」のリメイク作品として、大変話題になっていました。監督したマーティン・スコセッシ監督も、他の作品で何度かアカデミー監督賞にノミネートされていたものの、どうしても受賞を逃していたのに、このリメイク作品で監督賞を受賞するとは、なんとも複雑だったと思うのですが、良かったですよね。スコセッシ監督と組んで大作に出演してきた主演のレオナルド・ディカプリオも、本人はアカデミー賞というわけにはいきませんでしたが、私は久しぶりにレオ様の演技を見て、やはりこの人は大変演技の上手な人だなあ、と実感しました。共演のマット・デイモン、ジャック・ニコルソンも、本当にその持ち味をいかした、最高の演技。とても良い映画だと私は思いましたので、オリジナルの香港映画をまだ見ていない私は、いずれ見なければいけないなと、思いました。(うわさによると、オリジナルのほうが良い、といことも聞いたことがありますので)ストーリーは、簡単に言いますと、マフィアの潜入捜査もの。しかし、警察にもマフィアからの潜入者がいた、という感じ。さあどうなるか。元が香港映画なので、ラストはハリウッド映画的でない印象ですよね。ただ、出演者の演技合戦が大変見ごたえあり、ストーリーも緊張感ありますので、一見の価値ありだと思いました。

 余談ですが、マフィアの潜入捜査ものといえば、ジョニー・デップとアル・パチーノが出演した「フェイク」と言う映画が、とても良かったです。これは1997年の作品ですが、公開時にスクリーンで見まして、思わず泣いた覚えがありました。

 久しぶりに映画の話を書くことが出来て、嬉しい。映画大好きですから。また良い映画があったら書きたいです。

焼酎「晴耕雨読」

 お酒は、結構好きです。病気になる前は、ベロベロになって記憶を無くすまで、飲んだりしたこともありました。20代の前半は、「ざる」だと言われるくらい、ビールからウイスキーから、サワーから何を飲んでも、一緒に飲みに行った男性よりも飲んだものです。しかし日本酒だけは苦手でした。飲めるのですが、ほんのり甘口なんか飲んだときには、だいたい腰砕けになって、歩くのもフラフラで大変で、ひどく酔っ払って二日酔いになってしまうので、日本酒は基本的に自分から飲むことはありませんでした。

 病気を発症してからは、特に制限はないのですが、体調の良いときに、楽しめる程度に飲むようにしています。ほろ酔い加減が最高に楽しく、翌日に残らないし、かえって元気になってしまうこともあります。何事も「しすぎ」はよくないのですね。食べすぎ、飲みすぎ、です。

 さて、今朝の新聞の広告に、酒屋さんの広告が入ってました。ここ数年、私は焼酎が好きになり、ロックで飲んだりしていましたが、最近は水割りにしたり、冬はお湯割りにしたりして飲んでいます。その広告ですが、その中に、なんと、数年前に東京で会社に勤めていた際に、部の懇親会で、ある課長さんが「なかなか手に入らない焼酎が手に入りました」と言って差し入れてくれた「晴耕雨読」という焼酎が、載っていたのです。私はこの焼酎を飲んだときに、芋焼酎だと言うのに、なんとさわやかな味わいで飲みやすいのだろうと、感動したものでした。それからスーパーに行ったり、酒屋に行くと探してはいましたが、置いてあるお店はありませんでした。それがなんと、広告に載っているではありませんか。嬉しくて、夕方、旦那と一緒にその酒屋に行ってみました。

 あるわあるわ、びっくりです。大変な焼酎の数。私の目的であった「晴耕雨読」を見つけ、嬉しさのあまり、両手で大事に抱えながら、他の焼酎も見てみると、「森伊蔵」「魔王」と有名どころがずらりとあり、びっくり!ああ、今度からここに来て、じっくりと見ながら買おうと、とっても楽しい気分で帰ってきたのでした。もちろん夕食には、まずロックで一杯。それから水割りで。久しぶりに美味しかった。

マイホームについて

 マイホームは、いずれ手に入れてみたい物。今のところ、旦那が転勤族なので、次はどこに行くか分かりませんから、ここ10年くらいは多分買うことは出来ないでしょう。買うとしたら、やはり二人の実家のある東京であることは間違いありません。東京のどこにしようか、今から結構話し合ったりしています。家のタイプは、マンション。さすがに東京で、二人の実家の中間あたりで一戸建てを買う資金は、貯まらないでしょうし払いきれないでしょう。というか、一戸建ては、掃除も大変ですし、子供もいない予定ですから、特に必要ないと判断しています。

 さて、そのマンションの間取り。今も、それから前回借りていた金沢のマンションも、私が気に入って最終判断したところでした。その前の東京で同居していたときのマンションも、ほとんど一目ぼれ状態で、決めた部屋でした。できれば、リビングに少しでも接している部屋をベッドルームにしたくて、そういう所に決めていました。なぜかというと、うちの旦那はテレビゲームやDVD、パソコンなどを、金曜や土曜の夜に深夜まで見ていたり、しているときがあるのです。それらはリビングでしているので、もしリビングとは廊下で離れたベッドルームですと、私が眠くなって寝てしまったら、夫が何をしているのか分からないですから嫌だったのです。しかーし、昨夜、夫は飲み会で、午前1時に帰宅。私は気になって眠れず、帰ってきてからも、お風呂に入ったりテレビを見たりする音が気になって、やっぱり眠れません。結局、夫がベッドに入った午前2時まで、私もうつらうつらくらいしか眠れませんでした。

 私はここ二日くらい、夏バテ気味と夏休み疲れが出たのか、口の中の歯茎がただれ、口内炎も出来て、その影響で首のリンパ腺も腫れていました。非常にだるく、やっと今日は何とか楽になってきたところです。こういう自分の体調のことも考えると、もしかして、将来マンションを購入するときは、寝室はリビングルームから離れた、廊下を歩いて行くタイプの部屋にしようかなと思いました。夫は仕事の関係で、懇親会で遅いことも今後たくさんあるでしょう。金曜や土曜は休みの前日で、遅くまで起きていたい時もあるでしょう。いちいちそれに干渉していたら、夫も嫌になってくるでしょうし、私もイライラの元になります。それぞれの都合や趣味、体調に合わせて、二人が過ごしやすい間取りのマイホームを購入しようと、考えました。といっても、まだまだ先の話ですが。

 それにしても、一緒に住んでいる時が長くなればなるほど、いろいろと考えも変わってきますね。自分も相手も、ストレスができるだけたまらないように、工夫して一緒に住んでいけるように、これからも努力が必要だなあ、と実感しています。

ショック!!

 ああ~、一時間近くかけて書いていた今日のブログ。確認して再編集しようと思ったら、記事が消えてしまった~。あまりにショックなのでまた明日書きます。なんてこと。今日は少し涼しいので、まだ我慢できる。もしこれが、ものすごく暑い日だったら、ものすごい怒りとイライラと哀しさが押し寄せてきたかも。でも今の心境はガックリ。文章を書くって、結構、私は頭の中、フル回転なので哀しい~。

夏バテかしら!?

 昨日までとっても元気だったのですが、なぜか今朝、旦那が起きるときに一緒に起きることが出来ないくらい、体がだるくてダメでした。先週一週間の帰省と、富山に義理ママが来ていたり、本当に東京も富山も連日暑かったので、どうやら、夏のイベントが終了したことの一安心でほっと気が緩んだのと、もしかして暑さで夏バテが重なってしまったのかもしれません。

 13日に東京で検査をした際の結果は、良くもなく悪くもなく、無理せずこのままいきましょう、みたいな感じの結果でした。ですので、やはりあまり自分の体力を過信すると、ガクッときてしまうな、とは思っていたものの、夏休みに計画していたことがすべてクリアできて、私の体も中々良くなってきたぞ、と思っていたのですが、やはりここにきてガクッときたみたいです。この連日の猛暑で、普通の方でさえ、熱中症に気をつけなければいけないとか、夏バテとか言っているのに、やっぱり私が大丈夫なわけないか、と再確認。今日はほとんど家事もせず、寝たり起きたりテレビ見たり、これからお昼寝したり、ゆっくりすることにしました。それと、クーラーも入れずに、昨日も頑張っていたりしたのですが、今日はもう適度にクーラーを入れて、体に暑さの負担がかからないようにします。暑さって、何もしていなくても、それだけで体力を消耗したり、脱水症状になったりしますものね。

 それにしても本当に暑い今年の夏。これからが本格的残暑。自分の体力を過信せずに、もう少し頑張れそうだ、と思ったところで何事もやめようと思いました。この夏をうまく乗り切れると、自分の体をコントロールできるようになれそうな気がしますので。

息子と母親

 昨日のブログに、二泊三日で義理の母(義理ママ)が、私達夫婦のいる富山の自宅に来ていたことを書きました。義理ママは昨日の午前中に東京に帰り、無事に着いたとメールで連絡も頂き、一安心。そして、夜9時頃に会社から帰宅した夫は、ものすごい上機嫌。義理ママから夫に電話があり、「とても楽しかった」と言っていたそうです。母親が自分の住んでいるマンションに泊まりに来て、とても楽しかったという感想を持ったことが、ものすごく嬉しかったのか、昨日の我が家の夕飯の食卓は、明るくニコニコ顔の旦那のオーラに包まれていたのでした。

 母親と息子、という関係は、とても「嫁」には入れない部分がありますよね。もちろん、それぞれの性格によって違うとは思いますが、息子は年を重ねれば重ねるほど、子供の頃のように母親が大好きだということを、隠そうともせずに態度で表現しますし、さらにそれに気遣いが加わります。母親も結婚して家を出た息子と時々会うと、本当に楽しそうに嬉しそうに接し、子供の頃のように世話を焼いたりします。それを見ていて、息子(夫)の取り合いになる嫁姑もきっといるでしょうし、そういう気持ちになりかけた方もたくさんいると思います。私も最初はそんな気持ちを持ちました。私は二度目の結婚だったので、ある程度分かっていたというか、私自身が病気を発症したこともあり、義理ママが夫に世話を焼くことを、あえてお願いしてしまいました。息子というのは、娘とはまた違って、なんだか世話をしたくなるというか、いつまでも心配というか、そんな対象のようですね。もちろん、娘のことも親ならばいつまでも心配なのでしょうが、たぶん女性と言うのは、もともと親元を離れていって暮らしていけるような遺伝子が備わっているような気がします。今度は自分が子供を産んで育てていけるように、なっているのでしょう。そうすると親離れになり、親も子離れになる。それに比べると息子は、いつまでも手がかかる存在というか、何というか。

 いわゆる「マザコン」で、本当に毎日母親がきて世話して、結婚しても変わらず、何でも母親がやってあげるような状態は問題外ですが、一般的には息子は皆、軽い「マザコン」であり、母親は軽く「子離れ」できない状態が続くのかもしれません。一年に数回の息子と母親の楽しげな様子を、いかに気にせず、慣れてゆくか。結構これ、夫婦がうまくやっていくポイントかもしれないな、とあらためて感じました。だって、本当に昨夜のうちの夫の嬉しそうだったこと。母親が楽しかったのがあんなに嬉しいなら、きっと嫁姑が仲悪かったら、本当に哀しいでしょうから。

義理ママ帰る

 先週一週間、東京の実家に夫とともに帰省していた私達。帰省の際には、それぞれの実家に別れて泊まることになり、今回は今まで二人で帰省した中では、一番長い期間の滞在でした。それぞれの家族と夕食を一緒にとったり、それぞれの友達と久しぶりに会ったりと、大変充実したお盆休みになり、最後のメインイベントが、富山の自宅に二人で戻るときに、夫の母が一緒に来る!ということでした。

 さて、先週の土曜に富山に戻るとき、車に同乗して、一緒に来た夫の母(義理ママ)。いつも元気で綺麗で、スタイルも良く、明るく、時には感情的で、大変女性らしい人です。東京で夫と同居していた際には、義理パパママのマンションから、歩いて2分のマンションに住んでいたので、私が病気を発症した際には、最初に病院に連れて行ってくれたのも義理ママでしたし、その後もいろいろと家事やら様々なことでお世話になっていました。まだ結婚前でしたが、本当に良くして頂きました。まあ、まるで嫁姑のような小さな問題もあったりして、結婚前に嫁姑問題リハーサルのようなこともありました。でも私達夫婦をいつも気遣ってくれて、籍を入れた後も、全く前と変わりなく接してくれています。今回は富山に私達が引っ越してきて、義理ママは一度も自宅を見たことがないので、帰る時に一緒に来たいと言うので、来ていただきました。

 本当なら、嫁が姑を接待(?)しなくてはいけない立場なのに、へたに私が動いて、また病状悪化にでもなったら大変だと思ったのか、とにかく動く動く。洗濯も炊事も風呂掃除も、やってくれるやってくれる。断ってもやるやる。お言葉に甘えて、昨日の夕飯も作って頂きました。久しぶりに、義理ママのご飯を食べて、とてもなつかしく美味しかったです。昨日も暑い一日でしたので、富山港周辺をドライブして、タリーズでお茶したくらいでしたが、楽しかった。あっという間の義理ママ2泊3日のお泊りでした。

 今日、午前中の電車でママは帰っていきましたが、自宅に戻ると、夫はもちろん朝から会社ですし、ママは帰っちゃったし、一人でちょっと寂しい感じ。きっとこのくらいの距離感での嫁姑が、一番いいのかもしれないな、とは思いますが、なんだか寂しいなあ、と感じながらこのブログを書いているのでした。いつもの日常に戻りました。

来年の流行はショートヘア

 今日、約3ヶ月ぶりに美容院へ行ってきました。髪は東京の実家に戻った際に、いつも行っている美容院でカットすることに決めています。もう5年お世話になっていますから、だいたい2ヶ月に一度病院の検査で戻ってくるので、美容院はそういうときに合わせて行くようにしています。自分の髪質や、頭の形、好みなど、十分に分かってくれている美容師の先生に頼むのが一番です。(先生と言っても私より3つくらい年下の男性で、もともとは弟が行っていた美容院を紹介してもらったのです)

 さて、前回の時は長く伸ばそうと思っていた髪を、薬の副作用なのかただの食べ過ぎなのか、太ってしまったせいで顔がアンパンマンのようにふくらんでしまったので、それを目立たせない髪型をお願いしてカットしてもらいました。しかし、もう数ヶ月たち、長さがミディアムになってきていて、前髪も中途半端で後ろも結べるほどではなく、このまま頑張ればロングに出来るのは分かっていたのですが、この暑さと、フラメンコの練習の際にどうしても邪魔になってしまうので、思い切って、ショートにすることにしました。こんなにショートにしたのは久し振り。「男の子にならない程度にショートにしてね」と頼んだのですが、かなり男の子のようになったと思います。でもスッキリとして、私はお気に入り。カットして頂いている時に、流行の髪型について話していたのですが、今年はボブスタイルが流行だと、私は何か雑誌で読んだ気がするのでそう言うと、「実はボブは2年くらい前に、イギリスですでに流行った」と美容師の先生は言うではありませんか。だいたい髪型の流行(洋服に関してもそのようですが)は、その業界の方々が広げていくもののようですよね。芸能人や有名人がそのスタイルをするから(そのスタイルをさせて)、一般の私達に流行として伝わってくる、そんな感じでしょう。でもイギリスなどの美容・ファッション先進国は、その先をいってるようですね。というか、日本が遅れて真似ている形になるのでしょうか。

 私の美容院の先生いわく「これからはショートですよ。来年あたりショートでしょう」と、言ってました。ほほう~、では私は最先端。ほぼベリーショート状態ですから。まあ、髪型にしてもファッションにしても、もちろんそのときの流行を取り入れても良いのですが、自分に合うスタイルを保ちながら、新しい形にも挑戦していく、そんな風にしていろいろ試してみたいなと思っています。もう少し白髪が増えたら、今度はカラーリングも考えます。今のところまだ白髪も目立たない程度なので、あえてカラーリングはしていません。もっとも、6年くらい前は、なぜか派手にしたくて、わざわざ髪の色をいったん抜いて、完全な茶色にして、光が当たると金髪に見えるくらいの色にしていましたが。

理解してね、私の病気

 今週の月曜に病院へ行く際、約2年ぶりくらいに、うちの旦那に一緒に来てもらいました。約2年近くも主治医に会っていないので、私の病状について、直接聞いてもらう機会がなかったのです。私から話すのでは、なぜか納得してくれないことや、忘れてしまうことが多く、やはりこのへんで一度、きちんと先生にも会って話を聞いて欲しいな、と思っていました。

 月曜もとても暑い日でしたので、車で病院へ行けて本当に良かったです。病院へ行くのだけでも疲れてしまいますから。(私たち夫婦は実家に帰省すると、お互いの実家に分かれて泊まりますので、今回は車で二人で帰省したので、旦那に車で病院まで行ってもらったのです)お盆の真っ最中でしたから、病院も午後は静かで、患者さんも少なく、着いて5分もしないうちに、診察室に呼ばれました。

 さて、久し振りに私の主治医に会った夫は、挨拶をした後、私の前回の検査の話やら、現在の話などを一通りして、今後の予想される症状や、症状の変化、現在のベーチェット病についての研究のことなど、私では予想もつかないような話題が出てきました。さらに、6月の症状については「うつ」だったこと、「うつ」と病気の悪化との見分け方、精神安定剤をなぜ服用しているのか、など、私が旦那に理解して欲しいことを、先生はいろいろと話してくれました。やっぱり私が説明するのと、先生が説明するのとでは、夫も理解しようという気持ちが違います。特に去年は病状が安定せず、二回入退院をしていて、病気自体も進んでいますから、今回先生と話をしてもらって良かったと感じました。

 東京と富山で、どうしても遠いですから、私が症状が悪化して東京で入院してしまえば、仕事で忙しい旦那は、なかなか東京に来ることも出来ません。どうしても、私や義理の母からの話しか、夫には届かないのです。でもやはり、病気を出来るだけ理解してもらうには、先生と直接話をしてもらうのが一番です。一年に一度くらいは一緒に病院へいってもらえると、いいなあと思います。勝手な言い分でしょうか。

親友と「坐・和民」

 私には大切な親友が数人います。そのうちの一番長い付き合いの親友二人と、昨夜は飲み会でした。私を入れて3人組。一人は7歳からの付き合いで、もう一人は中学からの付き合い。いずれにしても四半世紀近くの大親友二人。3人とも同じ区立の中学に通っていたのに、今では一人は東京、一人は韓国、私は富山と、見事に離ればなれ。ところが、離れているからこそ、不思議なことに、韓国にいる親友が帰国している時期に合わせて、出来るだけ私も東京の実家に戻れるように調整しますし、東京にいる親友も仕事が忙しくても時間を調整するように、努力してくれます。だから、一年に1・2回は会えるわけです。しかし、3人で夜に飲みに行くのは、多分2年ぶりくらい。私が病気を発症した後、初めてだったかもしれません。どうしても昼間より夜のほうが疲れるような気がしますし、お酒を飲んではいけないわけではありませんが、やはり体調の良いときにしか、私は飲みません。二人とも無理に、夜に飲みに行こうとは誘いませんから、私もどちらか一人と会うときは、昼間のランチにしたり、お茶にしたりしてもらいます。ですから、こうして3人がそろって東京にいて、私も体調がボチボチ良く、本当に久し振りの飲み会で、最高に楽しみでした。

 さて、飲み会の場所は「坐・和民」。ここ、私は初めて行きました。韓国にいる親友は、韓国にはこういう居酒屋のような場所で、カクテル・サワーが飲めるところが、ないそうなのです。なので、3人で飲みに行くときは、チェーン居酒屋。でも昨日入った「坐・和民」は、びっくり!履き物を脱いで、上がって、私たち3人が案内されたのは、ゆったりと座れる掘りごたつタイプの席。他にも、カップルにぴったりの窓際に横並びの席など、全体的にゆったりと座れて、雰囲気もちょっと暗めで、落ち着ける感じ。今までの居酒屋よりも、大人っぽいワンランク上の居酒屋でした。メニューも豊富で、頼んだ品物はどれも美味しい!あくまでも居酒屋ですから、ものすごい値段が高いわけでもないのに、こんなに美味しいの!?という嬉しさ満点!飲み物もサワーもカクテルも焼酎も日本酒も、本当に種類がたくさん。頼むのも楽しいし、3人でいるのも楽しいし、食べ物は美味しいし、話はつきないし。あっという間の約3時間でした。

 長い付き合いの友人というのは、不思議なもので、どんなに会えない期間があっても、会うとあっという間に、それが当たり前のようになってしまう。もちろんメールや電話で連絡をとっていますから、会っていないだけで、相手の状況などは何となく分かってはいます。でも一年も会っていなくても、その「時間」を感じさせないのです。韓国の親友がそう言ってました。私もそう思います。これからも一年に数回しか会えなくても、ずっとずっとこの付き合いが続いて、おばあちゃんになるまで、このメンバーでの飲み会が続くものだと確信しています。とにかく元気で、健康に気をつけて、また来年会えることを願って、最寄り駅で別れました。こんな親友がいることに、感謝しています。

 

家族で食事

 昨日は夕方、うちの実家の両親と私と夫、それに私の弟と弟の彼女の6人で、中国料理店で食事をしました。これは初めてのメンバー。まず私の夫と、私の弟の彼女が初めて会いました。また、うちは夫が金沢に転勤することになって、その5ヶ月後に籍を入れて私が金沢に引越していったので、実は両家族の顔合わせも、籍を入れてからのことでしたし、両家族の顔合わせの際には、お互いの弟が仕事で出席できませんでしたので、弟同士はいまだに顏を会わせたことがないうえに、夫の両親もうちの弟には会ったことがありません。さらに夫自身も、私の弟には2.3度しか会ったことがなくて、まともに顔も知らない感じでした。ですので、昨日の食事会は私としてはかなり計画的に、事前に予定を合わせていました。義理の兄と弟が、顔も分からないのは、そろそろまずいかな、なんて思っていたからです。

 まあ、義理の兄、とはいえ、義理の弟よりも4歳も年下の兄なもので、うちの旦那にしてみれば遠慮がちですし、弟にしてみれば、4歳も下なのにお兄さんとは思えないのは仕方ないのかもしれません。徐々に慣れてもらうしかないですよね。しかも転勤で今は私たちは富山にいますので、なかなか会える機会もありませんから。こうして、お盆や年末年始に帰省した際をねらって、顔を合わせるようにして段々と仲良くなってもらえればいいなあ、と思っています。

 それにしても夫の両親にはまだうちの弟を紹介してませんから、会わせなければと思っています。夫の弟は一度、私が東京で入院していて退院した際に、私の実家に義理の母親と一緒に顔を出してくれたので、うちの母親は会ってるわけです。(父は会っていません)そんなこんなで、家族全員ではまだ顔合わせもしていない状態ですから、やはり結婚式はいずれ行いたいなと考えています。結婚式やら披露宴やらを行えば、家族が集まるので、そこで顔を合わせることになりますから。だから一般的には先に式を挙げれば、家族が先に会うことになるのですものね。

 昨日の食事会は成功でした。美味しかったし、楽しかったし、夫と弟も話していました。良かった良かった。弟の彼女もよく食べていたし、うちに泊まっていったし、いろいろと話しもできたので、良い機会でした。またこういう時間をもてるように計画しようと思います。やはり家族は仲良く楽しく過ごす時間を、出来るだけ多く作れれば、それは嬉しいことですから。

軽井沢も暑かった

 11日の土曜に富山を出発して、その日に軽井沢から40分くらい離れた所の温泉ホテルに泊まり、温泉を満喫して、12日の昨日、午前中に軽井沢に向かいました。ホテルを10時にチェックアウトして、普通なら40分位で軽井沢に着くはずでしたが、やはり道が混雑していて、1時間以上かかりました。これでも、中軽井沢あたりから裏道というか、いわゆる別荘地域に入って、渋滞を抜けて行ったのです。夫の実家の別荘があり、もう10年くらい使用していないらしく、その別荘を探し当て記念撮影をしてから、三笠パーク付近の道を抜けて、旧軽井沢銀座へと行きました。

 軽井沢は夏の静養地として、涼しい土地のはずです。昼間は東京などに比べると、2~3度、もしくは別荘地に入って木々に覆われた場所などは5度以上、気温は低く過ごしやすいはずです。昨日は本当に天気が良くて、もう旧軽井沢銀座も暑くて暑くて、午前11時半頃には着いていましたが、人も多くて、歩いていられないくらい。結局、12時前には、夫が子供の頃に来ていたという老舗の洋食店に入り、美味しい和牛カレーを食べて一休み。その後、また旧軽井沢銀座でそれぞれの実家へのお土産を買って、午後一時半過ぎには車を止めてた駐車場へ戻りました。その時間帯は多分、人が一番多い時間。しかし、気温も一番高い時間。軽井沢なのに、本当に暑かった。多分32度くらいはあったのではないかと思います。駐車場から車を出して、裏道を(別荘地の間をぬって)走り始めると、木々に覆われた道なので、あっという間に気温が下がっていき、外気温が27度に。車の窓を開けてみると、さわやかな空気。(ちょっと湿気がありましたが)どんどん道を進んで、本来なら碓井軽井沢ICまでの道は混んでいるはずなのに、時間が早かったのか、まだ上り線のラッシュが始まっていなくて、スムーズにICへ。一番混むのではないかと思っていた道が混んでいなくて、本当に順調でした。そこからは高速道路もまだまだ上り線はすいていましたので、あっという間に東京へ。午後3時半過ぎには、私の実家に到着していたのでした。

 それにしても、年々気温が上昇しているのだなあ、と実感。あの軽井沢でさえ、あんなに暑くてはもう静養どころではありせんね。夜はもちろん、過ごしやすいのではないかと思います。多分、気温も20度以下になるでしょう。昼間はもう出歩くことは控えた方が良いくらいの感じ。ただ、木立に囲まれた別荘地は別。やっぱり涼しい。本当の静養なら、別荘地でゆっくりしていなくてはいけませんね。久し振りに行った軽井沢。本来ならもう少し、歩いたり見たりしたかったけど、やっぱり暑いのは辛い~。

明日から夏休み

 明日からうちの旦那が夏休みに入ります。ので、明日から東京の実家に向けて、車で帰る予定になっています。その途中で軽井沢付近で一泊して、軽井沢に寄っていくことにしています。本当に久しぶり。しかし、この時期に軽井沢に行くなんて、渋滞にはまりにいくようなものですよね。あ~大丈夫でしょうか。

 それにしても毎日暑くて、昨日は富山の最高気温が、36.3度。富山に来てから、今まで体験したことのない気温を体験しています。昨日も掃除して、頭から汗だくになって、バテてしまいました。掃除だけなのに疲れちゃって。暑さ疲れですね、完全に。今日は午前中にフラメンコに行きましたが、またもう頭から汗だく。まあスポーツをして出した汗なので、すっきりとはしましたが、それにしても暑すぎる。ですので、軽井沢に行くのは、本当は涼しくて良いのですが、たどり着けるか。昔、夫の実家の別荘が、中軽井沢の奥のほうにあったので、義理ママから中軽井沢の裏道をFAXしてもらいましたが、はたして昔のことなので、道があるのかどうなのか。私達は、アウトレットでなく、旧軽井沢のほうに行きたいので、なんとか中軽井沢の手前から裏道に入って行けないものかと、旦那が思案中です。子供のころの遠い記憶を思い出しながら、考えているみたいです。

 軽井沢は多分、昼間の最高気温は30度以上かもしれませんが、夜は多分20度前後まで下がるのではかないか、と思われます。涼しいですよね~。将来、軽井沢に別荘でも買うことができれば良いね~、なんて夫と話していますが、軽井沢は夏行くには良いけど混んでいるし、夏に行ったとしても、夏休みはせいぜい1週間でしょうからもったいない。冬は寒すぎて行けないし、そのあたりを考えると、群馬あたりに温泉の出るマンションとかいいかなあ、なんて思います。そんなこんなで、フラメンコ疲れの体を休め、明日に向けての準備に入ります。その前に昼寝です。

フラメンコを習い始めて

 毎週金曜の午前中は、フラメンコの日です。今週は明日。来週はお盆のためか、お休みです。フラメンコを習い始めて、一ヶ月以上たちましたので、ちょっと書いてみようかなと、思いました。

 子供の頃から、親にスペイン料理店へ連れて行ってもらう機会がよくあり、その際にそのお店でフラメンコ舞踊を見ることがありました。女性は綺麗な衣装を着て、情熱的な踊りと、それに合わせた表情。情緒的なギターの音。見ていてとても引き付けられ、いつか大人になったら習いたい、憧れの踊りでした。でも大人になってからでないとダメなような、そんな感じがしたのです。そのくらい、感情的な要素が必要な、もっと人生経験を重ねてからのほうが良い様なそういうイメージもありました。それと、金銭的な問題かしら。

 今回、富山に引っ越してきて、6月に東京に帰省して主治医に「うつ」だと診断されてから、長年の夢であった「フラメンコ」を習おうと決めました。6月下旬から、地域のカルチャーセンターに体験入学して習い始めましたが、とてもとてもブログに書けるほどの状態ではなかったので、今回はじめての報告。病気の関係で、間接とか大丈夫かな、と思っていたのですが、不思議なもので、習っている間は痛みは感じないのです。集中しているのか、本当に痛くないのか。ただ、フラメンコから帰ってきた金曜の午後は、ひざの関節やら足やら筋肉痛です。

 フラメンコは思っていたより複雑で、大変。大変だろうなと、予想はしていたのですが、やはりバレエの経験のない私は、回転する際にも重心が定まりませんし、なんといっても外またの足が大変。きついですね。私は子供の頃、剣道を習っていたし、高校生の頃は日舞も習っていたので、内またなのです、基本的に。数年前までエアロビをやっていたにもかかわらず、やはりかなり柔軟性もなくなっていたので、毎日柔軟体操は欠かせません。ほんの5分でも、家で柔軟体操と、フラメンコの手の動きなどを練習するようにしています。手の動きももちろん決まっていて、練習しないと動きません。フラメンコの舞台を見ると、足の動きと手の動きが目に飛び込んできますよね。あれはかなりの練習のたまもの。とくに綺麗な手の動きは、普通では出来ません。もちろん足のステップと言うか、踏み込みもちゃんと決まっていますし、フラメンコ用のシューズの裏には、つま先とかかとに釘がいくつも付いていて、そこで音を鳴らすようにしているのです。この音を鳴らすのも一苦労。つま先なんか、かなり強く踏み込まないと鳴りません。ステップを踏んでいる間は、常に中腰ですし、上半身は安定した状態に保っていないといけないし。と、一言では説明できませんので、また練習の成果を書きたいと思います。とにかく、好きなことが出来て嬉しいのと、上達するには練習練習が必要だと実感しています。

義理ママが来る!

 来週一週間、旦那がお休みを取れたので、車で東京の実家に帰省する予定になっています。富山に戻ってくるのは、18日の土曜日。そのときに、一緒に旦那の母親、私にとっての義理の母親(義理ママ)が来ることになりました。

 金沢に住んでいた頃にも、義理ママは行きました。(引越し前に住居を決める時と、引越しの時も行って頂いたので、多分合計4回位かな)と言うのは、まだ私が東京で仕事をしていて、同居はしていても籍は入れていなかったので、金沢への転勤が決まった当時の彼氏である夫が、先に金沢に行って住んでいたのです。その間、約5ヶ月。引越し以降2回、義理ママは金沢に行きました。きっと息子のことが心配だったのでしょう。もちろん、私も2回行った覚えがあります。なんだか交互に、息子(?)の様子を見に行っていた感じです。

 正式に籍を入れて、私が金沢に行ってからは、何かとバタバタ忙しくなったのと、一年もしないうちに富山への引越しも決まってしまったので、義理ママもパパも来ませんでした。もう富山に来てから半年以上。遠いので、義理のパパママやうちの親も、中々気楽に「来てね」とは言えなかったのですが、今回帰省する際、富山へ戻るときに、義理ママが一緒に来て、「一度私たちの部屋を見てみたい」と言ったそうです。私に遠慮して、夫に電話して、私が気を使ったり大変だったら悪いから、と思ったようです。

 私は以前、自分の弟が結婚していた際(実は姉弟そろってバツ1です)、うちの両親が弟夫婦が住んでいるマンションの近くまで行く用事があって、そのときに「寄ってみようか」という話になって、日曜の昼間に弟のマンションに行ったそうなのです。呼び鈴を何度か鳴らしても反応がなかったので、そのまま帰ってきたそうですが、その時に母親が、マンションの周辺を見たり、玄関の様子を外から見たりして、「ここがあの子の住んでる部屋なんだ~」と、なんとなく寂しくなったというか、そんな気持ちになったと、聞いたことがありました。結局、その日は弟は仕事で、嫁さんはまだ寝ていたそうです。で、その2年後には離婚しました。

 母親は息子に、特別な感情と言うか、娘とは違う何かを持っているようです。私は自分の母親から、息子の部屋を見られなかったときの、ちょっと悲しげな気持ちを聞いていました。そのこともあり、今回義理ママが富山に来ることは、全くもってOKです。もともと一緒に住み始めたときに、義理パパママのマンションから歩いて2分のところで、毎日のようにママが来ていましたから、慣れてはいるのです。でもまあ、やっぱり緊張はしますよね。早速今日、買い物の際には、義理ママが良く飲むアイスコーヒーのペットボトルとか買ってきちゃいました。部屋もなんとなく、いつもより片付けたりして。「気にするな」と旦那は言うけど、やっぱそういうわけには、いきませんものね。本来なら、秋や初冬の、お魚のおいしい時期のほうが良かっただろうなあ、とは思うのですが。

天ぷら揚げたて食べ放題ランチ

 昨日のお昼に、旦那の同僚の奥さんと一緒に、駅前のホテル15階にある懐石料理店のランチに行きました。月曜は「天ぷら揚げたて食べ放題」のランチを行っていて、小鉢、サラダ、味噌汁、お新香、ご飯、デザート、コーヒー、そして天ぷら食べ放題でなんと、1,350円!!これはお安いでしょう、ということで、いつか一緒に行きましょうと約束していたのが、昨日実現したわけです。

 実は先週の時点で、この天ぷらランチ、もしやものすごく盛況で、せっかく行ったのに席がないのは絶対に嫌だと思い、予約までしていました。昨日はまたとても暑かったので、少々贅沢ですが、歩いて10数分の場所でしたが、タクシーでホテルまで行きました。ホテルの15階まで上がると、そこは素晴らしい展望。以前、同じ階のレストランには来たことがあり、その際に素晴らしい景色は見ていたのですが、昨日はお天気が良かったのと、以前来た時とは別の店なので、方向も違っていて違う眺めを見ることができました。

 案内されて店内に入ると、お昼の12時少し前だったので、まだまだお客様は少なく、一組だけ。窓際のテーブルに案内されて、「すごい良い景色だね」なんて言いながら座り、店員さんの説明を受けた後、いざ天ぷらへ!私たちのすぐそばに、小鉢やらサラダやらの取り放題のテーブルが置かれていて、まずはそれを一通り取った後、いざいざ天ぷらへ!天ぷらは、小鉢取り放題テーブルの横にテーブルがあり、そこに囲いをして、その中で料理人のおじ様が揚げていました。なす、かぼちゃ、しいたけ、エリンギ、さつまいも、ピーマン、そしてエビ、きす。「揚げたては、きすが美味しいですよ。」と言われたので、魚類の天ぷらはあまり得意ではなかったのですが、あえて挑戦してみました。

 さて食べてみると、やっぱり揚げたては、美味しい!特におじ様に勧められた「きす」は、本当にやわらかく美味しかった。私は野菜の天ぷらが大好きなのですが、これもみんな美味しかった。小鉢類もみんな中々良く、天ぷらの合間に食べていました。そう、天ぷらの合間に、サラダや小鉢類をちょこちょこ食べないと、口の中が油っぽくなりすぎるのです。そうなのです。天ぷらは、食べ放題を経験して初めて実感したのですが、そんなにたくさんの量は食べられません。すべての種類の天ぷらを、二回食べたのがやっとでした。1,350円の金額で、あれだけサイドメニューもついていて、天ぷら食べ放題は本当にお得だと思いますが、食べる量に限界があります。おいしい~、と感じるのは、最初の一皿目でしょうか。男性ならもちろん、もっと食べられるのかもしれませんが、あまり食べ過ぎても多分、胃もたれするでしょう。

 本来は毎週月曜の天ぷら食べ放題は、お昼過ぎには満席になるようですが、昨日はなぜかガラガラ。隣のレストランでも食べ放題を行っていて、そちらにお客様が多かったようです。きっと子供たちが夏休みに入っていて、洋食のほうが良かったのかしら、なんて思いました。それにしても行きたいと思っていた「天ぷら揚げたて食べ放題」に行けて良かった。美味しかったのは美味しかったので、満足です。

安定剤飲んでて悪いか!!

 今日は朝から、旦那と喧嘩です。テレビの番組で、朝青龍が精神的に不安定で、うつ状態になっており、精神安定剤を飲んでいる、というニュースが流れました。朝ごはんを食べながら、それを見ていて私が、「私だって、安定剤飲んでるわよ~」と言ったら、「え!?飲んでるの?いつから?」と夫が言うじゃありませんか。なんてこと。私は病気を発症した約2年半前から毎晩寝る前に、精神安定剤を飲んで寝ているし、それを何度も旦那に話しているし、その度に旦那が反対して、私が安定剤服用については先生と相談しているし、と何度も説明しているにもかかわらず、また同じことを言って怒るのです。何で精神安定剤を飲んでいると言うだけで、怒り出し、それを毎回忘れて、数ヵ月後に同じことを聞いては怒るのか。さすがに私も嫌気が差しました。

 約二年半前、今の旦那と同居を始めてすぐ、疲れと精神的なストレスが重なり、微熱が続いて鼻から喉にかけて痛く、さらに咳も出始めて、という状態が3週間くらい続きました。その間、会社に通いながら、会社近くの病院にいき、処方してもらう薬を飲んでは少し良くなり、また悪くなりを繰り返し、また眠れない日々が続いていました。その際に処方してもらったのは「デパス」という薬。これを飲むと非常に良く眠れて、次の朝にちょっとふらつくこともあるくらいでしたが、特に仕事に影響はありませんでした。しかし、咳も治らず具合が悪いのが長く続いたので、自宅近所の総合病院に行ったら、検査入院ということになり、そこで初めて「ベーチェット病」だと分かりました。眠れないというのは、ストレスや体調が悪い状態からくるようで、病気の諸症状のひとつと考えてもいいようでした。そこに現在の主治医がたまたまいて、膠原病の専門だったので発見して頂いたわけですが、その時に「デパス」を飲んでいる旨を告げましたら、ちょっと強めの薬だから、もう少し弱いのにしようと、現在の精神安定剤「セレナミン」に変えてもらったのです。これでも私は眠れるし、セレナミンはそんなに依存性の高い安定剤ではないから大丈夫だと、説明されました。それよりも、眠れずにいる方が辛く、体調も回復しないので、一日中飲んでいるわけではないから、寝る前だけ飲むようにしています。

 誰だって、飲まなくていい薬は飲まないほうが良いのは分かってますよね。少なくても副作用はあるわけですから。「眠れないと思うから、眠れないんだ!」と、うちの夫はいつも怒りますが、そんな風に思っていなくても眠れない辛さが分かりますか。いつも仕事でくたくたに疲れて帰ってきて、眠れないと感じる前にベッドに入ると10秒くらいで寝てしまう夫には申し訳ないけど、眠くならないのですから辛いですよ。そりゃ朝方までうだうだしていればちょっと寝られますけど、3・4時間睡眠じゃ体がもちません。精神的にももちません。それよりも、昼間少し昼寝して、夜は安定剤を飲んで旦那と一緒に眠って、朝一緒に起きる。このほうが、体調も良いのです。合計一日8~9時間くらいは寝るでしょうか。これだと日常生活に支障はないほど、動くことが出来ます。

 薬に依存するのは、良くないことです。飲みすぎるのは、良くない。ちゃんと主治医と相談して、いかに体調を整えるために、また副作用もすくなくするために、どんな薬を飲むのか、考えて出していただく。私はそうしていると思っているのに、何度も説明しているうちの夫は何度も分かってくれない。精神安定剤飲んでて悪いか!!じゃ、飲まないで毎日眠れずに過ごして、ぶっ倒れて入院してやろうか!と思ったと、母親に電話で話したら、「やめなさい、辛いのは自分なんだから。旦那なんかは分からないもんよ。それより自分の体を大切にしなさい。」と言われました。その通りだ、そうしよう、自分の体を大切にします。

クーラーの適切な使用方法は?

 本当に連日暑くて仕方ないのですが、どうしたらいいのでしょう?つい何日か前のブログに、東京に比べると建物や車の数が少ない分、涼しいとか何とか書いた覚えがありますが、これ撤回したほうが良いのかもしれない。フェーン現象の影響とか、いろいろな理由はあるのでしょうが、マジ暑い。今これを書いている間は、頑張って部屋中の窓を開け、扇風機でしのいでいますが、外からの香りが夏の暑い緑の香りなのです。緑の香りと言うと、とても情緒的で、都会に住んでる方は、「涼しげだわ」なんて感じるかもしれませんが、緑の香り+暑さ+セミの鳴き声=たまら~ん!って感じです。

 さて、クーラーはどう使用するのが、体にとって一番いいのでしょうか。母親に電話でよく言われるのですが、「病院に入院しているときは、ずっとクーラー入ってるでしょう!だから、我慢せずにクーラーを入れなさい!」と、いつも言われます。クーラーは低温に設定しすぎると、体を冷やしてしまうから、いろいろな障害も起きてくる(肩こりとか冷えとか)と言われますが、入院しているときは確かに、24時間クーラーがついてました。設定温度は26度だったと思います。これは冬も同じ温度で、病室内を一年中一定の温度にしているのでしょう。クーラーのきいている病室で生活していました。もしこれが、クーラーのきいていない状態だったら、暑くて暑くて、治るものも治らないかもしれない。26度くらいだと、特に冷えにもならなかったです。と、いうことは、あまりに暑い状態で、自宅内にいて我慢して汗をかきかきしながら家事をしていたり、時にはテレビを見ていたり、私は必ず毎日昼寝をするのですが、暑いのに先週はクーラーをかけずに昼寝したら、暑くて出来ませんでしたので、それはもしかして、体に暑さという大きな「負担」をかけていることになるのではないでしょうか。そうすると、暑さで体力を消耗し、汗もかいているけど家にいるからついつい水分補給も忘れ、気がついたら熱中症、みたいなことになる可能性もあるわけですよね。ならば、やはり、クーラーを適度に使用して、快適に過ごせる環境を作ったほうがいいのではないかと、思いました。

 本来は、やっぱりクーラーのつけっぱなしは、体に良くないのでしょうか。また電気代はつけたり消したりするより、つけっぱなしの方が安いのでしょうか。いろいろなクーラー使用法について疑問がわいてきます。何といっても、体に対しての影響。うちは、設定温度28度か29度にして、扇風機でクーラーの冷風を散らしています。寝るときも、暑くて寝られないほうが体に害だと思い、設定温度を29度にして、タイマー1.5時間で切れるようにして寝ています。暑くなると起きるので、またクーラーを入れるという感じです。昼間は午前中は出来るだけ扇風機のみ。午後は昼寝の時間くらいからクーラーを入れています。やはり設定温度29度。こんな感じで、体にはどうなのかしら。と思いながらも、もうクーラーを入れずには過ごせない状況なので、仕方なく考え出した方法でした。

浴衣で夏祭り

 昨日から、富山市中心部で、夏祭りが行われています。今日は土曜日なので、かなり前から、浴衣を着てお祭りを見に行こうと決めていました。病気を発症してから二年半。浴衣を着てお祭りに行くなんて事は、ありませんでした。浴衣や着物は大好きで、他の人が着ている姿を見ていると、とても涼やかで日本女性として憧れるのですが、自分で着るとなると、着慣れていないとこれほど大変なことはありません。

 私は高校生の頃、3年ほど日舞を習っていて、そのおかげで浴衣は自分で着られるのですが、着物は御太鼓結びも自分で出来ませんので着られません。晴れ着や着物はそれこそ、披露宴などで着る以外は機会もないので、最後に留袖を着たのが弟の結婚式で、約5年くらい前でしょうか。それ以来、着ていません。浴衣は今の夫と3年半前に伊香保に旅行に行った際、旅館のサービスで女性が浴衣を選ぶことが出来て、その際に着た以来でした。そのときも、浴衣を着て部屋で夕飯を食べただけなので、浴衣を着てお出かけをしたのは、本当に久しぶり。着物と言うものを着ること事態が本当に3年半以上ぶりでした。

 今日の富山は本当に暑かった。昨日まではフェーン現象で38.5度だの36.3度だの、猛暑どころの暑さではありませんでしたが、今日もなぜか暑かった。午後4時半頃から部屋内をクーラーで涼しくして、久しぶりに浴衣に袖を通した時点で、もう暑くて暑くて。本当に悪戦苦闘。着ていなかった数年のブランクは、なんと大きな障害か。紐を結ぶのも、おはしょりを調整するのも、一苦労。さらに帯にいたっては、もう力が足りなくて、結ぶのが大変。やっと帯も出来て、ぐるっと前に回した時には、ヘロヘロでした。それでも気力をふりしぼって、全体を鏡で見ながら直し、旦那も用意ができ、さあ下駄を履いて、いざ外へ!ドアを開けた瞬間、ムア~とした熱気。あ~、やっぱり浴衣なんか着なきゃ良かった。歩き出したら、その思いは一段と強くなり、汗ばかりかきかき、ふきふき、、扇子を振り振り。それでも流れ落ちてくる汗は止まらず、一生懸命メイクした顔は、どうなっているのか、一生懸命着た浴衣は汗だくか。つらい状況でございました。

 さて、富山市のメイン通りで行われた「よさこい」の流し踊りというのでしょうか、これは本当にすばらしく迫力のある踊りで、見ることが出来てとても良かったです。しかし、途中で夕立が降り、暑さもほとんど変わらず、一時間ほどでその場所からは移動して、二人で居酒屋で夕飯をとり、ほろ酔いで帰ってきたのでした。本当に暑かった。居酒屋で、マスターとお客さんが「浴衣って涼しげですよね」なんて言ってくれましたが、「いいえ、とても暑いです」と、男性の夢を壊してしまいました。しかし、暑くてたまらないときに着る浴衣は、辛いですねえ。暑いですねえ。楽しみにして着たのですが、やっぱり暑いときは無理しないほうがいいかも。でも、それでも、浴衣を着て夏祭りに出かけることが出来るほど、体調が回復したこと、本当はとても嬉しいです。来年もまた、ぜひ着たいと思います。

気温38.5度

 昨日の富山の最高気温は、全国一の38.5度。38.5度ですよ~。ちょっとびっくりじゃないですか~!?先週あたりに九州の方が連日35度で、「大変だなあ」なんて思っていたら、自分の自宅の場所がまさかこのような気温になるとは・・・。北陸はどうしてもフェーン現象の関係で、夏に何度かこういう高温になることがあるらしいです。

 昨日はデパートに用事があって、買う品物が少し重いことが予想されたので、歩いて5分程度のデパートにも車で行きました。でもそれが正解でした。だって、品物は重い上に、時間帯がちょうどお昼から午後1時半ころにかけてだったので、たぶん最高気温の頃だったでしょう。その時間帯に、重めの荷物を抱えながら、たとえ5分程度の距離でも歩いていたら、大変なことになっていたでしょう。車に乗っていて、道路がゆらゆらと揺らいで見えるんですよ。暑さで蒸気が上がっているのか。それでも歩いている人がいたので、富山の人、恐るべし。気をつけないと、熱中症になってしまうよ、と考えながらも、きっと慣れているから用心しているのだろうと、思いました。

 今日も朝からあつ~い。東京のようにムシムシする暑さでなく、熱風という感じでしょうか。やはり台風の影響で今日も暑いようです。これからフラメンコを習いに行きますが、もちろん車。歩いていけるところではないので、毎週、車で通ってますが、車で良かった。でもこういう日は車内も暑い!まずは車内の空気を入れ替えて、エアコンで冷やさないと、運転しているうちに汗だくだくです。それこそ熱中症にでもなってしまうので、気をつけないと。今日の予想気温は36度。はやく、30度くらいになってほしい。30度でも暑いはずなのに、きっと涼しく感じるのだろうな。今夜から、富山の城址公園周辺での大きなお祭りが始まります。明日はゆかたでも着て出かけたいので、せめて、30度くらいになって!と願っています。

花火大会

 昨夜は富山市内で花火大会が行われました。普段ならそんなに早く仕事が終わるはずのない夫が、同僚とその奥さんと一緒に4人で、花火を見に行こうと言い出し、午後6時半に花火大会が行われる河川敷に向かいました。

 花火が始まるのは午後7時45分から。一時間前に着いたのですが、まだまだ河川敷には座れそうな場所がいっぱいあります。これは東京ではありえない状況。私の実家の地元で行われる「隅田川の花火大会」では、一時間前だろうと何時間前だろうと、いったいどうやって皆、座る場所を確保しているんだというほど、人でいっぱいになります。隅田川の屋形船に関しては、花火が終わったらまた一年後の花火大会のために予約するそうですから。ただの見物人に関しては、とにかく河川敷にたどり着く前に、道を歩いている間に花火が始まり、止まっちゃいけないので、歩きながら見て、どこに向かって歩いているのかも分からないうちに花火が終わります。一度なんか、花火が高層ビルで見えなくて、その高層ビルの窓に映る花火を見ていた年もありました。もっとも、私の実家はマンションなので、遠くても良ければ、屋上に行けば花火は見れますし、隅田川に関してはテレビ中継も行われるので、それで十分と言えば十分です。

 さて、その昨夜の富山市内での花火大会では、一時間前に河川敷に着いた私達は、座る場所も確保し、天気も良かったのできれいな夕日を眺めながら、夫二人が食べ物や飲み物を買いに出かけて、それを食べたり飲んだりしているうちに、花火前のイベント・吹奏楽の演奏やら何やらが始まって、いよいよ空も暗くなってきました。そして、花火大会の始まりです!

 とにかく目の前で打ち上げられる2千発の花火。東京に比べれば大きさも発数も違いますが、なんといっても目の前!目の前です!もう火の粉が降り注いできそうなほど大きく、首が痛くなるほど、見上げる位置。打ち上げられる度に響く音!お腹の中にまで「ドン!ドン!」と響きます。一時間前とは見違えるほど、大勢の人。(でも東京ほどではありませんが)そして、なんて綺麗なのでしょう。すべての花火が綺麗です。大きいのも小さいのも、低い位置での連発物も、みんな見れて、すべてが綺麗!こんなに間近で、こんなに迫力があり、こんなに綺麗な花火が見られるのは、地方ならではの特権です。以前、長野にいた時も見に行きましたが、やはり目の前で見ることが出来ました。

 花火が上がるたびに、うちの団体(4人ですが)は、「うおー!」だの「たまや~」だの「すげー!」だの「ほほほほ~い!」だの、拍手だのと、大盛り上がりなのですが、富山の方は静かです。本当に大きなのが上がったり連発花火の時に、まばらに拍手するくらい。これは、その土地の風習の違いなのでしょうか。ただ私たちがうるさいだけなのか。それにしても本当にすばらしい花火大会を見ることが出来ました。大満足です。忙しい中、早く仕事を終わらせて連れて行ってくれた、二人の夫に感謝の夜でした。

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